死刑・冤罪名張事件

2015年1月11日 (日)

名張毒ぶどう酒事件 89歳になる死刑囚の救済の道を閉ざす高裁決定は正義に反する。


■ 昨日の名張事件決定

昨日、1月9日、名古屋高裁第2部は、名張毒ぶどう酒事件で、「再審を認めない」とした決定に異議を申し立てていた再審請求人である奥西勝氏の異議申し立てを棄却した。

名張毒ぶどう酒事件は、一審が無罪、そして2005年には再審開始決定が出されているにも関わらず、奥西死刑囚はもう50年近く死刑囚として死刑の恐怖に晒され続け、事件当時35歳であったのに、いまや89歳を迎えようとしている。

無実を訴える死刑囚の救済を冷酷にも閉ざすこの事件は日本の刑事裁判の絶望的な後進性の象徴である。

私も弁護士登録以来この事件にかかわり、なんと20年もが経過しようとしている。

この20年間、いつか日本の刑事司法は改善されると信じてきたが、刑事裁判、特に再審をめぐる状況はほとんど微動だにしない。

弁護側がDNA鑑定などの「無罪証拠」をつきつけた時にだけ、証拠の開示が進んだり、再審の扉が開くだけであり、再審事件にも「疑わしきは被告人の利益に」の原則を適用すべきとした過去の最高裁判例は骨抜きにされたままである。

■ 事件の経緯

この事件が発生したのは、1961年、なんと私が生まれるずいぶん前である。

三重県と奈良県の県境の村の親睦会で女性用に出されたぶどう酒に毒物が混入していたため、5人が死亡、多数が重軽傷を負い、村人であった奥西氏が連日の取調べを受けて、自白に追い込まれたのがえん罪のきっかけである。

そう、多くのえん罪同様、自白からえん罪が始まる。この事件では、目撃証人はおらず、奥西氏と犯行を結び付ける物証も一切いない。

自白と状況証拠のみの積み重ねのみで、検察官は奥西氏を起訴。

自白調書を読んだ人はすぐにわかると思うが、自白は変遷を繰り返し、到底信用できないものである。

極めつけは、「毒物混入をいつしたのか」という問いかけに対して、奥西の回答が変遷を繰り返し、「これが一番この件でよくわからないところ」などと供述したとされている。まさに犯行という瞬間のことを「一番記憶していない」とはどういうことだろうか。  

一審判決は、いくつもの矛盾と変遷を指摘し、奥西氏の自白は到底信用できない、とし、状況証拠についても有罪立証に足りないとして無罪とした。

状況証拠としては、ぶどう酒が懇親会の直前に村に持ち込まれ、「奥西氏以外に犯行機会はない」とする、村人の供述に依拠しているのだが、この供述は捜査過程である日突然一斉に変更、一審判決は『検察官の並々ならぬ努力の成果』と皮肉っていた。

こうした一審無罪判決が出されたのに対し、検察官は控訴、高裁は逆転死刑判決をくだし、最高裁もこれを維持した。

無罪から死刑への逆転の根拠となったのは、事件現場に落ちていたとされるぶどう酒王冠についていた傷が奥西さんの歯型と一致する、という検察側鑑定。その鑑定+自白で、逆転有罪となった。

以後、奥西氏は、実に、40年以上の間無実を叫び続け、死刑確定後は毎日死刑執行の恐怖にさらされながら生きてきた。

第5次再審請求では、高裁死刑判決の根拠となった、歯型鑑定が、実は倍率をごまかしたインチキ鑑定であることが明らかになった。

奥西氏と犯行を結び付ける唯一の物証が崩れた以上再審開始がされるべきだったのに、裁判所は、これを認めない。

また、第5次再審請求では、奥西氏が混入したとされる毒物=農薬が赤着色されていたという証拠も提出した。

ぶどう酒は白。白ブドウ酒に赤い農薬を混入すれば、赤く変色したはず、また犯人がそんな農薬を入れるはずがあるだろうか。

ところが、そうした当たり前の証拠も裁判所は無視したままだった。

■ またも逆転・・・第7次再審請求をめぐる経過

7度目の再審請求で、弁護団は、様々な新証拠を提出した。最もパワフルな新証拠は、毒物に関する試験結果を分析し、科学的な光をあてたところ、本件で混入された毒物は、奥西氏が混入したとされる農薬ではなかった、という証拠である。

これら証拠をもとに2005年4月、再審開始決定が出され、奥西氏の死刑執行は停止された。この経過は最近の袴田事件と同じである。ただし、奥西氏はこの時に釈放はされなかった。

