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2019年2月

2019年2月26日 (火)

場違いで居心地の悪い感じを生きていく。

東南アジア、タイとカンボジアへの出張に出ています。

今はバンコク、とても好きな場所です。私がアジアと出会ったのは1991~1993年。
1993年5月の連休に行ったバンコクは本当に忘れられなくて、
すごく変わってしまったけれど、今も昔と変わらないところがとても好きです。
今回一人で出張なので、夜はふらふら。今日はカオサン通りに久し振りにいきましたよ。
一人でカオサン通り!
1993年に行った時には、「ああ自分にはちょっと似つかわしくないところだわ」と
おそるおそる覗いて帰ってきましたが、それから月日は流れ、
私よりずーっと若い若者たちが我が物顔でのし歩いています。
以前は「私には大人すぎる、ディープすぎる」だった場所が、
「私にはこの場所、若すぎる」にいつのまにか変わってしまい、
ちょうどぴったりという時期がなかったなあ、と苦笑してしまいます。
そこで私は、今回も場違いなところに来てしまった、という居心地の悪さを感じながら、
それでも一人でカオサン・スパの真正面の名物バーの2階で一人で飲んでいるのです。
上を見上げてみんなが写真を撮っているというのに、周りは欧米からきた若いカップルだらけなのに、そこで悠々と飲んでいるのです。
もちろん場違いなところにいるなあ、と思いながら、私はあまり阻害されたりせず、少しは肩身の狭い思いをしていますけれど、それでも楽しんでいるのです。
思えばずーっとそういうことの繰り返しみたいな気がします。背伸びして、場違いでも素敵だなと思ったら、好奇心でどんどん行ってしまう。
それは内気な少女時代、保育園は中途で入り、小学校も保育園と違う地域で誰一人知る人がいないなかで体験したり、という時から場違い感があって、
その後も、中学三年生で表参道に行き初めて、制服のままでマイケルジャクソンが流れるラフォーレ原宿をうろうろしていたときも
初めて東南アジアの旅をしたときも
ニューヨークに留学してクラスメートとの初めての懇親会で英語がさっぱりわからなかったときも
初めて国際人権NGOをつくって海外のいろんな関係者に面談して、驚かれたり怪訝そうにされたときも
国連の会議でロビーを始めた時も(特にフランス人の皆さんから冷たくされたのを覚えてますね。。)
そんな感じだったと思います。
結構周囲の人から軽く軽蔑されたり馬鹿にされてるんじゃないかな、と思ったりしますが、場違いと感じながらもそこに飛び込まないではいられない。
そして場違いながらも楽しんでしまう。まあどう思われるかなんてどうでもいいっていう感じになるんですね。
そんな感じで、地図にない道に無手勝流で切り開いてきた感じがします。
旅行に行っても、以下に場違いでも派手なところに行くのが好きで、「あの場所」と思ったらそこで過ごしてしまう。
だいたい家族も一緒のことが多いのでその時は場違いとはあまり思いませんが、それに飽き足らず、一人で行ってしまう。
おそらく、場違いな感じがない時って、なんだか万能感でブイブイやっているときって、
それはそれで楽しいし充実しているんでしょうけれど、
刺激がないし発展性がない。だから場違いな人間関係や場違いな場所を求めていくのかなと思います。
場違いなところに迷い込んだだ私の存在に戸惑ったり驚いたりしている人、興味津々でいろいろ聞いてくる人を観察して楽しんだりもしています。
そして、そういう場違いな人もおおらかに包み込んでしまう、多国籍で猥雑な空間が好きです。たとえばバンコクやニューヨークの街角。
日本はそういう意味で多様な物、場違いな人を受け入れる包容力をもっともってほしいなあ、と思います。
日本で場違いな居心地の悪さを感じている方、生きづらさ、と言ってもいい状況かと思いますが、場違いでも周囲を気にせず、楽しんでしまうという方法もありますよ、と申し上げたいです。

2019年2月 9日 (土)

