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2018年4月

2018年4月29日 (日)

「どこが女性が輝く社会?」セクハラ問題の説明責任を果たすため、政府・財務省がただちに取り組むべきこと

最近、女性の権利をめぐる事態はめまぐるしく動いています。

財務省セクハラ問題について一週間前にYahooに書いた記事をご紹介します。その後、財務省が責任を認めて謝罪しましたが、課題は残されています。引き続き責任ある対応を求め、声をあげ始めたジャーナリストの女性たちと連携していきたいと考えています。

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■ 居直り続ける財務省

 福田財務省事務次官が女性記者に対して取材中にセクハラ発言をしていたことを週刊誌が報道、それ以来、騒動はやむ気配がありません。

 週刊誌報道直後に、財務省はHPにセクハラを否定する次官の言い分のみを一方的に掲載、調査を行う等として自らの顧問弁護士を指定し、「調査への協力のお願い」等として被害にあった女性に名乗り出るように求めています。傷ついた被害者に名乗り出ろ、というのは被害者心情への配慮に著しく欠けており、恫喝的です。

 さらに、麻生大臣は、女性が名乗り出ない限りセクハラを事実と認定できないという見解を示し、官房長は、「(名乗り出るのが)そんなに苦痛なのか」と発言しました。

  こうしたやり方がセクハラ被害者の心情への配慮に欠け、調査の方法も不適切なものであったとして大きな批判を浴び、財務省はその信用を大きく失墜しています。新聞各社、識者、法律家からも財務省の対応への非難、異論が相次ぎました。

 ところが、テレビ朝日が記者会見をし、正式な抗議を行った後も、財務省の対応は適切さを欠いたままです。

 今の財務省の姿勢はまとめると以下の通り、

 ・福田事務次官をセクハラについて否定したまま、処分もせずに辞任させる

 ・音源がテープが福田事務次官の発言であること認めつつも、財務省として何らの不適切性も認めない

 ・「被害者は名乗り出るように」との調査方法や、その後の「名乗り出るのがそんなに苦痛なのか」との国会での発言について正式な謝罪・反省がない

 ・未だに顧問弁護士に調査を依頼するという利益相反に該当する調査を見直そうとしない

  セクハラの訴えを敵対視し、居直りとしか言いようがない態度を続けているのです。

  セクハラの訴えをした被害者は、セクハラの真偽が明確に認定される前から、手続的に配慮され、保護されるべきであり、訴えを受けた者は適切に対応、調査をしなければならないのは当たり前のルールですが、そうしたことが無視され、配慮に欠ける対応が続いていることはとりわけ問題でしょう。

  セクハラ問題は、財務省のガバナンスのなさと説明責任の欠如、女性の権利に対する無理解が最悪レベルであることを露呈してしまいました。

■ セクハラ被害への理解を著しく欠く不適切な麻生発言

 さらに多くの女性の怒りを買ったのは、報じられる以下の麻生大臣の発言ではないでしょうか。

だったらすぐに男の番(記者)に替えればいいだけじゃないか。なあそうだろ? だってさ、(週刊新潮に話した担当女性記者は)ネタをもらえるかもってそれでついていったんだろ。触られてもいないんじゃないの

出典:週刊新潮

 この発言の意味するところは一体なんでしょうか。

 (麻生氏から見てたとえ)女性の訴えが事実であったとしても

・それがどうしたというのか。たいした話じゃない、触られていないのにセクハラとは大げさだ。

・自分でついていった以上セクハラされても自己責任だ。

・セクハラに文句があるなら男性記者に変えて、女性記者など締め出してしまえばいい

 というあきれたものです。

 セクハラは、職場における性的言動により就業環境が悪化し、女性が安心して尊厳をもって働けなくなることを防止するために男女雇用機会均等法人事院規則等で禁止されています。

 身体接触を伴わない言動もセクハラに含まれますし、セクハラはされるほう(被害者)でなくするほう(加害者)が100%悪いのであって、被害者の対応を問題にすべきではないこと、そしてセクハラ相談があったことを理由に、女性を職場から締め出す等の不利益を課すことがあってはならない、ということはセクハラ対応のイロハのイ。ちなみに相談者のプライバシー保護もイロハのイです。

 参照 厚労省の民間事業者向けパンフ 

  事業主の皆さん 職場のセクシュアルハラスメント対策はあなたの義務です!!