そして、検察官は即座に異議を申し立てた。2006年名古屋高裁・当時の門野博裁判長は、再び「自白」を過大評価し、これだけの重大事件で拷問もされずに自白した以上、自白内容は真実だ、などと乱暴な理屈で再審の扉を閉じた。

その後、最高裁は2010年に奥西氏の特別抗告を受けて、事件の審理が尽くされていないとして名古屋高裁に差し戻した。

ところが、名古屋高裁は、非科学的な独自の理屈(検察側鑑定人すら一言も言及しない独自の論)で、毒物に関して科学者たちが指摘してきた疑問についてつじつまあわせをし、奥西氏が混入した農薬である可能性があるとして再審を認めなかった。残念ながら、二度目の最高裁は、この結論を是認したのである。

■ そして、、救済を拒絶した第8次再審請求

弁護団は、第8次再審請求で、毒物の問題に関する裁判所の判断の誤りを示す証拠を提出したが、請求審、異議審とも、極めて短期間の審理で、前回と同一理由の請求であるとするなどして、実質的な審理をしないまま再審の審理を打ち切った。

第8次再審請求の特色は、毒物に関する問題に争点を著しく矮小化し、第7次の最終的判断に疑問が生じれば当然出てくるはずである、

一審無罪判決が示した数限りない証拠への疑問、そして第七次再審開始決定が示した確定判決への多くの疑問などについて、事実に謙虚に、徹底して「果たして無罪推定の見地に立てば請求人を死刑にしておいてよいのか」を審査するという姿勢が全くみられなかったことである。

出された証拠の証拠力だけに争点を絞り込んでそれ以外の証拠を検討しない再審のやり方は「孤立評価」と言う。

1970年代に出された最高裁の過去の決定(白鳥・財田川決定)はこれを克服し、新しい証拠と従前からの証拠を「総合評価」し、「疑わしきは被告人の利益に」の原則に基づいて判断すべきとしている。しかし、今回の判断は、このような判例の流れをまったく無視した「孤立評価」そのものである。

■ 証拠開示や新たな立証活動を拒絶

第8次請求にあたり、弁護団では、さらなる立証活動の準備として、裁判所が保管している証拠の閲覧謄写請求をしてきた。しかし、裁判官たちは、その機会さえ与えずに今回の決定をした。

また、弁護団ではいまだに多くの証拠が隠されていることを指摘し、再三にわたって証拠の開示を求めたが、これも全く実現していない。誤判救済という、再審における司法の役割を放棄したとしかいいようがない審理経過であった。

■ 国際基準から著しくかけ離れた刑事司法の象徴

この事件は国際基準から著しくかけ離れた刑事司法の象徴といえる。

・ そもそも、米国や英国では、無罪判決に対する検察官控訴は許されていない。

本件がもし米国や英国で起きていれば、1960年代に無罪判決が出され、それで釈放されて終わりだったはずである。

まして本件では2005年に再審開始決定が出ているのだ。加えて2010年の最高裁決定も、再審申立を棄却する判断に疑問を呈した。

少なくとも計6人の裁判官が疑問を呈したこの事件について、果たして「疑わしきは被告人の利益に」の観点から死刑を維持していいのだろうか。

・ 欧州には、無罪判決に対する検察官控訴が出来る国もある。しかし、欧州は死刑を廃止している。欧州でも奥西氏がいまのいままで、獄中で死刑の恐怖に晒されているということはありえないのだ。

・ 証拠開示についてはどうか。

欧州ではほとんどの国で、被告人は自分が裁かれている事件について、すべての証拠にアクセスできる権利を有している。ヨーロッパ人権条約によってそのように保障されているのだ。また、米国では、「被告人に有利な証拠は被告人に開示しなければならない。仮にこれを開示しないまま刑事裁判を進めれば憲法違反として有罪判決は取り消される」という厳しいルールがある。また、米国の再審プロセスでは検察が未開示証拠を弁護側に開示するのがふつうであり、未開示証拠すべてを弁護側に開示することが義務付けられている州法がある国も多く、それが誤判救済につながっている。

被告人に対し、証拠が隠されたまま、死刑判決を維持するという日本のような異常な事態は到底考えられない。

・ 取調べの問題・自白偏重

また、日本のように長時間被告人の身柄を拘束して密室で取調べ、その結果得られた自白をかくも重視して、有罪判決の主要な根拠にし続けるということも諸外国ではあまり例を見ないことである。奥西氏は逮捕前の49時間もの取調べの末に自白に追い込まれたが、日本の取調べがかくも事件に配慮したものでなかったから、自白に追い込まれていなかったであろう。

