刑事裁判・裁判員制度

2009年5月22日 (金)

裁判員制度がはじまる。

今日から裁判員制度がスタートする。私にとっては、特別の感慨である。

裁判員制度について、私はいろいろと課題を提起し、批判をしてきたけれども、それでも、

長年夢見てきた、市民の刑事裁判への参加がようやく実現するのだから。

私は陪審論者で、弁護士会で長年、市民の司法参加の導入を求めて活動してきた。1990年代には「変わったことをやっているね」などと言われていたのが、2000年から始まった司法改革の中で課題に上り、そして「裁判員制度」が実現することになったのだ。

なぜ、市民の司法参加を求めてきたのか。

私は弁護士になってから、検察の有罪立証をただなぞるだけの形骸した刑事裁判に心底絶望してきた。

特に私の担当する無実の死刑囚・奥西勝さんが、ただ自白をしたというだけで客観証拠が無実を示しているのに、死刑台から生還されないことが許せなかった(今、この瞬間も怒っている)。

無実を叫ぶ死刑囚をまるで虫けらのように言い分をろくに聞かず、簡単に不服申し立てを棄却し、有罪を言い渡し続ける刑事裁判官の態度に怒りを抑えられない。

そしてこんな刑事裁判を許し、今も冤罪を生み出し続けていることが耐えられない。刑事裁判は絶対に変わらなくてはならないと切実に思ってきた。冤罪で泣いている人たちは無数にいるというのに、司法がそれを救済できず、私たち弁護士も99.9%の有罪率のもとで本当に無力なのだ。

それを変えるには、「裁かれる側」である、権力をもたない市民が司法参加していだたくしかないと、私はずっと思って、活動してきた。

裁判員制度はいままでに指摘してきたとおりまったくパーフェクトではない。でも、ひとたび始まったら、主役となるのは、市民の皆さんである。裁判官も簡単にはコントロールできないだろう。

市民のみなさんが法を形成していくことになる。

以前みたアメリカ映画の「評決」に、ポール・ニューマン演じる弁護士が、医療過誤事件で巨大病院を訴え、圧倒的に不利な立場に立たされながら、最後の弁論で、陪審員に働きかけるシーンがある。「You are the Law」と働きかける。

私たちは自分たちの思い通りにならない社会のなかで生きているが、今日だけはあなたたちが正義を決定できる、あなたたちが法なのだ、というのである。それに応えて、陪審員たちは大病院に対し巨額の賠償を命ずる判決を出し、正義を実現する。

 複雑な現代社会では、民主主義を採用しているというのに、実際は権力のある者、力とカネのある者がこの社会を支配し、私たち市民は何も現状を変える力を持たないように思えることが少なくない。しかし、そんなパワーを持たない市民にも、正義だと思うことを判断し、それが社会を変えるパワーを持ちえることがあるのだ。市民による逆転ホームランのような、民意の鮮やかな表明。

そんなことが日本でも積み重ねられていくことによって、私たちの社会は少しずつでも変わっていけるのではないだろうか。刑事事件だけでなく、行政事件、民事事件にも市民参加を実現してほしいと思う。

この制度を発展させ、問題点を直視してそれを正していけるのも、今までの絶望的な刑事裁判を根本から変えていくのも、ほかならぬ裁判員になっていく市民の方々ひとりひとりの良心、勇気、行動にかかっていると思う。

とても難しい船出だけれども、ぜひよろしくお願いいたします。

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2009年5月 9日 (土)

日本のDNA時代に道をひらく--足利事件

こんにちは。連休あけまして、もちろん、日本に戻っております。

中東から帰国直後点滴打ってましたが、今は元気で仕事にいそしむ日々。

中東の話はぜひゆっくりとさせていただきたいと思います。

さて、以前から注目していた足利事件に進展です。罪に問われた被告人と証拠のDNAが一致しないことが明らかになりました。

米国ではDNA鑑定の決定すでに238人の人が冤罪から救われています。

詳細は、以下のページを見てください。

http://www.innocenceproject.org/

日本でもDNA鑑定が、無実の人々を冤罪、そして死刑台から救う重要な武器となってく、そんな時代の幕開けかもしれません。

無実を求める被告人がDNA証拠にアクセスする法律上の権利が日本では確立されていませんが、この事件を契機に、米国のように、「DNA鑑定を受ける権利」とその手続き規定を法制化すべき時期にきているといえるでしょう。

足利事件:受刑者のDNA型一致せず…東京高裁に鑑定書

http://mainichi.jp/select/today/news/20090509k0000m040020000c.html

 栃木県足利市で90年、当時4歳の女児が誘拐・殺害された「足利事件」で殺人罪などに問われ、無期懲役が確定している元幼稚園バス運転手、菅家(すがや)利和受刑者(62)の再審請求を巡り、鑑定医2人が東京高裁に対し、いずれも女児の着衣に付いた体液と菅家受刑者のDNA型が一致しないとする鑑定書を提出したことが8日分かった。高裁が同日、鑑定書の内容を弁護側、検察側双方に開示した。

 2人は弁護側、検察側がそれぞれ推薦した医師。弁護側によると、2人は異なる方法で鑑定を実施したが、いずれも結論は「遺留体液から抽出されたDNA型と菅家受刑者のDNA型は同一人物のものではない」との内容だったという。一方は7日までに高裁に提出され、残る一方は8日提出されたという。

 捜査段階で行われた当初のDNA鑑定は逮捕の決め手とされ、1、2審、最高裁とも鑑定の証拠能力を認め、有罪の有力な根拠とした。弁護側は02年に再審請求し、宇都宮地裁で昨年2月、請求を棄却されたため即時抗告。東京高裁が昨年12月、2人による再鑑定の実施を決めていた。

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2009年4月15日 (水)

昨日の最高裁無罪判決に注目する。

昨日、最高裁で、痴漢に関する無罪判決が出ました。それも破棄・自判という英断です。

その結論もさることながら、内容が素晴らしいので全文掲載してご紹介します。最高裁のウェブサイトからとりました。

弁護士出身の那須裁判官が素晴らしいご意見を出され、近藤崇晴裁判官のご意見も感動をもって読みました。

この判決は、主任になった田原裁判官の意見、そして刑事裁判官出身の堀籠裁判官の意見が少数意見となり、3対2で決まったものです。最高裁のなかでこんなバトル、真剣な意見対立があり、それをどう克服して(というか、多数を形成し)今回の判決に至ったのか、というのを知り、大変興味深かったです。

裁判官というのが、人間なのだ、人生と良心をかけて判決を書いているのだ、と感銘を受けたのは、最近本当にひさしぶりなことで、嬉しく思いました。

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主文
原判決及び第1審判決を破棄する。
被告人は無罪。
理由
弁護人秋山賢三ほかの上告趣意は,憲法違反,判例違反をいう点を含め,実質は単なる法令違反,事実誤認,量刑不当の主張であり,被告人本人の上告趣意は,事実誤認の主張であって,いずれも刑訴法405条の上告理由に当たらない。
しかしながら,所論にかんがみ,職権をもって調査すると,原判決及び第1審判決は,刑訴法411条3号により破棄を免れない。その理由は,以下のとおりである。
第1 本件公訴事実及び本件の経過
本件公訴事実の要旨は,「被告人は,平成18年4月18日午前7時56分ころから同日午前8時3分ころまでの間,東京都世田谷区内の小田急電鉄株式会社成城学園前駅から下北沢駅に至るまでの間を走行中の電車内において,乗客である当時17歳の女性に対し,パンティの中に左手を差し入れその陰部を手指でもてあそぶなどし,もって強いてわいせつな行為をした」というものである。
第1審判決は,上記のとおりの被害を受けたとする上記女性(以下「A」という。)の供述に信用性を認め,公訴事実と同旨の犯罪事実を認定して,被告人を懲役1年10月に処し,被告人からの控訴に対し,原判決も,第1審判決の事実認定を是認して,控訴を棄却した。
第2 当裁判所の判断
1 当審における事実誤認の主張に関する審査は,当審が法律審であることを原則としていることにかんがみ,原判決の認定が論理則,経験則等に照らして不合理といえるかどうかの観点から行うべきであるが,本件のような満員電車内の痴漢事件においては,被害事実や犯人の特定について物的証拠等の客観的証拠が得られにくく,被害者の供述が唯一の証拠である場合も多い上,被害者の思い込みその他により被害申告がされて犯人と特定された場合,その者が有効な防御を行うことが容易ではないという特質が認められることから,これらの点を考慮した上で特に慎重な判断をすることが求められる。
2 関係証拠によれば,次の事実が明らかである。(略)
4 第1審判決は,Aの供述内容は,当時の心情も交えた具体的,迫真的なもので,その内容自体に不自然,不合理な点はなく,Aは,意識的に当時の状況を観察,把握していたというのであり,犯行内容や犯行確認状況について,勘違いや記憶の混乱等が起こることも考えにくいなどとして,被害状況及び犯人確認状況に関するAの上記供述は信用できると判示し,原判決もこれを是認している。
5 そこで検討すると,被告人は,捜査段階から一貫して犯行を否認しており,本件公訴事実を基礎付ける証拠としては,Aの供述があるのみであって,物的証拠等の客観的証拠は存しない(被告人の手指に付着していた繊維の鑑定が行われたが,Aの下着に由来するものであるかどうかは不明であった。)。被告人は,本件当時60歳であったが,前科,前歴はなく,この種の犯行を行うような性向をうかがわせる事情も記録上は見当たらない。したがって,Aの供述の信用性判断は特に慎重に行う必要があるのであるが,(1) Aが述べる痴漢被害は,相当に執ようかつ強度なものであるにもかかわらず,Aは,車内で積極的な回避行動を執っていないこと,(2) そのことと前記2(2)のAのした被告人に対する積極的な糾弾行為とは必ずしもそぐわないように思われること,また,(3) Aが,成城学園前駅でいったん下車しながら,車両を替えることなく,再び被告人のそばに乗車しているのは不自然であること(原判決も「いささか不自然」とは述べている。)などを勘案すると,同駅までにAが受けたという痴漢被害に関する供述の信用性にはなお疑いをいれる余地がある。そうすると,その後にAが受けたという公訴事実記載の痴漢被害に関する供述の信用性についても疑いをいれる余地があることは否定し難いのであって,Aの供述の信用性を全面的に肯定した第1審判決及び原判決の判断は,必要とされる慎重さを欠くものというべきであり,これを是認することができない。被告人が公訴事実記載の犯行を行ったと断定するについては,なお合理的な疑いが残るというべきである。
第3 結論
以上のとおり,被告人に強制わいせつ罪の成立を認めた第1審判決及びこれを維持した原判決には,判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認があり,これを破棄しなければ著しく正義に反するものと認められる。
そして,既に第1審及び原審において検察官による立証は尽くされているので,当審において自判するのが相当であるところ,本件公訴事実については犯罪の証明が十分でないとして,被告人に対し無罪の言渡しをすべきである。
よって,刑訴法411条3号により原判決及び第1審判決を破棄し,同法413条ただし書,414条,404条,336条により,裁判官堀籠幸男,同田原睦夫の各反対意見があるほか,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。なお,裁判官那須弘平,同近藤崇晴の各補足意見がある。
裁判官那須弘平の補足意見は,次のとおりである。