虐待死とDVの悪循環の悲しさ。私たちに何ができるだろう。野田市の事件に思うこと

千葉県野田市で、小学校四年生の女の子が自宅浴室で死亡した事件。女の子は学校で取られたアンケートに

「お父さんにぼう力を受けています」「先生、どうにかできませんか」

とSOSを送ったのに、公的機関は適切な対応ができず、教育委員会に至ってはアンケートのコピーを父親に見せる等したことが明らかになっています。

 

さらに衝撃を与えたのは、逮捕された母親も、父親からのDVを訴えていたと報じられていたことです。

 

夫の暴力とその恐怖によって家庭が支配され、夫婦間の暴力と子どもへの虐待がコインの両面のような関係になり、最も弱い子どもが犠牲になる。

 

何度いたたまれない、悲しいことでしょうか。

 

しかし、これは決して極端な話ではありません。私が手掛けてきたDV事件も一歩間違えたらこうなっていただろう、と思い、背筋が凍る思いがしました。

 

こうした悲劇の萌芽は実は多くの家庭が抱えている。だからこそ、この事件が突き付けた課題は重いと言えます。

  

 

 DV、その被害は日本では深刻です。

 内閣府の調査によれば、配偶者から「身体的暴行」「心理的攻撃」「経済的圧迫」「性的強要」のいずれかの被害にあった女性は30%を越え、そのうち身体的暴行を受けた女性は約20%とされています。男性が配偶者からの暴力にあうケースも無視できません。

 「なぜDVから逃げ出さないの?」と疑問に思う人もいるかもしれません。

  しかしDVが始まると多くの女性は驚きや恐怖から身動きが取れなくなりがちです。人格を否定する暴言を浴びて、自分を価値のない人間だと思いこまされ、この人といるしか道がない、絶対に離婚はできないと信じ込まされます。

  DVにも波があり、嵐が収まれば優しい時も多いので、翻弄され、

 「共依存」

 という関係に陥ることがしばしばです。

  やがて、被害者自身が、暴力を周囲にもひた隠しにして、人間関係の殻に閉じこもり、益々支配されるようになります。

  私が手掛けるDV事件のなかには半年間足らずで完全に洗脳されてしまった女性もいるほど、DVの猛威は深刻です。

  そしてDV=力で家庭を支配する者が暴力の矛先を子どもに向けることは自然なことであり、被害者である女性は共犯者になってしまうのです。DVのストレスから母親が虐待を止められなくなるケースもあります。

  そして、 「虐待の連鎖」

  というように、暴力を間近に見て育った子どもは自分の家族に暴力をふるうようになる。その影響の大きさを考えると、家庭内のDVは決して放置できない深刻な問題です。

 DVや虐待の悲劇をどうしたら防げるか、国は明確な対策に乗り出すべきです。

まず、周囲が手遅れにならないうちに介入し、DVをする配偶者から引き離すことが大切です。

DVはなかなか治りませんし「我慢しろ」と言うのは最悪の結果を生みます。

特に、最初の子が生まれる前後でDVは深刻化しますので、周囲がよく注意して話を聞いてほしいと願います。

DVは離婚の原因として認められ、最近は「保護命令」という制度で被害者が守られます。

一日も早く暴力に支配される家庭から「逃げる」ことを促してほしいです。

 逃げるは恥だが役に立つ、といいますが、恥ですらありません。

困難を乗り越えようとする我慢強い女性、「彼を幸せにしたい」と思い優しい女性に限って深入りして、逃げられなくなりますので、本当に注意してあげてほしいです。

若い人たちの教育も大切です。

DVの危険な性質を理解して、交際相手による暴力や暴言を決して許さないし見過ごさない、DVの兆候があれば交際しない、早めに別れるべきだとしっかり教える必要があります。

そして、親しい人~家族に決して暴力をふるってはならないという非暴力の教育を小学校から大学まで、徹底する。

児童虐待の悲劇をなくすためには、「今ここにある危機」への対応とともに、芽のうちから摘み取る努力が何よりも必要です。

 

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