■ 国連からの勧告

日本が批准している国際人権条約・自由権規約の日本での実施状況を審査している

国連自由権規約委員会は2014年7月の日本審査を受けて総括所見を出している。

原文はこちらだ。http://hrn.or.jp/activity/Concluding%20Observations.pdf

袴田事件で袴田さんに対する再審開始決定が出されたということを委員会は重大に受け止め、同様の死刑えん罪を繰り返さないために、日本政府に対し強い取り組みを求める勧告を出している。

すなわち、

委員会は、「袴田巌の事件を含め、強制された自白の結果としてさまざまな機会に死刑が科されてきたという報告は、懸念される事項である(規約2 条、 6 条、7 条、9 条、及び14 条)」などと日本の死刑制度に対する懸念を表明し、以下の勧告をしている。

締約国は、以下の行動をとるべきである。

(a) 死刑の廃止を十分に考慮すること、あるいはその代替として、死刑を科しうる犯罪の数を、生命の

喪失に至る最も重大な犯罪に削減すること。

(b) 死刑確定者とその家族に対し予定されている死刑執行の日時を合理的な余裕をもって事前告知す

ること、及び、死刑確定者に対して非常に例外的な事情がある場合であり、かつ、厳格に制限された期

間を除き、昼夜独居処遇を科さないことにより、死刑確定者の収容体制が残虐、非人道的あるいは品位

を傷つける取扱いまたは刑罰とならないように確保すること。

(c) とりわけ、弁護側にすべての検察側資料への全面的なアクセスを保証し、かつ、拷問あるいは虐待

により得られた自白が証拠として用いられることがないよう確保することによって、不当な死刑判決に

対する法的な安全装置を即時に強化すること。

(d) 委員会の前回の総括所見(CCPR/C/JPN/CO/5、パラ17)の観点から、再審あるいは恩赦の申請

に執行停止効果を持たせたうえで死刑事件における義務的かつ効果的な再審査の制度を確立し、かつ、

死刑確定者とその弁護人との間における再審請求に関するすべての面会の厳格な秘密性を保証するこ

と。

(e) 死刑確定者の精神状態の健康に関する独立した審査の制度を確立すること。

(f) 死刑の廃止を目指し、規約の第二選択議定書への加入を考慮すること。

出典:国連自由権規約委員会総括所見和訳
特に重要な勧告であるため、2年以内にこの勧告の実施のためにとった措置を報告することが日本政府に求められている。

名張事件の今回の決定は、

(c) とりわけ、弁護側にすべての検察側資料への全面的なアクセスを保証・・することによって、不当な死刑判決に対する法的な安全装置を即時に強化すること。

という勧告に明らかに背くものである。すべての検察側資料へのアクセス、証拠へのアクセス、証拠閲覧謄写が裁判所によって拒絶されたのであるから。

そして、

(d)死刑事件における義務的かつ効果的な再審査の制度を確立

との勧告も一顧だにしていない。委員会の認識は、現行の再審制度では「効果的な再審査の制度」とは、到底言えないのであり、再審においてデュープロセス、再審請求人の権利を保障すべきだという趣旨である(例えば日弁連は「再審法」を制定すべきとかねて提言しているが全く実現していない)。

誤判救済の役割を放棄した日本の刑事裁判のあり方が、袴田事件のような悲劇を生んだことは世界的にもショッキングなニュースとして報道され、国連からも改革を強く求められている。

ところが、日本の司法当局は全く反省のかけらもなく、国連の勧告など無視し、証拠へのアクセスや証拠開示の権利すら死刑囚に与えようとしない。

このようなあり方は抜本的に正されなければならない。

改めて高裁決定は明らかに正義に反するものである。

弁護団は奥西勝氏が89歳の誕生日を迎える1月14日に最高裁に特別抗告を申し立て、最高裁の判断を求める予定だ。

併せて参照してください。  

名張毒ぶどう酒事件 再審認めず

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150109/k10014558931000.html

名張毒ぶどう酒:「特別抗告へ」に奥西死刑囚うなずく

http://mainichi.jp/select/news/20150109k0000e040248000c.html

奥西死刑囚 小康状態保つ 特別抗告にうなずく

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2015010902000241.html

映画「約束」公式ウェブサイト

http://www.yakusoku-nabari.jp/

2013年11月 5日 (火)