1 冤罪で国民を処罰するのは国家による人権侵害の最たるものであり,これを防止することは刑事裁判における最重要課題の一つである。刑事裁判の鉄則ともいわれる「疑わしきは被告人の利益に」の原則も,有罪判断に必要とされる「合理的な疑いを超えた証明」の基準の理論も,突き詰めれば冤罪防止のためのものであると考えられる。
本件では,公訴事実に当たる痴漢犯罪をめぐり,被害を受けたとされる女性(以下「A」という。)が被告人を犯人であると指摘するもののこれを補強する客観的証拠がないに等しく,他方で被告人が冤罪を主張するもののやはりこれを補強する客観的証拠に乏しいという証拠状況の下で,1審及び原審の裁判官は有罪・無罪の選択を迫られ,当審でも裁判官の意見が二つに分かれている。意見が分かれる原因を探ると,結局は「合理的な疑いを超えた証明」の原理を具体的にどのように適用するかについての考え方の違いに行き着くように思われる。そこで,この際,この点について私の考え方を明らかにして,多数意見が支持されるべき理由を補足しておきたい。
2 痴漢事件について冤罪が争われている場合に,被害者とされる女性の公判での供述内容について「詳細かつ具体的」,「迫真的」,「不自然・不合理な点がない」などという一般的・抽象的な理由により信用性を肯定して有罪の根拠とする例は,公表された痴漢事件関係判決例をみただけでも少なくなく,非公表のものを含めれば相当数に上ることが推測できる。しかし,被害者女性の供述がそのようなものであっても,他にその供述を補強する証拠がない場合について有罪の判断をすることは,「合理的な疑いを超えた証明」に関する基準の理論との関係で,慎重な検討が必要であると考える。その理由は以下のとおりである。
ア混雑する電車内での痴漢事件の犯行は,比較的短時間のうちに行われ,行為の態様も被害者の身体の一部に手で触る等という単純かつ類型的なものであり,犯行の動機も刹那的かつ単純なもので,被害者からみて被害を受ける原因らしいものはこれといってないという点で共通している。被害者と加害者とは見ず知らずの間柄でたまたま車内で近接した場所に乗り合わせただけの関係で,犯行の間は車内での場所的移動もなくほぼ同一の姿勢を保ったまま推移する場合がほとんどである。
このように,混雑した電車の中での痴漢とされる犯罪行為は,時間的にも空間的にもまた当事者間の人的関係という点から見ても,単純かつ類型的な態様のものが多く,犯行の痕跡も(加害者の指先に付着した繊維や体液等を除いては)残らないため,「触ったか否か」という単純な事実が争われる点に特徴がある。このため,普通の能力を有する者(例えば十代後半の女性等)がその気になれば,その内容が真実である場合と,虚偽,錯覚ないし誇張等を含む場合であるとにかかわらず,法廷において「具体的で詳細」な体裁を具えた供述をすることはさほど困難でもない。
その反面,弁護人が反対尋問で供述の矛盾を突き虚偽を暴き出すことも,裁判官が「詳細かつ具体的」,「迫真的」あるいは「不自然・不合理な点がない」などという一般的・抽象的な指標を用いて供述の中から虚偽,錯覚ないし誇張の存否を嗅ぎ分けることも,けっして容易なことではない。本件のような類型の痴漢犯罪被害者の公判における供述には,元々,事実誤認を生じさせる要素が少なからず潜んでいるのである。
イ被害者が公判で供述する場合には,被害事実を立証するために検察官側の証人として出廷するのが一般的であり,検察官の要請により事前に面接して尋問の内容及び方法等について詳細な打ち合わせをすることは,広く行われている。痴漢犯罪について虚偽の被害申出をしたことが明らかになれば,刑事及び民事上の責任を追及されることにもなるのであるから(刑法172条,軽犯罪法1条16号,民法709条),被害者とされる女性が公判で被害事実を自ら覆す供述をすることはない。検察官としても,被害者の供述が犯行の存在を証明し公判を維持するための頼りの綱であるから,捜査段階での供述調書等の資料に添った矛盾のない供述が得られるように被害者との入念な打ち合わせに努める。この検察官の打ち合わせ作業自体は,法令の規定(刑事訴訟規則191条の3)に添った当然のものであって,何ら非難されるべき事柄ではないが,反面で,このような作業が念入りに行われれば行われるほど,公判での供述は外見上「詳細かつ具体的」,「迫真的」で,「不自然・不合理な点がない」ものとなるのも自然の成り行きである。これを裏返して言えば,公判での被害者の供述がそのようなものであるからといって,それだけで被害者の主張が正しいと即断することには危険が伴い,そこに事実誤認の余地が生じ
ることになる。
ウ満員電車内の痴漢事件については上記のような特別の事情があるのであるから,冤罪が真摯に争われている場合については,たとえ被害者女性の供述が「詳細かつ具体的」,「迫真的」で,弁護人の反対尋問を経てもなお「不自然・不合理な点がない」かのように見えるときであっても,供述を補強する証拠ないし間接事実の存否に特別な注意を払う必要がある。その上で,補強する証拠等が存在しないにもかかわらず裁判官が有罪の判断に踏み切るについては,「合理的な疑いを超えた証明」の視点から問題がないかどうか,格別に厳しい点検を欠かせない。
3 以上検討したところを踏まえてAの供述を見るに,1審及び原審の各判決が示すような「詳細かつ具体的」等の一般的・抽象的性質は具えているものの,これを超えて特別に信用性を強める方向の内容を含まず,他にこれといった補強する証拠等もないことから,上記2に挙げた事実誤認の危険が潜む典型的な被害者供述であると認められる。
これに加えて,本件では,判決理由第2の5に指摘するとおり被害者の供述の信用性に積極的に疑いをいれるべき事実が複数存在する。その疑いは単なる直感による「疑わしさ」の表明(「なんとなく変だ」「おかしい」)の域にとどまらず,論理的に筋の通った明確な言葉によって表示され,事実によって裏づけられたものでもある。Aの供述はその信用性において一定の疑いを生じる余地を残したものであり,被告人が有罪であることに対する「合理的な疑い」を生じさせるものであるといわざるを得ないのである。
したがって,本件では被告人が犯罪を犯していないとまでは断定できないが,逆に被告人を有罪とすることについても「合理的な疑い」が残るという,いわばグレーゾーンの証拠状況にあると判断せざるを得ない。その意味で,本件では未だ「合理的な疑いを超えた証明」がなされておらず,「疑わしきは被告人の利益に」の原則を適用して,無罪の判断をすべきであると考える。
4 堀籠裁判官及び田原裁判官の各反対意見の見解は,その理由とするところも含めて傾聴に値するものであり,一定の説得力ももっていると考える。しかしながら,これとは逆に,多数意見が本判決理由中で指摘し,当補足意見でやや詳しく記した理由により,Aの供述の信用性にはなお疑いをいれる余地があるとする見方も成り立ち得るのであって,こちらもそれなりに合理性をもつと評価されてよいと信じる。
合議体による裁判の評議においては,このように,意見が二つ又はそれ以上に分かれて調整がつかない事態も生じうるところであって,その相違は各裁判官の歩んできた人生体験の中で培ってきたものの見方,考え方,価値観に由来する部分が多いのであるから,これを解消することも容易ではない。そこで,問題はこの相違をどう結論に結びつけるかであるが,私は,個人の裁判官における有罪の心証形成の場合と同様に,「合理的な疑いを超えた証明」の基準(及び「疑わしきは被告人の利益に」の原則)に十分配慮する必要があり,少なくとも本件のように合議体における複数の裁判官がAの供述の信用性に疑いをもち,しかもその疑いが単なる直感や感想を超えて論理的に筋の通った明確な言葉によって表示されている場合には,有罪に必要な「合理的な疑いを超えた証明」はなおなされていないものとして処理されることが望ましいと考える(これは,「疑わしきは被告人の利益に」の原則にも適合する。)。
なお,当審における事実誤認の主張に関する審査につき,当審が法律審であることを原則としていることから「原判決の認定が論理則,経験則等に照らして不合理といえるかどうかの観点から行うべきである」とする基本的立場に立つことは,堀籠裁判官指摘のとおりである。しかし,少なくとも有罪判決を破棄自判して無罪とする場合については,冤罪防止の理念を実効あらしめるという観点から,文献等に例示される典型的な論理則や経験則に限ることなく,我々が社会生活の中で体得する広い意味での経験則ないし一般的なものの見方も「論理則,経験則等」に含まれると解するのが相当である。多数意見はこのような理解の上に立って,Aの供述の信用性を判断し,その上で「合理的な疑いを超えた証明」の基準に照らし,なお「合理的な疑いが残る」として無罪の判断を示しているのであるから,この点について上記基本的立場から見てもなんら問題がないことは明らかである。