    (※ちなみに国家公務員のセクハラに対応する人事院規則は最近の改定で、職員が職員以外に行ったセクハラも許されないし対応しなければならないと明記しています。)

 ところが、麻生大臣がこれをことごとく理解していないことは、発言から明らかです。

 こんな意識の政治家が、財務省のトップ、そしてナンバーツーであるということに愕然とします。

 政治家としての資質が厳しく問われなければなりません。

 そして、安倍首相は麻生首相の対応や福田事務次官の言動について明確に非難することもないのです。

 

■ 被害者バッシングが放置されている。

 こうして政府が居直る中、被害者の女性記者が置かれた状況はどうでしょうか。

 深刻なことに、ネットには被害者を特定して顔を晒そうとする現象が続いています。

 そして、麻生大臣の発言に触発されたのか、会いに行った方が悪い、ハニートラップ、等と、被害者を誹謗中傷する心無い「セカンドレイプ」が横行しています。

 勇気を出した被害者のプライバシーを尊重する、そしてセカンドレイプをして傷つけるようなことは決してあってはならない、当たり前のことです。この国のモラルは一体どこへ行ったのでしょうか。

 一部メディアには、被害者がセクハラの音声を週刊誌に提供したことが報道倫理に反するという筋違いの非難が広がっています。

 さらに自民党下村元文科大臣は、被害者の行動を「犯罪」等として責める講演を行ったことが明らかになっています。''推測するにこれは氷山の一角、政権に近い政治家、政権幹部のこうした水面下の言動、コメントがメディアの論調に投影していることは想像に難くありません'''。

 しかし、録音もないままセクハラの主張をしたら、彼女の言い分は否定され、彼女自身も潰されていたでしょう。私もセクハラでそのようなケースをたくさん見てきました。

 セクハラをした権力者のほとんどが強硬かつ威嚇的姿勢でセクハラ行為を否定し、訴えた女性を潰そうとする、これは残念ながら経験則です。だからこそ録音するしか身を守る方法はないのです。

 今、ようやくメディアで働く女性たちが声をあげ、セクハラについて語り始めています。新潮の報道が出なかったら、今のような事態はありません。非難している人たちは、つまり、彼女は権力者のセクハラに沈黙し、耐え、泣き寝入りをしていればよかったというのでしょうか。

 今の状況そのものが、メディアで働く女性に泣き寝入りと沈黙を強いています。だから、他の被害者も名乗り出ないし、非難を恐れて名乗り出る報道機関もないままなのです。

 政府・官僚のセクハラ行為を勇気をもって告発した被害者が洪水のようなセカンドレイプをあび、政府がその状況を放置している、ということ自体が極めて問題です。一罰百戒のようになり、もう二度と誰も声をあげることはできない、というレッスンにしようとしているのでしょうか。

 この間、複数の女性ジャーナリストにお会いしましたが、「ずっといえなかった被害がようやく明るみに出たというのに、このまま被害者だけがバッシングを受け続け、財務省が事態がうやむやにしてまともな調査を行わなければ、女性ジャーナリストが安心して活動できる環境に改善することは絶望的になる。メディアに女性の居場所はなくなる。」との強い危機感を口々に語っていました。

 こうした状況を見せつけられる、声をあげていないセクハラ被害者の方々、女性ジャーナリスト、そしてこれから社会に出ていくであろう若い女性や少女たちがどんな絶望的な思いになるのか、想像してみてもらいたいと思います。

 

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 セクハラの声をあげたらこういうことになるんだな、と思ったら、声をあげないほうがいいとなる、しかし声をあげずにセクハラにあい続けるしかない、というのが日本社会なのだとしたら、それはどんなに女性にとって暗澹たる社会でしょうか。

 これが果たして安倍政権の掲げる「女性が輝く社会」なのでしょうか。

■ 連休前に政府がどうしてもなすべきこと

 このままずるずると政府はだんまりを決め、セクハラ問題の真相を曖昧にしたまま、女性だけが二次被害にあい続けること、そんなことは到底許されないと思います。

 政府・財務省は以下のことを連休前に行うべきでしょう。

 

