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2015年4月

2015年4月29日 (水)

「優しい関係」のドロシー

フランソワーズ・サガンの小説「優しい関係」

主人公のドロシーはとても素敵な女性なので、私はいつもあんなふうになりたいと思っていました。
20代の頃から愛読しているうちに、ドロシーの年を越してしまったのですが(笑)

この書籍の冒頭、彼女のキャラクターが良くでているところはここ。このくだりで、人生を楽しんで生きる彼女にとても惹きつけられました。
好きなので、ご紹介します。

「ドロシー、君は気でもちがったのか?」この種の質問が私には一番答えにくい。そのうえこの質問は、しゃれた濃紺のブレザーを着て、きびしい眼つきで私を見つめていたポールから発せられたのだ。私たちは自宅のテラスにいて、私は着古したトワルのスラックス、しぶい花柄のブラウス、それから頭にネッカチーフ、という庭いじりの格好だった。とはいっても、私が生涯に一度として庭いじりをしたというわけではない。植木ばさみを見ただけで、私はゾッとする。でも私は扮装するのが好きなのだ。それで、毎土曜日の夕方、私は隣人たちとおなじように庭いじりの服装をする。しかし、芝生の上で、狂いたつ芝刈り機のあとを追っかけたり、意のままにならない花壇の雑草をとったりするかわりに、私はテラスに椅子を出して、大きなウイスキーのグラスを前に置き、一冊の本を手にしながら、ゆっくりと腰を落ち着けるのだった。6時から8時までのあいだの、こういう仕事の最中にポールが不意打ちに私を訪れたのだ。私はうしろめたい気持ちと同時に、いい加減に扱われた感じがした。これはふたつともおなじくらいはげしい感情である」
「君、庭いじりをしていたの?」 私は何度も肯定的にうなずいた。考えてみるとおもしろいことだけれど、私たちにいつも嘘をつかせるようにする男性がいるものだ。ポールに私の土曜日の罪のない仕事を説明することは私には絶対できなかった。そんなことをしたら、彼はまたもや、私のことを気がへんだというだろう。それに私自身、その彼の考えが正しいのではないかと思い始めていたのだ。 「そんなふうにも見えないな」と彼はあたりをみまわしたあとで言った。わたしのちっちゃな哀れな庭は事実ジャングルのようだった。にもかかわらず私は憤ったようすをした。 「私、できるだけのことをしてるつもりよ」

私もいつも土曜日の夜にそんな甘美な一人の時間を持ちたいと思うのですが、なかなかうまくいかず、彼女の肩の力の抜けたライフスタイルに今も憧れているのです。

優しい関係  新潮文庫  作 フランソワーズ・サガン  訳 朝吹登水子

http://www.amazon.co.jp/%E5%84%AA%E3%81%97%E3%81%84%E9%96%A2%E4%BF%82-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%87%E5%BA%AB-2-7-%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%BA-%E3%82%B5%E3%82%AC%E3%83%B3/dp/4102118071

2015年4月24日 (金)

ファッション・レボリューションデーに考える。あなたの着る服が少女たちの搾取労働で成り立っていたら・・?


写真付きの記事はこちらをご覧ください。http://bylines.news.yahoo.co.jp/itokazuko/20150424-00045093/


4月24日はファッション・レボリューション・デー。

新しく始まった、ファッション産業の仕組みを変えられないか? という国際キャンペーン・デーです。


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皆さんが何気なく選んでいる服、お気に入りの服が、どんなふうにつくられているのかについて、少し敏感になって想像力を働かせてくれることが、犠牲のうえに成り立っているファッション産業の構造を変えることが出来ます。

■ 4月24日は何があった日?

2年前の4月24日、バングラデシュのダッカ郊外の縫製工場が立ち並ぶ地区の一角にあったラナ・プラザというビルが倒壊して、その工場で働いていたたくさんの労働者が犠牲になりました。

その数は1000人以上。。多くは若い女性たちでした。

前の日からビルには大きな亀裂があることがわかり、みんな怖がって出社したくない、と訴えていました。

それでも、工場のオーナーの命令で、みんなは働きに行ったのです。そして間もなく、ビルは倒壊し、多くの人が下敷きになり、生き埋めになり。。。

この痛ましい事故は世界に報道され、バングラデシュの工場労働は「非人道的」と批判を浴びました。
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しかし、その工場で労働者たちがつくっていたのは、例えば以下のような世界的なブランドの服であることが、わかったのです。


Bonmarche, Camaieu, The Children's Place, El Corte Ingles, Kik, Mango, Premier Clothing, Primark, Walmart, C&A, Gueldenpfenning, Mascot, Asda, Inditex, Loblaw, LPP S.A., AdlerModemarkte, Benetton, Cato Fashions, Manifattura Corona, Matalan,NKD, Texman, Yes Zee, Carrefour, Store21, Auchan, JCPenney, Iconix, KANZ/Kids Fashion Group, LC Waikiki, Robe di Kappa, Ascena Retail