裁判官近藤崇晴の補足意見は,次のとおりである。
私は,被告人を無罪とする多数意見に与するものであり,また,多数意見の立場を敷衍する那須裁判官の補足意見に共鳴するものであるが,なお若干の補足をしておきたい。
本件は,満員電車の中でのいわゆる痴漢事件であり,被害者とされる女性Aが被告人から強制わいせつの被害を受けた旨を具体的に供述しているのに対し,被告人は終始一貫して犯行を否認している。そして,被告人の犯人性については,他に目撃証人その他の有力な証拠が存在しない。すなわち,本件においては,「被害者」の供述と被告人の供述とがいわば水掛け論になっているのであり,それぞれの供述内容をその他の証拠関係に照らして十分に検討してみてもそれぞれに疑いが残り,結局真偽不明であると考えるほかないのであれば,公訴事実は証明されていないことになる。言い換えるならば,本件公訴事実が証明されているかどうかは,Aの供述が信用できるかどうかにすべてが係っていると言うことができる。このような場合,一般的に,被害者とされる女性の供述内容が虚偽である,あるいは,勘違いや記憶違いによるものであるとしても,これが真実に反すると断定することは著しく困難なのであるから,「被害者」の供述内容が「詳細かつ具体的」,「迫真的」で「不自然・不合理な点がない」といった表面的な理由だけで,その信用性をたやすく肯定することには大きな危険が伴う。この点,那須裁判官の補足意見が指摘するとおりである。また,「被害者」の供述するところはたやすくこれを信用し,被告人の供述するところは頭から疑ってかかるというようなことがないよう,厳に自戒する必要がある。
本件においては,多数意見が指摘するように,Aの供述には幾つかの疑問点があり,その反面,被告人にこの種の犯行(公訴事実のとおりであれば,痴漢の中でもかなり悪質な部類に属する。)を行う性向・性癖があることをうかがわせるような事情は記録上見当たらないのであって,これらの諸点を総合勘案するならば,Aの供述の信用性には合理的な疑いをいれる余地があるというべきである。もちろん,これらの諸点によっても,Aの供述が真実に反するもので被告人は本件犯行を行っていないと断定できるわけではなく,ことの真偽は不明だということである。
上告裁判所は,事後審査によって,「判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認がある」(刑訴法411条3号)かどうかを判断するのであるが,言うまでもなく,そのことは,公訴事実の真偽が不明である場合には原判決の事実認定を維持すべきであるということを意味するものではない。上告裁判所は,原判決の事実認定の当否を検討すべきであると考える場合には,記録を検討して自らの事実認定を脳裡に描きながら,原判決の事実認定が論理則,経験則等に照らして不合理といえるかどうかを検討するという思考操作をせざるを得ない。その結果,原判決の事実認定に合理的な疑いが残ると判断するのであれば,原判決には「事実の誤認」があることになり,それが「判決に影響を及ぼすべき重大な」ものであって,「原判決を破棄しなければ著しく正義に反すると認めるとき」は,原判決を破棄することができるのである。殊に,原判決が有罪判決であって,その有罪とした根拠である事実認定に合理的な疑いが残るのであれば,原判決を破棄することは,最終審たる最高裁判所の職責とするところであって,事後審制であることを理由にあたかも立証責任を転換したかのごとき結論を採ることは許されないと信ずるものである。
裁判官堀籠幸男の反対意見は,次のとおりである。
私は,多数意見には反対であり,原判決に事実誤認はなく,本件上告は棄却すべきものと考える。その理由は次のとおりである。
第1 事実誤認の主張に関する最高裁判所の審査の在り方
1 刑訴法は,刑事事件の上訴審については,原判決に違法又は不当な点はないかを審査するという事後審制を採用している。上訴審で事実認定の適否が問題となる場合は,上訴審は,自ら事件について心証を形成するのではなく,原判決の認定に論理則違反や経験則違反がないか又はこれに準ずる程度に不合理な判断をしていないかを審理するものである。そして,基本的に法律審である最高裁判所が事実誤認の主張に関し審査を行う場合には,その審査は,控訴審以上に徹底した事後審査でなければならない。最高裁判所の審査は,書面審査により行うものであるから,原判決に事実誤認があるというためには,原判決の判断が論理則や経験則に反するか又はこれに準ずる程度にその判断が不合理であると明らかに認められる場合でなければならない。刑訴法411条3号が「重大な事実の誤認」と規定しているのも,このことを意味するものというべきである。
2 刑訴法は,第一審の審理については,直接主義,口頭主義を採用しており,証人や被告人の供述の信用性が問題となる場合,第一審の裁判所は,証人や被告人の供述態度の誠実性,供述内容の具体性・合理性,論理の一貫性のみならず,論告・弁論で当事者から示された経験時の条件,記憶やその正確性,他の証拠との整合性あるいは矛盾等についての指摘を踏まえ,その信用性を総合的に検討して判断することになるのであり,その判断は,まさしく経験則・論理則に照らして行われるのである。証人や被告人の供述の信用性についての上訴審の審査は,その供述を直接的に見聞して行うものではなく,特に最高裁判所では書面のみを通じて行うものであるから,その供述の信用性についての判断は,経験則や論理則に違反しているか又はこれに準ずる程度に明らかに不合理と認められるかどうかの観点から行うべきものである。
第2 事実誤認の有無
1 本件における争点は,被害者Aの供述と被告人の供述とでは,どちらの供述の方が信用性があるかという点である。
被害者Aの供述の要旨は,多数意見が要約しているとおりであるが,Aは長時間にわたり尋問を受け,弁護人の厳しい反対尋問にも耐え,被害の状況についての供述は,詳細かつ具体的で,迫真的であり,その内容自体にも不自然,不合理な点はなく,覚えている点については明確に述べ,記憶のない点については「分からない」と答えており,Aの供述には信用性があることが十分うかがえるのである。多数意見は,Aの供述について,犯人の特定に関し疑問があるというのではなく,被害事実の存在自体が疑問であるというものである。すなわち,多数意見は,被害事実の存在自体が疑問であるから,Aが虚偽の供述をしている疑いがあるというのである。しかし,田原裁判官が指摘するように,Aが殊更虚偽の被害事実を申し立てる動機をうかがわせるような事情は,記録を精査検討してみても全く存しないのである。
2 そこで,次に被害者Aの供述からその信用性に対し疑いを生じさせるような事情があるといえるかどうかが問題となる。
(1) 多数意見は,先ず,被害者Aが車内で積極的な回避行動を執っていない点で,Aの供述の信用性に疑いがあるという。この点のAの供述の信用性を検討するに際しては,朝の通勤・通学時における小田急線の急行・準急の混雑の程度を認識した上で行う必要がある。この時間帯の小田急線の車内は,超過密であって,立っている乗客は,その場で身をよじる程度の動きしかできないことは,社会一般に広く知れ渡っているところであり,証拠からも認定することができるのである。身動き困難な超満員電車の中で被害に遭った場合,これを避けることは困難であり,また,犯人との争いになることや周囲の乗客の関心の的となることに対する気後れ,羞恥心などから,我慢していることは十分にあり得ることであり,Aがその場からの離脱や制止などの回避行動を執らなかったとしても,これを不自然ということはできないと考える。Aが回避行動を執らなかったことをもってAの供述の信用性を否定することは,同種痴漢被害事件において,しばしば生ずる事情を無視した判断といわなければならない。
(2) 次に,多数意見は,痴漢の被害に対し回避行動を執らなかったAが,下北沢駅で被告人のネクタイをつかむという積極的な糾弾行動に出たことは,必ずしもそぐわないという。しかし,犯人との争いになることや周囲の乗客の関心の的となることに対する気後れ,羞恥心などから短い間のこととして我慢していた性的被害者が,執拗に被害を受けて我慢の限界に達し,犯人を捕らえるため,次の停車駅近くになったときに,反撃的行為に出ることは十分にあり得ることであり,非力な少女の行為として,犯人のネクタイをつかむことは有効な方法であるといえるから,この点をもってAの供述の信用性を否定するのは,無理というべきである。
(3) また,多数意見は,Aが成城学園前駅でいったん下車しながら,車両を替えることなく,再び被告人のそばに乗車しているのは不自然であるという。しかしながら,Aは,成城学園前駅では乗客の乗降のためプラットホームに押し出され,
他のドアから乗車することも考えたが,犯人の姿を見失ったので,迷っているうちに,ドアが閉まりそうになったため,再び同じドアから電車に入ったところ,たまたま同じ位置のところに押し戻された旨供述しているのである。Aは一度下車しており,加えて犯人の姿が見えなくなったというのであるから,乗車し直せば犯人との位置が離れるであろうと考えることは自然であり,同じドアから再び乗車したことをもって不自然ということはできないというべきである。そして,同じ位置に戻ったのは,Aの意思によるものではなく,押し込まれた結果にすぎないのである。
多数意見は,「再び被告人のそばに乗車している」と判示するが,これがAの意思に基づくものと認定しているとすれば,この時間帯における通勤・通学電車が極めて混雑し,多数の乗客が車内に押し入るように乗り込んで来るものであることに対する認識に欠ける判断であるといわなければならない。この点のAの供述内容は自然であり,これをもって不自然,不合理というのは,無理である。
(4) 以上述べたように,多数意見がAの供述の信用性を否定する理由として挙げる第2の5の(1),(2)及び(3)は,いずれも理由としては極めて薄弱であり,このような薄弱な理由を3点合わせたからといって,その薄弱性が是正されるというものではなく,多数意見が指摘するような理由のみではAの供述の信用性を否定することはできないというべきである。
3 次に,被告人の供述については,その信用性に疑いを容れる次のような事実がある。
(1) 被告人は,検察官の取調べに対し,下北沢駅では電車に戻ろうとしたことはないと供述しておきながら,同じ日の取調べ中に,急に思い出したなどと言って,電車に戻ろうとしたことを認めるに至っている。これは,下北沢駅ではプラットホームの状況についてビデオ録画がされていることから,被告人が自己の供述に反する客観的証拠の存在を察知して供述を変遷させたものと考えられるのであり,こうした供述状況は,確たる証拠がない限り被告人は不利益な事実を認めないことをうかがわせるのである。
(2) 次に,被告人は,電車内の自分の近くにいた人については,よく記憶し,具体的に供述しているのであるが,被害者Aのことについては,ほとんど記憶がないと供述しているのであって,被告人の供述には不自然さが残るといわざるを得ない。
(3) 多数意見は,被告人の供述の信用性について,何ら触れていないが,以上によれば,被告人の供述の信用性には疑問があるといわざるを得ない。
4 原判決は,以上のような証拠関係を総合的に検討し,Aの供述に信用性があると判断したものであり,原判決の認定には,論理則や経験則に反するところはなく,また,これに準ずる程度に不合理といえるところもなく,原判決には事実誤認はないというべきである。
第3 論理則,経験則等と多数意見の論拠
多数意見は,当審における事実誤認の主張に関する審査について,「原判決の認定が論理則,経験則等に照らして不合理といえるかどうかの観点から行うべきである」としている。この点は,刑訴法の正当な解釈であり,私も賛成である。しかし,多数意見がAの供述の信用性に疑いを容れる余地があるとして挙げる理由は,第2の5の(1),(2)及び(3)だけであって,この3点を理由に,Aの供述には信用性があるとした原判決の判断が,論理則,経験則等に照らして不合理というにはあまりにも説得力に欠けるといわざるを得ない。
多数意見は,Aの供述の信用性を肯定した原判決に論理則や経験則等に違反する点があると明確に指摘することなく,ただ単に,「Aが受けたという公訴事実記載の痴漢被害に関する供述の信用性についても疑いをいれる余地があることは否定し難い」と述べるにとどまっており,当審における事実誤認の主張に関する審査の在り方について,多数意見が示した立場に照らして,不十分といわざるを得ない。
裁判官田原睦夫の反対意見は,次のとおりである。
私は,多数意見と異なり,上告審たる当審としての事実認定に関する審査のあり
方を踏まえ,また,多数意見が第2,1において指摘するところをも十分考慮した
上で,本件記録を精査しても,原判決に判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認が
ある,と認めることはできないのであって,本件上告は棄却すべきものと考える。
以下,敷衍する。
1 当審は,制度上法律審であることを原則とするから,事実認定に関する原判決の判断の当否に介入するについては自ら限界があり,あくまで事後審としての立場から原判決の判断の当否を判断すべきものである(最二小判昭和43.10.2
5刑集22巻11号961頁参照)。具体的には,一審判決,原判決及び上告趣意
書を検討した結果,原判決の事実認定に関する論理法則,経験則の適用過程に重大
な疑義があるか否か,あるいは上告趣意書に指摘するところを踏まえて記録を検討した場合に,原判決の事実認定に重大な疑義が存するか否か,及びそれらの疑義が,原判決を破棄しなければ著しく正義に反すると認めるに足りるものであるか否かを審査すべきこととなる。
2 本件は,被告人が全面否認し,物証も存しないところから,原判決の事実認定が肯認できるか否かは,被害事実の有無に関するAの供述の信用性及びAの加害者誤認の可能性の有無により決するほかない。そのうち加害者誤認の可能性の点
は,一審判決が判示する犯人現認に関するAの供述の信用性が認められる限り,否 -
定されるのであり,また弁護人からも加害者誤認の可能性を窺わせるに足る主張はい。そうすると本件では,Aの被害事実に関する供述の信用性の有無のみが問題となることとなる。
3 そこで,上述の視点に立って本件記録を精査しても,Aの供述の信用性を肯認した原判決には,以下に述べるとおり,その論理法則,経験則の適用過程におい
て重大な疑義が存するとは到底認められないのである。
(1) Aは一審において証言しているが,その供述内容は首尾一貫しており,弁護人の反対尋問にも揺らいでいない。また,その供述内容は,一審において取り調べられたAの捜査段階における供述調書の内容とも基本的には矛盾していない。
(2) 多数意見は,Aの述べる公訴事実に先立つ向ヶ丘遊園駅から成城学園前駅に着く直前までの痴漢被害は相当に執ようで強度なものであるにもかかわらず,車内で積極的な回避行動を執っておらず,成城学園前駅で一旦下車しながら,車両を
替えることなく再び被告人の側に乗車している点も不自然であるなどとしているが,Aは,満員で積極的な回避行動を執ることができず,また痴漢と発言して周囲から注目されるのが嫌だった旨,及び成城学園前駅で一旦下車した際に被告人を見失い,再び乗車しようとした際に被告人に気付いたのが発車寸前であったため,後
ろから押し込まれ,別の扉に移動することなくそのまま乗車した旨公判廷において供述しているのであって,その供述の信用性について,「いささか不自然な点があるといえるものの・・・不合理とまではいえない」とした原判決の認定に,著しい論理法則違背や経験則違背を見出すことはできないのである。
(3) また,多数意見は,本件公訴事実の直前の成城学園前駅までの痴漢被害に関するAの供述の信用性に疑問が存することをもって,本件公訴事実に関するAの供述の信用性には疑いをいれる余地があるとするが,上記のとおり成城学園前駅までの痴漢被害に関するAの供述の信用性を肯定した原判決の認定が不合理であるとはいえず,他に本件公訴事実に関するAの供述の信用性を肯定した原判決の認定に論理法則違背や経験則違背が認められず,また,Aの供述内容と矛盾する重大な事
実の存在も認められない以上,当審としては,本件公訴事実にかかるAの供述の信
用性について原判決と異なる認定をすることは許されないものといわざるを得な
い。
4 なお,付言するに,本件記録中からは,Aの供述の信用性及び被告人の否認供述の信用性の検討に関連する以下のような諸問題が窺える。
(1) Aの供述に関連して
Aの痴漢被害の供述が信用できない,ということは,Aが虚偽の被害申告をしたということである。この点に関連して,弁護人は,Aは学校に遅刻しそうになった
ことから,かかる申告をした旨主張していたが,かかる主張に合理性が存しないことは明らかである。女性が電車内での虚偽の痴漢被害を申告する動機としては,一般的に,①示談金の喝取目的,②相手方から車内での言動を注意された等のトラブルの腹癒せ,③痴漢被害に遭う人物であるとの自己顕示,④加害者を作り出し,その困惑を喜ぶ愉快犯等が存し得るところ,Aにそれらの動機の存在を窺わせるような証拠は存しない。
また,Aの供述の信用性を検討するに当たっては,Aの過去における痴漢被害の有無,痴漢被害に遭ったことがあるとすれば,その際のAの言動及びその後の行動,Aの友人等が電車内で痴漢被害に遭ったことの有無及びその被害に遭った者の対応等についてのAの認識状況等が問題となり得るところ,それらの諸点に関する証拠も全く存しない。
(2) 被告人の供述に関連して
本件では,被告人は一貫して否認しているところ,その供述の信用性を検討するに当たっては,被告人の人物像を顕出させると共に,本件当時の被告人が置かれていた社会的な状況が明らかにされる必要があり,また,被告人の捜査段階における
主張内容,取調べに対する対応状況等が重要な意義を有する。
ところが,被告人の捜査段階における供述調書や一審公判供述では,被告人の人物像はなかなか浮かび上っておらず,原審において取り調べられた被告人の供述書及び被告人の妻の供述書等によって,漸く被告人の人物像が浮かび上がるに至っている。また,その証拠によって,被告人は,平成18年4月に助教授から教授に昇任したばかりであり,本件公訴事実にかかる日の2日後には,就任後初の教授会が開かれ,その時に被告人は所信表明を行うことが予定されていたことなど,本件事件の犯人性と相反すると認められ得る事実も明らかになっている。また,近年,捜査段階の弁護活動で用いられるようになっている被疑者ノートは証拠として申請すらされておらず,被告人が逮捕,勾留された段階での被告人の供述内容,心理状況に関する証拠も僅かしか提出されていない。さらに,記録によれば,被告人の警察での取調べ段階でDNA鑑定が問題となっていたことが窺われるところ,その点は公判では殆ど問題とされていない。
(3) 仮に上記(1),(2)の点に関連する証拠が提出されていれば,一審判決及び原判決は,より説得性のある事実認定をなし得たものと推認されるが,以上のような諸問題が存するとしても,当審として原判決を破棄することが許されないことはいうまでもない。

検察官大鶴基成公判出席
(裁判長裁判官田原睦夫裁判官藤田宙靖裁判官堀籠幸男裁判官
那須弘平裁判官近藤崇晴)

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2009年3月18日 (水)

最高でしたね。やくみつるさんと対談

先日も話した通り、先週土曜日、なんと、漫画家のやくみつるさんと対談をさせていただきました。

私のやっている死刑冤罪事件・名張毒ぶどう酒事件の奥西死刑囚をやくさんがかねてから応援してくれていて、冤罪だと心配してくださっていて、実現したのです。

こんな著名な方、かつ畑違いの方と対談するのは初めてのことなので、とーてーも、緊張しましたが、やくさんのほうは、冤罪の問題で人前でお話をするのは初めてということだそうでした!!