第八次再審請求申立

奥西勝さんの第八次再審請求、本日申し立てました。
このまま負けるわけにはどうしてもいかないのです。
不当な決定には絶対に屈しません。
がんばります。

NHKの報道です。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20131105/k10015818101000.html

52年前に起きた名張毒ぶどう酒事件で87歳の死刑囚が求めた再審・裁判のやり直しを先月、最高裁判所が認めなかったことから、弁護団は5日、専門家が行った、犯行に使われたとされる農薬に関する鑑定結果などを新たな証拠として、8度目となる再審の申し立てを行いました。

「名張毒ぶどう酒事件」は昭和36年に三重県名張市の地域の懇親会でぶどう酒に農薬が入れられ、女性5人が殺害されたもので、1審で無罪、2審で死刑となった奥西勝死刑囚(87)が無実を訴えて再審・裁判のやり直しを求めてきました。
平成14年に行われた7度目の申し立てでは、名古屋高等裁判所が一度、再審の開始を認める決定を出しましたが、先月、最高裁判所が再審を認めない決定をしました。
これを受けて弁護団は、ことし9月に提出した、「犯行に使われた毒物は奥西死刑囚が持っていた農薬ではない」とする専門家による鑑定結果などが新たな証拠として検討されておらず、裁判所の認定は誤りだとして、5日、名古屋高裁に8度目となる再審の申し立てを行いました。
弁護団の鈴木泉弁護士は「奥西死刑囚は人工呼吸器でかろうじて命の炎を燃やしている状況だ。裁判官には新たな証拠を慎重に判断したうえで、一日も早く再審の開始を認めてもらいたい」と話しています。

2013年1月 9日 (水)

今年こそ、87歳になる奥西死刑囚を救い出す年に。

1月14日は、私が弁護登録以来、弁護団に参加している奥西勝死刑囚の87回目の誕生日だ。

昨年5月の不当決定後、体調を崩し、八王子医療刑務所に収容されている。

死刑囚への面会、手紙は日本では不当に制限されているが、弁護人なので、手紙は自由に出せるし、時々面会に訪れている。

今日バースデーカードを書いて、明日には投函する予定だ。

1961年に発生した名張毒ぶどう酒事件で、奥西氏は妻ら5人の女性を毒殺したとして逮捕され、一審無罪となる。

しかし、高裁では虚偽の科学鑑定が出され、逆転死刑判決。最高裁も1972年にこれを支持。

以来、獄中から無実を訴え、裁判のやり直しを求め続けて今日に至っている。高裁で唯一の物証として死刑判決の根拠となったぶどう酒の王冠の歯形が奥西氏の歯形に一致するとの鑑定はすでに虚偽であることが明らかになっている。

さらに、弁護団は、死刑判決で、使用された毒物として特定されていた農薬ニッカリンTが実は使用されていなかったことを科学鑑定で明らかにした。

2005年には、ついに名古屋高裁が「毒物が違う」との科学鑑定等を根拠として再審開始決定を出したが、2006年には異議審(門野博裁判長)が捜査段階の自白を重視し、鑑定結果について非科学的な根拠でその証明力を否定して逆転して再審請求を棄却、最高裁は2010年、異議審の判断に誤りがあるとして再び名古屋高裁に事件を差し戻した。

差戻し後、検察は最高裁での主張を撤回、検察が異議審、差戻審で提起した仮説は、裁判所が選定した鑑定人の鑑定により否定された。

とこが、2012年5月に裁判所は再び再審を認めない、との決定を出した。それは鑑定人も述べていないし、検察も主張していない、独自の仮説を裁判所がたて、独自の推論に基づき、毒物がニッカリンTでないということは明らかとはいえない、からだという。

そもそも、毒物がニッカリンT出ないという合理的疑いがあれば、総合的な証拠の評価により、「疑わしきは被告人の利益に」原則に基づいて判断を下すのが、再審の鉄則であるが、裁判所が独自の可能性を机上の空論で持ち出し、ウルトラC級の可能性を考え出して「だからニッカリンTでないとまでいえない」などとして再審の扉を閉ざすなど、あってはならないことであり、証拠裁判主義にも反しているし、疑わしきは被告人の利益に原則に明確に反している。

弁護団は直ちに最高裁に特別抗告をし、昨年12月25日に最高裁に新しい実験結果とともに意見書を提出した。

内容は、あまりに専門的にわたるので割愛するが、2012年5月の差戻裁判所の決定が呈した論拠、および突然持ち出した独自の推論が専門機関の実験の結果、全く間違っていたことを明らかにするものである。