ベネトンや、ウォルマート、プライマーク、マンゴーなどの日本でも知られている有名ブランド。 

InditexはZaraを含むアパレルグループですね。

そんなブランドの名前があがったことは、バングラデシュの惨劇と私たちを結びつけました。

■ 児童労働、事故のトラウマ、家族を失い、下半身まひで生きていかざるを得ない若い女性たち。

ラナプラザ事故から一年余、私は、バングラデシュを訪れ、事故の被害にあった元労働者の女性たちのお話しを聞く機会がありました。
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みなさん、10代から20代半ば。ビルの下敷きになり、助け出された彼女たちは、今も足に傷跡が残り、神経が切断されて下半身まひなどの状況で治療を受け続けていました。事故の恐怖はいまも忘れられないといいます。
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下の写真の真ん中にいる、黒いベールをかぶった少女は、事故当時14歳、児童労働でした。

お母さんも一緒にこの工場で働いていたけれど、母は事故で亡くなってしまったそうです。

彼女の足の傷はとても重く、一生障害を背負っていく彼女は必死に痛みに耐えていました。

このラナプラザ事故の少し前に、タズリーンという縫製工場で火事が発生して多くの労働者が焼け死にました。工場は深夜も操業を続け、外から鍵をかけられてほとんど閉じ込められていたため、多くの労働者は火事が発生しても逃げる事もできずに焼け死んだのです。

監禁されて深夜も労働・・・そこでつくられていたのも、有名ブランドの服ばかりでした。
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そんな過酷な労働環境は、事故後も変わっていない、それが昨年バングラデシュに行った時に痛感したことでした。

事故後、最低賃金はあがったけれど、物価も上がったので、工場で働く人たちの生活は苦しいまま。
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土日も関係なく、朝から夜10時、11時まで働いていても、住めるところはスラム街。トタンで簡単に囲われただけの、多くの人が密集したスラム。不衛生で狭く、暑くて息苦しいスラムに住む女性たちにお話しを伺ったときには、言葉を失いました。

■ 低価格競争が招く悲劇

ラナプラザのような悲劇はどうして起きるのか。どうして労働者たちはいまも苦しい生活なのか。

国際ブランドが、人件費の安く、労働法規制も十分でないアジアの途上国に生産拠点を移し、人件費コストを抑制して巨大な利益を得ていること、途上国の工場に「低価格」で「短い納期」の生産を厳しく求めていることが大きな原因なのです。

ブランドは、熾烈な低価格競争の犠牲を生産現場に強いており、安全で権利を保障した労働環境を実現するに足るだけの価格での買取りを保障していないという訴えを、私はバングラデシュ滞在中に何度も耳にしました。

「もっと価格をあげてほしい」「こんな価格では作れない」というと、ブランドは、「それなら中国やミャンマー、アフリカの工場に発注に切り替えますよ」と言い、実際にそうしてしまうというのです。仕事を失いたくない工場は、文句を言わず、発注を受けるしかないというのです。

もちろん、バングラデシュの国内企業が労働法規をまったく守らず、労働者を搾取するということは横行していますし、政府も十分な対策は全然打っていない、しかし、大きな要因として、発注元である国際ブランドの関与なくして、これだけ大規模な構造の労働搾取は成立しません。

こうしてつくられた製品は、米国、ヨーロッパ、日本などで低価格のファストファッションとして提供され、私たちは低価格競争の恩恵を受けて、安くてスタイリッシュな製品を買うことが出来るわけです。

■ カンボジア・中国では何が?

私たちヒューマンライツ・ナウは、このバングラデシュの調査の後、中国、カンボジアでも搾取労働の調査を進めました。

すると、日本のブランド、ユニクロ(ファーストリテイリング)も含む世界的なブランド企業の下請け工場での過酷労働の実態が明らかになったのです。

既にこちらのページでもご紹介した通りですが、

・ユニクロ: 潜入調査で明らかになった中国・下請け工場の過酷な労働環境

http://bylines.news.yahoo.co.jp/itokazuko/20150113-00042192/

調査報告書はこちら

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・ユニクロ:再び問われるグローバル企業の責任: 今度はカンボジア労働者が過酷労働を告発

http://bylines.news.yahoo.co.jp/itokazuko/20150401-00044415/

ステートメントはこちら

カンボジアの労働組合からのさらに詳しい、下請け工場の労働法違反の報告書は

こちら

記者会見全文http://iwj.co.jp/wj/open/archives/241131#jyouhou

それぞれの工場での実態や労働者からの告発は、氷山の一角に過ぎないでしょう。

その陰でどれだけ同じような苦しみを抱えている労働者が多いかは想像もできません。

そして、私たちが指摘した問題について、まだ改善は十分にはかられていません。

中国の問題についてはファーストリテイリングと交渉中ですが、進展も情報公開もまだ十分とはいえません。

私たちは、ファーストリテイリングに対して、


・徹底した調査と検証、改善、そのプロセスと内容を詳細に公表することで、説明責任を果たすこと

・モニタリング体制の改善

・低い発注価格の見直し

・すべてのサプライヤー(下請け工場)の公表

・労働者への研修と労働組合結成の支援

などを求めています。

カンボジアの報告については、今のところ、ユニクロのファーストリテイリング、ZaraのInditexからレスポンスがきています。

H&Mなど他のブランドからはレスポンスを待っている状況です。

■「安い服の高い代償」アジアの女性たち・少女たちの権利を守り、オールタナティブを示すために。

Voice Newsの番組

"From Sex Worker to Seamstress: The High Cost of Cheap Clothes"