お話もうまいし、私ごときの話を引き出してくださり、話しやすいように突っ込んでくださり、みんなにわかりやすいように補っていただいたり、質問してくれたり、と、その気配りと頭の良さに

なんと素晴らしい対談相手でいらっしゃるのか、、、と感動しました。

事前打ち合わせは本当に短時間だったのに、つぼをすべて押さえて、一番大事なポイントはもれなくトークに取り入れるように話を持って行ってくださったのでした。

最後は、私たちがいつものとおり「生きて奥西さんを取り戻したい」「これが救われなかったら日本の刑事裁判はもう絶望的です」などと力をこめているのに対し、

「大上段に語りつつも、もっと素朴なことを願いたい。奥西さんに出てきてもらったら、温泉につからせてあげたい、そんなことを考えているんです。そんな日がくることを願って自分のできることをやりたい」(私の記憶ゆえ一字一句正確ではありませんが)

という発言にとてもじーーーん、と来ました。

懇親会でもとても真摯な姿勢に触れて、久しぶりに感動いたしました。

やくさん、なんて素晴らしいんでしょうか。

今後ともよろしくお願いいたします。

S_p1010058    やくさんと。

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2009年3月 1日 (日)

名張事件 記者レクチャーを行います。

さまざまな意味で、「第二の帝銀事件」と言われる名張事件。

83歳の奥西被告の再審申し立てに対する最高裁決定が

近いかもしれない(?)という状況のもと、

3月12日、午前に在京の新聞記者、メディアの方々を対象に、

記者レクチャーを行うことになりました。

場所は、東弁の502F会議室を予定しております。

私の名前で部屋を取っておりますが、あいにく不在のため、

科学証拠関係に強い、弁護団のエースが対応させていただき、

本格的なレクをさせていただく予定ですので、

是非新聞、テレビ、雑誌各社にご参加をいただければ幸いです。

詳細は日本弁護士連合会・人権課にお問い合わせいただくようお願いいたします。

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2009年2月 1日 (日)

裁判員制度・国会はなにしてるの?

私は昨年の8月に「裁判員制度の現時点での見直しを」という論考を

発表して、当プログの前身プログなどで掲載したところ

(10月11日付のこちらのブログにも転載しましたのでぜひ

ご覧ください)、最初は賛成派からも反対派からも

変な目で見られたり、批判されたりしてました。

ところが、拾う神もあるわけで、読んで「いい考えだ」とあちこちに

配ってくれる方、転送してくださる方が続出、わざわざある弁護士会

の「元弁護士会長さん」が面識もない私に電話をしてきて、

「先生の意見を知り合いみんなに配りますがよいですか?」

と言ってくれたり、業界誌への投稿を相次いで依頼されて

ほとんどコピペみたいな投稿(ごめんなさい)を

私自身あちこちに送ったり、講演したりしているうちに、

今や私の提唱する内容にかなり近い「見直し論」が

ほぼ、弁護士会の多数意見になってきたようです(^^)

あまり、ロビー活動は展開せず、筆一本でがんばってきた

のですが、同じ考えを持つ方々、私の意見に共鳴して

下さった方がたくさんいらっしゃって声をあげてくださったからです。

それは、無罪推定原則を徹底すべき、という問題だったり、

死刑を含む量刑には裁判員は参加しないことにする、という

ことだったり(事実認定だけをする、ただこれは弁護士会の多数意見になっているかは微妙)

拙速に3日で判断する、ということは絶対やめさせる、

というような内容で、私はどれもいまだからやらなくてはと

思うことばかりです。

これらの問題は、法律家でなくてもセンスのよい、賢い方々は重要だ

とお感じになるらしく、弁護士会以外の雑誌などでも、原稿依頼を

してくださる方などがいます。

「必ずしも専門の分野でもないこの問題を、よく考えられて

勉強されて、私に原稿依頼をしてくれて、すごいなあ」と頭が下がりますので、

だいたい断ることなくお引受けしているのです。

しかし、そんなこと- 特に弁護士会の動き-で喜んでいる場合ではまったくありません。

国会では何らの動きもないし、全然見直す気配もないまま、

着々と裁判員制度が実施される五月になりそうです。

裁判員になる市民の方々がこれだけ不安を募らせている

というのに、そして5月にはスタートしてしまうというのに、

国会はいったい何をしているのか?

一度も集中審理をやってないし、担当委員会である法務委員会は

回転休業状態だというではありませんか! いろいろほかにも懸案が

あるにせよ、派遣問題と裁判員制度は待ったなしで国会が動いて

議論をしないと、何のために税金を払っているのやら、と思ってしまいます。

このままでは通常国会で何も措置が取られずに裁判員制度を

現状のまま実施することになりかねません。

法曹界が 口角泡を飛ばして議論し、言論界でもこれだけ特集を組んで考えようとしている問題にほとんど何の審議もしようとしない国会。

でももともと、この制度は国会で法律としてつくられたものなんです。

それを今どうするか、も国会の仕事、国会の責任。

国会議員の皆さんにはしっかりやってもらいたいものです。

せめて、 国民の間で懸念の広がっている「死刑判決への市民の量刑関与」を一時見直す、凍結する、ということくらい、超党派で話し合って合意すればいいてはないですか。

たぶん、死刑か無期かの量刑判断に市民をなにがなんでも参加させなければならない、という強い意見と信念を持っている国会議員なんて誰もいないとおもいます。それなのに、強い世論の拒否反応にも関わらず、ただ、決まったことはしゅくしゅくとやりましょう、という政治は実に無気力、機能不全、とてもおかしい。

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2009年1月27日 (火)

名張事件、最高裁判事の良心に期待して

私が担当している名張事件、今年いつ決定が出てもおかしくない。。と言われています。

そのため、なんとなくいつもぴりぴりとしていまして、今日も支援をしてくださる皆さんに

「もっともっとがんばって!!」と支援をお願いしていました。

獄中から83歳の今まで無実を訴え続けている奥西さんを何とか救っていただきたい。記録をよくよく読んでもらえば、最高裁の判事にも、冤罪だとわかってもらえる、と思うのですが。。。

名張事件は最高裁第三小法廷に継続しており、 担当裁判官は、

堀籠幸男裁判官

http://www.courts.go.jp/saikosai/about/saibankan/horigome.html

藤田宙靖 裁判官

http://www.courts.go.jp/saikosai/about/saibankan/huzita.html

研究者のご出身。君が代を拒否して処分された教員の事件で反対意見を書かれるなど、注目の判断が見られます。

近藤崇晴 裁判官

http://www.courts.go.jp/saikosai/about/saibankan/kondou.html

田原睦夫 裁判官 

http://www.courts.go.jp/saikosai/about/saibankan/tahara.html

弁護士の出身で、日弁連のインタビューにこう答えられています。

最高裁判事になってまず驚いたのは事件数の多さだという。真に審議が必要な事件にかける時間を確保しにくい現実に、本当に上告が必要な事件かどうか、弁護士側も考えなければならないと感じている。最高裁判決には、保守的な面もあるが、時代を先取る感覚も求められる。そのバランスをどうとるのか、37年の弁護士生活で培った現場感覚を生かしたいと語る。

人生の師匠は2人
学問上の師は、大学時代ゼミの教授だった故・林良平元京都大学教授。修習生時代にたくさんの研究会に誘ってもらい学問上の目を見開かされたという。もう一人は、八海事件の弁護団にも参加した故・前堀政幸会員(京都)。弁護士としての生き様を学んだそうだ。八海事件は冤罪を社会問題化させた事件であり、高校生だった田原少年が弁護士に興味を持つきっかけとなった事件でもある。

那須弘平  裁判官

http://www.courts.go.jp/saikosai/about/saibankan/nasu.html

弁護士のご出身で、最高裁のウェブには、

「ただ一人の声」であっても,そこに真実と正義が潜む可能性があるかぎり真摯に耳を傾け,より高い次元の正義の実現に向けて全力を傾注する。これは,弁護士であると裁判官であるとを問わず,等しく当てはまる法廷実務家の理念です。

 裁判に当たっては,憲法と法律を尊重しつつも,これまでに育んできた自らの良心を最後のよりどころとして,決断すべきときは果敢に決断したい。

と書かれています。

 今まさに合議などが行われているのかもしれません。

ひとりひとりの裁判官の良心に心から期待し、最高裁がいかなる判断をするのか、見守っていきたいと思います。

証拠と科学に対して謙虚に、過去の誤りを認め、

「疑わしきは被告人の利益に」の鉄則を守り、えん罪の被害を放置しないで、

無実の人を無実にしてくれることを心から期待して。

これを読んでくださるみなさんもぜひ注目してください。

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2008年12月20日 (土)

「なぜ無実の人が」シンポ、報道していただいています。

おかげさまで、先週末の「なぜ無実の人が自白するのか」シンポは成功に終わり、そのあと、京都、大阪でもシンポをやったんですけれど、大変好評をいただきました。

この関係で、いろいろ報道いただいたので、ご紹介します。

東京新聞さんが詳しく大きく報道してくれて、いろいろ反応があるみたいで、とてもよかったです。JANJANは東京でのシンポの実況中継みたいに取り上げていただき、参加できなかった方にも見ていただけるといいな、と思います。

15日に出版した同名の著書「なぜ無実の人が自白するのか」も各地の講演会場でソールドアウトになっているようで反響をいただいてますが、ぜひみなさまご購読くださいませ。

http://www.junkudo.co.jp/view2.jsp?VIEW=author&ARGS=%83X%83e%83B%81%5B%83%94%83%93%81%40%82%60%81D%83h%83%8A%83Y%83B%83%93

東京新聞

http://www.tokyo-np.co.jp/article/kakushin/list/CK2008121802000135.html

【核心】

裁判員裁判 防げ誤判・冤罪 米ノースウエスタン大ロースクール教授 スティーブン・ドリズィン氏に聞く

2008年12月18日

 自分がやっていない犯罪を取り調べ段階で自供してしまう「虚偽自白」。その研究で知られる米ノースウエスタン大学ロースクール教授、スティーブン・ドリズィン氏(47)は「虐待や脅しがなくても、無実の人が短時間で偽りの自白をする可能性がある」と警鐘を鳴らす。来春からの裁判員裁判を前に、自白証拠に頼った米国の誤判の教訓をどう生かすべきか。 (聞き手=社会部・佐藤直子)

インターネット新聞 JANJAN

http://www.news.janjan.jp/living/0812/0812173677/1.php

講演「なぜ、無実の人が自白するのか?-アメリカの虚偽自白125事例が語る真実-」に参加して

ひらのゆきこ

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2008年12月17日 (水)

シンポ「なぜ無実の人が自白するのか」満員に感謝

12月13日、日弁連主催シンポジウム「なぜ無実の人が自白するのか」には会場規模を上回る300名もの方にお集まりいただきまして、本当にありがとうございました。

多くの方には、立ち見や通路の座るなどのご不便をおかけしてしまい、あまりフォローができず、申し訳ありませんでした。

メディアの方々にも多数お集まりいただき、ありがとうございました。NHKなどではその日のうちにビビットに報道をしていただいておりますが、今後特集記事、特集番組などのかたちで次々に取り上げていただくこと、そして、今後の裁判員制度にかかわる報道でいかされることを心から期待しております。(NHKでは、参加者として木谷明元判事(元最高裁調査官)の後ろ姿がクローズアップされていましたが、あれは素敵な偶然でしょうか?)

