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2018年12月

2018年12月31日 (月)

交際相手・結婚相手には、はっきり言いましょう。最初が肝心。

若いころの恋愛の失敗から得た教訓についてお話します。

若いころにつきあっていた人に対する不信感が募り、別れる頃には「大嫌いな人」になっていました。なぜそんなことになったのか。その頃私は恋愛というものがわかっていませんでした。
「おかしい」と思ったことをその場で言わずに飲み込んだこと
それが原因です。
彼氏の発言の中で「これはおかしい」と思うことがありますよね。
しかし、まあいいかと思い、言わずに飲み込んでしまう。そうすると、それは「同意」と受け取られてしまいます。
例えば「女の子は甘いものが好きだからね」というびっくり発言。
別に甘いものが好きじゃないし、女の子でひとくくりにされることに違和感がありました。
でも、「うん」と言ってニコニコしている。
はっきり言う女の子は嫌われる、とか、わがままと思われたくない、とか
その人は年上だったので、意見すべきじゃない
伝統的な考えを持っているけど、別に悪気があるわけじゃない、
男の人はわかってないから仕方ない
などのないまぜな気持ちがありました。
しかしこれは「おかしいな」と思ったら早いうちに修正しないといけません。
その後、機嫌をとるために何度か甘味屋に連れていかれました(^^) なんか馬鹿にされてる気がしますね。これは笑い話ですむレベルですが。。。
最初はちょっとしたずれが、どんどん拡大します。
気が付いたら、同じ新宿駅から出発していても、埼京線(例えば戸田駅)と中央線(国立駅)くらい遠い彼方に離れてしまい、共通点もなく、会話も成立しなくなっていくのです。
これにはびっくりしました。
最初は「まあ、別に目くじら立てる必要ないよね」くらいで飲みこんだことが、
三か月くらいたつと「この人こういう人だから」となり、「これはいけない」と是正を試みようとするけれども修復の余地もなくなり、だんだん憎しみのように黒くて固いものが心の中に出来てしまうのです。
そして、「おかしいな」「違和感がある」と思ったことを心の中で反芻し、くよくよし、かみしめ、どんどん不信感を募らせてしまいます。特に結婚前は、単なる交際でも「この人と一生パートナーとしてやっていけるか」と悩む時期ですので、余計ですね。
最後のほうは、会話が成立せず、苦笑いをするしかない、すべての反応が疎ましく見えて、怒りを感じる、という感じになっていたのです。
別にデートDVやモラハラがあったわけではありませんが、好きだった人が一年もしない間に大嫌いになったのです。
このような絵にかいたような経験をした私は、大きな教訓を得ました。
これは別にその人が悪かったわけではなく、はっきり言わなかった自分が悪いのです。
相手の偏見や嫌なことに対して、NOと言えなかったために、関係性のなかでそれを助長してしまったのです。
そこで私はその後は、嫌なことがあれば最初に言って解決することにしました。
ちょっとしたことでも最初から言って、解決するようにしました。
嫌なこと、許せないこと、気に障ることは、その都度、どうしてそれが嫌なのかはっきり説明しました。
あなたが好きだから、ずっと仲良くいたいから、知っておいてほしい、と真剣に話すと、ちゃんと聞いてくれます。聞いてくれない人はそこでおしまいにしたほうがいい。
最初のうちにそうしておくと後々問題は起きなくなります。
これはとっても大事なことです。
されて嫌なことを、飲みこんでしまうことから、我慢してしまうことから、
DVやモラハラもうまれてしまいます。
我慢することで女性は損をしてしまうのです。
交際したばかりの小さなことから、地獄の芽は生まれます。
是非皆さんにお伝えしたいと思いました。

2018年12月30日 (日)

大事なこと・女性はリハビリテーションセンターではない。

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ジュリアロバーツの言葉。とても大事なので、ご紹介します。

明日少女隊さんが訳されています。

女性は、悪く育った男性のリハビリセンターになってはいけません。
男性を正したり、変えたり、子供のように手を焼いたり、育てたりするのはあなたの仕事ではありません。
あなたはパートナーが欲しいのであって、プロジェクトが欲しいわけではありません。
#ジュリアロバーツ 
#結婚 #恋愛