「売春か縫製労働者か」

https://www.youtube.com/watch?v=EnXhB1XtL2o

は、最近のカンボジアの女性を取り巻く状況を切り取っています。是非一度見てください。最低賃金は月額128ドルに引き上げられましたが、その他の状況はあまり変わっていません。

工場労働者は朝から晩まで働いても低賃金で生きていけない、売春をしたほうが稼げる、生き延びられるとしたら、女性たちの自立にとって縫製工場で働くことは健全なオールタナティブとは言えないでしょう。

カンボジアなどで少女たちを意に反する人身売買や売春から守りたい、そんなことに関心を持ってくださっている方は多いと思いますが、子どもたちの性搾取の問題と、工場での労働搾取の問題は無関係ではない、女性・少女たちを取り巻く現実のパーツのそれぞれ一部なのです。

バングラデシュでも、縫製産業は、農村の少女たちが、伝統的な社会で、幼児婚、強制結婚、DVなどの無権利状況の結婚の犠牲に会ったり、人身売買の犠牲にあったりすることのオールタナティブとして期待されています。

みんなが求めているのは、ブランドがバングラデシュを去ることではない、

人間らしい、搾取されない働き方を保障するようイニシアティブをとること

なのです。

もし縫製産業で労働基準が守られるようになれば、女性・少女たちのエンパワーメントにとって大きな前進につながるでしょう。

■ では私たちは何が出来る?~意識の高い消費者に

実は私もニューヨーク留学当時から、Zara、H&Mの大ファンでした。貧乏留学生には、チープファッションはとても嬉しい味方ですね。

でも、今は、チープファッションを積極的に推奨することはありません。

搾取構造がそのまま続いていることを知ったら、なぜこんなに安いのか~それは現場で働く人に支払われるお金が雀の涙程度だからだ、

とわかりながら黙って買い続けることでは、搾取構造~その末端は若い女性・少女たち~に加担していることになってしまいます。

最近、国際ブランドは事態の改善に努めつつあります。それは、消費者による抗議活動、不買運動、株価の下落などを恐れ、世論やメディアもとても厳しい目をブランドに向けるようになってきたからです。

ラナプラザの被害者への補償金の支払いを渋る企業名は公表され、厳しい批判にさらされています。

もしブランド・イメージが傷つけられ、商品を買ってもらえなくなれば、ブランドは大きな打撃をうけます。

いまや、率先して事態の改善に努めている姿勢を明確にしたり、ファッション・レボリューション・デーにもブランド自体が関わったりすることもあるのです。

それに比べるとまだ日本ではブランド企業の取り組みも国際的な水準にはほど遠く、こうした問題に意識した報道も少ないのが現状です。

新聞・TVに加えて、ファッション誌がこうしたことについて特集を組んでくれたり、継続的にフォローしてくれると随分違うはず。

その影響もあるのか、消費者のなかでもこうした問題への注目度がとても高い、とは言えません。

渋谷の風景渋谷の風景
是非、多くの方に関心をもってほしいと思います。

不買運動をして産業に与える、ということを推奨しているわけではありません。逆に、消費者として、各ブランドの取り組みや報道・指摘される労働問題に意識を持ち、改善していくのかどうか、よく見ていく、例えば、ブランドに手紙を書いてもらう、SNSやブログでつぶやいてみる、などの小さな行動も、つもりつもればとても有効だと思います。

例えば、H&Mは、すべての製品をオーガニックコットンでつくるなど、自社のポリシーを明確にしています。

https://www.hm.com/jp/customer-service/faq/our-responsibility

また、H&Mは、すべての下請け工場を公開しています。

http://sustainability.hm.com/en/sustainability/downloads-resources/resources/supplier-list.html

どうしてオーガニックコットンなのか?

オーガニックコットンとは?

本当に自社ポリシーが徹底しているの? (私たちの調査ではH&Mの下請け工場の深刻な問題についての労働者の告発がありました)などとチェックを入れてみたり、

では、ほかの企業はどうだろう、と比べてみて、商品選択の参考にするのもひとつです。

「ファッションレボリューションデー」を検索して考えてみたり、関連するイベントに参加してみたりすることもできます。

また、オールタナティブとしての、フェアトレードをサポートすることも素晴らしい、そして重要な選択だと思います。

ファッションは私たちの生き方やライフスタイル、自分なりのこだわりを示すものです。

もし、そのファッションが誰かの犠牲の上に、アジアの女性たちの過酷な労働搾取のうえに成り立っているとしたら、そのまま黙って買って着こなすのは本当におしゃれなのか?

あなたのこだわりのなかに、是非、「どうやってつくられているのか? 」ということを加えて、ちょっとしたアクションにつなげてほしいと思います。

そんなひとつひとつの選択がファッション産業のゆがんだ構造を変えるきっかけになると思うのです。

意識の高い消費者が増えることは、めぐりめぐって、世界を変えることに確実につながります。

2015年4月23日 (木)

私の矜持

「政権与党による深刻な言論介入-日本の言論・表現の自由はいま、危険水域にある。」http://bylines.news.yahoo.co.jp/itokazuko/20150421-00044997/

というブログ記事などを書くのは、私から見ると、当たり前のことだと思うのですが、
政権を批判するような文書を書くと、

「身の危険も顧みず勇気がある」とか「恐くないですか」とか言われたりします。

ふーん、かなり抑えて書いているんだけれどなあ、と思ったりするのですが、いまではこの程度のことも、みんなよほどの勇気がないと言えない時代なのかと思うと、そちらの方が深刻だと思うのです。