 ・麻生大臣が一連の発言を撤回して不適切な対応を謝罪すること

 ・「被害者は名乗り出るように」との調査方法や、その後の「名乗り出るのがそんなに苦痛なのか」との発言等、対応について反省し、謝罪すること

 ・音源テープの内容が事務次官の発言として不適切であるとの財務省の見解を少なくとも発表すること

 ・福田氏の処分を行うこと(処分なしの辞任で終わらせないこと)

 ・顧問弁護士による調査をやめ、第三者からなる外部調査委員会を立ち上げて、徹底した調査を実施すること

  外部調査委員会は、企業不祥事等の第三者委員会に関して日弁連が公表しているガイドラインに少なくとも準拠し、財務省と利害関係を有する者を委員に任命せず、完全に独立した立場の外部調査を行う機関とし、あらゆる資料、情報、職員、関係者へのアクセスも可能とすること

 ・国家公務員のセクハラ対応に適用される人事院規則がすべての省庁で徹底しているかを検証調査し、改善を実施すること

・安倍首相は、財務省の一連の対応を明確かつ具体的に批判し、官公庁においてあらゆるセクハラがあってはならないことを明確にすること

 ・政府は被害者へのセカンドレイプを非難し、被害者に対する二次被害を行わないよう広く社会に求め、被害者のプライバシーと心情への配慮を最大限に行うこと

  以上の点に着目して、今後の政府・財務省の動きが女性の想いに即したものなのか、女性を含む有権者を愚弄するものなのか、みなさんとともに厳しくチェックしていきたいと思います。(了)

NY活動報告 #Metoo 声をあげられる社会に

みなさま、

いつもヒューマンライツ・ナウ、そして私伊藤の活動を応援いただき、心より御礼申し上げます。

女性たちが今も差別や暴力に苦しみ、傷ついている、そんな現実を変えようと、昨年秋から世界的に#Metoo運動が発生しました。日本では、声をあげる女性が心無い二次被害にあうなど、声をあげることは容易ではありません。

HRNでは、日本の#Metooの先駆けとなった伊藤詩織さんを始め、声をあげた女性たちを応援したいと、2018年に入ってから223日の#Metooに関するイベント等、様々な活動を続けてまいりました。

Metoo5

そして、3月にニューヨーク国連本部で国連女性の地位委員会が開催されるに当たり、ニューヨークに伊藤詩織さんを招聘した国連関連イベントを開催いたしました。

Photo

会員の皆様中心に御寄付を募り、温かい御寄付によって31516日にニューヨークでイベントを盛況のうちに開催させていただくことができました。

ニューヨーク日系人会のイベント(315)、ニューヨークの国連女性の地位委員会のパラレルイベント(316)はそれぞれ100人を越える大成功となり、数多く報道いただき、詩織さんの声を世界に届けることが出来ました。

 

 

また、国連本部でもこのたび記者会見を開催し、大きく報道されました。

315日の様子はこちらにご報告させていただいています。

http://hrn.or.jp/activity/13716/

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こんなに人が詰めかけてくださいました。

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316日の様子はこちらにご報告させていただきました。

http://hrn.or.jp/activity/13720/

このリンクから、当日の様子について動画で見ていただくことが出来ます。

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また、記者会見の様子は毎日新聞のウェブ等で見ていだたくことが出来ます。

https://mainichi.jp/articles/20180317/dde/041/040/020000c

 

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また、このNYでの機会に、ヒューマンライツ・ナウが毎年女性の人権活動家に対して

贈呈しているAsian Activista Awardを伊藤詩織さんにお送りし、表彰させていただきました。

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その報告も是非ご覧いただけると幸いです。

http://hrn.or.jp/news/13758/

この間の活動について、様々なメディア報道でも大きく報道されています。

こちらから御確認いただけると幸いです。

http://hrn.or.jp/media/

こうした活動をすることができましたのも、支えていただき、御寄付をいただいた

多くの方々のお力添えの賜物です。皆様のご厚情と応援に改めて心より御礼申し上げます。

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詩織さんの声を受けて日本ではようやく、#Metooの声が上がり始めました。

