私の矜持
「政権与党による深刻な言論介入-日本の言論・表現の自由はいま、危険水域にある。」http://bylines.news.yahoo.co.jp/itokazuko/20150421-00044997/
というブログ記事などを書くのは、私から見ると、当たり前のことだと思うのですが、
政権を批判するような文書を書くと、
「身の危険も顧みず勇気がある」とか「恐くないですか」とか言われたりします。
ふーん、かなり抑えて書いているんだけれどなあ、と思ったりするのですが、いまではこの程度のことも、みんなよほどの勇気がないと言えない時代なのかと思うと、そちらの方が深刻だと思うのです。
確かに、みんな個人で言うのではなく、団体とか、私のような立場ならNGO団体とか、弁護士会とかの名前で意見を言ったり、共同で何かを言ったりするので、個人で言うというのは勇気がいるということな、と思ったりします。
それに、Yahoo二ュースと連動した記事をかけるので、拡散しやすいので、うっかり書くと驚くほど広範に読んでいただいていて、「おお、軽々には書けないな」と思ったりすることがあります。
でも、おかしいと思うことをおかしいというのは当たり前のこと。そして主権者・大人の義務でもあると思うのです。
社会を構成する一員として、言論の自由を行使する存在でありたいのです。
私はハンナ・アーレントに影響を受けているのですが、たった一人の個人として、世界に対するとき、全体主義に抗して生きていきたいのです。全体主義というのは私たちが主体性を放棄するなら、いつでもそちらの方向に堕してしまう、そんな危険なもの。
身の危険があるというが、特にそんなことは感じたことはありません。日本はまだそこまでひどい国じゃないと思ってますよ。そこまでは落ちてないと思う。私は平気です。
まあ、思えば、私をそうさせる要因のひとつは、今この時代に、人権NGOの事務局長であるということかもしれません。
私がヒューマンライツ・ナウという団体を起ち上げた際は、日本の人権状況はこんなに危機的じゃなかった。それがここまできて今がある。
主に私たちは世界的な人権問題に取り組むNGOで、デイリーにそうした活動を今もしていますが、
でも目の前に起きている人権侵害の問題に黙っていてはいけないと思った。
自分の立場で何をすべきなのか、ということを、考えさせられ、行動しようとすること。
いろいろ大変なこともあるのだけれど、自分に果たすべき役割を問うて行動していくことを通じて、自分も成長させてもらっていると感じます。立場に後押しされているところもあるけれど、自分の頭で考えて行動しているのです。
目の前にあるおかしな現実に目を背けないで、自分たちの手に届かないと思う、大きな権力の問題であっても、きちんと意見を言うこと、それが私の矜持かもしれない。
最近こんなツイートをしましたけど、それも結局同じ思いからです。
慰安婦問題に関わらないほうが身のためだ、政府系とかいろんなところで嫌われるし、世界の女性問題だけやってたほうが世の中渡っていけると暗に忠告してくれる人もいる。でも、みんなそんな感じでいいのかね。慰安婦問題は私が昔からやってるテーマじゃないけど、今進行してることは確実におかしい。 おかしいことはおかしいといえる日本であってほしいし、おかしいことはおかしいといえる自分でありたい。ただそれだけ。
そして、4月5日の慰安婦問題とメディアに関するシンポで私がした発言もおんなじです。
・・・・このように、事実に照らし論理的に考えれば、慰安婦制度が軍関与による女性に対する重大な人権侵害であることはあまりに明白です。ところが、嘘も百回言えば真実になる、を地でいく歴史の歪曲の洪水のようなプロパガンダが進んでいます。そしておかしいと思う人が声をあげずに沈黙してしまうという事態になっている。これは、日本が全体主義に近づきつつあるということではないかと危惧します。そんな中で今、必要なのは、正しいこと、まっとうなことをきちんと言い続けていく、ひとりひとりの勇気ではないか、と痛感しています。
矜持、というのは辞書では、「自分の能力を優れたものとして誇る気持ち。自負。プライド。」とありますが、
私には優れた能力とか全くありませんので、そういう意味じゃありませんね、まったく。
ただ、こうあらなければ、こうありたい、そして自分の役割は今何をすることだろう、と考え、努力し続ける、その積み重ねがあるだけです。
そして、みんながおかしいことをおかしいと、もっと言えるように、ハードルを下げていきたい、アイスブレークしたい、多数派の見解がすべてってわけじゃないんだな、言いたいこと言っていいんだな、と思ってもらいたい。
それによって公的空間における社会的対話や民主主義に少しでも貢献したい、と思うのです。
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