刑事裁判・裁判員制度

2014年5月 2日 (金)

袴田事件など相次ぐ冤罪の教訓は反映されたのか。法制審・特別部会「事務当局試案」を読む。


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■ 法制審特別部会の試案

足利事件や、郵政不正疑惑事件等、相次ぐえん罪事件や検察不祥事を受けて、法務省・法制審議会の特別部会として設置された「新時代の刑事司法特別部会」。

2年ちかく議論を進めていたが、4月30日に、事務局をつとめる法務省からとりまとめの原案として、「事務当局試案」なるものが公表された。

事務当局試案

そもそも、この特別部会は、「新時代」などと聞こえはいいが、捜査当局の捜査過程での不祥事、冤罪、証拠改ざん、自白強要などがあまりにも多く続き、国際社会からも人権侵害と指摘され続けてきただけでなく、えん罪事件が相次いで明らかになり、供述に頼り過ぎの捜査と公判のあり方を抜本的に見直すために設置された。

それは、この特別部会の前に設置されたのが、郵政不正疑惑事件(村木局長事件)であり、担当検事が証拠改ざんをして逮捕されるという異例の事態を受けて、法務大臣のもとに「検察の在り方検討会議」が急きょ設置され、その議論の末、「取調べ及び供述調書に過度に依存した捜査・公判の在り方を抜本的に見直し,制度としての取調べの可視化を含む新たな刑事司法制度を構築するための検討を直ちに開始する」との提言が出されたことを受けたものであることからも明らかだ。

江田法務大臣(当時)挨拶

■ 原点が忘れられていないだろうか。

この間、冤罪事件はなくなるどころか次々と明るみに出て、東電OL事件、布川事件、そして死刑囚の冤罪が明らかになり、社会に深い衝撃を与えた袴田事件、と再審無罪が相次ぎ、PC遠隔操作事件の虚偽自白なども問題となった。

米国や英国などでは、このような事態が起きた際、誤判原因究明のための独立した調査委員会が政府等によって立ち上げられ、徹底して誤判原因を調査して、改革のための提言をし、刑事司法改革を進める、ということが行われてきた。

日本でもこれだけえん罪が相次いだのであるから、徹底した誤判原因究明をし、それを正面から反映した改革提案がなされるべきであるが、

「事務当局試案」をみると、えん罪事件の教訓が十分反映され、えん罪が二度と繰り返されないような抜本的な改革とはとても評価できない。

議論の過程でテーマは掘り下げられるどころか極端に絞り込まれ、甚だ不十分な論点整理が進み、えん罪防止のための改革提案は極めて矮小化されてしまった。また、まるで、弁護士会、捜査側の双方の妥協点をすり合わせ、弁護士会に花を持たせる代わりに捜査側にも武器を与えて花を持たせる、という、取引のように話が進んでいる。

肝心のえん罪の根絶、という原点を忘れているのではないか、と強く問いたい。

しかし、村木厚子さんや、周防正行監督などが委員として奮闘され、法務官僚の言いなりにならないよう心を砕いてくださった。

そこで、どこまで改革が提起されているのか、事務当局試案をみてみたい。

■ 取調べの可視化

被疑者取調べの全過程を録音・録画で記録することにより、取調べの強要を防止し、自白の任意性・信用性について全過程をみて判断することを可能にしよう、という改革である。

今回の改革の焦点の一つであり、検察の在り方検討会議の頃から既に提言されていた改革であり、本来、とっくに実現しているべき改革である。

今回、


取調べ等の開始から終了に至るまでの間における被告人の供述及びその状況を5により記録した記録媒体の取調べを請求しなければならない
出典:事務当局試案
ということで、全プロセスの可視化が提案された。

それまで警察などは、一部でいいじゃないか、全部の必要はない、と言い続けてきたが、それでは都合のよいところだけ録音・録画したり、その記録媒体を証拠として請求してくるだけで、ビデオが回っていないところで拷問や恫喝など、自白強要がなされる場合を防げないし、暴けない、ということになる。やはり全プロセスの可視化が必要ということは当然であり、当然の提案といえる。

これはよし、としよう。

しかし、どの範囲で実施するのか、が問題である。

事務当局試案をみると、可視化の対象事件をどの範囲にするか、については、2案が提示され、

A案は裁判員制度対象事件のみ、B案はすべての身柄事件、だという。

しかし、裁判員裁判になる事件は殺人、傷害致死、放火などで、その数は起訴された全ての事件の3%にすぎない。

そして、痴漢のえん罪・否認事件だったり、PC遠隔操作事件だったり、郵政不正事件の村木さんの事件などは裁判員制度の対象外であり、そうした97%の事件について、実は自白強要が繰り返されてきたのだ。

日頃一般市民が誤認逮捕されて困りそうな身近な事例に改革が及ばないというのは問題である。

これまでの冤罪の教訓を考えるなら、裁判員裁判にならない事件であっても、全過程の可視化を進めるべきである。

このように、対象範囲がまだ両論併記のままであるうえ、さらに、試案は、可視化しなくてもよい例外をとても広範に認め、すこぶる捜 査機関に対して気前が良い。例外は以下のとおりだ。


1 記録に必要な機器の故障その他のやむを得ない事情により,記録をす ることが困難であると認めるとき。 2 被疑者が記録を拒んだことその他の被疑者の言動により,記録をした ならば被疑者が十分な供述をすることができないと認めるとき。 3  2 に掲げるもののほか,犯罪の性質,関係者の言動,被疑者がその構 成員である団体の性格その他の事情に照らし,被疑者の供述及びその状 況が明らかにされた場合には被疑者若しくはその親族の身体若しくは財 産に害を加え又はこれらの者を畏怖させ若しくは困惑させる行為がなさ れるおそれがあることにより,記録をしたならば被疑者が十分な供述を することができないと認めるとき。 4 2 及び3 に掲げるもののほか,当該事件が暴力団員による不当な行為 の防止等に関する法律第三条の規定により都道府県公安委員会の指定を 受けた暴力団の構成員による犯罪に係るものであると認めるとき。
出典:事務当局試案
あまりに例外が多く、かつ上記の3などはとても曖昧、広範で、なんでも例外に扱われかねない。