確かに、みんな個人で言うのではなく、団体とか、私のような立場ならNGO団体とか、弁護士会とかの名前で意見を言ったり、共同で何かを言ったりするので、個人で言うというのは勇気がいるということな、と思ったりします。

それに、Yahoo二ュースと連動した記事をかけるので、拡散しやすいので、うっかり書くと驚くほど広範に読んでいただいていて、「おお、軽々には書けないな」と思ったりすることがあります。

でも、おかしいと思うことをおかしいというのは当たり前のこと。そして主権者・大人の義務でもあると思うのです。
社会を構成する一員として、言論の自由を行使する存在でありたいのです。
私はハンナ・アーレントに影響を受けているのですが、たった一人の個人として、世界に対するとき、全体主義に抗して生きていきたいのです。全体主義というのは私たちが主体性を放棄するなら、いつでもそちらの方向に堕してしまう、そんな危険なもの。

身の危険があるというが、特にそんなことは感じたことはありません。日本はまだそこまでひどい国じゃないと思ってますよ。そこまでは落ちてないと思う。私は平気です。

まあ、思えば、私をそうさせる要因のひとつは、今この時代に、人権NGOの事務局長であるということかもしれません。
私がヒューマンライツ・ナウという団体を起ち上げた際は、日本の人権状況はこんなに危機的じゃなかった。それがここまできて今がある。
主に私たちは世界的な人権問題に取り組むNGOで、デイリーにそうした活動を今もしていますが、
でも目の前に起きている人権侵害の問題に黙っていてはいけないと思った。

自分の立場で何をすべきなのか、ということを、考えさせられ、行動しようとすること。
いろいろ大変なこともあるのだけれど、自分に果たすべき役割を問うて行動していくことを通じて、自分も成長させてもらっていると感じます。立場に後押しされているところもあるけれど、自分の頭で考えて行動しているのです。

目の前にあるおかしな現実に目を背けないで、自分たちの手に届かないと思う、大きな権力の問題であっても、きちんと意見を言うこと、それが私の矜持かもしれない。

最近こんなツイートをしましたけど、それも結局同じ思いからです。

慰安婦問題に関わらないほうが身のためだ、政府系とかいろんなところで嫌われるし、世界の女性問題だけやってたほうが世の中渡っていけると暗に忠告してくれる人もいる。でも、みんなそんな感じでいいのかね。慰安婦問題は私が昔からやってるテーマじゃないけど、今進行してることは確実におかしい。 おかしいことはおかしいといえる日本であってほしいし、おかしいことはおかしいといえる自分でありたい。ただそれだけ。

そして、4月5日の慰安婦問題とメディアに関するシンポで私がした発言もおんなじです。

・・・・このように、事実に照らし論理的に考えれば、慰安婦制度が軍関与による女性に対する重大な人権侵害であることはあまりに明白です。ところが、嘘も百回言えば真実になる、を地でいく歴史の歪曲の洪水のようなプロパガンダが進んでいます。そしておかしいと思う人が声をあげずに沈黙してしまうという事態になっている。これは、日本が全体主義に近づきつつあるということではないかと危惧します。そんな中で今、必要なのは、正しいこと、まっとうなことをきちんと言い続けていく、ひとりひとりの勇気ではないか、と痛感しています。

矜持、というのは辞書では、「自分の能力を優れたものとして誇る気持ち。自負。プライド。」とありますが、
私には優れた能力とか全くありませんので、そういう意味じゃありませんね、まったく。
ただ、こうあらなければ、こうありたい、そして自分の役割は今何をすることだろう、と考え、努力し続ける、その積み重ねがあるだけです。

そして、みんながおかしいことをおかしいと、もっと言えるように、ハードルを下げていきたい、アイスブレークしたい、多数派の見解がすべてってわけじゃないんだな、言いたいこと言っていいんだな、と思ってもらいたい。
それによって公的空間における社会的対話や民主主義に少しでも貢献したい、と思うのです。


政権与党による深刻な言論介入-日本の言論・表現の自由はいま、危険水域にある。

自民党のメディア聴取

自民党が4月17日、テレビ朝日とNHKの経営幹部を呼んで、「報道ステーション」「クローズアップ現代」の番組の内容に関する事情聴取をしたことが報じられている。

が、これは政権による言論への介入として、極めて深刻な問題をはらんでいる。

もっと大きく問題にされ、深刻な議論が展開されていいはずだ。

翌日の朝日新聞は「自民、政権批判発言に照準 テレ朝・NHK聴取」と題して、以下のように報道した。

「二つの案件とも真実が曲げられて放送された疑いがある」。17日、自民党本部で開かれた党情報通信戦略調査会。国会議員やテレ朝とNHKの幹部を前に、調査会長の川崎二郎・元厚生労働相は語った。

一つは、テレ朝の「報道ステーション」でコメンテーターが菅氏を名指しし、「官邸のみなさんにはものすごいバッシングを受けてきました」などと発言した件。もう一つは、NHK「クローズアップ現代」で「やらせ」が指摘されている問題だ。

