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2018年9月

2018年9月24日 (月)

樹木希林さんのご冥福をお祈りします。

樹木希林さんがお亡くなりになりました。

全身ガン、とおっしゃっていたのですが、最近ますますのご活躍で、とても進行が遅くて、まだまだお姿を見られる、と思っていたので、

大きなショック! です。

私は希林ロスのただなかにあります。

しかし、こんなに素敵な、美しく、実のある人生があるでしょうか。

ハリウッドですら、年を取るとオファーが少なくなり、生き残れる女優が少ないと言われ、例外はスーザンスランドンや、メリルストリープ等、限られていることがつい最近まで指摘されていました。

ところが、希林さんは、年を取るごとに実力を高め、存在感を増し、素晴らしい役に恵まれ続け、70歳をすぎてカンヌ映画祭デビュー、そして出演作がパルムドールに輝くという快挙を成し遂げられたのです。

樹木希林さんのことを私が知ったのは小学校の頃、「ゆうきちほ」というお名前で、老け役をされていましたが、しばらくして、「ムー一族」で郷ひろみと「林檎殺人事件」でデュエットをされていました。

母が小学校の頃、ある時ふと、「この人みたいな個性的な実力派を目指しなさい」と言うので、「え?この人?」と、びっくりしてみていたのですが、その破天荒な結婚生活に驚いたりしつつも、そのご活躍を注目するようになり、目が離せなくなったのです。

特に、最近のご活躍や作品の選択は素晴らしいものだったと思います。

私が取り組んでいた名張毒ブドウ酒事件、奥西勝さんの母親を演じていただいた

映画「約束」。

そして私の故郷である東村山を舞台にしたハンセン氏病をテーマにした

映画「あん」 

こうした映画に樹木希林さんは欠かせない存在になっていて、本当になんと素晴らしい演技をしていただいたことでしょう。 いずれも大泣きしました。

「約束」は自分の悔しさや心の傷もあり、奥西さんに対してこの国と司法がしたことに対して、あまりにも許せない気持ちが募って泣いたことを覚えていますが、「あん」も涙が止まりませんでした。

 幸運なことに、2013年に、その樹木希林さんとお会いする機会がありました。「約束」に関連したイベントにきていただいたのです。当時から全身がんというお話だったのに、素晴らしいトーク、そして二次会までお付き合いいただいたのです。 その時のことをこちらに書いたのですが、

http://worldhumanrights.cocolog-nifty.com/blog/2013/09/post-4f61.html 

 私が、希林さんには、月並みな美形女優ということでなく(失礼にあたらなかったらよかったのですが)、実力を磨かれてきたからこそ、希林さんが第一線の女優としてずば抜けた、いいお仕事をされてきたこと、いい生き方をされ、今も輝かれていることに対して、とても尊敬をしていて、僭越ながら、自分のお手本のように長年感じてきた、とお話したところ、希林さんは応じて下さり、美人女優でないということはとてもいいもので、私はそのおかげで様々なことに恵まれて、私の人生を味わい深いものにしてくれた、ということを語っていらっしゃいました。

その後、実は、2016年、「AV出演強要被害をなくすプロモーションビデオ」をつくる際に、樹木希林さんにどうしても一言だけご参加いただきたくて、ご自宅にFAXを送って依頼をしたのです。

そうしたところ、突然、事務所にご本人からお電話をいただきました。

希林さんは、「この問題ってとても重い問題で、考えることが多いので、セリフを言うんじゃなくて自分で話したいような気もするけれど、心が乱れてしまって、自分には無理だわ。ごめんなさい」というとても丁重なお断りの連絡でした。

急に希林さんからお電話をいただいたスタッフはびっくり。「きききききりんさん・・・」とか動揺してしまっていたようです。

でも希林さんは、「みなさん、とてもがんばってらっしゃるわね、大切な問題だものね。本当にえらいわ」と言ってくださったそうです。

スタッフが「ありがとうございます。伊藤に伝えます」と言ったところ、「あら、伊藤先生だけじゃないわ。あなたたちひとりひとりがんばっていて、とても素晴らしい。ほんとうにすごいことよ」と激励の言葉をいただいたというのです。スタッフが心から励まされたことは言うまでもありません。こんな心配りの方だったのです。

70歳を過ぎて益々かけがえのない、美しい存在になっていかれた希林さん。 私たち日本の女性に素晴らしいお手本を示して下さりました。 

私たちも長生きして、努力を重ね、少しでも希林さんに近づく生き方が出来たらどんなに良いことでしょう。

ご冥福を心よりお祈りします。

 

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2018年9月 2日 (日)

司法研修所25年 なつかしいあの頃!

いつまでも昔と変わらないライフスタイルを続けている私ですが、

なんと司法研修所25年

 ということで、記念式典に昨日行ってきました。

 司法研修所とは、司法試験を合格した人々がいく研修期間で、

 集合して座学をする研修所での修習と、

 裁判、検察、弁護にわかれての実務修習をあわせたもの、 

当時は2年間研修して実務についたのです。 

私が合格したのはバブル真っ最中の1991年。 

当時は合格者は500人しかおらず、研修所もほのぼのとしており、 

待遇もよく、断崖絶壁の司法試験受験生活を解放され、

本当に能天気に遊んでいた友人たちですね。

 

座学の研修は3時で終わってましたので、

 アフター3は遊び放題飲み放題、

 スキーやテニス、カラオケなど(男性は女性に隠れて合コン)、

 とにかく遊んでばかり過ごしたもので、

 そうしたときの友人と会うと本当になつかしいものです。

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 (その後、1994年に実務についたころにはバブルも終わり、

厳しい時代となりましたが。。) 

ところで、同期といえばこの方、岡口判事も式典・懇親会に参加していました。

 ツイッターをやめなければ裁判官クビ、とパワハラされたということ。

 ひどいですね。同期の多くは岡口さんを応援しています。

これは、一人の裁判官の問題ではありません。

 内部にいる人の表現の自由、言論の自由を抑圧する裁判所、

 パワハラを指摘されても顧みないような人権感覚に乏しい裁判所が

 本当に、弱者の最後の権利の砦になれるでしょうか。

 私たちの自由を守ってくれるのは、最終的には司法です。

 変な抑圧的な立法ができた時、「おかしい」と言って違憲判断をしてくれるのは司法です。

だから、裁判官の自由というのは、私たちの自由に直結する問題なのです。

 物が言えない裁判官はきっと私たちの権利も守ってくれません。

 是非応援してください。

 

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クラス別懇親会では、教官に渡す花束をご好意でいただいてしまいました。

恐縮です。これからも精進いたします。

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