3%の事件に限定し、そのうえ、広範に例外を認めるというのでは、改革は非常に限定された範囲にとどまる。

これでよいはずがない。

■ 証拠リストの開示 ■

検察官手持ち証拠のなかに、被告人に有利な証拠があるのに、隠されて有罪にされているケースは本当に多い。

最近の冤罪では、東電OL事件しかり、袴田事件しかりである。被告人の無実を示唆する証拠があるのにそれを訴追側が無視して、無実の人の立証手段を奪い、えん罪に陥れるなど、あってはならないことなのに、これまでそうしたことが続いてきたのである。

そこで、弁護士会なども、検察官の手持ちのすべての証拠の開示を求めてきたが、イギリスでは証拠のリストがまず開示されるというので、せめてリストを開示してほしい、という話が進んでいた。

この点、事務当局試案は、


検察官は,刑事訴訟法第三百十六条の十四の規定による証拠の開示をした後,被告人又は弁護人から請求があったときは,速やかに,被告人又は弁護人に対し,検察官が保管する証拠の一覧表を交付しなければならないものとする。

として、リストの開示を法改正で盛り込む案を提示した。これはまず一歩前進といえるであろう。

しかし、いつも例外をつけて、改革にブレーキを踏む法務省の特性がここでもあらわれている。

上記の法文の提案のすぐあとに、このような条文をつけたすことを忘れない。


検察官は,1にかかわらず,1の事項を記載した一覧表を交付すること により,次に掲げるおそれがあると認めるときは,そのおそれを生じさせ る事項の記載をしないことができるものとする。 1 人の身体若しくは財産に害を加え又は人を畏怖させ若しくは困惑させ る行為がなされるおそれ 2 人の名誉又は社会生活の平穏が著しく害されるおそれ 3 犯罪の証明又は犯罪の捜査に支障が生ずるおそれ
出典:事務当局試案
これも大変曖昧である。濫用的に使われ、いつしか、多くの事件では黒塗りばかりの一覧表が出てくるのではないか。これも例外を撤廃させるか、極めて厳格に限定するほかない。

■ 再審事件の証拠開示に言及なし

このような証拠開示に関する改革は、通常事件のみであり、再審事件は適用外とするのが、事務当局試案である。

しかし、この間の最大の教訓は、袴田事件でも、東電OL事件でも、再審事件で被告人に有利な証拠が隠されてしまい、検察庁が頑なに開示してこなかったことである。

そして、最後になってようやく開示された証拠が、被告人の無実を示唆するものだったのだ。

長年にわたって無罪を示す証拠を隠したまま、無実を叫ぶ人をえん罪被害に突き落とす、死刑囚や無期懲役囚の立場に突き落とす、本当にあってはならないことであるが、それが起きたのである。絶対に許せないことである。私はこうした行為は深刻な職権犯罪に該当すると考えるが、逮捕されたり処罰されたためしがない。

このようなこの間の教訓をみるならば、再審事件こそ、全面開示すべきである。再審事件には、検察がよく証拠隠しの口実とする「罪証隠滅の恐れ」などない。

また、米国と同様、被告人に有利な証拠については、検察官が開示義務を負い、これに違反する場合は、憲法のデュープロセス違反となる、ということを法律で明確に定めるべきだ(ブレイディ・ルール)。

事務当局試案は、こうした、これまでのえん罪事件の深刻な教訓・反省に立脚し、誤判原因をなくし誤判救済を進める、という視点が欠けている、といわざるを得ない。是非再考してもらいたい。

■ ほかにもたくさんある、見送られた改革

この、取調べの全面可視化、証拠開示の拡充が、えん罪防止のための改革として絞り込まれた挙句提案されたものである。

このほか、

・取調べ時間の制限

・取調べへの弁護人の立会い権の付与

・被告人・再審請求人がDNA鑑定にアクセスする権利の保障と、鑑定資料の保存義務

なども論点として提案されたが、十分な理由もなく、見送られた。

特に、再審事件におけるDNA鑑定が非常に重要となっているいま、なんとなく実務で鑑定を認める積み重ねをしているからと言って、被告人の権利としてきちんとした手続き規定を設ける改革がどうして実現しないのか、とても疑問である。

包括的な誤判原因の分析に基づく、包括的な対策とはとても言えず、これでよく「新時代の」などといえると思ってしまう。

米国では、2000年代初頭にやはりえん罪が相次いで発覚し、各州で、誤判救命委員会が立ち上げられ、かなり包括的で優れた改革を実施した。

その中身は、拙著「誤判を生まない裁判員制度への課題」(現代人文社)に詳しく記してある。

http://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784877983109

確かにこの書籍でも、取調べの全面可視化と証拠開示を最も重要な改革として取り上げている。

しかし、米国の誤判原因としては、虚偽自白、証拠不開示のほかに、誤った科学証拠の援用、目撃証言の誤り、情報提供者の供述の誤りなどが特定され、DNA鑑定へのアクセス、科学証拠の採用基準の確立、目撃証言の犯人識別テストの改革など、様々な改革が包括的に実施されてきた。(米 イノセンス・プロジェクトのウェブサイトを参照してほしい。http://www.innocenceproject.org/)

こうした残された課題にも十分に取り組むべきである。

■ なぜ捜査権限の拡大、司法取引、盗聴の拡大なのか。

この試案には、「取調べに頼らないで捜査を進めるために」「新しい捜査手法が必要だ」などという理由で、

・盗聴(通信傍受)の拡大

・司法取引や刑事免責

といった、これまで禁じ手とされてきた手法を容認する提案が含まれ、驚いたことにページ数もこちらのほうが多いくらいの状況である。

誤判を生み出した検察・警察を厳しく規制するどころか、新たに権限を強化する、という、まさに、設立の原点を忘れたかのような提案がなされている。

もちろん、盗聴は、私たちの人権・プライバシーにも深くかかわり、私たちも被害に会う可能性があるのだ。

また、司法取引・刑事免責というのは何かといえば、ある犯罪に自分以外の第三者が関わっているのを知ってますよ、という供述をすれば、そのような貴重な供述をしてくれた者はたとえ犯罪者でも手心を加えて、軽い罪名で起訴したり、起訴を見送るなど、情報提供の見返りに罪を見逃したりおとがめなしにすることを許す「取引」を認めようというものである。