自民の狙いはテレ朝の「報ステ」だ。この日の事情聴取は、テレ朝の約30分に対し、NHKは15分。調査会幹部の一人は「NHKはどうでもいい。狙いはテレ朝だ」と話す。

出典:朝日新聞「自民、政権批判発言に照準 テレ朝・NHK聴取」


報道ステーションで官邸の圧力に言及したコメンテーターの発言に焦点が絞られているのは明らかである。

このようなコメンテーターの一言一句をとらえて「真実がねじ曲げられた」として政権党がテレビ局幹部を聴取するようなことがまかりとおれば、萎縮効果は計り知れない。現場が萎縮し、政権批判を含む発言がほとんど封殺されてしまう危険性をはらんでいる。

しかし、政権与党にとって聴取はあくまでステップにすぎないようだ。朝日新聞によれば、

自民は、テレ朝の社内検証が不十分だと判断した場合、第三者機関の放送倫理・番組向上機構(BPO)に申し立てることも検討する。

出典:http://www.asahi.com/articles/DA3S11710894.html
という。調査会会長の川崎次郎議員は、調査会の後に、

「事実を曲げた放送がされるならば、(放送法などの)法律に基づいてやらせていただく」と語った。また、BPOの対応に納得がいかない場合を念頭に、「(政府には)テレビ局に対する停波(放送停止)の権限まである」と踏み込んだ

出典:朝日新聞4月18日「自民、BPOや放送法言及」


というのだ。これは異常な話である。これが圧力・介入でなくて何であろうか。

さらに、自民党は「放送倫理・番組向上機構」(BPO)について、政府が関与する仕組みの創設を含めて組織のあり方を検討する方針を固めたという。

「放送法」を持ち出すような話なのか?

そもそも遡って考えてみよう。

ここで問題となっている古賀さんが、「官邸のみなさんにはものすごいバッシングを受けてきました」などと発言した件。

私は特にこの方の意見を支持してるわけではない(というより、残念ながら報道ステーションの時間に帰宅できないことが多く、何を発言されているのかあまりよく知らない)し、自分の降板について突然話し始めたのをYoutubeで見たときには、脈絡がないため驚いた。

しかし、政権が「放送法」を持ちだすような話ではなかろう。

古賀さん個人に圧力があったかどうかはわからないが、あったとしても別に不思議とは思わない。

圧力というのは陰に陽に、直接的にも間接的にもかけられるものである。

オフレコのメディアとの懇談で、古賀氏を批判し「放送法」を持ちだしたことを記載したオフレコ・メモもあるという。

http://lite-ra.com/2015/03/post-986_2.html

折も折、自民党が報道ステーションを名指しして「公正中立」を求める要請文を出していることも最近明らかになった。 


テレビ朝日が衆院解散後の昨年11月24日に放送した「報道ステーション」でのアベノミクスに関する報道に対し、自民党が「公平中立な番組作成」を要請する文書を出していたことが分かった。自民党は要請を「圧力ではない」と説明している。

要請書は昨年11月26日付。自民党の福井照報道局長名で「アベノミクスの効果が大企業や富裕層のみに及び、それ以外の国民には及んでいないかのごとく断定する内容」と批判。意見が対立する問題は多角的に報じることを定める放送法4条に触れ、「番組の編集及び解説は十分な意を尽くしているとは言えない」と指摘した。

出典:http://www.asahi.com/articles/ASH4B3SDNH4BUTFK004.html?iref=reca

自民党が要請を「圧力でない」と言ったとしても、受け取ったメディア側からすれば圧力と感じるのが通常であろう。

これには、民放で働く労働者で作る民放労連が「圧力以外の何物でもない」と強く抗議している。

ところが、自民党はこうした都合の悪い事にはあまり触れない。

いずれにしても、公表されている事実関係を見る限り、事実をねじ曲げた、というのは政権側の逆切れのようなものであり、政権側が「事実をねじ伏せる」ために圧力をかけているのではないか、との感想を禁じ得ない。

問題にすべきは、「要請」「放送法」の名のもとに、報道に圧力をかけている政府・自民党の側であるのに、論点をそらし、「圧力があったというのは事実誤認だ」として圧力をかけているのが現状である。

そもそも、放送法4条は

一  公安及び善良な風俗を害しないこと。

二  政治的に公平であること。

三  報道は事実をまげないですること。

四  意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。


と規定するが、放送業者が自主的に取り組む責務として解釈されており、放送法4条を根拠とする国家による介入は本来想定されていない。

そしてコメンテーターの発言は「報道」ではないのであり、コメンテーターの発言に誤りがあるからと言って「報道は事実をまげない」に該当するとはいえないであろう(失礼ながら、テレビのコメンテーターが大なり小なり間違った発言をしているのはよく見受けられるのだが、そんなことにいちいち政府が詮索・介入したらどうなるのだ)。

ちなみに、放送法4条には「政治的に公平であること」とある。

しかし、この「公平」は誰が決めるのか。政府からみた「公平」と反対政党から見た「公平」は全く異なる可能性があるだろう。

「公平」を政府見解とはき違え、政府見解から容認できないものは「公平でない」などとして干渉することになれば、政府見解と異なることは言えなくなり、報道機関は政府のプロパガンダ機関と化してしまう。