これって本当に大事なことです!!!
私が担当してきた離婚事件で痛感するのは、母性本能でトゲトゲした男性と結婚してしまい、結局傷つけられてしまう女性たちです。

DV被害に遭う女性の多くが、男性を自分の力で変えようとします。
優しくないところや暴力的なところもつつみこもう、のみこもうとします。

でも、結局うまくいかないケースをたーくさん見てきました。

女性まで不幸になり、子どもも不幸になってしまうのです。
若くて自信のある女性ほど自分を過信して「私の力で変えてみせる」「私が彼を幸せにする」と誤った判断をしてしまうけれど、パートナーの性格まで変えることはとても難しいです。

1日1回くらい肝に銘じたい格言です。

あなたを犠牲にして尽くす必要はないんです。

あなたには自分が幸せになる必要があるし、あなたと一緒に笑ってあなたをケアして、

あなたに優しくしてくれるパートナーと一緒にに過ごす権利があるんです。

そのためには屈折していない、「何を考えているかよくわからない」というようなことのない、

朗らかな、優しい男性を選ぶことを、私はお勧めします。

2018年12月29日 (土)

広河隆一氏に対する告発について

広河隆一氏に対する告発について

 1226日発売の週刊文春で、広河隆一氏から性被害にあった方々の告発記事が掲載されました国際的な人権にかかわるフォトジャーナリストとして著名な広河氏への告発は極めてショッキングな内容でした報道内容については、本人も一部をオフィシャルサイトで認めています。

高い志を持って広河氏を尊敬しフォトジャーナリストを目指してきた女性たちを性的に踏みにじる性暴力行為があったことを知った時には、ただ、ただ愕然としました。

私自身、人権に対する活動で広河氏と一緒に行動する機会のあった者として、その陰で行われていた人権侵害に今まで全く気づくことができなかったことを、被害者の方々に心からお詫び申し上げたいと思います。

私が広河氏に最初に会ったのは2010年頃でした。以後会う機会は年に1度か2度でした。Days Japanに訪問したのは2016年頃の一度だけでしたが、私は人権を守る観点に立ってフォトジャーナリストとして活躍する広河氏に対する尊敬の気持ちを抱いており、そのことを公にしてきました。そのことで、被害にあった方々が私に相談することを躊躇してしまっていた可能性もあるのではないかと思うと心から悔やまれます。

 当事者のご承諾をいただきましたので、私がこのことを知るに至った経緯をご説明します。

 記事掲載の直前に、被害者のお一人から、被害にあったこと、他にも被害に遭った方々がいること、信頼のおける方の取材に応じる形で告発する予定であることについて話を聞きました。

 話をお伺いする中で苦しかったのは、被害者の方々にとって、国際的な人権に関わる活動をしているという広河氏の社会的な立場が圧力となり、「自分が間違っているのではないか」、「告発することで、社会的に良い活動を潰してしまうのではないか」と考えてしまい、事態を明るみにするのが難しかったということでした。私自身、そうした圧力の一部であったのではないかと自責の念に駆られました。

 私は告発する女性たちの立場に立つことを明確にお伝えし、彼女の意思を尊重してきました。被害者の皆さんはそのとき既に、取材を通じて告発することを決められていました。

 私は、被害者に対するバッシングや、個人を特定されるなどといった二次被害が、報道直後に発生することのないように、できる限りのことをしながら、今日まで推移を見守ってまいりました。

 今もご相談を下さった方とはお話しており、ご本人の意思を大切にし、彼女たちを守れることは今後も、何でもしたいと思っております。

 今回の件ではいろいろな思いがめぐります。二度とこのような被害を出さないために、私自身考えなくてはいけないことが山ほどあります。被害に遭われた方々のことを思うと、広河氏と連携した活動に関与してきたことを通じて、加害者を助長させてしまっていたかもしれないことへの責任を痛感しております。