直後の報道(このページ、事件の詳細な記録もまとめられてて嬉しい)はこちらである。

http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/nabari_case/

裁判所はもうこれ以上、後で否定されるような非科学的な机上の空論を持ち出して、正義を否定するようなことをしないでほしい。

もうたくさん、恥の上塗りである。2004年の再審開始決定から約9年、この不毛な引き伸ばしで奥西氏は今年87歳になる。

正義への執念で生き続けられているが、残された時間がたくさんあるとはだれにも言えない。

もしこのまま再審を開始しなければ、国家が意図的に無実の人を獄死させることになりかねない。

どうしても生きて救い出したいと思う。

二度もとんでもない非科学的判断をした名古屋高裁には、事件をこれ以上差し戻さず、人権の砦であるべき最高裁として公正な判断を急いで出してほしい。

相次ぐ再審無罪の流れで死刑再審だけは司法が頑迷である。司法は死刑判決が否定されれば、司法の権威が根本から否定されると考え、権威を守ろうとしているのかもしれない。しかし、袴田、飯塚など、ほかの死刑再審事件も、科学証拠により死刑判決の誤りが明らかになりつつある。誤った権威をなりふり構わず守ることではなく、誤った判断を勇気をもってただすことこそ、正義の砦である司法の役割だ。

今年は死刑再審が開始される年になると期待したい。

奥西さんの闘いについて、映画『約束』が、2月16日から東京・ユーロスペースを皮切りに全国公開される。

公式ウェブサイト  www.yakusoku-nabari.jp

主演は仲代達矢さんで、出演・制作の皆様に心から感謝しています。

是非、皆さんに知っていただいてもっともっと注目してほしい。

2012年6月25日 (月)

奥西死刑囚と面会・とても強いひと

先日、八王子医療刑務所で、奥西さんにお会いしてきました。

5月25日の決定後、発熱されて、入院し、その後八王子医療刑務所に移転となりました。

とても心配して面会に行きましたが、奥西さん、かなり回復されていました。

とても強い目の力、精神力、気迫・・10キロ近く痩せてしまったけれど、えん罪をはらす奥西さんの強い決意が、だからこそ、かつてなく強く、伝わってきました。

私はこの件で神経がかなり参っていたのですが、あまりにも過酷な目にあっているご本人は奥西さん、これだけの不合理、非人道を50年にわたり、一身に受けながら、毅然とされている奥西さんを思うと、奥西さんのなんと強いことか。。と改めて思いました。

一日も早くよくなってほしい、そして命あるうちにえん罪をはらしたい、と改めて思いました。

近所、というほどではないですが、比較的簡単に通えるので、これからも面会にしばしば訪れたいと考えています。

2012年6月10日 (日)

「ひどい、裁判所は悪魔だ。」(名張事件決定に寄せて)

名張事件のあの不当決定日以来、あまりの衝撃で
なかなか気持ちの整理がつかず、私はブログを更新
することができなかった。
当初、Facebook等で発した言葉は、あまりに感情的な
のではないか、と懸念し、少し気持ちの整理をしたうえで
ブログを書こうと思っていた。
しかし、2週間たっても、当時と気持ちは変わらず、
むしろ、その気持ちは日増しに強くなっている。
それは以下のような感情であり、考えである。

島田事件の赤堀さんは、「ひどい。裁判所は悪魔だ。」

「強い怒りを禁じ得ない。『疑わしきは被告人の利益』
を意図的に無視したこの暴挙は、奥西さんの抹殺に
手を貸した信じ難い司法の姿である。私たちはこれを糾弾する」
とコメントされた。

私もまったく同じ気持ちであり、まさに同感である。

あまりにもひどい、こんなひどいことを司法がした、ということを
私は決して忘れないし、許さないであろう。
疑わしきは被告人の利益にの原則を捻じ曲げ、
検察官も主張せず、鑑定人すら言っていない机上の仮説を
でっちあげて、汲々として有罪判決を維持する裁判官たち。

判決文を読んで唖然とするのは、これが司法のすることか、
ということであり、およそ判決の名に値しないものだと
しかいえない。

なんらかのミラクルが起きれば、請求人奥西氏の
主張以外の仮説だったありえるかもしれない、だから、
そんな可能性もある以上は再審は認められない
・・・そのような論旨は、明らかに「無罪推定」と
相いれない。
判決はただひたすら汲々と、そんなミラクルの可能性、
おそまつな仮説やら推論やらに言及しているのだ。