また、前日の国会での院内集会にもお忙しいなか、7人の国会議員と1人の秘書代理参加の方に参加いただき、大変感謝しています。

シンポで報告された、米国の虚偽自白125例の研究--

人は、極刑にあたるような犯罪であればあるほど、嘘の自白をしてしまうものである

それは、捜査にあたる取調官への社会的圧力が強く、それが被疑者への圧力に反射されるからである。

そうしたうその自白のリスクとなるひとつに取調時間があるが、6時間を超えるとストレスにより虚偽の自白をする人が増加する。

少年や知的障がい者は特に自白をしやすいが、普通の人でも神経の限界点があり、自白をする。

自白をするのに特段の強制・拷問はいらない。被疑者の心理を操り、合理的な思考プロセスをゆがめ、すべての証拠は被疑者に不利で、抜け出せない状況にあり、うそでも自白をするのが最善の道だ、と思い込ませるようにプレッシャーを与え、説得をすれば、取調時間が長引くほど、人はたやすく落ちる。

被疑者は、裁判になれば真実がわかるはずと期待するが、陪審裁判に移行した事件で、陪審員は80%という高い確率で、虚偽の自白を真実だと判断し、無実の人を「自白したがゆえに」有罪と認定している。その結果、死刑を宣告された人も、獄中死した人もいる。

自白部分だけを録画しても、真実はわからない。アメリカでもビデオの前で自白をしていて、それに基づいて陪審が有罪と評決をした事件であとで冤罪とわかった事件が相次いでいる。

という報告は、参加者の方々にも衝撃をもって受け止めていただいたようです。

その後のパネルディスカッションなども大変充実したものとなりました。

シンポと同名の本「なぜ無実の人が自白するのか」も80冊がたちまち売り切れとなりました!教授はその後、京都、大阪に移動され、講演をされています。

このシンポで得られた成果を、参加された方々や書籍を読まれた方の間で話題にしていだたき、メディアでも取り上げ、留意していただくことにより、誤判救済や刑事司法改革につながると嬉しいです。

まずは裁判所にこそ、肝に銘じてほしいものです。

また、自白をどう評価するか、はこれから裁判員になる市民の方々が果たす役割が大きいと思いますので、自白証拠、そして一部だけ録画された自白ビデオの危険性をみなさんが留意していただくことは、人の生き死ににも関わることだ、ということをぜひ心にとめていただけると、私としては嬉しいのです。

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2008年12月12日 (金)

スティーブン・A・ドリズィン教授の来日にあたって

米国の冤罪・自白の専門家で、次期アメリカ大統領バラク・オバマ氏とともに、イリノイ州の刑事司法改革に取り組んできた、スティーブン・A・ドリズィン氏が来日しました。

私がアテンドを担当しており、以下のとおり、諸行事が予定されていますので、

メディア、市民、法曹関係者の方々にぜひご参加いただきたく、よろしくお願いいたします。プレスへのご案内を貼り付けます。

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1213に、日本弁護士連合会主催で、米国の取調べと虚偽自白に関する専門家・スティーブン・ドリズィン教授を招聘して、「なぜ、無実の人が自白するのか」と題して下記シンポジウムを開催いたします。

同教授の来日にあわせた記者レク、院内集会も含めた日程が最終確定しましたので、ご連絡させていただきます。是非裁判員制度、取調べの可視化などの議論のある今、議論を深めたいと思いますので、事前の報道(シンポに関して)、取材、報道をお願いいたします。

● 院内集会 なぜ、無実の人が自白するのか?

  1212日 11:30-12:30  参議院議員会館第4会議

 スティーブン・ドリズィン教授(ノースウェスタン大学ロースクール教授)

  国会議員との質疑応答

主催 名張事件弁護団  問い合わせ先  弁護士 伊藤和子(表記)

   スティーブン・ドリズィン教授による来日記者レク(懇談会)

1212日 14:30から15:30分 日弁連会館1401会議室

 問い合わせ先・日本弁護士連合会 人権部人権第一課 Tel 03-3580-9500

   日弁連主催シンポジウム なぜ、無実の人が自白するのか?

- アメリカの虚偽自白 125事例が語る真実 -(要旨 別紙)

 日 時   平成20年12月13日(土)午後1時から5時まで

場 所   発明会館 (住所:東京都港区虎ノ門2-9-14)

   日弁連主催シンポジウム なぜ、無実の人が自白するのか?

- アメリカの虚偽自白 125事例が語る真実

 プログラム

第1部      講演「アメリカの虚偽自白125事例が語る真実」

講師:スティーブン・ドリズィン教授

第2部      特別報告「免田事件の自白経過」 報告者:免田栄氏

第3部      報告「日本におけるDNA鑑定-再鑑定の保障の必要性」 

報告者:佐藤博史氏

   第4部 パネル・ディスカッション

         コーディネーター:高野隆氏

         パネリスト   :スティーブン・ドリズィン教授

                  桜井昌司氏

                  小坂井久氏

 主催:日本弁護士連合会

   共済: 東京弁護士会/第一東京弁護士会/第二東京弁護士会/関東弁護士会連合会 

   問い合わせ先・日本弁護士連合会 人権部人権第一課 TEL:03-3580-9500

米国では、死刑囚120人以上が無実と判明して死刑台から生還するなど、誤判が相次いで発覚し、その大きな原因の一つは身体拘束下での取調べに基づく虚偽の自白であると判明しています。今回招聘するドリズィン教授は米国における虚偽自白の専門家であり、完全無罪が証明された125人の虚偽自白の分析(全米史上最大規模)を行い、「無実の人が拷問を受けたわけでもないのに、短時間で重大犯罪について自白する」という傾向について分析を発表し、誤判を防ぐ方法として取調べの全面可視化を提唱し、注目されています。同教授は、この研究成果を踏まえ、日本では、最高裁に係属中の名張毒ぶどう酒事件第七次再審請求事件の奥西勝氏の自白に関する法廷意見書を最高裁に提出しました。

近年、志布志・氷見事件などで虚偽の自白が引き出される事案が相次ぎ、取調べの全面可視化が議論されています。また来年開始される裁判員制度下でも自白をどう裁判員が評価するか、は極めて重要な課題となります。

この機会にぜひ国内の議論を深めたいと考えますので、是非取材、報道をよろしくお願いいたします。

なお、個別取材は既にかなり込み合ってしまい、ご要望に添えない可能性もあるかもしれませんが、ご希望がある社の方は、お早めに当職宛てご連絡いただければ幸いです。なにとぞよろしくお願いいたします。

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2008年12月11日 (木)

裁判員運用見直しへ有識者懇 最高裁

私はかねて裁判員制度の運用見直しを求めてきたのですが、最高裁に有識者懇談会ができるようです。はたしてなにか期待できるのだろうか、というのは若干懐疑的なのですけれど、とにかく、物を言っていくべき対象のひとつが明らかになったわけですので、WATCHしていきましょう。

裁判員運用見直しへ有識者懇  最高裁

http://www.47news.jp/CN/200812/CN2008121001000645.html

 最高裁は10日、来年5月に始まる裁判員制度について、問題点を議論し、運用改善に向けた助言をする有識者懇談会の設置を発表した。

 刑法や心理学の学者、弁護士、検察官ら8人で構成。「どんな場合に辞退を認めるのか」など裁判員の選任手続きや、実際の審理や評議の進め方などをテーマに、各裁判所から集めたデータや裁判員へのアンケートなどを基に議論し、助言や意見が示されれば随時、運用見直しの参考とする。

 第1回は来年1月15日で、2カ月に1回程度開催する。

 主なメンバーは、酒巻匡京都大教授(刑法)、内田伸子お茶の水女子大副学長(心理学)、日弁連裁判員制度実施本部長代行の小野正典弁護士、藤田昇三最高検裁判員公判部長ら。任期は2年。

 懇談会については、最高裁の大谷剛彦事務総長が9月、「裁判員制度の開始後、第三者を含めた検証機関で改善を続ける」と表明していた。

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新刊を発表しました!

このたび、新刊、「なぜ無実の人が自白するのか  DNA鑑定は告発する 」

を発表しました。私は訳で、著者は米国のスティーブン・ドリズィン、リチャード・レオです。

http://www.nippyo.co.jp/book/4117.html

出版社である日本評論社からできたばかりの本を送ってもらいましたが、青い装丁がとても素敵で、我ながら感動しました。

このブログでも何度か書いていますが、アメリカでは陪審制度のもとで冤罪が相次いでいて、その原因のひとつに捜査段階で無実の人が自白をしてしまったことについて、陪審がそれを嘘と見抜けずに有罪を評決してしまった、ということがあります。この本はそのことに関するもの。

なぜ陪審は判断を誤ったのか。その理由は「無実の人は簡単にはやってもいない罪について自白しない」という自白神話があるわけです。しかし、本書はその自白神話が間違っている、ということを、実際に重大な犯罪について短時間のうちに自白をしてしまい、人生を半ば奪われてしまった125人の人々に焦点をあてて、論証するものです。

日本は、先日、国連規約人権委員会が再び「日本の自白偏重による有罪判決に憂慮する。その有罪判決のなかに死刑判決が含まれていることを知るとき、その憂慮はさらに深まる。日本の裁判所は自白でなく科学的証拠に依拠して判断すべきである」と勧告を出している通り、自白偏重では米国よりも問題を抱えています。

裁判員制度が導入されるにあたって、市民の方々にも知っていただきたいと思い、翻訳をしました。

本日、著者のひとり、スティーブン・ドリズィン教授が来日され、13日午後には、日弁連主催のシンポジウムが東京・虎ノ門の発明会館で行われます。ぜひ多くの市民の方にご参加いただけると嬉しいです。

昨日は、人権デーでなにかと忙しく、出張法律相談、事務所で起案、ブログでもご紹介した人権デーパレード、参議院議員の今野東先生の難民寄席、打ち合わせを経て、その後、

パークハイヤットのニューヨーク・バー(ジャズの生演奏が素晴らしかった)で、ちょっとだけ出版のお祝いをしました。

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2008年12月 5日 (金)

名張事件 「自白は虚偽」弁護団が意見書

今日は京都にいる私ですが、昨日は、担当している名張毒ぶどう酒事件で、最高裁に2通の意見書を提出し、記者会見を東京・名古屋で同時に行いました。以下で報道もされています。

この事件では科学的証拠が被告人と事件の結びつきを否定していて、物証はほとんどない事件なのですが、裁判のやり直しがされないポイントは、被告人が捜査段階で自白した、ということだけなんです。

 しかも、その自白も過去に二度(一審の無罪判決と、2005年の再審開始決定)で、「信用性が全く認められない!」と裁判所が明確に判断されています。

 ところが、2006年に、自白はあくまで信用できる、として、自白に全面的に依存して有罪判決を維持しようという不当な判断が出されたわけです(名古屋高裁・再審開始取り消し決定)。その決定文をよくみると大変ひどい内容で、「この裁判所は、日本の過去の冤罪事件からひとつも学んでない。まるで、昭和30年代くらいに逆戻りしたような前近代的な判断だ」と唖然とします。

 今から15年くらい前、優秀な裁判官たちが集まって、「自白の信用性」という本を出したんですが、そこでは、それまでに裁判所が自白があるからということで有罪にしてしまい、あとで救済した冤罪事件の反省に立って、自白が本当かを判断するために、こういうことを注意しなくちゃいけない、ああいうことも気をつけるべき、安易に自白を信じちゃいけない、ということを全面的に明らかにした本を出して、みんなで徹底しようとしていました。

 しかし、すっかり忘れちゃったのか、ここで注意される以前の、きわめてアバウトなやり方で、自白の信用性にOKを出してしまう判断が最近相次いでいて、それが露骨にハッキリとしているのが、名張事件の再審取り消し決定なのです。「のどもと過ぎれば熱さを忘れる」じゃないけれど、本当に反省しない、懲りないんだなあ、と驚いてしまいます。

 実はこういう、安易に自白に依拠して有罪判決を出す日本の裁判のあり方は、国際的にも異常だと言われているんですね。10月には、国連から「日本の有罪率が高すぎて、その多くが自白に依拠していることを憂慮する。そうした有罪判決に死刑事件が含まれているから、私たちの懸念は一層深まる。裁判所は、自白ではなく科学的証拠に依拠した判断をすべきである」と勧告されているのです。

 というわけで、自白に依拠して死刑判決を維持するのがこの事件においていかに不当か、ということを、意見書に記載しています。

  いくらなんでもひどいので、最高裁で正されることを期待しています。これで、最高裁でも正されなかったら、日本の裁判は、たとえ裁判員制度にしてみても、なかなか救いようがない、真っ暗だ、と私は思いますので、目下、がんばっています。

 ご支援よろしくお願いします!!