 そして、性被害をなくすことを一つの目的に掲げて活動しながら、未だ非力であることについても申し訳ない思いでいます。

 2019年、そして将来、夢をもつ女性たちが同様の性被害に苦しめられることを少しでもなくせるように、自分ができることを淡々と続けていくしかないと思います。ひとつひとつ、目の前のできることに丁寧に取り組んでいけたらと思っております。

まずは被害に遭われた方々が、少しでも安心し、その傷を癒すことができるよう、出来る限り寄り添った活動を続けていきたいと思っております。

 

20181229

伊藤和子

2018年12月16日 (日)

「辺野古土砂投入、闘いは止まらない」玉城知事、演説全文

12月14日の辺野古に土砂入れ強行する政府。本当に憤りしかありません。

どうしてここまで沖縄の民意を否定し、沖縄の想いを否定し、植民地への侵略者のような態度をとり続けるのか。人間のできること、同胞のできることではありません。

沖縄の人たちの主張のどこも過激ではないでしょう。全土の74パーセントの基地負担を押し付けられ、さらに美しい海まで奪われてしまう。無力な存在として無視される。

立ち上がるのは当然です。

こんな時に、玉城知事の演説、素晴らしいですね。人間性を否定する者たちとの戦いのなかで、人間性の素晴らしさが際立っています。

是非、私たちも応援しましょう。

日本が聞かないなら、米国に訴える。ホワイトハウスへの嘆願署名が始まっています。

https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/358617

https://mainichi.jp/articles/20181215/k00/00m/010/206000c

玉城デニー沖縄県知事が就任後初めて、政府による米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への県内移設工事が進められている米軍キャンプ・シュワブのゲート前で続く抗議活動の現場を訪れた際の激励の演説の全文は、以下の通り。

     2018年12月15日午前11時

     はいさい、ぐすーよ、ちゅーうがなびら(こんにちは、皆さん、ごきげんいかがですか)。ここに立つと勇気がもらえるような気がします。

     本当に昨日、土砂が投入されるという、本当に耐え難い日を迎えねばならなくなった。私たち沖縄県も取れるべき手段はしっかり頑張っていこうと、職員一丸となって日々取り組んでいます。昨日も情報を収集しながら現場にいる職員からの状況報告をみんなで共有しながら、我々が打つ手立ては必ずあるということを県庁内でも確認しながら、現場にいる皆さんの闘いを、必死に一生懸命受け止めて見守っておりました。我々の闘いは止まりません。

     私のツイッターにもフェイスブックにも、「現場に行けない。だけど皆さんと気持ちは一つだということをできれば伝えてほしい」というメッセージをたくさんいただいています。ですから、私たちのこの気持ち、国がやっている暴挙に対して、本当の民主主義を求めるという私たちの正しい道のり、正しい思いは全国の皆さんとも共感しています。ぜひ、そのことも今日、確かめて頑張っていきましょう。

     昨日は亡くなられた翁長雄志(前)知事の奥さまが「いてもたってもいられず来ました」ということで言葉を発していたと思います。「デニーさんが頑張っているから、私が行ったら迷惑になるんじゃないか」という気持ちも持っていらっしゃったと思います。

     しかし、私たちはみんなつながっている。誰であっても、子どもであっても、おじいちゃん、おばあちゃんであっても。駄目なものは駄目だ、許せないものは許せない。そのために行動しよう、声を上げよう、みんなに伝えよう。その気持ちはみんな同じです。ですから、今日も皆さんとこうやって気持ちをしっかりと確かめ合いながら、我々ができることは必ず全力で闘っていく、取り組んでいきます。

     対話は大切です。ツイッターにも書きましたが、対話の気持ちはこれからも継続していく。しかし、対抗すべき時には対抗する。私たちは決してひるんだり、恐れたり、くじけたりしない。勝つことは難しいかもしれない。しかし、我々は絶対にあきらめない。勝つことはあきらめないことです。みんなでその気持ちを一つにして頑張っていきましょう。

     うちなーのぐすーよ、負けてーないびらんどー(沖縄の皆さん、負けてはいけません)。まじゅん、ちばてぃいかなやーさい(一緒に頑張っていきましょうね)。

     よろしくお願いします。ありがとうございました。

2018年12月 8日 (土)