いったいどういうことだろうか。

無罪判決を出す、司法の誤りを正す、人権を救済する、
そんな勇気がひとかけらもなく、ただ汲々と
みじめに、破たんした論理を紡ぎ、有罪を
導き出そうとする人たち。

そしてその結果は、無実の人の抹殺である。
もう86歳、この日をずっと待っていたというのに。。

ハンナ・アーレントは、アイヒマン裁判に寄せて、
「悪の凡庸」という言葉を使ったけれど、
今回の名古屋高裁の裁判官については、
「悪の凡庸」と言う言葉がそのままあてはまる、と
私は思う。
システムのなかで、唯々諾々と逆らわずに
誤判を構造的に作り出す人たち。

おとなしい顔をしながら、「疑わしきは被告人の利益に」
という大原則をあからさまに無視し、これに違反し、
奥西さんを死刑棟に葬り去ろうとしているのだ。

とても強い言葉を使っているかもしれないけれど、
この考えは変わらない。

勇気を出して誤判を救済する司法判断も生まれつつあるけれど、
いまもこうした職業裁判官たちが棲息しているのだ。


そしてまたこれを克服するために何年かかる事か、、
奥西さんの場合、救済の遅延はすなわち救済の否定に
つながる、というのに、その結果の重大性は、
後の是正では取り返しがつかないレベルにきている。

何より、奥西さんは、86歳である。今回こそ正義がなされる
はずだと信じていた奥西さんにとってこの不当決定は
どんなに衝撃だったことだろう。
奥西さんは、入院し、日一日と衰弱している。

私はこの不当決定を絶対に許さない。
こんな決定を歴史に残しては、日本の司法そのものにとって
重大な汚点だ、と思う。

1997年に同じ名古屋高裁の裁判官の姿にあまりに
ショックを受けて、絶望し、
この職業裁判官による刑事裁判制度を絶対に
変えなければならない、と決意したことを思い出す。
その後、私は司法改革に力を注いで、
裁判員制度は導入され、誤判救済について
一定の流れが出来つつある。
しかし、裁判所は特にこれまでの誤判について
公的に反省するわけでもなく、依然として
高裁や職権主義的な再審手続等、
職業裁判官の聖域は手つかずに残され、
絶対的不正義はいまも厳然と私たちの
目の前に横たわっている。

これからも奥西さんを一日も早く死刑台から絶対に
取り戻すまで、最高裁での正義の
実現を求めて、私は活動していく。


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http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120525/trl12052511340002-n1.htm
「ひどい。裁判所は悪魔だ」 島田事件で無罪の赤堀さん
2012.5.25 11:33 [刑事裁判]

「名張毒ぶどう酒事件」の再審可否決定を前に、集会に参加した赤堀政夫さん(右)と袴田秀子さん(左)=25日午前、名古屋高裁前
 1954年に静岡県島田市で女児が殺害された島田事件で死刑が確定し、再審の結果、89年に無罪となった赤堀政夫さん(83)=名古屋市=が25日、名張毒ぶどう酒事件で奥西勝元被告(86)の再審開始が認められなかったのを受け「ひどい。裁判所は悪魔だ。間違っている」と怒りで顔を赤らめながら話した。

 この日、介護者の女性とともに名古屋高裁を訪れた赤堀さん。「奥西さんは社会に出られないのか。(亡くなった)奥西さんのお母さんがかわいそうだ」と述べた。

 文書で出したコメントには「強い怒りを禁じ得ない。『疑わしきは被告人の利益』を意図的に無視したこの暴挙は、奥西さんの抹殺に手を貸した信じ難い司法の姿である。私たちはこれを糾弾する」と厳しい言葉が並んだ。

2012年5月24日 (木)

名張事件 このあまりの不正義・人権侵害を司法は救わなければならない。

25日は奥西勝死刑囚について名古屋高裁の決定が出される。

奥西死刑囚はそもそも第一審で無罪判決を得た。自白も全く信用できず、客観証拠に乏しい、という判断、1960年代のことだ。

それが、名古屋高裁で覆された。その判断の根拠は極度なまでの自白偏重、そして、後に完全な誤りであることが明らかになったえせ「科学証拠」によってである。

奥西氏と犯罪を結びつける王冠の歯型鑑定、ぶどう酒の王冠についていた傷が奥西死刑囚の歯型と一致した、という鑑定は倍率をごまかしたインチキであったことが明らかになったのだ。