財務省でのセクハラ問題が表面化し、メディア全体で隠ぺいされてきたセクハラが問題視

されつつあります。また若い女性たちも声をあげ始めてくれています。

感無量の想いがありますが、女性やマイノリティの尊厳が大切にされる社会を実現する

道のりはまだまだです。

ヒューマンライツ・ナウは今後とも、声をあげた勇気ある女性たち、被害にあわれた方々を一人にせず、

社会を変える活動に取り組み、一人でも多くの方が声をあげられる社会をつくってまいりたいと

考えています。

20184月よりはじまりました新年度も、そのような想いを新たに、女性や子どもの権利の

問題に取り組み、AV出演強要、児童ポルノ問題の解決と併せ、性暴力全般について活動を

強化していきます。併せて、武力紛争やビジネスの過程で犠牲にされる人々の権利を

守るために取り組み、声をあげる人たちを応援していきたいと存じます。

どうぞ引き続き、ヒューマンライツ・ナウの活動を支えていただけると嬉しいです。

是非登録未了の方は、会員またはマンスリーサポーターとしてHRNをご支援ください。

http://hrn.or.jp/donation/monthly_supporter/

そしてまた、伊藤詩織さん、そして声をあげる女性たちを応援していただくよう、心よりお願い申し上げます。

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ヒューマンライツ・ナウ 事務局長 伊藤和子

2018年4月 9日 (月)

女性を土俵から排除するルールは明らかな女性差別。相撲協会は今すぐ見直すべき。


「女性の方は土俵から下りてください」
 44日、大相撲春巡業の舞鶴場所で土俵上で倒れた市長の救助をした女性に、行司が土俵から降りるようアナウンスをしたことが波紋を呼んでいます。

京都府舞鶴市で4日に開催された大相撲舞鶴場所で、土俵上で多々見良三市長(67)があいさつ中に倒れ、心臓マッサージなど救命処置をしていた女性たちに、女性は土俵から下りるようにとの場内アナウンスが数回行われたことが複数の観客の証言などで同日分かった()

出典:京都新聞

 これに対しては、「人命より伝統を優先するのか? 」等と、厳しい批判が相次ぎました。海外の報道はさらに踏み込んで、土俵から女性を排除する差別を厳しく批判する内容でした。

米紙ニューヨーク・タイムズは、相撲の「差別的な慣習が世間の厳しい目にさらされている」と解説した。スイスの「世界経済フォーラム」の2017年版「男女格差報告」で日本は144カ国中114位。これを踏まえ、今回の出来事が「日本でどのように女性が扱われているかを物語った」とした。ワシントン・ポスト紙は、土俵から下りるよう指示されたのは「このスポーツのしきたりで、女性が不浄と見なされているからだ」と指摘。

出典:日本経済新聞

女性を土俵から排除することは明らかな差別 
こうした非難を受けて日本相撲協会の八角理事長は談話を発表し、

「行司が動転して呼びかけたものでしたが、人命にかかわる状況には不適切な対応でした。深くおわび申し上げます」と謝罪した (出典:CNN)

といいます。しかし、相撲協会は何を反省しているのでしょうか。

 相撲協会の芝田山広報部長は、「(土俵に女性が上がれない)大相撲の伝統を守る協会のスタンスは変わらない」という姿勢を明確にし、

こういった緊急事態が、またいつ起こるかもしれないので、場内アナウンスの指導もしていかないといけない。緊急時のマニュアルも作らないといけない (出典:日刊スポーツ)

 などと述べたそうです。つまり、人命尊重のために緊急対応には女人禁制の例外を認める、ということしか念頭にないのです。

 そして、女性が土俵に上がれないことへの批判には、「差別のかけらもない」と否定したとされています。

 このような議論は、事の本質を曖昧にして収束を図ろうとしているだけで、方向性がおかしいことは明らかです。

 ある属性のみを理由に、正当な理由なく立ち入りを排除するというのは、差別以外の何物でもありません。差別の意図がない、といくら言おうと、女性を排除している以上、それは、女性差別にあたります。     
女性が土俵から排除されていることについて、「緊急事態にはどうするか」という議論に矮小化されてよいはずがないと思います。

 普段は土俵に上がれない人間であっても、緊急事態であれば例外的に容認して土俵に上がることを認める、 その議論そのものが差別にあたります。  

  このような議論は、戦前、無能力とされていた女性が戦争末期の本土決戦という切羽詰まった状況になって、竹やり訓練に参加させられたことをありがたがれ、というような、二級市民扱いではないでしょうか。女性をバカにした議論だと思います。