これは実は、大変問題がある。

以前から司法取引制度のあった米国では、自分の罪を免れたいために、他人(例えば同房者や知り合い)が犯罪をしたのを見た、自分に対して犯罪を認める供述をした、などのまったく嘘の証言をでっちあげて、刑を逃れる悪質な「情報提供者」が後を絶たず、これが誤判原因の実に15%を締めているというのだ。

(イノセンス・プロジェクト ウェブサイトよりhttp://www.innocenceproject.org/understand/Snitches-Informants.php)

この話は本当に深刻であり、全米で多くの無実の人が悪質な人間のデマ供述により、罪に陥れられている。このことを聞いた時、私は日本には同様の制度がなくて本当によかった、と思ったものだが、このような新たな誤判原因を誘発しかねない制度の導入は、極めて問題だと言わなければならない。

検察・警察が今回、強く求めてきた新しい捜査手法、これらは人権に抵触し、新たな誤判原因ともなりかねない。捜査側は米国などでこうした捜査手法が進んでいる、ということを論拠として、制度を導入したいようであるが、米国の誤判を見てきた私としては、全く勘違いだ、と思う。なぜなら、米国はこれまでずっとそのような手法による捜査をしてきたが、それで供述に頼らないことができたどころか、誤判の主要な原因は日本と同様虚偽自白だったのであり、供述に頼る捜査を続けてきたし、その過程で多くの冤罪を生み出してきたのだ。

米国が最近進めている誤判を防止するための改革にはろくに参考にもせず、取入れもしないまま、昔からある問題だらけの捜査手法だけ取り入れようという、不誠実な感覚に驚くばかりだ。

■ これからも議論は続く。

事務当局試案が出たからと言って、議論はこれからである。

・広範な例外や範囲の限定により、改革を限定的なものにとどめようとする動き

・えん罪防止のために、とても重要であるのに、試案に全く含まれていない課題

・人権やプライバシーに抵触し、新たな誤判原因を作りかねない捜査権限の拡大

という問題に対し、もっと市民が監視・チェックし、声を挙げていく必要があるだろう。

村木さんや周防監督など、真剣に取り組みを進めている委員を是非応援しよう。

私たちヒューマンライツ・ナウも、

国家が無実の人をえん罪の犠牲にし、投獄したり処刑するのは最も悪質な国家による人権侵害のひとつ

との考えから、ほかのNGO団体と協力して、「取調べの可視化を求める市民団体連絡会」を結成し、

イベント開催、要請など、さまざまな活動を展開している。

http://hrn.or.jp/activity/Yousei-%EF%BD%88ouseishingikai.pdf

http://hrn.or.jp/activity/event/325/

http://hrn.or.jp/activity/event/post-244/

http://hrn.or.jp/activity/event/108/

是非こうした企画等にも、参加していただけると嬉しい。

私たちも、いつえん罪に巻き込まれるか、また裁判員として判断する側(証拠隠し等の不正に基づく誤った判断に巻き込まれる側)に回るかわからない状況なのだから、決して他人事ではない。

市民が関心を高め、プロセスを監視し、声をあげていく必要がある。

2014年3月28日 (金)

袴田事件の再審開始決定、釈放へ 

本当に素晴らしい歴史的なニュースです。

袴田事件の再審開始決定、釈放へ 証拠「捏造の疑い」
http://www.asahi.com/articles/ASG3K6R2XG3KUTPB01C.html

2014年3月27日10時55分

苦節何十年。。。
弁護士になったころから、私も死刑再審・名張事件に取り組んでいたので、隣で見てきた同じ苦しみを共有する、死刑再審事件です。
絶望的な時期のほうが多かったように思い、様々な感慨があります。
誰がなんと言おうと、証拠の「捏造」を主張する弁護団の先生のお姿、以前の涙の記者会見の様子なども思い出され、しみじみと嬉しく思いました。
ここまで心の底から嬉しいニュースは本当に久しぶりです。決定書をよく勉強させていただきたいです。開けない夜はない、という言葉を思い出しました。

同時に、証拠をねつ造し、証拠を隠ぺいし、一人の無実の人の人生をこれほどまでに、取り返しのつかないほどに台無しにした日本の刑事司法への憤りを改めて強くしました。
人殺しシステムを容認している、日本の刑事司法、そしてそれを容認し続けている私たち。徹底した反省と検証、改革が急務です。検察は絶対抗告しないように!

こちら朝日のウェブ記事です。
袴田事件の再審開始決定、釈放へ 証拠「捏造の疑い」
 
  1966年に静岡県の一家4人が殺害、放火された「袴田事件」で死刑が確定した元プロボクサー袴田巌(いわお)死刑囚(78)=東京拘置所在監=の第2次再審請求審で、静岡地裁(村山浩昭裁判長)は27日、再審開始を認める決定をした。村山裁判長は「捜査機関が重要な証拠を捏造(ねつぞう)した疑いがあり、犯人と認めるには合理的疑いが残る」と判断。「拘置の続行は耐え難いほど正義に反する」と刑の執行停止(釈放)も決めた。

トピックス「袴田事件」
 死刑囚の再審開始決定は免田、財田川、松山、島田の無罪確定4事件と、後に覆された2005年の名張毒ブドウ酒事件の名古屋高裁決定に次いで6件目。

 静岡地検の西谷隆次席検事は「予想外の決定。上級庁と協議して速やかに対応する」と語った。刑の執行停止に対しては即日、不服申し立てをする方針。再審開始の判断については、不服申し立てを28日以降に行う方向とみられる。

 事件は66年6月30日に発生。同年8月、みそ工場従業員だった袴田元被告が強盗殺人や放火などの容疑で逮捕され、捜査段階で犯行を認める自白調書が作られたが、公判では一貫して否認。静岡地裁は68年9月、自白調書1通と間接証拠から元被告の犯行と断定して死刑を宣告し、80年11月に最高裁で確定した。

 08年4月に始まった第2次再審請求の最大の争点は、犯行時の着衣の一つとされる白半袖シャツに付いていた血痕のDNA型鑑定だった。確定判決は、シャツの右肩についた血痕の血液型が同じB型だとして、元被告のものと認定。第1次再審請求でもDNA型鑑定が行われたが、「鑑定不能」だった。