こうした鑑定の誤りを示しても、裁判所は最新の扉を開かなかった。

その後、私たちは血のにじむような努力をしてさらに新証拠を提出する。そもそも毒殺に使用した毒物が全く違うものであるということが明らかにされたのだ。

この新証拠は実に、再審を申し立てた2002年、実は10年も前に提出されている。そして、この証拠が有罪判決を覆すものとして明白性を認められ、2005年に再審開始決定が出された。

  ところがそれを再び名古屋高裁が「自白偏重」と科学を全く理解しない不当判断によってくつがえした。私たちは最高裁に特別抗告し、最高裁は再び名古屋高裁に事件を差し戻して、今に至ったのだ。

奥西死刑囚には事実上二度の無罪判決が出ている。同じ死刑制度を持つ米国でもひとたび無罪となった人を死刑にするような途方もないことはありえない。

ところが日本は検察官が無罪判決に際限なく上訴できる。二度の無罪判決を事実上受けながら、奥西氏は、50年以上罪に問われつづけ、40年以上死刑囚として行き、86歳になった。

本当になんという残酷なことであろうか。司法の権威を守るために、一人の人の人生をここまで翻弄し、犠牲にしてよいのか。

このあまりの不正義・人権侵害を司法は今こそ救わなければならない。司法(Justice)の名において。

これまで司法は99.9%の有罪率にあぐらをかいて、無実を叫ぶ人が何を言おうとえん罪を漫然と生みつづければよかった。彼らが最終決定者なのだから。

しかし、今科学証拠が発達し、裁判官の誤った裁判は、鏡のようにてらされて、明らかにされていく。足利事件、そして、袴田事件。ようやくDNA鑑定によるいわば「無実の証明」によって、司法がいかに取り返しのつかないことをしたかが明らかになっているのだ。

しかし、DNA鑑定は被告人側が悪魔の証明(絶対できない証明の意味)と言われる「無罪の証明」をするものであり、裁判所は無罪の動かぬ証拠をつきつけられて不承不承無罪を認める。

  無罪の証明があるときだけしぶしぶ再審を認める、そんなことでよいのであれば、誰でもできる、裁判官の役割などないに等しい。

 裁判の役割は、無罪の発見にあり、刑事裁判の鉄則である「疑わしきは被告人の利益に」の原則に従って、被告人が長い苦しみの後に無罪の動かぬ証拠をつきつけたり、それがかなわずに獄死したりする前に、誤った裁判を認め、えん罪から救うことにある。

 足利事件の様に、無罪の動かぬ証拠を突きつけられない限り、再審無罪をしないというのでは、正義を実現し、適正な判断を行う裁判所の役割を果たすことはできないのだ。

 名張事件においては、今こそが司法が役割を果たすべき時である。今救わなければ、それは遅すぎる。いまも、あまりにも遅きに失したことは間違いない。

 しかし、86歳の奥西氏を、今救えなければ、遅すぎることは明らかである。

 もしこれを救えないのであれば、日本の刑事司法は何の役にも立たない、ひたすら有害で絶望的なものであるということになる。無罪の証明がない限り再審はしませんという、素人以下の機能しか果たさない機関であることを内外に示すことになるのだ。

 そのようなことにさせてはならない。既に、科学鑑定の信用性は証明されており、再び適当な言い逃れで、再審の扉を閉ざすようなことがあってはならない。

そのような結論にならないはずであると、裁判官の良心に私は期待する。 

2011年4月 4日 (月)

名張事件発生から50年、4月5日にイベントを行います。

地震で不安な中ですが、今、無実の罪で死刑執行される恐怖におびえている人も日本にはいます。

死刑冤罪名張事件は、事件発生から50年です。死刑囚奥西勝さんを死刑台から一日も早く取り戻そうということで、4月5日に集会を開催することになりました。

人の命にかかっていることなので、この集会は震災のなかでもキャンセルしませんでした。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~nabari/
江川しょうこさん、やくみつるさんと弁護人である私が鼎談させていただきます。

よろしかったらぜひご参加いだたきますよう。

2010年10月10日 (日)

あなたの連休は?