■「自白は虚偽」弁護団が意見書 名張毒ブドウ酒事件(2008/12/4 朝日新聞)
http://www.asahi.com/national/update/1204/NGY200812040001.html

 三重県名張市で61年、ブドウ酒に入れられた農薬で女性5人が死亡した名張毒
ブドウ酒事件で、再審を求めている奥西勝死刑囚(82)の弁護団は3日、最高裁
に自白に関する意見書2通を新たに提出した。

 意見書は、名古屋高裁が06年に自白の任意性や信用性を認めて、再審開始決定
を取り消したことに対し、弁護団が「自白は虚偽」と反論する内容。国内外の虚偽
自白による冤罪事件を例示したうえで「高裁の決定は、経験則に照らしても評価・
判断に誤りがある」と指摘している。

 また、奥西死刑囚が任意捜査の段階で自白していることから、任意性に焦点を絞
って主張。長時間の取り調べや、帰宅後も警察に監視されていたことなどから、「
取り調べは事実上の身体拘束状態だったうえ、心理的な圧力と強制の下でなされた
もので、自白は自発的なものではない」と主張している。


■名張弁護団が補充書提出 毒ぶどう酒事件(日経ネット)

http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20081203AT1G0302W03122008.html

 三重県名張市で1961年に女性5人が殺害された「名張毒ぶどう酒事件」で、再審
開始決定の取り消しを不服として特別抗告した奥西勝元被告(82)の弁護団は3日
、「捜査段階の自白は信用できる」と判断した名古屋高裁決定は誤りとする申立補
充書2通を最高裁に提出した。〔共同〕(01:16)

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2008年11月19日 (水)

アメリカ 無実の人125人が自白

先日、日弁連主催の12月13日のシンポジウムについてご紹介しました。

● シンポジウム 

なぜ、無実の人が自白するのか?

- アメリカの虚偽自白 125事例が語る真実 -

 1 日 時   平成20年12月13日(土)午後1時から5時まで

2 場 所   発明会館

  

アメリカでは、最近、DNA鑑定の発展で、死刑や終身刑を宣告された人が無実だったことがわかり、続々と釈放されています。無実の死刑囚はなんと125人にものぼります。陪審員が誤った判断をした原因はいろいろありますが、その有力な原因は捜査段階の自白が実は強制された虚偽のものだった、ということがあります。

日本でも、来年から裁判員制度が始まり、市民が刑事裁判で有罪・無罪を決めるわけですが、取調べのときに被告人が自白をした場合、それが本心からの自白だったか、それとも強要された嘘の自白だったか、大問題になります。取調べの全面的な可視化(録音・録画)が議論されていますが、まだ実現していません。

そこで、はたして無実の人がなぜ自白をするのか、日本でもそうなのか、といったことが問題になってきます。

そこで、アメリカの専門家- 明らかに嘘であることが判明した125件の虚偽自白について研究したドリズィン教授-に来日してもらい、無実の人がなぜ自白をしたのかについて話してもらいます。

実は、この教授、私は2005年と2008年におあいする機会があったのですが、私が担当している死刑えん罪事件・名張毒ぶどう酒事件に、教授の運営する誤判救済センターという機関が、最高裁宛て、意見書を書いていただいています。

一般公開イベントですので、是非興味を持っていただけた方は、ご参加ください(当日、私は司会をしています)。

以下、シンポジウムの詳細と、名張事件について提出された米国法廷意見書について、私が日弁連発行の「再審通信」というところに寄せた報告文書をご紹介します。

プログラム

第1部      講演「アメリカの虚偽自白125事例が語る真実

講師:スティーブン・ドリズィン教授

第2部      特別報告「免田事件の自白経過」 報告者:免田栄氏

第3部      報告「日本におけるDNA鑑定-再鑑定の保障の必要性」 

報告者:佐藤博史氏

第4部 パネル・ディスカッション

「自白が生む誤判・えん罪の悲劇を生まないために」

 コーディネーター:高野隆氏

 パネリスト   :スティーブン・ドリズィン教授

          桜井昌司氏

          小坂井久氏

【自白評価に関する米国専門家の法廷意見書の提出】

       弁護士 伊藤和子                                   

一、概況

名張事件第七次特別抗告審が最高裁第三小法廷に係属中である。

弁護団は、200612月に名古屋高裁刑事2部が出した、再審開始決定に対する取消決定(以下、異議審決定)の誤り、とりわけ新証拠に対する不当な認定が、科学的にみて完全に誤っていることを明らかにするため、調査、実験を重ね、新証拠に関する専門家からの意見書、新たな開栓実験報告書、調査報告書などを最高裁に提出するなどの活動を行ってきた。

      異議審決定の特徴は、科学的な照明を伴う新証拠を、非科学的な独断によって排斥する一方、捜査段階の自白を過度に評価し、有罪認定の主要な根拠としている点にある。そこで、弁護団は、新証拠の明白性に関する徹底した主張、立証と合わせて、異議審決定の自白に関する反論も重視し、浜田、脇中両鑑定人による自白に関する鑑定補充書を提出するなどしてきた。

異議審決定の自白に関する認定には、「重大事犯について特段の強制もなく自白している以上信用性がある」「無実の者があえてうその自白をするには、特別の事情があり、極刑が予想される重大事案についてはより納得できる理由がなければならない」と断定するなど、過去の幾多の冤罪事件で明らかにされた虚偽自白の教訓をまったく没却した、誤った断定を含んでいることから、上記鑑定とあわせ、米国専門家による「法廷意見書」を提出してこれに反駁した。

ここでは、米国専門家の意見書に関して紹介する。

二、法廷意見書の提出

名張弁護団は、2008425日、米国ノースウェスタン大学ロースクール誤判救済センター作成による、「奥西勝氏の自白評価に関する法廷意見書」を最高裁に提出した。

法廷意見書(米国ではアミカス・ブリーフという)とは、高度な争点を含む訴訟につき、第三者である民間の専門家が自発的に「法廷の友」としての役割を担い、専門的知見を裁判所に提出するものである。 米国連邦最高裁などには、重要な事実判断において、多数の法廷意見書が提出され、司法判断の基礎となる有力な見解として活用されている。特に米国のロースクールは、傑出した法学博士・研究者の指導のもとに、多数の法廷意見書を連邦裁判所・州裁判所に提出し、高い評価を獲得している。日本の最高裁に米国専門家による法廷意見書が提出されるのは、今回が初めてである。

本意見書は、米国ノース・ウェスタン・ロー・スクール(イリノイ州シカゴ所在)の誤判救済機関である、誤判救済センター(CWCCenter on WrongfulConvictionshttp://www.law.northwestern.edu/wrongfulconvictions/)によって作成された。同センターは、イリノイ州で多発した死刑冤罪事例の弁護に取り組んで雪冤に導き、イリノイ州の包括的な刑事司法改革を実現するきっかけをつくるのに大きく貢献した専門機関である。

本意見書を作成したのは、虚偽自白の専門家であり、2005年より同センターのリーガル・ディレクターとなった、スティーブン・ドリズィン教授である。同教授は、著名な供述心理の専門家、リチャード・レオと共同で、「DNA時代の虚偽自白の問題」(ノース・カロライナ・ロー・レビュー, 82 N.C.L.Rev. 891(2004))を発表した。この研究は、全米で、後に完全な無実が証明された事案で、125件もの虚偽自白事例が存在することを明らかにし、その詳細な分析を行ったものである。

米国では近年、DNA鑑定の普及等の影響で、120人以上の死刑囚が無実であると判明して、死刑台から生還し、相次ぐ冤罪が社会問題化している。そして少なくない冤罪事件で、虚偽自白がその要因であることが知られ、刑事司法改革が模索されている。ドリズィン教授らの研究はこのように、相次いで発覚した冤罪事件にみる虚偽自白の実態を客観的に示した、全米史上最大規模の実証的研究である

弁護団は、上記研究に注目して、異議審決定の自白・虚偽供述に関する判断につき、米国の実証的研究に照らした意見を求めた。

三、125の虚偽自白

   上記125件の米国の虚偽自白事例の研究は、従前の無罪事例での自白研究と異なり、犯行が物理的に不可能、DNA鑑定で真犯人が明らかになったなど、「完全に」無実が「証明された」事例に絞った自白研究である。そうした虚偽自白が米国で125件も存在する、ということ自体が注目に値するが、そのほとんどは、有形力の行使等ではなく、捜査官の心理的な取調べの技術により引き出されたという。

さらに注目すべきは、125件の立証された虚偽自白の実態である。

1   125件のうち、81%は、殺人事件に関するものであった。すなわち虚偽自白の多くは重大事件についてなされていた。

2   125件の被疑者が虚偽自白に至るまでの平均的取調べ時間は16.3時間であり、12時間以内に自白した者が50%12時間以上24時間以内に自白した者が39%24時間以上48時間以内に自白した者が7%であった。

3  虚偽自白を行った者のうち、65% は、18歳から40歳までの年齢であり、

精神遅滞等のない正常な判断を有する者がその大半であった。

4   虚偽自白を行い、公判審理を選択した者のうち、81%が有罪判決を下されてお

り、司法は、虚偽自白に依存し、誤判を生みやすいことが判明した。

以上は研究の骨子に過ぎないが、とくに1-3は、裁判所がこれまで信じてきた、無実の人間はよほどのことがない限り重大犯罪について自白をしない、という「神話」が事実に反することを明らかにした。

四 法廷意見書が明らかにした、異議審決定の誤り

  法廷意見書は、上記の実証的研究に照らし、動かぬ事実をもとに、異議審決定の

誤りを明らかにしている。

1 まず、意見書は、米国の125の虚偽自白事例のうち81%が、極刑の予想される殺人事件に関する自白であった、という事実をもとに、およそ人が死刑を科せられる可能性がある重大犯罪について、特段の強制もないのに虚偽の自白をするはずがない」という異議審決定の確信が誤っている、と指摘した。

2  次に、法廷意見書は、請求人の自白が5日間の連日、朝から晩までの取調べ(

計約49時間)の末になされ、自白した日は、深夜一時過ぎまで、16時間以上に及ん

だ、という事実に着目する。異議審決定は、本件の任意性は明らかで、特段の強制もないと判断したが、意見書は、125件の虚偽自白事例で、89%24時間以内に自白しており、虚偽自白に至る取調べ時間の平均が約16時間であることを紹介し、奥西氏の自白に至る取調べは全米平均をはるかに上回る、とした。意見書は、本件における取調べの長さが、虚偽自白の危険性を誘発するに足るものであると警告している。

3  法廷意見書はまた、米国でも虚偽自白事例の多くで裁判所は、自白の信用性

を肯定する幾多の誤りをおかし、その理由として、「犯人しか知りえない詳細な犯罪事

実を語っている」ということが挙げられてきたことを数々の事例で紹介し、犯人しか知り

えないと思われた事実が捜査官によってもたらされ、誘導されてきたことを示唆する。

意見書は、取調べの全過程記録されていない限り,取調官が自白をいかにして獲得したのかを知ることは不可能であり、詳細な事実が含まれていることを理由に自白の信用性を肯定すべきではない、と警告する。これは、異議審決定は、請求人の初回の自白調書が短時間で作成されたのに詳細で矛盾がない、ということを強調して信用性を肯定したことを強く批判するものである。

4 さらに、意見書は、特に警察の圧力が証明されていない事件でも人は様々な理由から虚偽自白をしてきたことを論証する。飛行家のリンドバーグ氏の息子の誘拐事件の捜査過程で200人以上の者が自白をしたこと、125の事例では、「自分は無実だから有罪判決は受けないだろう」と考えて自白したり、不貞の発覚から免れたい、子どもの親権を奪われたくないなどの理由で自白に至った例があることを紹介する。これは極刑が予想される事案では、虚偽の自白をする「特別の事情」「より納得できる理由」がなければならないとする異議審決定の独断に根拠がないことを示している。

5  異議審決定は、奥西氏が自分の妻が犯人である旨の虚偽供述をしたことを有罪認定において重視している。これに対し、法廷意見書は、米国の事例で無実の者が取調べにおいて追及され、第三者を犯人だとする虚偽供述を行い、その後に自白させられ、結果的に無実と証明されている例が事実として存在することを挙げ、こうした実例に照らせば、妻に責任を転嫁する供述をしたことが奥西勝氏の有罪を示す強力な証拠とはいえない、と主張する。

6 最後に法廷意見書は、奥西氏が、妻と愛人を同時に失った直後という状況下で長時間の取調べを受けて自白した、という状況の危険性を指摘する。意見書は、米国では、近親者を殺人事件で失った者が、その近親者の殺害について自白をさせられるケースが少なくないこと、として8つの冤罪事例を詳細に紹介、「これらの人たちが、愛する者-妻、母親と父親、姉、ボーイフレンド-の殺人について、ショックと悲しみの中で、そして全員が長い取調べの後で、自白した。これらの事件から得られる教訓は明らかである。そのような攻撃されやすい状況で被疑者が取調べを受けたとき、彼らの心理を操ることは極めて容易でありうる。その自白は非常に注意深く吟味されなければならない」と警告した。

以上の論点の検討を踏まえ、意見書は、異議審決定の誤りを明らかにし、奥西氏の自白の信用性に重大な疑いがある、として再審開始を求めた。同意見書は異議審決定の自白に関する判断が経験則に反することを明らかにしたものである。

弁護団では、意見書とあわせて、上記125件の実証的研究に関する論文を最高裁に提出した。さらに、この研究の重要性と普遍性に鑑み、ドリズィン教授の招聘・講演を企画し、実証的研究と法廷意見書の出版を予定している。

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2008年11月 4日 (火)

なぜ、無実の人が自白するのか?