 第2次請求で再鑑定された結果、検察、弁護側双方の鑑定ともシャツの血と元被告のDNA型が「一致しない」とする結果が出た。検察側は「鑑定したDNAが劣化しており、汚染された可能性がある」と主張。弁護側と鑑定結果の信用性を巡って争っていた。

 この日の静岡地裁決定は弁護側鑑定について、「検査方法に再現性もあり、より信頼性の高い方法を用いている」と指摘。「検察側主張によっても信用性は失われない」と判断した。そのうえで、犯行時に元被告が着ていたとされる着衣は「後日捏造された疑いがぬぐえない」と指摘。DNA型鑑定の証拠が過去の裁判で提出されていれば、「死刑囚が有罪との判断に到達しなかった」と述べ、刑事訴訟法上の「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」にあたると結論づけた。

 さらに「捏造された疑いがある重要な証拠で有罪とされ、極めて長期間死刑の恐怖の下で身柄拘束されてきた」として、「再審を開始する以上、死刑の執行停止は当然」とも指摘した。

 事件では起訴から1年後の一審公判中、現場近くのみそ工場のタンクから血染めの白半袖シャツやズボンなどが見つかり、検察側は犯行時の着衣を、パジャマから変更。静岡地裁判決は自白偏重の捜査を批判し、45通のうち44通の自白調書を違法な取り調べによるものとして証拠排除したが、5点の衣類を始めとする間接証拠類と自白調書1通で、死刑を選択した。

     ◇

 〈袴田事件〉 1966年6月30日未明、静岡県清水市(現・静岡市清水区)のみそ製造会社専務(当時41)宅から出火。焼け跡から専務、妻(同39)、次女(同17)、長男(同14)の遺体が見つかった。全員、胸や背中に多数の刺し傷があった。県警は同年8月、従業員の袴田巌さん(同30)を強盗殺人などの疑いで逮捕。一審・静岡地裁は袴田さんは家を借りるための金が必要で動機があるなどとして死刑を宣告した。この時、死刑判決を書いた熊本典道・元裁判官は2007年、「捜査段階での自白に疑問を抱き、無罪を主張したが、裁判官3人の合議で死刑が決まった」と評議の経緯を明かし、再審開始を求めていた。


ところで、、、


袴田事件の再審開始決定を喜びつつ、名張事件がいま同じ状況だったならどんなにいいだろうなあ、と思ってしまう夜は、この曲などをきいてみます。

今宵の月のように / エレファントカシマシ

https://www.youtube.com/watch?v=8Gkt-Qk31bI

そしてこちらも。
悲しみの果て  / エレファントカシマシ

https://www.youtube.com/watch?v=0WZu7L7Hjds

名曲だね。明日も頑張りましょう。

2013年10月29日 (火)

米国でえん罪に関する私の論文が発表されました。

米国でえん罪に関する私の論文が発表されました。
アメリカのロースクールのLaw Reviewに私の論文を掲載してもらったのです。

各国刑事司法と冤罪に関する特集号で、私は依頼されて日本の刑事司法改革と冤罪事件について英語でまとまって書いたものです。
2011年に招待された国際会議のつながりで、こういう機会をいただきました。
もしかしたら類似の英語論文はないかもしれません。
よろしければ是非、海外で制度を説明される際などに、ご活用ください。

 類似のものがない、と思ったのは、チェックに関わったロースクールのスタッフさんが、類似情報がないと悲鳴を上げていたからです。
 
 こちらです。
  http://mimosaforestlawoffice.com/documents/university_of_cingcinnati_law_review.pdf

アメリカのロースクールのローレビューと言うきちんとした場で論文を発表させていただいたのは初めてですので、大変光栄に思っています。

 もっと日本のこと、英語で書いて発信していったほうがいいと思います。
 冤罪に関する取り組みなんて、日本では長い歴史があるのにあまり知られていません。多分公害など日本が誇る公益訴訟の歴史等も英語では知られていないと思うのです。
 とはいえ、これは2004年に留学した際に最初に書き始めた論文、NYUに提出した論文(論文としては雑誌などには掲載されていません)を順次アップデートして、かなり書き換えたもの。
 ほとんど書き換えられたとはいえ、留学中にベースをつくっていて、まとまったものを英語で書くのはもちろんつらいわけですけれど。
 つらいですけれどやっておいたほうがいい仕事もあるかな、と思うんです。

2013年2月15日 (金)

PC遠隔操作事件・無罪推定原則を無視した「人民裁判」的な容疑者報道が目に余る。

PC遠隔操作ウイルス事件で、威力業務妨害容疑で30歳のIT関連会社社員が逮捕された。それからの報道は彼が犯人であると決めつけたものばかりで、本当に目に余るものがあった。

2月14日夜になって、多くの人にとって「おや」という展開になったのではないだろうか。容疑者の弁護人を務める佐藤博史弁護士らが会見し、片山容疑者は「真犯人は別にいる。自宅のパソコンなどから遠隔操作ウイルスの証拠が出るはずはない」と話したというのだ。

証拠を吟味しないと何もいえないが、容疑者が否認している、従って彼はまだ逮捕されただけで、無実かもしれない、誤認逮捕かもしれない、ということを私たちは認識する必要がある。弁護人についたのは足利事件などの冤罪事件で無罪を勝ち取ってきた佐藤弁護士であり、今後どんな展開になるか、注目していきたい。

それにしても、今回の容疑者報道はあまりにもひどい。

そもそも、被疑者・被告人は、有罪を立証されるまでは無罪と推定される「無罪推定原則」は刑事裁判の鉄則である。彼はまだ逮捕されただけで起訴すらされていないのだ。

ところが、メディアはこの件について、ほかの案件同様、「無罪推定原則」など全く無視し続け、捜査情報をただ単に垂れ流し続け、警察のいうままに報道した。

いつもそうであるが、逮捕直後の連行写真も長い間、何度も繰り返しテレビで放映された。かわいそうなくらいである。

誤認逮捕の末に待ちに待った真犯人が逮捕されたというので、興奮しているのか、「真犯人登場」と小躍りしているような報道のあり方だ。

それに輪をかけたのが、猫好きやPCオタクな特徴。メディアの格好の餌食にされてしまう。

いまどき、猫好きのオタクの人なんてたくさんいるのに。

さらに、いじめだの、前科だの、成育歴だの、プライバシーを暴き立て、「本性」「素性」などの表現が続く。

ピーターパンシンドロームだのなんだのと心理分析する専門家も現れる。

私は見ていないけれど、きっと警察情報を前提にワイドショーでコメンテーターが好き勝手に批判的なコメントを切り刻むように展開したことであろう。

有罪が立証された後なら、または現行犯のように明確な事案ならjまだ理解できる、しかし、まだ逮捕され、無罪推定原則が及ぶ容疑者に対し、ここまでのプライバシー侵害や、有罪を前提とした罵詈雑言や揶揄がどうして許されるのだろうか。

