共謀罪可決で沸き起こる、強い違和感
5月23日、衆議院本会議で、いわゆる共謀罪(テロ等準備罪)が可決しました。
共謀罪は、犯罪の実行のはるか以前の「話し合い」の段階の行為を処罰しようとするもの。内心を処罰することにつながりかねないことから、戦後、単なる共謀は原則として処罰しない、という大原則が確立し、運用されてきました。
ところが、今回の法案では、一気に277種類にも及ぶ罪について、「話し合い」の段階の行為が処罰対象となるというのです。まさにショックドクトリン。一気呵成に責めているわけです。
政府は、「組織的犯罪集団」の行為を罰するもので、「一般人には関係ない」と強調しますが、「組織的犯罪集団」とはとてもあいまいな言葉。政府は、NGOや労働組合などであっても当局が団体の性質が変化したと判断すれば、捜査・処罰の対象となりうるとしています。
そう、労働者や市民団体が狙われる危険があるのです。
単なる話し合いが罪となり、捜査の対象となると、私たちひとりひとりの内心の自由、表現の自由が脅かされる危険が高まりますし、プライバシー侵害も心配です。。
こんな法案、当然代議制民主主義のプロセスできちんとチェックしないといけないはずです。
ところが、政府与党は議会軽視。
衆議院の質疑は法務大臣の迷走答弁で時間が過ぎ、なんと30時間で審議打ち切り、採決になってしまったのです。本来、277の犯罪ひとつひとつに十分(一犯罪に30時間でも足りない!!)時間をかけて議論すべきはず。あまりに拙速です。
そして、国会に上程される前にも、市民社会や国民との十分なコンサルテーションもありませんでした。
この法案、ぎりぎりまで法案は示されず、突然閣議決定されて、3月に上程されたのです。
有識者会合があったわけでも、パブリックコメントに付されたわけでも、地域公聴会が開かれたわけでもない、こんな重要な法案なのに、市民の意見を聞くプロセスもありませんでした。
そんななか、5月18日、国連の人権理事会の選任した「プライバシーの権利」に関する特別報告者であるジョセフ・カナタチ氏が、事態を深刻に懸念して安倍首相に書簡を送り、プライバシー権侵害の懸念を払しょくするよう求めました。ところがこれを受けた政府対応は驚くべきものでした。
菅官房長官は、特別報告者の懸念を強く否定、「恣意的運用の虞は全くない」と言い切り、そもそも書簡を送ったことに「強く抗議した」そうです。さらに国連特別報告者は国連を代表せず、個人の見解を言うに過ぎない、と言い張ったというのです。
菅義偉官房長官は22日午前の会見で、人権状況などを調査・監視する国連特別報告者が「共謀罪」の趣旨を盛り込んだ組織犯罪処罰法改正案はプライバシーや表現の自由を制約するおそれがあるとの書簡を安倍晋三首相に送ったことについて、「不適切なものであり、強く抗議を行っている」と述べた。菅官房長官は「特別報告者という立場は独立した個人の資格で人権状況の調査報告を行う立場であり、国連の立場を反映するものではない」と強調。「プライバシーの権利や表現の自由などを不当に制約する恣意的運用がなされるということはまったく当たらない」との見方を示した。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170522-00000039-reut-bus_all
まさに色をなして強く抗議したわけですが、そういう姿勢こそ、強権的で怖いのだ、ということに気が付かないのでしょうか。これが日本のメディアなら、「不適切」と言われて震え上がってしまい、萎縮してしまうでしょうが、国連特別報告者は一切ひるまず、再反論をしています。
菅長官については私もブログで取り上げている通り、AV出演強要問題に取り組むことを決断するなど、最近の嬉しいニュースにもかかわられていただけに残念です。
実は日本は昨年、国連人権理事会の理事国選挙に立候補、「国連特別報告者と対話、協力していく」との公約を掲げて、当選し、今や理事国となっています。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000175307.pdf
世界に理事国は47か国、世界的に高い人権の水準を国内でも維持することが期待されるポジションです。
世界の人権基準に照らして疑問を呈されたら、真摯に受け止め、立ち止まってしっかり検討し、対話を尽くすべきでしょう。「なんで日本だけ狙い撃ちされるのか? 」などと激怒するのではなく、冷静に対話して世界に範を示すことが求められているわけです。
それが「強く抗議」とはおよそ外部からの批判を受け付けない強権的な姿勢ではないでしょうか。
そして、恣意的濫用の危険がない、と言い張るのも危険です。
権力は誤りうる、だからこそ謙虚に、市民や国連の声に耳を傾けてこそ暴走を抑止する、そうした自制の意識が全く見られません。
このまま、この法案が通ってしまったら私たちの自由はどうなるのか、本当に心配な状況です。
今からでももっと声をあげ、大きくしていく必要があります。
同じ5月23日、イギリスのマンチェスターで痛ましいテロがありました。一部に「だから共謀罪が必要」という声もあります。
しかしそうでしょうか。
考えてみると、イギリスやフランスは、日本より厳しいテロ対策や処罰を認めているのです。それでもテロが後を絶たないのはなぜでしょうか。
ナチスのヒトラーが人権をはく奪する全体主義社会をつくり、欧州各地を占領した、最悪の恐怖政治のなかでも、レジスタンス運動は広まりました。
さらにテクノロジーが進化した今日、仮にどんな監視社会をつくり、自由をはく奪してもテロを完全に防ぐことはできないでしょう。
私たちはどこまで自由を制約する社会に舵を切るのでしょうか。
共謀罪のように一般人を監視し自由を奪うことが果たしてテロの抑止や平和で安全な社会の構築につながるのか、犠牲者の方々のご冥福を祈りながら、立ち止まってよく考える必要があるはずです。