本日はMXテレビに出演します。

みなさま、年末お忙しくお過ごしのことと思います。

本日はこちらの番組に出演いたします。

https://twitter.com/search?f=tweets&q=%E4%BC%8A%E8%97%A4%E5%92%8C%E5%AD%90&src=typd

トピックは岡口裁判官の問題、性犯罪被害の問題。改めて、岡口裁判官に対する最高裁決定がひどいので、声明をはり付けておきます。

今一度、この問題についてしっかり考えたいと思います。

 

2018年10月24日

 

 

 

声  明

 

 

 

岡口分限裁判弁護団

 

 

 

はじめに

 

2018年10月17日、最高裁大法廷は、東京高裁判事の岡口基一氏(以下「岡口氏」という)に対する分限裁判につき、「被申立人を戒告する。」との決定を出した。この分限裁判は、最高裁が第一審であると同時に終局審であるから、本決定に対する上訴はできないものとされている。

 

 にもかかわらず、本決定は、最高裁の判断を示した部分がわずか2頁半しかなく、岡口氏や当弁護団の主張書面、及び証拠として提出した憲法学者等の意見書において提示した、表現の自由を含む重要な論点にはほとんど触れられていないのみならず、本件ツイートが「品位を辱める行状」に該当するかどうかの具体的な判断基準すら示していない。また、後に述べるとおり、事実認定の手法も通常の裁判実務とはかけ離れた乱暴極まりないものである。

 

  最高裁判所がこのような決定を出したことは、裁判官全体の表現の自由や裁判官の独立をおびやかすだけでなく、裁判そのものの公正さにすら不安を抱かせるものである。

 

  以下、本決定の主な問題点につき、幾つかの項目ごとに述べる。

 

1 不適正な手続(申立ての理由に含まれていない懲戒理由による不意打ち)

 

本決定は、「本件ツイートは、一般の閲覧者の普通の注意と閲覧の仕方とを基準とすれば、そのような訴訟を上記飼い主が提起すること自体が不当であると被申立人が考えていることを示すものと受け止めざるを得ないものである。」、「私人である当該訴訟の原告が訴えを提起したことが不当であるとする一方的な評価を不特定多数の閲覧者に公然と伝えたものといえる。」などと決めつけた上で、「このような行為は、裁判官が、その職務を行うについて、表面的かつ一方的な情報や理解のみに基づき予断をもって判断をするのではないかという疑念を国民に与えるとともに」、「当該原告の感情を傷つけるものであり、裁判官に対する国民の信頼を損ね、また裁判の公正を疑わせるものでもある」という理由で、本件ツイートを「品位を辱める行状」に当たると結論づけている。

 

  しかしながら、東京高等裁判所長官による懲戒申立書の「申立ての理由」では、本件ツイートを投稿して元の飼い主の感情を傷つけたことのみが懲戒事由にあたるとされていたに過ぎず、本決定における上記理由は明らかに申立ての理由とは異なる懲戒事由の認定である。このような認定はいわば不意打ちであって、かかる意味において、本決定は被申立人に対する手続保障に掛けた、極めて不公正なものである。

 

2 証拠に基づかない事実認定(当事者の感情の憶測)

 

本決定では、「上記原告が訴訟を提起したことを揶揄するものともとれるその表現振りとあいまって、裁判を受ける権利を保障された私人である上記原告の訴訟提起行為を一方的に不当とする認識ないし評価を示すことで、当該原告の感情を傷つけるものであり」と認定する。しかし、これ自体が証拠に基づかない一方的な決めつけにほかならない。本件ツイートには全くそのような記載はなく読み取ることも困難であるし、東京高等裁判所長官からの懲戒申立書に添付された同高裁事務局長報告書においても、本件ツイートの対象となった事件の原告本人が、自分が訴訟を提起したこと自体が不当だと言われたと感じたと訴えたなどという事実はどこにも記載されていない。

 

おそらくは、懲戒申立書にある原告の「感情を傷つけた」ということだけでは、猿払事件最高裁判決の基準をクリアできないと考えてこのような補足をしたのであろうが、このように理由づけなしに一方的な決めつけをすること自体が、判例拘束性をもつ最高裁大法廷の決定としては極めて異常なものであると言うほかない。