是非皆さんがなぜか誤認逮捕されてしまったことを考えてほしい。

突然身に覚えのないことで、逮捕され、それを前提に連日犯人として報道され、成育歴や心理状態を分析をされ、知られたくないプライバシーやコンプレックスを暴き立てられ、ちょっとオタクなライフスタイルを馬鹿にされ、知らない人々に勝手に論評される、ということをそのままやり過ごせるだろうか。

相次ぐ冤罪にメディアも加担し、全く無反省に捜査情報を垂れ流し、有罪の偏見・予断をあおってきた。その反省はどこにあるのだろうか。

冤罪が起きれば、裁判所や警察の姿勢を追及するけれど、メディアは全く反省していないようである。

こうした報道被害に敢然と戦ったのは死亡された三浦和義さんくらいだろう。

ほかにも後に無実になった被告人の方々は有罪確定前に予断と偏見に満ちた名誉棄損的報道を受けてきたが、さらに大きな権力と戦って消耗し、メディアを訴える気力はほとんどくなってしまうのだ。

だからメディアは責任を問われることなく、無罪推定原則を無視した報道を続ける。

裁判員制度が導入されて以降、特に裁判員事件については、「裁判員が予断と偏見を事前に植え付けられないよう、事件報道を慎重にやらなくてはいけない」、「逮捕現場の撮影も見直す必要がある、報道も変わらないといけない」、なんて司法記者の人たちが真面目に話していたこともある。足利事件の報道では「メディアも同罪です」とメディアが反省する機運もあった。

しかし、あきれたことに結局、全く報道のあり方は変わっていない。メディアってどうして変われないのだろうか?

本当の裁判が行われる前に、メディアが衆人環視のもとで、一方的な情報により人民裁判によって有罪宣告をしているみたいで、とても不愉快である。

今回の事件、彼が真犯人なのか、彼も誤認逮捕なのか、現時点ではわからない。

しかし、無罪推定原則がある以上、そして誤認逮捕・冤罪がいまも繰り返されているという現状を考えるならば、事件報道は、彼がもしかしたら無実であり、冤罪の被害者かもしれないのだ、ということを念頭において、報道被害・名誉棄損の被害を与えることがないよう、慎重に吟味されなければならないと考える。

2012年11月12日 (月)

東電OLえん罪事件が示す刑事司法改革の課題- DNA鑑定・証拠開示に関する抜本的制度改革が急務である。

東電OL事件で再審無罪判決が出された。

この事件をめぐる経緯はあまりにもひどく、検察・裁判所は猛省しなければならない。

徹底した検証と、刑事司法改革が必要であることがはっきりした。

この事件は、東京電力の女性社員が1997年に殺害された事件で、

2000年4月に一審無罪判決、2000年12月(高木俊夫裁判長)には二審の東京高裁が逆転有罪・無期懲役、2003年に最高裁もこの判断を維持した。

一審無罪判決に対する検察官上訴を理由に、いったん無罪判決を受けて釈放された被告人を再勾留するという異例の措置まで取られた。

有罪の決め手となったのは、事件現場で発見されたコンドーム内の精液である。東京高裁は、これが被告人のDNA型と一致したとし、何ら根拠もなくこれが殺害当日に遺棄されたもの、と認定、この点での弁護団の鑑定を認めないまま、有罪判決を下した。

ここまでも不当なのだけれど、ここからが驚くべき話である。

弁護団は2005年3月に再審請求を申立て、7年以上が経過した今年の6月に再審開始決定が出された。

これは、被害者の体内に残されていた精液や現場に遺留されていた陰毛等の証拠物の存在を再審請求後に検察官が明らかにし、裁判所の要求を受けて検察官がDNA型鑑定を実施したところ、別のDNA型が見つかったからである。

さらに、再審公判で、検察側は自ら無罪主張をしたが、それは、被害者の爪の付着物について、一発逆転を狙って鑑定を行ったところ、第三者のDNA型が検出されたからだというのである。

ところが、弁護団は爪の付着物について、2007年に検察側に鑑定を求めたが、当時、検察は「爪からは何も検出されていない」と付着物の存在自体を否定していたのだ。

捜査機関は、被告人の無罪につながった、第三者の精液、陰毛、爪の付着物について捜査の初期段階から既に収集し、それを被告側に一切開示せずに握りつぶしてきた。

被告人に有利な可能性がある生物学的証拠があるにもかかわらず、それを隠して、被告人と一致するDNA型鑑定だけを恣意的に選んで証拠提出し、有罪判決を得たのである。

この事件で争点とされたのは、第三者の犯行の可能性であり、別のDNA型証拠が検出されれば第三者の犯行の可能性があるとして無罪を言い渡さなければならないこととなる。そのことを知りながら、無罪立証を封じ、被告人に有利な証拠を隠して、不利な証拠だけを提出して裁判所の認定を誤らせ、有罪に持ち込む、これは犯罪的行為というほかない。

村木事件における証拠隠滅に匹敵する職権犯罪である。

単に謝罪するだけでは足りず、徹底した責任追及がなされ、検察において検証がされなければならない。

調査された事実関係次第では、関係者の証拠隠滅罪での捜査・訴追が真剣に追及されるべきである。

また、一審判決が出ながら、かくも長きにわたり無実の人をえん罪の被害者にする判断を漫然と続け、救済を怠ってきた裁判所にも厳しい検証を求めたい。

足利事件と東電OL事件、そして近年相次ぐ再審事件で明らかになったえん罪の教訓から、刑事司法改革はまったなしである。

いま議論され、少しずつ進んでいる取調べの可視化だけでは済まされない。

共通するキーワードである、検察側の証拠隠し、DNA鑑定、に関する改革が不可欠である。

私の提案は以下の通りである。

第1  被告人に有利な証拠、または有利である可能性のある証拠について、検察側が弁護側に第一審公判前に開示することを義務付けること。この義務に違反した事件は憲法違反により覆され、違反した捜査機関には刑事罰が科されるものとする。