アメリカの自白に関する専門家、スティーブン・ドリズィン氏を招へいして、12月に日弁連で以下のシンポジウムを開催することになりました。その経過、そして私がこの企画に肩入れしている理由をお話すると、とても長ーい話になるので、またご紹介することにしたいのですが、

とにかく、これから裁判員になって、被告人の自白が本当なのかどうなのか、ジャッジする立場になる、市民の方にとっても、他人事ではない話です。聞くに値するお話が聞けると思いますので、ぜひ、手帳に書いて、ご参加いただけると嬉しいです。

http://www.nichibenren.or.jp/ja/event/081213_2.html

なぜ、無実の人が自白するのか?
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アメリカの虚偽自白 125事例が語る真実 -

アメリカでは、近年、DNA鑑定の発展によって多くの死刑・懲役囚が実は無実だったことが明らかになりました。
その内の多くの事案で、ごく普通の市民が、取調べを受けてから短い時間でやってもいない重大な犯罪について自白をしていたことが明らかになっています。

それはなぜなのか。

アメリカの冤罪救済の第一線で活躍し、完全無罪事例の虚偽自白の実態を研究したスティーブン・ドリズィン教授をお招きして、この問題を解明したいと思います。

皆様のご来場をお待ちしております。

日時

2008年12月13日(土)13:00~17:00

場所

発明会館 会場地図
港区虎ノ門2-9-14 (地下鉄銀座線虎ノ門駅下車3番出口徒歩3分)

参加費等

申込不要・入場無料

プログラム

  • 講演「アメリカの虚偽自白125事例が語る真実」
    講師:スティーブン・ドリズィン氏(ノースウェスタン大学ロースクール教授)

  • 特別報告「免田事件の自白経過」
    報告者:免田栄氏(免田事件元請求人)

  • 報告「日本におけるDNA鑑定-再鑑定の保障の必要性」
    報告者:佐藤博史氏(弁護士)

  • パネルディスカッション
    「自白が生む誤判・えん罪の悲劇を生まないために」

パネリスト

スティーブン・ドリズィン教授
桜井昌司氏(布川事件請求人)
小坂井久氏(弁護士)

コーディネーター

高野隆氏(弁護士)

主催

日本弁護士連合会

共催

東京弁護士会 / 第一東京弁護士会 / 第二東京弁護士会 / 関東弁護士会連合会

問合せ先

日本弁護士連合会 人権部人権第一課
TEL
:03-3580-9500

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2008年10月17日 (金)

足利事件 DNA再鑑定へ

私も応援&コメントしてきた足利事件で、DNA再鑑定の可能性が出てきた、とのこと。

今日のニュースで流れていました。

http://news.nifty.com/cs/domestic/societydetail/yomiuri-20081017-00132/1.htm

可能性、ということで既にニュースになっているのがどういうことか、知りたいところですけれど、いずれにしても実現するとすれば、日本の刑事裁判にとって大きな一歩となる、画期的なことです。

 米国では、DNA鑑定によって無罪ということが明らかになって死刑台から生還する死刑囚があとをたたない状況です。そのため、死刑囚や懲役刑囚にDNAの再鑑定を受ける権利を保障するシステムが整っているのです。

 人が決める裁判、誤判はあってはならないことだけれど、それでも誤判が起きないようにするため、そしておきてしまった誤判を救済するため、科学的に間違いのない証拠であるDNA鑑定を受ける権利を被告側に保障すること、その前提として、DNA鑑定資料への被告側のアクセスを認めることがとても重要です。それはとてもあたりまえのことなわけですが、日本では権利として認められてこなかった。

 遅きに失した感はあるかもしれませんが、もし実現するとしたら、裁判所の英断として評価したいものです。

 私もここのところ、この問題について、裁判所が全然乗ってこないなか、取材に応じたり、原稿を書いたりしてきたのですが、まだなんともいえませんが、「よかった!」と素直に喜びたいと思います。

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栃木県足利市で1990年、同市内の女児(当時4歳)が誘拐・殺害された「足利事件」を巡り、殺人罪などで無期懲役が確定した

利和受刑者(62)が、無罪を主張し裁判のやり直しを求めた再審請求の即時抗告審で、東京高裁が、争点となっていたDNA鑑定の再鑑定を認める可能性が出てきたことがわかった。

 鑑定が実施されることになれば、確定判決の根拠となったDNA鑑定より精度の高い鑑定が行われるとみられ、同高裁の判断が注目される。

 確定判決によると、菅家受刑者は90年5月、女児を誘拐して絞殺。1、2審、上告審とも、女児の下着についていた体液が菅家受刑者のDNAの型と一致するという鑑定の証拠能力を認め、無期懲役が確定。2000年7月の最高裁決定はDNA鑑定の証拠能力を認めた初のケースとなった。菅家受刑者側は宇都宮地裁に再審請求したが、同地裁は今年2月、請求を棄却。菅家受刑者側が東京高裁に即時抗告した。関係者によると、DNAの再鑑定を請求した弁護側に対し、検察側は意見書で「必要ない」としつつ、裁判所が鑑定を実施する意向の時は反対しない考えを示したという。

 ◆足利事件=1990年5月、栃木県足利市のパチンコ店から女児(当時4歳)が行方不明になり、遺体で発見。栃木県警は91年12月、菅家受刑者を殺人などの容疑で逮捕した。

NHKなどでも報道されてますね。

http://www3.nhk.or.jp/news/t10014783901000.html

菅家

(

すがや

)

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2008年10月12日 (日)

あまりにひどいこと。三浦和義元社長、移送先のロスで自殺

さきほど、このニュースを知って愕然とした。

http://www.nikkei.co.jp/news/main/20081011AT1G1101S11102008.html

日本でひとたび、服役をし、その後無罪が確定した人を他国が逮捕・起訴するなど、(司法制度が機能していない国や、ジェノサイドなどの重大人権侵害事案でもない限り)、国際人権法で保障された一時不再理の原則に照らして、とんでもないことである。

また、日本にはない、「共謀罪」で訴追され、「共謀罪」については一時不再理の原則の対象でないと裁判所が判断した、というのも、日本では到底ありえないことであり、共謀罪処罰をするアメリカの怖さである。

 三浦氏の事件は、私が司法修習生時代、配属された東京地裁で審理に立ち会っており、裁判所でよく三浦氏を見かけた。一審有罪になりながら、長い長い裁判で無罪を勝ち取った経緯を知っている。

米国で逮捕された後、私が米国の刑事司法に詳しいことから、三浦氏の支援者の方に「集会にきて発言してほしい」と頼まれたことがあったが、日程があわずに、参加できなかった。そんなこともあり、今になって何もできなかったことが申し訳ないような、複雑な気持ちである。

ただ、私はこの事件の法的な検討は、連邦最高裁までもつれこむ、長い長い法的論争になるだろう、と思っていたのだが、三浦氏は自ら命を絶つほどまでに精神的に追い詰められていたのだ。

 どのような動機で米国検察当局がこの事件を蒸し返す気になったのか、誰の執念なのか知らないが、ひとたび日本の最高裁で無罪が確定した人間を訴追し、追い詰めて命を奪うような結果をもたらすなど、実に許し難いことをしたというほかない。

 長期間かけた裁判の末の「無罪判決」という、日本の司法判断の重みをなんら尊重することなく無視して行動した米国司法当局に、日本は自国民の人権の観点から、毅然と抗議すべきではないのか。

http://www.nikkei.co.jp/news/main/20081011AT1G1101S11102008.html

三浦和義元社長、移送先のロスで自殺

 外務省に11日入った連絡によると、1981年の米ロサンゼルス銃撃事件で今年2月に逮捕された元会社社長、三浦和義容疑者(61)=日本では無罪が確定=が10日午後10時(日本時間11日午後2時)ごろ、拘置中のロス市警の独房で自殺を図り死亡した。米捜査当局の「共謀罪」での訴追手続きも、出廷目前の自殺で最悪の結末を迎える見通しとなった。

 在ロサンゼルス日本総領事館にロス市警から入った連絡によると、三浦元社長は現地時間の10日午後9時45分(日本時間11日午後1時45分)ごろ、ロス市警本部の独房内でTシャツで首をつっていたところを係官に発見された。同日午後10時ごろ、搬送先の病院で死亡が確認されたという。

 三浦元社長は米自治領サイパンで逮捕され、妻だった一美さん(当時28)の殺害を目的にした共謀罪に問われ、ロス郡検察が審理の準備を進めていた。10日にサイパンから、事件を管轄するロサンゼルスに移送され、ロス市警本部の留置場に収容。週明けの14日には罪状認否のためロス郡地裁に出廷する予定だった。 (11日 21:42)

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2008年10月11日 (土)

裁判員制度。「延期」ではなく「見直し」の努力を。

来年5月に導入が予定されている裁判員制度について、最近、以下のような論文を発表しました。

長いですけれど、全文掲載します。みなさんはどのようにお考えでしょうか? 