表現の自由への挑戦

そもそも、政府が威嚇の手段として持ち出している放送法であるが、第一条はその目的として

一  放送が国民に最大限に普及されて、その効用をもたらすことを保障すること。

二  放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによつて、放送による表現の自由を確保すること。

三  放送に携わる者の職責を明らかにすることによつて、放送が健全な民主主義の発達に資するようにすること。


を掲げている。

また、第三条は、

放送番組は、法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない。

と規定する。

政府・権力からの干渉・介入は許されないことは明らかである。

確かに放送法上、放送事業は総務大臣の許認可・更新を受けることになっている。しかし、四条に合致しているかを総務大臣が審査して更新をしないなどということはよほどのことがない限り認められないことは憲法上明らかである。


放送法は、日本国憲法21条の保障する言論・表現の自由のもとにある。

憲法21条

1 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。

2  検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

日本国憲法は、戦前に表現の自由が弾圧をされたまま、反対意見が言えずに雪崩を打って戦争に至った歴史への反省のもと、表現の自由を最大限に尊重する憲法として誕生している。

米国と同様、表現の自由には最大の価値が置かれる憲法体系のもと、表現の自由を制約することが合憲と認められるためには大変厳格なハードルが課されている。

他者の人権を保障するために必要やむを得ない事情がある場合にのみ規制が正当化されるが、規制は最小限度でなければならず、他により表現の自由を制約しない方法がある場合、表現の自由すべての剥奪(ここでいう許認可を更新しないなどの措置)のような措置は許されない。 

特に表現の内容を公権力が審査・規制することは極めて例外的でなければならない、とされている。

このような憲法の制約からみれば、古賀氏の発言を理由とする放送停止、などというのは明らかに違憲であることが明らかなのであって、そのような言及を持ちだすこと自体、政権与党の見識が疑われる。明らかに違憲な、言論への干渉をするぞと脅して、威嚇しているのである。

停波などという放送事業者の生殺与奪を弄び、萎縮させるようなやり方は憲法が保障する言論・表現の自由への明らかな挑戦であり、現政権・政権与党の人権感覚が疑われる。

また、BPOという自主的な取り組みを変えて政府が関与をするというのは、明らかに一線を越えている。

言論の自由はいま危ない。

過去にも言論への政権与党の介入はあったが、ここまで露骨な介入に踏みこんだのは尋常ではない。

このようにして、第四権力であるメディアを震え上がらせて沈黙させた後は、行政をチェックするはずの国会議員や司法にまで圧力をかけて、三権分立も骨抜きにする危険性が待っていると懸念される。

最近、福島瑞穂議員が質問で使った「戦争法案」という発言を弾圧する動きが問題となっているが、これはその端緒というべきではないだろうか。

自分と見解が違う少数意見は全部封殺してしまってよいとなったら国会はどうなるのだろうか。

安倍首相が「価値観が異なる」と敵視している、中国などの言論抑圧構造に近づいてしまっていく危険がある。

日頃、独裁国家の人権状況をモニタリングしている私としては、日本の言論の自由は大変気になる水域に入ってきたと感じている。

軍事クーデターもないまま、いつのまにかみんなが迎合・沈黙してしまう、歴史上繰り返されてきたある種の言論抑圧体制に、放っておけば雪崩を打ったように進んでしまう危険性がある。 

戦わないメディアの現状

ところが、次々と繰り出される政権・与党からの攻勢・圧力にメディアの及び腰は目を覆うような有様だ。

特に、自らは標的とならなかったメディアが他人事のように沈黙したり、中にはバッシングに積極的に加わる様には驚くほかない。

昨年の朝日新聞バッシングでは誤報を理由に「国賊」「国益に反する」などの言葉を新聞他社が使って朝日新聞を攻撃する姿勢が見られた。

今年に入り、後藤氏の殺害事件の直後にシリア入りした朝日新聞の取材に対し、政権および他紙からのバッシングが続いた。

後藤氏の殺害後にパスポートを取り上げられ、再申請したパスポートに『シリアとイラクの入国制限』をつけられたフリー・ジャーナリストの件についても、メディアがわがこととして問題視したり、積極的に報道をする姿勢は見られない。

そして、今回の自民党による聴取や「放送法」に関する圧力に対しても、残念ながら、連日メディアが猛反発してキャンペーンを展開してはねのける、という構えには全く見えない。

昨年11月のテレ朝への自民党の要請文の件についても、民放労連という労働組合だけが声明を出したようだ。

本来、

民放連   http://www.j-ba.or.jp/

新聞協会  http://www.pressnet.or.jp/

といった業界団体が真っ先に対抗し、抗議をすべきはずである。

90年代にこれらの業界団体の幹部に会った際は、私からみても戦闘的すぎるほど、強固に表現の自由を守る姿勢だったのを覚えているが、いつから変わってしまったのだろうか。

自分の社に関係ないということで黙っていたり、率先してバッシングをするような状況は、実は自分たちの首を絞めているということに気が付かないのであろうか。

政権から目の敵にされているメディアが孤立し、凋落する、それで商売敵が減るという考えもあるかもしれないが、そんな作戦が成功すれば、次は他社が少しでも気骨のある報道をすれば、攻撃対象になるかもしれない。まるでいじめの構図と同じである。

エリート集団となってしまい、第四権力ともいわれるメディアのなかには、いざ表現・言論が危機に立たされた際に戦う気骨がなくなってしまったのだろうか。一緒に連帯する気概がなくなってしまったのだろうか。

