この4か月に思う。民主主義の炸裂
今年4月に登壇した慰安婦シンポの時のことを思い出す必要があり、自分のブログも読み返してみたのですが、今と当時では4カ月くらいしかたっていないのに、隔世の間があります。
そのブログとはこちら。
http://worldhumanrights.cocolog-nifty.com/blog/2015/04/post-86ea.html
シンポとは、今年4月5日の「朝日新聞問題を通して考える「慰安婦」問題と日本社会・メディア」
ジャーナリストの山本宗補さんが報告を挙げられています。
http://asama888.cocolog-nifty.com/blog/2015/04/post-87d9.html
このシンポに登壇した際、私は、
「 『嘘も百回言えば真実になる』を地でいく歴史の歪曲の洪水のようなプロパガンダが進んでいる。そしてそのことをおかしいと批判できる立場にいる人たちが声を上げずに沈黙をしている。これは、日本が全体主義に近づきつつあること示しているのではないか、と思います。そんな現状の中で今、必要なのは、歴史学や法律の分析とともに、私たち一人一人が、正しいこと、まっとうなことをきちんと言い続けていく、そうしたひとりひとりの勇気ではないか、と痛感しています。」
と言ったのですが、
ほんとに当時は、、、私はへっちゃらにしていましたが、全体状況としては相当悲壮感がありましたよね、
ハッキリ言って。
「ひどいことが続く日本でも確実に育ってくれている若い世代がいることはとても嬉しいことです」なんて書きましたが、やはり率直に言って、多勢に無勢という感がありました。
しかしその後、学生や高校生やママたち・・おかしいことをおかしいと、たくさんの人たちが自分たちの普通の感覚で、自分の言葉で、恐れを知らずにがんがん言うようになって、デモが連日起きている。民主主義が、言論の自由が、炸裂している。
全体主義に陥りそうになったとき、民主主義が正に息を吹き返したような鮮やかな変化が日本に生まれていることは、本当に素晴らしいと思います。
こうした変化を生み出した一人ひとりの人たちを限りなくリスペクトします。
これから何があっても自分たちの力を信じていけば、負けないと思うことが出来ます。
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