・・被告人に有利な証拠の開示義務は、欧州では当たり前であり、米国でも連邦最高裁判例により確立している(ブレイディ・ルールと言われる)。日本の2004年刑事訴訟改正における証拠開示の規定制定の際になぜか、米国のルールのうちこの部分は導入されなかった。

証拠隠しにより有罪に持ち込むという恥ずべきやりかたをこれ以上認めないため、必ず必要である。

第2 DNA鑑定の対象となる生物学的証拠に関しては、検察側が申請する証拠に関連する証拠に限らず、捜査機関が入手・保管しているすべての証拠の存在とDNA鑑定結果を弁護側に第一審公判前に開示し、鑑定未了な証拠についても弁護側の求めがあればすべて鑑定を行うこと。

米国では多くの州でこのルールが採用されている。

第3 有罪判決を受けた被告人にDNA再鑑定の権利を保障し、未了のDNA鑑定があればこの鑑定を受ける権利を保障する。

手続が迅速になされるよう、具体的手続きを定めた規定を制定する。

そして再鑑定を保障するために、捜査機関による鑑定資料の全量消費を禁止し、故意または重過失により全量消費した捜査関係者を刑罰に処す。

これは米国で2004年にイノセンス・プロテクション・アクトとして連邦事件について制定された法律であり、多くの州が同様の規定を置いている。

日本のように2005年の再審請求後7年もかけて実施するという遅いペースで、人の人生の貴重な時間を奪うことは許されない。

第4 再審段階における証拠開示のルールを明確に定める。

再審事件には、適正手続や審理のあり方について定めた明確な規定がなく、極めて恣意的に運用されている。証拠開示のルールも一切なく、2004年の刑訴法改正で規定された通常事件の証拠開示規定も適用されない。

このように再審は無法地帯ともいうべき状況であり、明確なルールが必要である。

まず最低限、現行刑訴法上の証拠開示規定(316条以下)は再審においても適用されなければならない。

しかし、私は、再審段階においては全証拠を開示すべきだと考える。そもそも、第一審段階においてすべての検察官手持ち証拠が被告側に開示されるべきであるが、捜査機関は頑としてこれを認めない。その理由として被告人の証拠隠滅等を理由とする。

しかし、再審段階になればそのような恐れはほとんどない。この間のえん罪の教訓は、検察官が証拠を隠したまま誤った有罪判決を得て司法判断を歪め司法の公正を傷つけ、刑訴法の目的である真実発見を阻害する重大な違反を現に行っていることを示しているのであり、そうした不正を但し、誤判を正すことこそ優越した価値というべきである。

米国ノースカロライナ州では、再審段階におけるすべての証拠開示がルールとして義務付けられ、その結果、過去の死刑有罪判決において、検察側が被告人に有利な証拠を隠して有罪に持ち込んだことが次々と明らかになり、相次いでえん罪が発覚した。同州ではその後、2004年に第一審段階における全面開示を義務付けるに至ったのであるが、同州の経験は、再審段階の全証拠開示がいかにえん罪究明と真実の発見に資するかを示している。

現在、法務省法制審議会のもとで「新時代の刑事司法制度特別部会」が、刑事司法の改革を議論している。

もうこれ以上、改革を怠り、手をこまねいていることは許されない。

以上の諸改革を実施することを強く要請したい。

日弁連等も、包括的な刑事司法改革に関する具体的提案をえん罪の実態に即して十分に行っておらず、怠慢と言わざるを得ない。

知恵を絞ってこれらの改革について正式な提案をすべきである。

以下、読売新聞の社説を一部抜粋する。私も同感である。

東電OL事件 再審無罪で冤罪の検証が要る(11月8日付・読売社説)

http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20121107-OYT1T01582.htm?from=ylist

事件から15年を経ての無罪確定である。

冤罪(えんざい)を引き起こした捜査当局と裁判所の責任は重い。

東京電力の女性社員が1997年に殺害された事件の再審で、東京高裁は無期懲役となったネパール人のゴビンダ・プラサド・マイナリさん(46)を無罪とする判決を言い渡した。

高裁が「第三者が犯人である疑いが強い」と判断した以上、当然の結論と言える。検察は上告する権利の放棄を申し立てた。

無罪を決定付けたのは、被害者の手の爪に残っていた付着物だ。マイナリさんとは異なる人物のDNA型が検出されていた。

判決はこの鑑定結果を重視した上で、「女性が首を絞められて殺害される際、渾身(こんしん)の力で犯人の手をつかんで引き離そうとしたと想定される」と認定した。

弁護側が爪の付着物について、検察側に鑑定を求めたのは、マイナリさんが服役していた2007年1月のことだ。しかし、検察は「爪からは何も検出されていない」と付着物の存在さえ否定する回答をしていた。

その後、女性の胸などに残された体液から第三者のDNA型が見つかった。これにより、再審開始が決定し、追いつめられた検察は「存在しない」としていた爪の付着物を鑑定した結果、同じ第三者のDNA型が検出された。

ところが、あきれたことに、検察は「証拠隠しはない」と居直っている。過ちを認めず、冤罪に至った経緯の検証を一切行わない姿勢も示している。極めて問題である。

自分が不利になりそうな証拠は開示しないという姿勢をたださなければ、国民の検察不信は一段と深まるだろう。

裁判所も猛省が必要だ。1審の無罪判決を破棄し、逆転有罪とした高裁、その判断を支持した最高裁の誤判により、マイナリさんは長期間、自由を奪われた。

マイナリさんは検察や裁判所に対し、「どうして私がこんな目にあったのか、よく調べ、よく考えてください」とのコメントを出した。これに応えねばならない。

2012年10月21日 (日)

誤認逮捕・その後の補償は?