憲法違反の恫喝や、乱暴なバッシングを恐れて萎縮し、換骨奪胎とさせられてしまうなら、権力監視というメディアの存在意義は無になる。独裁国家の放送局と変わらないことになるだろう。

メディアも社説で問題視するなどしているものの、微温的に自民党をたしなめたりする論調が多く、主要メディアと言われる媒体、そしてメディア総体としての抗議の仕方はおとなしすぎると感じる。

2013年の秋から冬にかけての特定秘密保護法反対の際には、少なくとも多くの言論人・メディアが連帯して論陣を張ったはずだ。

日本の表現・言論の自由が危ない、まさかの時代に突入する危険がある。メディアが沈黙したり、迎合している場合ではないはずだ。

日本国憲法にはこのように書かれている。


第十二条  この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。

言論・表現の自由は所与のものではなく、勇気をもって行使し、求め、対抗し、勝ち取るものであり、そのことを忘れれば、私たちの自由はとても危うい。多様な言論の機会が奪われれば、民主主義そのものが危機に陥る。

政府の許容範囲から少しでも外れる言論は攻撃され、圧殺される、言うこと自体が萎縮させられる、それが常態化すれば、権力の暴走に歯止めがきかなくなる危険性がある。

メディアには今こそ踏みとどまって、毅然と抗してほしい。

そして、私たちももっと問題にしていくべきだと痛感する。

自民党には意見をいう窓口などもあるし、https://www.jimin.jp/voice/

ネットを始め、様々な媒体がある。身近な選挙も近々ある。

意見が言えなくなってからでは遅い。その前に、表現の自由を行使しましょう。

2015年4月 8日 (水)

全体主義に抗するひとりひとりの勇気~日曜のシンポから

日曜日に開催した、慰安婦問題のシンポジウムは550人近い人が参加してくださったようで、多くの方が関心を寄せていただいてよかった! です。

素敵なシンポジストの皆様ともお近づきになることが出来、主催者の方々の献身的なご活動にただただ尊敬。
エネルギッシュな金富子さんと20年ぶりに再会する機会があり、元気をいただきました。

そして、一橋大学で今年から専任講師になる若者がお手伝いしてくれたのですが、
以前私が代理人をしていた埼玉県立所沢高校事件(日の丸君が代強制事例)の生徒会メンバーだったとのこと。
彼本当に久しぶりに再会することが出来、当時の生徒会の子たちがみんな元気に社会で活躍してくれてることにとても嬉しい思いがしました。
一番渦中にあった生徒会長さんも、いまや立派な憲法の先生だということ。
そんなわけで、昔「子どもの人権」関係で関わってきた高校生や若者たちのその後をトレースしたところ、俳優になって連ドラに出てる子とか、社長さんとか、いろいろ素晴らしく、感動していました。

ひどいことが続く日本でも確実に育ってくれている若い世代がいることはとても嬉しいことです。

ところで、シンポにお話しを戻しますと、新聞社・メディアの現状はあまりに残念。
当事者的立場にある朝日新聞さんには、もう少し頑張って報道していただきたいものですが、これが現状ではぎりぎりの良心の発揮といえるでしょうか。


慰安婦問題でシンポ:朝日新聞デジタル

「『慰安婦』問題と日本社会・メディア 朝日新聞問題を通して考える」と題したシンポジウムが5日、東京都府中市の東京外国語大であり、約500人が参加した。慰安婦問題に詳しい歴史研究者らが主催。・・・

http://www.asahi.com/articles/DA3S11690685.html

ところで、私の発言はこちらには紹介されていないのですが、わたしが一番強調したかったツボはこちらでした。


(慰安婦問題が軍関与の強制性ある人権侵害であることについてかくかくしかじか説明した後)

「このように、事実に照らし論理的に考えれば、慰安婦制度が軍関与による女性に対する重大な人権侵害であることはあまりに明白です。しかし、その論理が一切無視され、おかしな言説が政府主導でまかり通っている。
「嘘も百回言えば真実になる」を地でいく歴史の歪曲の洪水のようなプロパガンダが進んでいる。
そしてそのことをおかしいと批判できる立場にいる人たちが声を上げずに沈黙をしている。
これは、日本が全体主義に近づきつつあること示しているのではないか、と思います。
そんな現状の中で今、必要なのは、歴史学や法律の分析とともに、私たち一人一人が、正しいこと、まっとうなことをきちんと言い続けていく、そうしたひとりひとりの勇気ではないか、と痛感しています。」

ということです。本当にそう思います。
そのことに尽きています。
全体主義に抗していくために。

2015年4月 5日 (日)

H&Mに関する過去の投稿につきまして

以前の私の記事で、「服はZARA、さらにH&Mに期待」という記事があります。

http://worldhumanrights.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/zarahm-c47a.html

そう、確かに、米国留学生活当時にZara、H&Mのファッションに出会い、ヘビーユーザーだった時期があります。
ただ、その後2013年ころからワードローブを一新し、あまり購入しなくなりました。

しかし、2013年のラナプラザ事故、そして昨年その現場を訪れて、女工さんたちの置かれた状況に心を痛め、
ナオミ・クラインの「ブランドなんかいらない」(No Logo)を読んだりする経緯が私個人としてはあり、
団体ヒューマンライツ・ナウとしても「ビジネスと人権」の取り組みを開始し、
海外に製造拠点を置いているファストファッションの裏側でのことを考え、とても慎重になりました。