 

3 過去の厳重注意の不当評価

 

本決定では、岡口氏が過去に東京高等裁判所長官から2度にわたる厳重注意を受け、とりわけ2度目の厳重注意は本件と類似するツイート行為に対するものであったのに、その後わずか2か月で本件ツイートに及んだことをも戒告処分の理由に挙げており、「厳重注意」という単語が14回も使用されている。

 

  しかしながら、過去2回にわたる厳重注意は適正手続の保障がないままなされたものである上、これを戒告処分の理由にすることは一事不再理の原則にも反しており、極めて不当である。

 

のみならず、過去のツイート行為が、本件ツイートとは性質を異にするものであることは、弁護団の主張書面において指摘していたにもかからず、本決定は、何らの理由づけもないままに両者が類似すると決めつけている。また、もし、両者のツイート内容の違いは問わずに、「訴訟関係者の感情を傷つける投稿を再び行った」ことのみを問題視したのだとすれば、前記2で述べたことと併せて、あまりにも一方的かつ乱暴な認定であると言わざるを得ない。

 

4 あまりにも不明確な判断基準

 

  本決定は、「品位を辱める行状」とは、職務上の行為であると、純然たる私的行為であるとを問わず、およそ裁判官に対する国民の信頼を損ね、または裁判の公正を疑わせるような言動を指すものとしている。

 

  しかしながら、これだけでは懲戒処分権者の裁量でいかようにも解釈、適用できるものであり、不利益処分である懲戒事由該当性に関する判断基準の体をおよそなしていない。

 

  本来であれば、裁判官の職務に関する行為と、純然たる私的行為とを峻別した上で、純然たる私的行為については、原則として表現の自由が最大限に尊重されることを前提としつつ、例外的にそれが制限される場合を明確にするような客観的判断基準が明示されるべきである。諸外国においても、こうした配慮の下で判断基準が示されている例が少なからず存在するのであるが、最高裁判所が本決定に当たってそのような諸外国の例を調査した形跡は、本決定からは全く見受けられない。

 

5 補足意見について~憲法の番人としての役割はどこへ?

 

本決定には、山本庸幸、林景一、宮崎裕子という3名の最高裁判所判事による補足意見が付されているが、そこでは「2度目の厳重注意を受けた投稿は、(中略)私たちは、これは本件ツイートよりも悪質であって、裁判官として全くもって不適切であり(中略)それ自体で懲戒に値するものではなかったかとも考えるものである。」などと、過去の厳重注意処分の対象となった行為そのものを蒸し返して断罪している。そればかりか、「もはや宥恕の余地はない」とか「本件ツイートは、いわば『the last straw』ともいうべきもの」などと口を極めて非難することに終始している。このような補足意見は、寺西判事補の分限裁判における最高裁大法廷決定(平成10年12月1日)における反対意見と比べるまでもなく、あまりにも感情的な、品位に欠ける意見というほかない。

 

また、弁護団が表現の自由をはじめとする重要な憲法上の論点等を提示してきたにもかかわらず、14名の裁判官が全員一致で、しかも上記の補足意見程度のものしか付されていないというのは、最高裁判所は「憲法の番人」の役割を放棄してしまったと評せざるを得ない。弁護団としては、このような考え方の最高裁判所のもとで、「人を傷つけた」ことから「品位を辱める行状」に当たるという理由での懲戒処分を恐れる余り、個々の裁判官がその表現行為を徒に自己抑制するという、ゆゆしき事態を招来してしまうのではないかと強く危惧するものである。

 

おわりに

  以上の点を含め、本決定は多くの問題点を抱える、極めて不当なものである。

 

われわれは、裁判官がつぶやく自由は、憲法が保障する基本的人権としての「表現の自由」として、「当事者の感情」や「裁判官の品位」といった主観的なもので制限されるいわれはないものと考えているが、本決定を契機として、裁判官の表現の自由、なかんずく私的領域におけるツイッターをはじめとするSNSでの発信についての議論が深まっていくことを期待するものである。

 

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