連休はいかがお過ごしですか。

私は、先々週はジュネーブ、先週は大阪でしたが、今週の連休は土日がやっと東京に落ち着き、月曜日は名古屋です。

この連休は何しているかというと、まあ、おおむね名張毒ぶどう酒事件のお仕事ですね。

といっても、この事件に注目いただいている方から見れば、とても地味な仕事なんですね。

この事件ではいつも大変地を這うような地道なことを繰り返していて驚かれるわけですが、

なんといっても、人生とは地味・地道な仕事をこつこつと積み重ねることですから。それ以外にはありません。

一日も早く死刑台から生還してもらうように。。。

なんて自分の仕事の話になってしまいましたけれど、

Have a nice week end!

2010年7月31日 (土)

スペインからのお便り

4月に訪れたスペインの死刑廃止キャンペーンの皆さんから7月中旬に連絡をもらった。

奥西勝死刑囚に関するキャンペーンが盛り上がっている、ということを報告してくれたもの。いろいろと写真を送ってくれた。

http://www.lne.es/gijon/2010/04/10/gijon-lado-oscuro-naciente/898418.html

http://www.flickr.com/photos/amnistiaasturias/sets/72157623846947494/

http://www.flickr.com/photos/amnistiaasturias/sets/72157623506242000/?page=2

本当に嬉しいことです。

名張は現在検察側が最高裁当時と全然違う主張を展開して、新しい鑑定などを請求、とんでもない状況で、裁判所には一日も早く再審開始を裁判所に決めてほしいところだ。

同時に「新政権で死刑廃止が進むことを期待しているわ」というメッセージが。スペインは死刑廃止のために本当に頑張っている国ですから。実はこのメール、忙しくて返信できないでいたところ、千葉大臣のもとで処刑が行われてしまった。このニュースは世界中の死刑廃止論者がすでに知って驚愕している。

死刑廃止論の法務大臣が処刑をするというのはきわめてアンリーズナブルで、世界のウォッチャーの理解を超えている。「どうして」という問いに応えられない事態なので、返信するのも気が重い

これは(スペイン語が読めないのでよくわからないけれど)私のインタビューが掲載されたスペインの報道記事だそうです。   

Entrevisita_kazuko_21

2010年7月28日 (水)

死刑廃止議連の抗議声明

本日の死刑執行について、死刑廃止議連の村越議員から抗議声明を送った、とのメールをもらったので紹介します。まったく同感です。

【緊急声明】死刑の執行に抗議する
死刑廃止を推進する議員連盟
会  長    亀 井 静 香
事務局長  村 越 祐 民

私たち「死刑廃止を推進する議員連盟」は、千葉法務大臣が本日、2名の死刑囚の方(篠沢一男氏、尾形英紀氏)に死刑を執行したことに、強い怒りと無念の気持ちを表明します。

死刑は国家による殺人行為であり、いかなる場合にも認められるべきではありません。これは人類が長い歴史の中で幾多の犠牲を払って遂に克ちえた貴重な教訓に基づく思想であり、地域・国家の別を問わない普遍の原理であります。世界の殆ど全ての先進国を含む七割の国々が死刑を廃止し、昨年一年間死刑の執行に及んだ国がわずか18カ国(注)に留まったことは、その世界的潮流の表れであります。

本日は、昨年7月28日を最後に、我が国で死刑執行が事実上停止となって丸一年が経過した記念すべき一日となるはずでした。いまこそ、刑場の公開等の情報公開や、重無期刑の創設、裁判員制度における死刑判決の在り方の検討など、死刑制度の存続の是非を巡る抜本的で本質的な国民的議論が始められると期待していた矢先に、不意打ちのような形で今回の死刑執行が行われたことに、強い失望の念を禁じ得ません。

千葉法務大臣はその会見の中で、死刑制度の存廃を含めた死刑制度の在り方について検討するための勉強会を、法務大臣の下に設ける考えを表明されました。そうであるならば、死刑制度の存廃についての議論が結論をみるまでの間、死刑執行の停止(モラトリアム)を行うのが筋であったのではないでしょうか。

なぜこの時期に、自らの手で死刑の執行を行ったのか、千葉法務大臣は国民に対する大きな説明責任を負っています。かつて共に死刑制度の廃止に向けて議論を喚起してきた立場から、千葉法務大臣には是非、当議連において、今回の死刑執行についての真摯な説明をされることを望みます。また、設置予定の勉強会のメンバーとして、当議連のメンバーを加えることを併せて求めます。
そして何より、これ以上の死刑執行を即時に停止することを強く求めます。

                                                                                          
                                          以  上

注:中国、イラン、イラク、サウジアラビア、米国、イエメン、スーダン、ベトナム、シリア、日本、エジプト、リビア、バングラデシュ、タイ、ボツワナ、シンガポール、マレーシア、北朝鮮

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