「優しい関係」のドロシー
フランソワーズ・サガンの小説「優しい関係」
主人公のドロシーはとても素敵な女性なので、私はいつもあんなふうになりたいと思っていました。
20代の頃から愛読しているうちに、ドロシーの年を越してしまったのですが(笑)
この書籍の冒頭、彼女のキャラクターが良くでているところはここ。このくだりで、人生を楽しんで生きる彼女にとても惹きつけられました。
好きなので、ご紹介します。
「ドロシー、君は気でもちがったのか?」この種の質問が私には一番答えにくい。そのうえこの質問は、しゃれた濃紺のブレザーを着て、きびしい眼つきで私を見つめていたポールから発せられたのだ。私たちは自宅のテラスにいて、私は着古したトワルのスラックス、しぶい花柄のブラウス、それから頭にネッカチーフ、という庭いじりの格好だった。とはいっても、私が生涯に一度として庭いじりをしたというわけではない。植木ばさみを見ただけで、私はゾッとする。でも私は扮装するのが好きなのだ。それで、毎土曜日の夕方、私は隣人たちとおなじように庭いじりの服装をする。しかし、芝生の上で、狂いたつ芝刈り機のあとを追っかけたり、意のままにならない花壇の雑草をとったりするかわりに、私はテラスに椅子を出して、大きなウイスキーのグラスを前に置き、一冊の本を手にしながら、ゆっくりと腰を落ち着けるのだった。6時から8時までのあいだの、こういう仕事の最中にポールが不意打ちに私を訪れたのだ。私はうしろめたい気持ちと同時に、いい加減に扱われた感じがした。これはふたつともおなじくらいはげしい感情である」
「君、庭いじりをしていたの?」 私は何度も肯定的にうなずいた。考えてみるとおもしろいことだけれど、私たちにいつも嘘をつかせるようにする男性がいるものだ。ポールに私の土曜日の罪のない仕事を説明することは私には絶対できなかった。そんなことをしたら、彼はまたもや、私のことを気がへんだというだろう。それに私自身、その彼の考えが正しいのではないかと思い始めていたのだ。 「そんなふうにも見えないな」と彼はあたりをみまわしたあとで言った。わたしのちっちゃな哀れな庭は事実ジャングルのようだった。にもかかわらず私は憤ったようすをした。 「私、できるだけのことをしてるつもりよ」
私もいつも土曜日の夜にそんな甘美な一人の時間を持ちたいと思うのですが、なかなかうまくいかず、彼女の肩の力の抜けたライフスタイルに今も憧れているのです。
優しい関係 新潮文庫 作 フランソワーズ・サガン 訳 朝吹登水子
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