PC遠隔操作事件で、神奈川県警は誤認逮捕を認めて、保護観察処分を受けた少年に謝罪したという。

http://jp.wsj.com/Japan/node_533358

ただ謝罪をすればよいというわけではないだろうから、今後どう補償するかが問題となる。

少年補償法によれば、刑事補償法に準じて拘束された日数に応じて補償がなされる。

http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H04/H04HO084.html

しかし、保護観察処分は拘束を伴わないわけであるから、処分前の身体拘束だけが補償対象となるにとどまる。

以前、2003年に東京で発生した誤認逮捕事件を担当したことがあるが、この際は警視庁が誤認逮捕の被害に遭った女性の自宅に訪れて謝罪、その後、100万円を東京都が被害者に賠償金として支払うことで示談が成立した。

こちらの請求金額満額であった。

この件は、私と都知事の石原慎太郎氏の間で示談書も取り交わしている(記者発表もして、記事にもなったな、当時)。

もちろん大変画期的なことであるが、その時に感じた疑問は「このような不起訴事案・誤認逮捕はやまほどあるというのに、なぜこの事件だけこのような示談になったのか」ということである。

弁護士の活動で誤認逮捕を明らかにし、不起訴に持ち込む事件は多々あるが、警視庁と示談をしたのはこの一件だけである。

私が弁護人として不起訴を勝ち取った事件の中には、被疑者補償という手続により、補償金が認められたケースもあるが、この規程も

拘束一日当たり1000円から12500円という少額なものであり、さきほどの金100万円とは大きな開きがある。

http://www.kensatsu.go.jp/kanren_hourei/h_higisha.pdf

誤認逮捕という部類ではないものの、昨年、墜落出産により子どもが死産となった件で出産した女性を殺人罪で東京地検が逮捕するという案件があった。この案件もとんでもないえん罪であるから、がんばって不起訴を勝ち取ったのであるが、東京地検はその後、不起訴裁定書すら公開せず、被疑者補償も何の理由も示さず行われなかった。

えん罪・誤認逮捕は日々行われているが、たまたま明るみに出て、メディアで騒がれた氷山の一角のような事件のみ、迅速で相当な補償がなされ、そうでない事件はそのまま、謝罪すらない。

誠に恣意的に運用されている、というのが実務家としての率直な感想であり、改善を望む。
もちろん、以前経験した誤認逮捕事件同様、相当な補償がすべての被害者に対してなされるべきである。

PC遠隔操作で改めて明らかになった、捜査機関がつくりだすえん罪

ウイルスに感染したパソコン(PC)などから犯罪予告が書き込まれ4人が逮捕された事件で、警察・検察当局は、神奈川県警に逮捕され保護観察処分を受けた男性(19)の処分取り消しに向けた検討を始め、検察当局は、ほかの3人についても、不起訴あるいは起訴の取り消しを検討しているという。片桐裕警察庁長官は、18日の記者会見で、誤認逮捕の「可能性が高い」と言及、警視庁など関係都府県警は関係者への謝罪を検討しているという。

http://mainichi.jp/select/news/20121019k0000m040128000c.html

私が注目したのは、この事件において、いったんは否認していた少年が、最終的には犯行を認めたことだ、つまり嘘の自白をさせられたのである。

この事件を通じて、例えば足利事件のような大事件のように大々的に報道されないけれど、隠れたところで、虚偽の自白とえん罪が横行していることが改めて明るみに出たといえる。

そうなのだ、比較的軽微な事件、社会的にさほど注目されていない事件でも、犯罪の容疑をひとたび警察からかけられた人が、やむをえず罪を認めて処罰・処分に服すことはいたるところにある、というのが弁護士としての実感である。

日本の有罪率は、なんと99.9パーセントの有罪率。被告人側からみれば、ほとんど勝てないゲームなのだ。

警察が目をつけた事件、特に逮捕された事件は、否認したままで無罪判決を勝ち取る可能性がとても低い、だから、仕方なく、大きな権力に逆らっても仕方がないと、諦めて自白をする人は、たくさんいる。

逮捕されている人は、はやく認めて自白しないと、早期釈放されない、これを「人質司法」という。

それに、反省してないということで重い判決を受ける可能性も高いのだ(こういう件を結構見てきた。涙)。

そんなことにならないように、自白しない不利益を考えて、人知れず屈辱的な妥協を余儀なくされ、屈服させられている人達がいるのだ。

プライドのある普通の人間なら誰しも、やってないことはやっていないと言おう、と思って抵抗するはずだ。

しかし、取調べの過程で追い詰められ、屈服させられる。捜査官の脅し文句や利益誘導があることは想像に難くない。

しかし、そういう人たちの姿は明るみに出ない。だって、言っても仕方のないことだ、ただ誰にも知られず、自分も忘れたいのだ。逮捕されたことも、屈してしまったことも、、、

今回の事件はこうして日常的につくりだされているえん罪事件があること、誰もが巻き込まれかねないことを改めて示した。

警察は過去にさかのぼって誤りがなかったか、調べる方針だという。

是非やってほしい。罪もないのに、罪を認めさせられた人がたくさん出てくるのではないか、と私は予測する。

警察としては誤りがあったか否かを調査するだけでは足りない。なぜ誤りが起きたのか、なぜ無実の人が自白をさせられたのか、きちんと調べて結果を公表してほしい。

こうした誤りをなくすには、警察がいまだに頑強に抵抗している取調べ過程の全面可視化しかない。

そして、被疑者が否認するといつも被疑者が嘘をついていると疑ってかかり、無実の可能性を真剣に検討しようとしない警察・検察の姿勢も改めるべきだ。

2012年9月25日 (火)

論考御紹介・裁判員制度の評価と課題(法学館憲法研究所)


裁判員制度に関する評価について、法学館憲法研究所のウェブサイトに「今週の一言」ということで、
掲載させていただきました。

今回、課題としては量刑の問題にフォーカス。特に死刑と裁判員制度は大きな問題があります。
ほかにも字数は少ないのですが、いろいろと課題を指摘させていただきました。
是非読んでくださいね!

http://www.jicl.jp/index.html

2012年4月22日 (日)

えん罪と死刑制度


無実の死刑囚・奥西勝氏に関する私のインタビューがアムネスティの国際ニュースに掲載されています。
http://www.amnesty.org/en/news/japan-40-years-death-row-2012-03-27
私はいかに奥西死刑囚がやってもいない罪について自白をさせられ、不当な判決を受けたのかを訴えました。
奥西死刑囚は86歳です。早急に救い出さなくては、取り返しのつかないことになります。
現在私たちは名古屋高裁の決定を待っており、裁判所に一日も早い再審開始決定を求めています。
是非お力を貸してください。