裁判員制度の「延期」ではなく、「制度見直し」の努力を

                         弁護士  伊藤和子

1 裁判員制度に関して、複数の野党が、「延期」「延期も含む再検討を」などとする見解を発表し、少なからぬ衝撃を呼んでいる。国会が一度は決議した裁判員制度について、何らの課題も方向性も示さないまま、無期限延期を決めて、再び刑事裁判を職業裁判官に白紙委任するとしたら無責任な話であり、私はそのような延期論には賛成できない。
しかし、様々な疑問や懸念のあるなか、「決まってしまったのだから三年後の見直しまでは我慢してとにかく施行しよう」と突き進んでよいのか。
先日、裁判員制度に関するテレビの討論番組に参加する機会があり、識者の見解に接するとともに、その後に視聴者の方や市民から送られた感想・意見に多く接する機会があった。特に深夜を押して長時間の番組を見る熱心な市民の方々からの懸念表明を読んで、国民の不安や反対は決して根拠のないものではない、と感じた。多くの国民は真剣に考えて懸念しており、その疑問に応えないまま、表面的な広報キャンペーンをしても問題は解決しないだろう。
 裁判員制度は、制度設計段階における日弁連の当初要求からみて著しく不十分なものにとどまっており、冤罪防止のための条件整備も進んでいない。さらに問題なのは、法律の条文を離れて、裁判所主導で運用に関する既定路線が形成されつつあり、制度が大きく歪められていることである。
まだ、施行まで時間は残されている。これを機会に、臨時国会や来年の通常国会で十分な審議と国民的議論の時間をとって、必要な修正を実現し、かつ、運用に抜本的な見直しを迫っていくべきだと切実に思う。問題は多々あるが、ここでは最近もっとも懸念している点に絞って述べたい。
2 量刑について
死刑・無期を含む事件を対象とする裁判員制度下で、国民は死刑・無期という人の生死・運命に関わる判断を多数決で強いられるが、このことが国民の負担感の最大の要因となっているようである。「証拠に基づいて有罪・無罪を決めるならよいが、人の一生を左右する死刑か無期かの判断を、何を根拠に決めればよいのか」という懸念が極めて多い。しかも、量刑は原則単純多数決とされており、死刑にどんなに反対の者がいても(死刑廃止論者でも)、死刑判決が合議体全体の結論として出される。そういう職業と知りつつ職業選択の自由により職業裁判官となった者なら格別、そのような選択をしていない市民に、一生そのような十字架を背負わせるというのは過酷な負担ではないか。
先進国で未だ死刑を維持しているのは米国と日本だけであり、欧州では市民が死刑判断に参加する余地はない。米国でも陪審は死刑事件においては、全員一致で有罪評決をし、かつ、全員一致で死刑と判断したときだけ死刑評決が出される(米上院は今年、陪審12人中10人が死刑に賛成すれば判事は死刑を決定できる、という法改正案を否決したばかりである)。市民参加で多数決により死刑を決める、というのは世界的に異例な事態である。
また、日本では死刑に関する議論は成熟しておらず、冷静な議論が成立しているとは到底いえない。昨年の国連総会は、死刑執行停止を世界に呼び掛ける決議を賛成多数で採択したが、政府はそのような国際的潮流すら裁判員となるべき国民にまったく周知していない。(むしろ最高裁は、明らかな死刑廃止論者は裁判員から排除するとしているhttp://www.courts.go.jp/saikosai/about/iinkai/keizikisoku/pdf/07_05_23_sankou_siryou_05.pdf)。こうした状況のもとで、何のよって立つべき基準も示さず、「死刑については市民の常識に任せよう」と、無作為抽出された市民を矢表に立たせるのは無責任である。裁判員の責務から量刑判断を外す法改正は是非とも実現すべきである。
3 「審理は原則3日以内」という運用の危険性
 最高裁は、普通の人が抵抗なく参加できるのはせいぜい3日だ、として、3日以内にすべての立証を終わらせることを前提に、当事者双方に争点を徹底的に絞り込ませ、立証も大幅に制限する方針のようである(司法研修所編「裁判員制度の下における大型否認事件の審理の在り方」参照)。裁判員法には何ら規定がないのに、いつのまにか、すべての裁判員裁判を超短期審理で行うことが既定路線になろうとしているようだ。
しかし、極刑が予想され、有罪無罪が徹底して争われる事案について、事実審理、量刑審理、評議・評決のすべてを3、4日で終わらせる、というのは暴論である。そのために必要な立証が大胆に制限され、防御権は著しく侵害され、真実発見に反する結果になる重大な危険がある。また、事実認定に関する評議も、量刑判断も、全員一致をめざすどころか、「皆さんに早くお帰りいただくために」議論を尽くさないまま多数決評決となって終わる危険性が高い。
 実は、市民の懸念のなかにはこのような短期審理で判断を迫られることへの危惧が少なくない。制度に反対、または参加したくない、という市民の意見のなかには、「3,4日で有罪無罪も、刑も決めるというが、そんな時間で人の一生を左右する判断をするのは無責任だ。そんな恐ろしい裁定には、加わりたくない」「冤罪も増えるでしょう」という趣旨の批判が目立った。本当に誠実に刑事裁判に関わろうとする市民であれば、人の生き死に関わる問題を拙速に決めたくない、たとえ時間がかかっても丁寧に関わりたい、と思うはずではないだろうか。3日以上は集中力が続かないだろう、などというのは国民をばかにした考えだと思う。
 最高裁はおそらく、米国のたいていの陪審裁判が3日程度で終わる、という前提でこうした方向性を打ち出したのであろうが、前提に大きな誤りがある。米国では重罪・軽罪の如何を問わず、争いのある事件が陪審となる。ところが、殺人事件で否認し有罪評決まで進むと死刑の危険があるため、認めて司法取引で終わる事件が少なくなく、殺人事件で陪審に移行するケースはそれほど多くない。そして、真剣に無罪を争う殺人事件では、数週間ないし数か月かかる例が多い。それでも対応できる、という人に、陪審員になってもらうのであり、それで十分成り立っているのだ。一方、南部の州では、死刑事件でも2日程で結審することが少なくないが、これは貧しくて私選弁護人を雇えない黒人の被告人に不熱心な国選弁護人がついて、必要な立証をしないためであり、こうした拙速裁判では冤罪が続出して大きな社会問題になっている。
 私は米国で多くの冤罪事件を調べたが、冤罪は陪審に必要な情報が与えられないときに発生していた。ある米国の冤罪事件では、検察官が被告人に有利な証拠を開示せず、真実から陪審が遠ざけられたまま有罪・死刑の評決がされ、雪冤まで多年を要したが、「必要な情報を与えられないまま誤った死刑判決を出すこととなった陪審員たちは深く悩み、傷ついていた。彼らも冤罪の犠牲者だった」(元死刑囚の発言)という。今導入されようとしている超短期審理により、裁判員に必要な情報が与えられず、審理が尽くされず、納得もいかないまま拙速な判断を迫られることになれば、被告人も裁判員も冤罪の犠牲者になる危険がある。このような運用の方向性には、強く反対すべきだ。
4 「無罪推定原則の徹底」はされるのか。
米国の陪審制度では、無罪推定原則が判断の根本原則として陪審員に幾度となく徹底されている。裁判官は、公開法廷において繰りかえし無罪推定について説示を行い、陪審員選定手続においてもこの原則に従えるか、と陪審員に問い、従えない者は公正な裁判ができない者だとして不適格排除される。
ところが、裁判員制度ではどうか。そもそも裁判官による公開法廷での説示がなされず、評議中に裁判官が裁判員に説明を行う(裁判員法39条)こととなっていて、密室でどのような説明がされるかを知ることもできない。
昨年、最高裁刑事規則制定諮問委員会は、評議での立証責任などに関する裁判員への説明に関して、「法39条の説明例」という文書を作成・公表したが、そのなかには無罪推定、「疑わしきは被告人の利益に」の原則へ言及が全くない。(http://www.courts.go.jp/saikosai/about/iinkai/keizikisoku/pdf/07_05_23_sankou_siryou_03.pdf)。この「説明例」によると、裁判官は、立証責任について「証拠を検討した結果,常識に従って判断し,被告人が起訴状に書かれている罪を犯したことは間違いないと考えられる場合に,有罪とすることになります」と説明すればいいという。最高裁は、裁判員選定過程における質問例も作成して公表しているが、これにも無罪推定に関連するものはない。これでは無罪推定の徹底どころか、裁判員は、「疑わしきは被告人の利益に」という言葉を裁判官から一度も説明されないまま、判断することになろう。上記説明例では、被告人を有罪とするストーリーと無罪とするストーリーのうち、常識で判断して合理的なのはどちらか、というような、「合理的疑い」よりはるかに低い立証責任で、有罪・無罪が判断される危険性がある。私は、弁護士会の模擬裁判の評議を評価する役割を経験したが、評議では、市民から「(理由をあげつつ)有罪というストーリーのほうが無罪というストーリーよりも腑におちるので、有罪」など、無罪推定原則をまったく履き違えた意見や、直観的な有罪論が展開され、それが誰からも修正・訂正されないまま、評決になだれこみ、過半数で有罪、という評決をいくつも見た。上記のような説明では、こうした由々しき事態が現実に起こることを回避できない危惧がある。また、99%の有罪率を前提とする裁判官の事実認定のあり方を転換するのも困難であろう。
「疑わしきは被告人の利益に」が刑事裁判の鉄則であるということは、1975年白鳥決定で最高裁自らが判示したものである。裁判所からの裁判員候補への質問や公開法廷での説明に、無罪推定原則をきちんと導入させるよう、迫っていかなければならない。
5 このほか、取調べの全面可視化が実現していないこと、守秘義務と罰則規定、開示証拠の目的外使用など、問題は山積している。審理期間の問題や無罪推定の徹底などの運用問題も、個々の弁護士の戦いでは限界がある。「無条件延期」でもなく、「無条件実施」でもなく、この機会にもう一度国民的議論を尽くし、必要な改正を実現させ、誤った運用の方向性を正面から問題とし、是正を勝ち取る、ぎりぎりの努力をする姿勢に立つべきだと考える。

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2008年10月 5日 (日)

On TV

すでにお知らせしたテレビ番組(サンデー・プロジェクト・裁判特集)を、たまたま家にいたので見て、素晴らしくよくできた内容だなあ、と思っていました。ちょっとだけ、私の映像もでてきましたが、短くてあまり伝えられなかったかもしれません。

  話のポイントは、アメリカではDNA鑑定で、すでに220人もの人が無実と証明されて刑務所や死刑台から生還している。そこで、DNA鑑定資料を弁護側が再鑑定できる道を保障するために、捜査機関に、DNA鑑定資料の保管義務を課して、違反した場合には捜査機関に刑事罰が科される、ということです。

 詳しくは、私の著作 「誤判を生まない裁判員制度」(現代人文社)を読んでみていただけると嬉しいです。

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4877983104.html

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2008年10月 4日 (土)

えん罪・名張毒ぶどう酒事件

  今日は私が弁護している死刑囚についてご紹介したいと思います。 

「名張毒ぶどう酒事件」ってご存知でしょうか? その事件で死刑宣告されて、もう82歳なのに、ずっと死刑棟にいる死刑囚が私の依頼者なのです。

  事件は1961年に発生、三重県と奈良県の県境の村で、村の懇親会に出されたぶどう酒に毒物が混入されていて、ぶどう酒を飲んだ5人の女性が死亡、12人が重軽傷を負いました。

 妻をこの事件で失った奥西勝さん(当時36歳)が犯人と疑われ、連日取調をうけて、自白にいたってしまう、それをきっかけに村人の証言も奥西さんに不利なものにいっせいに変わり、ほとんど何の物証もないのに起訴されました。

一審は無罪、ところが、二審は現場に落ちていた王冠の傷が奥西さんの歯型と一致する、というのを物証だ( ぶどう酒の王冠を歯でかんであけて、毒を入れた、というんですね)として、逆転死刑判決を下したのです。

 最高裁もこれを支持し、以後40年にわたり、奥西さんは死刑執行の恐怖におびえながら、獄中から無実をうったえ続けています。

 しかし、実は逆転死刑判決の決め手となった、王冠の歯型鑑定は、倍率をごまかしたインチキ鑑定であることが判明、唯一の物証が崩れた以上再審( 裁判のやりなおし) を開始せよ、と求めてきました。日弁連がこれを冤罪だ、と認定して支援を決め、私も含めた20数名が弁護団として活動しています。

すでに7回再審請求をしていますが、7回目の再審請求では、弁護団の調査で、
「ぶどう酒に混入された毒は、これまで信じられていた、奥西さんが事件当時持っていた農薬とは違うものだった」ということが科学的に証明されました。

 というわけで、実に死刑判決から40年近くたった2005年の4月に、名古屋高等裁判所は有罪の根拠が崩れた、として再審(裁判のやりなおし)を求める決定を出しました。本当にうれしい瞬間でした・・これで死刑から解放されれば、戦後5人目の生還者です。
 ところが! ! 検察官が不服申し立てをして、2006年の12月に同じ名古屋高等裁判所が、有罪はゆらがないので、再審(裁判のやりなおし)はしない、という正反対の結論を出したのです!
  当時はメディアもたくさん詰めかけていて、弁護団もメディアも死刑台からの生還を信じていたので、本当に信じられない、絶望にたたきつけられた瞬間でした。

 この事件ではふたつの裁判体が奥西さんは無罪だ、と判断しています。
 無罪か死刑か、裁判所の判断でこのように違いが出て、それで死刑にされたり、獄中死をさせてもいいのでしょうか。「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の原則から、高等裁判所の裁判官三人が「有罪が疑わしい」と宣言した事件で死刑を執行していいのでしょうか。この決定の翌日、新聞各紙の社説は一斉に「疑わしきは罰するのか?」など、判決を疑問視する社説を掲載しています。

 現在、この事件は最高裁にかかっています。奥西さんはいま、82歳です。獄中で40年、無実の人をこんなに長い期間死刑棟に拘束し、人生を翻弄してよいのでしょうか。

  私たちは、奥西さんを生きて死刑台から救い出したい、と思っています。
 短い文書では、語りつくせないし、「本当に無実なの?」という方もいるかもしれません。

 ジャーナリストの江川紹子 さんがこの事件をえん罪だと訴える、「六人目の犠牲者」という本を出版されています。http://item.rakuten.co.jp/book/650026/

 つまり事件で殺された五人と同じく、奥西さんも六人目の犠牲者なのだ、という意味です。

 名張事件について解説しているウェブサイトはたくさんあるし、支援している市民グループもありますので(このブログにもひとつlリンクしています)、今後の動きを注目していただけると嬉しいです。

 私としてはこういう事件を救えないなら、無罪の人を救えないなら、日本の刑事裁判は、たとえ裁判員制度になっても、全然希望が持てない、と考えています。
 

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