排除の理由は明らかに不合理
  日本には、憲法14条で、男女平等が定められています。これは民間でも適用され、ゆえに職場での男女差別は許されていません。

  男女間での差別的取扱いが許されるのは、合理的な区別と認められる場合だけであり、異なる取り扱いをする側が合理性を証明しなければなりません。ところが、相撲協会は女性を排除する合理性、正当性を全く説明せず、伝統、というだけです。

  その伝統、というのは何でしょうか。

  専門家の文献によれば、室町時代、江戸時代、明治にも、女性の相撲というのは行われ、女人禁制ということはなかったそうです。 
  それが、女人禁制になったのは、明治以降、神道に基づく、女性が穢れている、という考え方に基づくものだとされています。女性は月経がある=血を出す=穢れているという考えだというのです。

  このような考え方で女性を差別し、排除するというのは、女性蔑視の考え方に基づくものであり、合理性のかけらもない差別であることは明らかです。例えば、同じ理由で、女性を職場や政治から排除したり、選挙権を認めない、という結論が許されるはずもありません。

  一般社会では到底容認できない慣行なのに、「相撲は神事だから、伝統のわからない者が余計なことを言うな」等と、女性が論評することさえ許されないような議論があります。しかし、「伝統」「神事」を理由に、女性蔑視が正当化されて、女性差別が容認されて何もいえない、というのは論外です。

  たとえば、伝統・神事を理由に、外国人力士が排除されたり、差別されたら、すぐに人種差別、という問題になり、国際問題にすら発展するのが昨今です。ところが、女性差別については、まるでお約束のように、話題にすることすら適切でない、という空気感があります。女性差別であることすら気づかないような、話してはいけないような議論状況を見ると、日本の男尊女卑は深刻だ、とつくづく感じます。これでいいのでしょうか。

もっと深刻な女性差別があるから?

  女性の論者の中には「もっと深刻な女性差別にこそ目を向けるべき」という議論があるようです。「わざわざ騒ぎ立てるほどのことではない」という議論はこういう時、おうおうにして出てきます。

 実は私も過去に何度か、官房長官や知事の女性が「土俵に上がれなくて悔しい」ということを繰り返し述べていたのを記憶しています。

 確かにその時は、「相撲の土俵になど、あがる人はほとんどいない」「功成り名を遂げた、一握りのエリート女性が騒いでいるだけ。若い女性はもっと苦しんでいるのに」と冷ややかに感じていたのです。

 しかし、今回、宝塚市の市長が「悔しい」と述べたことには共感しました。

 ここまでかたくなに女性を排除して平気でいる相撲協会の姿勢や、その背後にある、穢れ、という伝統の起源を知るにつけ、これは女性みんなの問題であり、スルーすべきではない、と痛感しました。

 女性が土俵に上がれない、ということ=女性にはその属性ゆえに行ってはならないこと、控えなければならないことがある、ということが、「伝統」の名のもとに存在し、正当化され、そうしたスポーツが「国技」として優遇されていることが、人々の意識に大きく影響することは軽視できません。

 そうした事実を子どもの頃から記憶に植え付けられれば自然と、女性は男性よりも劣った存在だと認識させられ、男性は女性を見下すようになる、そのことが性暴力やDV、セクハラ、AV出演強要、職場での男女差別などといった、「より深刻な」と評される問題に直接的につながっていきます。これは私がこうしたケースに多く接してきた経験から実感することです。

 すべてはつながっています。みんなの目につく女性差別は「小さなこと」「表層的なこと」「取るに足らないこと」として軽視されるべきでは決してないと思います。

今すぐにやめるべき
  21世紀、スポーツの世界でも、性別・人種等に基づく差別や暴力は、決して許されないという考えは趨勢になっています。合理性のない「伝統」の名のもとに女性を蔑視し、排除するような相撲の在り方は、今こそ変わらなければならないでしょう。

  東京オリンピックを控え、国際的にも日本のスポーツ界の差別や暴力に対する視線は厳しくなっています。

  相撲協会は、このまま合理性も説明できない女性差別をやめるべきです。

  このまま、一般社会では決して通用しない差別的慣行を維持し続けるなら、公益財団法人としての適格性が真剣に検討されるべきでしょう。 
  主務官庁である文科省も女性差別をやめるべく指導監督をすべきでしょう。

  そして、NHKも公共放送として、大相撲中継を継続するのが果たして適切なのか、再検討すべきだと考えます。()

 

 

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