もう一人の無実の死刑囚・袴田巌さんについて、DNA鑑定が異なるという鑑定結果が明らかになりました。
ついに再審無罪に近づいたのです。
弁護団は苦節何十年、本当に献身的に活動されてこられました。素晴らしいことで心から祝福したいと思いますが、袴田死刑囚にこの国はなんということをしたのか、と思うと、怒りを禁じ得ません。

一日も早く二人とも生きて釈放されること、そしてこの恐ろしい死刑事件における誤判の検証がなされることを求めたいと思います。

ところで、さきほどのニュースでは、少し驚いたことに、日本における死刑廃止という課題の困難性を私が率直に話した部分をアムネスティがコメントとして取り入れていました。
それは、地下鉄サリン事件以降日本人が治安について不安感を増すようになった、
「この事件の後、人々は非常に不安になり、犯罪への態度を硬化させた」と、「誰かを殺したのなら、それは死刑に値すると考える人が多い」というコメントでした。

これは「なぜ死刑が維持されていると分析しているのか?」というアムネスティ国際事務局からの質問に答えたところが切り取られたものです。
こんな話をしたのは、日本の人々の心に届くような死刑廃止論をどうしたら展開できるか、私自身、いつも考えているからです。

先日、死刑問題に関する国際シンポに少しだけ参加したのですが、欧米の論者の議論はやや抽象的で日本人の心に届きにくい気がします。私がパネリストとなって欧米の方と一緒に話していてもそれは感じることがあります。

ヨーロッパの人たちは死刑を廃止するのは「生命に対する権利」だと言います。
しかし、イラクに侵略して大量の住民を殺戮したり、リビアに武力行使をしてカダフィを処刑する手助けをしている国の人から、自分たちの国は生命の権利を守るために死刑を廃止した、「日本は残虐な死刑制度をよくも維持できるものだ」と言われると、ちょっと違うような気がします( 自国では死刑をなくしたと胸を張りつつ、他国に侵略して人を殺害しておいて「付随的被害は仕方ない」なんていうとしたら、偽善者ですよね)。

死刑制度を廃止したいのは私も同じですが、説得力のある議論を尽きつめたいと思っています。

死刑に対する私の意見は、
http://hrn.or.jp/activity/topic/-2-1126/

に書いていますが、死刑制度の下でのえん罪がありうる可能性がある以上、絶対に許されない、という立場です。
もう一つの理由は、国が人を殺す、という殺人行為に手を染めること自体が許されないのではないか、
人の命を奪うという絶対にやってはならないことを国が行っており、主権者である私たちがそれに手を貸している、
それはほかならぬ権力による殺人である、という構造自体に到底賛成できない、

ということです。
被害者の感情等、様々な問題について丁寧に冷静に議論する機会がこの国ではとても少ない、と思います。
廃止論者が、説得すると言うよりは「言い負かせる」ようなドグマ的な議論に終始してしまい、説得力のある国民との対話を創りだせていないのではないか、と危惧します。丁寧な国民的議論が必要だと思います。


2012年4月 1日 (日)

国際シンポジウム「世界の捜査官が語る取調べの可視化」

今週、こんなシンポジウムを開催することになりました。私はアメリカの捜査官の担当をしていますが、是非一人でも多く、日本の捜査改革の議論に関わっている方々と、共有させていただきたいお話しが多いです。
是非ご参加ください。


国際シンポジウムin東京「世界の捜査官が語る取調べの可視化―可視化で捜査実務は変わったのか」
http://www.nichibenren.or.jp/event/year/2012/120404.html

自白の強要によるえん罪事件が相次ぐ日本で、取調べの可視化(取調べの全過程の録画)の実現が今こそ求められています。日本の捜査官たちは、取調べの可視化によって捜査が進まなくなる、被疑者が本当のことを言わなくなる、などと主張していますが、本当でしょうか?

世界各国では、日本に先立ち、取調べの可視化が広がり、既に可視化を実現した国や州、警察署の取組があります。かれらの経験は、日本の捜査官の懸念を吹き飛ばします。取調べの可視化は捜査実務をどう変えるのか、可視化のもとでの捜査はどう行われているのか、各国の犯罪捜査の第一線に立ってきた捜査のベテランたちが語ります。

皆様のご参加を期待しています。

なお、4月5日に大阪で、4月6日には広島でも、一部ゲストスピーカーをお招きしてシンポジウムを開催します。

大阪シンポジウムはこちら


広島シンポジウムはこちら
【国際シンポジウムin東京】
日時 2012年4月4日(水)13時~17時(12時30分開場)
場所 弁護士会館2階講堂クレオ(会場地図)
東京都千代田区霞が関1-1-3(地下鉄霞ヶ関駅B1-b出口直結)
参加費等 参加費無料、同時通訳あり、事前申込制(※チラシ参照)
内容(予定)
■各国からの報告
<アメリカ>
・ジョナサン・W・プリースト氏(元コロラド州デンバー警察署警察官)
・トーマス・サリバン氏(元イリノイ州連邦検察官・弁護士)※ビデオ出演
<イギリス>
・ロジャー・ミルバーン氏(元英国メトロポリタン警察)
<オーストラリア>
・デイビッド・ハドソン氏(ニューサウスウェールズ州警察)
<韓国>
・李 東熹氏(韓国国立警察大学教授)
<日本>
・青木孝之氏(駿河台大学法科大学院教授)
・小坂井 久氏(弁護士)
■パネルディスカッション
申込方法 添付のチラシの所定欄に必要事項を記入のうえ、下記宛にお申し込みください。
(FAX:03-3580-9920)
チラシ・参加申込書(PDFファイル;969KB)
問合せ先 日本弁護士連合会法制部法制第二課
TEL:03-3580-9876/ FAX:03-3580-9920
主催
日本弁護士連合会
共催
関東弁護士会連合会、東京弁護士会、第一東京弁護士会、第二東京弁護士会、近畿弁護士会連合会、大阪弁護士会、中国地方弁護士会連合会、広島弁護士会

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