このたびカンボジアの工場の問題で記者会見をいたしましたが、ユニクロと並んでH&Mのサプライヤーも大変過酷な労働搾取をしている深刻な疑いがあることがわかりました。
こちらのステートメントと資料をご覧ください。
http://hrn.or.jp/activity/event/41/
同時にヒューマン・ライツ・ウォッチが最近発表した同種報告書にも同様にH&Mの事案が取り上げられています。
http://www.hrw.org/sv/node/133360

もとよりブランドには改善を求めていく姿勢であり、不買運動を展開するものではありません。

しかし、こうした事態を知りつつ、これらブランドをただただ肯定的に推奨する文書をそのままにしておくのもよくない、と思うに至りました。

そこで、単にブログを削除してしまうのは簡単ですが、過去の自分の甘い認識も事実として隠さずお伝えすべきだと思いましたので、冒頭にコメントをつけたまま、残しました。
「こちらの記事は2008年に投稿したものです。2014年以降、私はファストファッションに関する調査を行い、その裏側を知り、改善を求める活動をしていますので、ファストファッションを推奨することはもうしていません。しかし、単に削除するのでなく、2008年当時の私の認識はこうであったということを事実としてとどめておくことには意味があると考えていますので、冒頭にこのようなコメントをつけたまま残すことにいたしました(2015年4月4日) 」

皆さんには是非、ブランドのタグなどをみながら、慎重に考えて消費行動をとってほしいと思っています。

何を装うか、ファッションはその人の哲学を表すと言うこともあります。
この厳しい世の中、できるだけうまくやりくりして安い価格のものを買う知恵や工夫は大切。
でも一方で、安くておしゃれなものに惹かれるとき、それが私たちと同じように夢を抱いて一生懸命に生きている女性たち、アジアの近くの国の女性たちの過酷な奴隷労働によって成り立っているのとしたら? 
アジア地域の少女たちが、ようやくきちんとした仕事を見つけたけれど、それが過酷な工場労働だったのでとてもついていけず、不本意に少女売春に戻ってしまうとしたら?
そんなこと気にせず、買うだけでいいのでしょうか? 
果たしてそれが本当のおしゃれなのか、是非一緒に考えていきたいですね。

2015年4月 4日 (土)

パレスチナ&慰安婦 週末のイベント

今週末はお花見のご予定でみなさんお忙しいかも。。と思いつつも、以下のイベントに私は登壇いたしますので、もし気になったらご参加いただけると嬉しいですね!

シンポジウム: ~ICC加盟はパレスチナを救うか~
■日 時: 2015年4月4日(土) 13時30分~16時30分(開場は13時)

■会 場: 青山学院大学総研ビル10F 19会議室

http://hrn.or.jp/activity/event/44icc/


シンポジウム「朝日新聞問題を通して考える「慰安婦」問題と日本社会・メディア」
日時:2015年4月5日(日)12:45開場、13:30開始 17:30まで

場所:東京外国語大学・プロメテウスホール
(中央線武蔵境駅で乗り換え⇒西武多摩川線・多磨駅下車徒歩4分)
http://www.tufs.ac.jp/access/tama.html

資料代:1000円(学生・非正規500円)
<シンポジウム>

◆ 歴史学研究者の立場から
松原宏之(『「慰安婦」問題を/から考える』編者、横浜国立大学准教授)
◆ 法律家の立場から
伊藤和子(弁護士、ヒューマンライツ・ナウ事務局長)
◆ メディア関係者の立場から
ジャーナリスト 青木理(『抵抗の拠点からー朝日新聞「慰安婦」報道の核心』
著者)
研究者 林香里(東京大学大学院教授、朝日新聞第三者委員会委員)

※特別発言 植村隆(元朝日新聞記者、名誉毀損裁判原告)

http://hrn.or.jp/activity/event/post-320/

お待ちしています♪ 

ユニクロ:再び問われるグローバル企業の責任: 過酷労働問題 今度はカンボジア労働者から告発

桜が咲いてとても美しい季節ですね。

さて、今週ヒューマンライツ・ナウでは、ユニクロ問題の記者会見・リリースを行いました。
実は2月にカンボジアに行った際に、カンボジアでもユニクロ・GUの過酷労働にあっているという訴えがあったのです。
ちょうど来日していたカンボジア縫製産業労組の代表にも記者会見で訴えていただきました。
資料とプレスリリースはこちらです。

http://hrn.or.jp/activity/event/41/

画像はこちら!

http://iwj.co.jp/wj/open/archives/241131

簡単にどんなことか、読まれたい方、是非こちらのヤフー

http://bylines.news.yahoo.co.jp/itokazuko/20150401-00044415/

を見ていただけると幸いです。

早速報道されていますね。

http://www.nikkei.com/article/DGXLASDZ01HBO_R00C15A4TJ2000/

ファーストリテイリングさんも事実確認や改善に向けて取り組んでいくとのこと。

http://www.fastretailing.com/jp/csr/news/1504011300.html

期待しています!!
本当に、カンボジアであった方々は奴隷のような酷使のされ方でしたから。
24時間勤務の強制、短期間で使い捨て、月給は残業しても200ドル(約2万円)にとどかないと訴えていました。

こういうことを放置していると明日は我が身、自分たちの首を絞めることになると思います。
多くの人が敏感であってほしいと思います。

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