国連女性の地位委員会でニューヨーク出張
国連女性の地位委員会・北京+20国際会議が3月9日からニューヨーク国連本部で開催されています。
おもえば、私が気合いを入れて人権の道に踏み出したのは、1995年の北京女性会議での衝撃がきっかけで、多くの女性をインスパイアし、その生き方を変えさせたのが北京会議だったんですね。
(詳しくは、拙著「人権は国境を越えて」(岩波ジュニア新書)を見ていただければと思います。)
それから20年の記念の国連イベントということで、日弁連の代表団の一員として、またヒューマンライツ・ナウを代表しても、参加いたしました。
現在、私は、国連の女性に関する組織UN Women(国連の子どもの組織はユニセフで、それの女性版ですね)のアドバイザリー・グループに所属しているので、その関係での会合への招待いただいていました。
3月9日には、私たちが主催する国連会議のパラレルイベントもあり、
http://hrn.or.jp/activity/event/39csw/
前半はとにかくそちらに集中していましたが、おかげさまで、大成功に終了することが出来ました。
ヒューマンライツ・ナウでは、2012年以降毎年3月の国連会合でパラレルイベントを開催していますので、常連化しています。思えば、1995年の会議の際に、「すごいですね~」と目を丸くして会議に感心する私に、尊敬する中野麻美先生が「次はこれ、あんたたちがやるのよ」と言われ、「ええ!!」とびびったものですが、そうですね、今では、主体的に会議をオーガナイズする側にまわっているので、感慨深いです。
というわけで、いろいろとこなしたわけですが、今年はちょっとお疲れ気味ということもあり、
リフレッシュ& 懐かしい場所で癒されたい
という裏テーマもあり、時間を惜しんで満喫してきました。
■7日土曜日 NY到着
入国がスムーズになって驚きました。今回は23丁目イーストのホテルに滞在。
■8日日曜日 国際女性デー!
例年同様、NGOが主催するコンサルテーションに参加。
メアリー・ロビンソンと若いアクティビスとたちのパネルに参加。世界の第一線では若者たちが国連に積極的に物申し、地域社会でも存在感を高めています。
日本でも私たちよりずっと若い世代たちにバトンを渡していかなくては、と改めて思いました。
その後、3月9日、UN Women主催の、世界女性デーを祝うパレードに参加。
その後翌日のパラレルイベントの打合せ@ハイアット。はじめて、台湾の慰安婦問題に取り組む団体の方とおあいし、WAMの渡辺さんをまじえて打合せ。
夜は、お友達とウエストサイドのキューバ料理。
ところが、キューバ料理のデザートが悪かったらしく、直後から体調最悪。
ホテルで眠って夜中に目が覚め、そこから翌日のイベントの準備を本格的に開始して夜は明けていきました。準備をする過程で、私自身、慰安婦問題について新たに学んだことも多々あり、感謝。
■9日月曜日 CSW(国連女性の地位委員会)パラレルイベント「戦時性暴力に終止符を~慰安婦問題の真実と正義」開催
いよいよ、国連女性の地位委員会開幕。
今年は「女性に対する暴力」に関連して、「慰安婦」問題に関するイベントを、会合初日のお昼から開催することになりました。
国連では政府間会合が始まってますが、私たちは朝からこのイベント準備でした。
私は2004~2005年までニューヨーク大学ロースクールに留学していて、42丁目1Aveと2Aveの間、まさに国連本部やフォード財団の真ん前に住んでいたので、国連周辺は懐かしい「地元」。
ランチを持ち寄ることになっていたので、朝一に45丁目のデリ(いきつけの場所)でビザを注文。
10時に44丁目のHRNオフィスで打合せ。HRNは2年ほど前から、国連本部前のUNチャーチセンターというNGOビルの3階にオフィスを持って、他の団体とシェアしているんですね。
会合には、HRNの関係者がたくさん集まってくれました。前日におあいした御二人も参加、そして、今回もう一人スピーカーでお呼びしたICTJのKelliさんにも初めてお会いしました。
事務所ではピースボートのボランティアの方が素敵なランチをつくってくれ、感激。
12時半より開催したパラレル・イベントは私たちが到着した際にはもうほとんど満席。機材の不具合で最初は心配でしたが、最後まで盛り上がりました!
終わった後もたくさんの方から名刺交換やご紹介、取材などをいただいて、大騒ぎで終了。
ところで、この日は、夜に歴史修正主義者グループが会合をNY日系人会で開催するという話があり、それに対するカウンターの行動がNY在住の日系人の皆さんによって呼びかけられていました。
https://www.facebook.com/events/960715723952787/
しかし、日本人会の建物でそのようなイベントを開催することに抗議する声が相次いだため、日系人会は急遽その場を貸さないことを決定。
すごい。とても迅速で効果的な草の根の行動にほれぼれするほど、感動しました。
私たちにニューヨークを、歴史修正主義の舞台にしたくない、そうした思いで行動をしている人たちって、結構若い、すごく元気な女性たちなんですよね。
市民が身元を明かすことにはリスクも伴いますので、みなさんアイデンティティをあえて公表されてないですけれど、蓋をあけてみると、ああ彼女たちがやってるんだ―! というのはとても小気味よく思います。
しかし歴史修正主義者グループは場所をミッドタウンのイタリア料理店に変えて開催。
急遽、その場に行って、抗議するアクションも行われました。
私も様子が気になって出かけて行ったところ、お店側がNYPDを呼び出す状況に。
私はその場にいた弁護士(NY州弁護士ではないが)でしたし、こんなところで逮捕者でもでたら大変、と思い、 憲法・NY州法も少しはかじっていましたので、「この抗議行動を禁止する法律はありませんよね」とNYPDに
話しかけました。
そこで警官は、何やら上司と相談をはじめたようですが、さすがは表現の自由を尊重するNY、時には手荒なことをするNYPDですけれど、この抗議活動には寛容で、最終的に、ルールを守った抗議行動なら何も問題ないという見解でOKとなりました。
ところが翌日の産経新聞には、この行動で拘束された人もいたなどと報道されています。
全くの誤報で驚きました。産経さん、他社の誤報ばっかり責めてる場合ではないのでは?
・・・というわけで、長い一日でしたが、1日の最後はブライアンパークに戻り、日弁連のCSWへの代表団の皆さんと合流。平和な感じでお食事をして眠りにつきました。
■ 10日火曜日 Four Years After Fukushima and Indian Point by The Manhattan Project, Shut Down Indian Point Now! & NYC Safe Energy Coalition.
月曜日に主要なイベントが終ったので、日頃の疲れが一気に。そこで、少しお休みをとってから午後に国連方面に。
ところが、お昼に食べたオイスターがあたり、気分が悪くなり事務所でダウン(でも、国連本部近くに事務所があって、居心地の良いソファまであることにひたすら感謝)。
その後、3.11から4周年ということで、福島原発事故・そして米国における原発問題・放射能汚染問題に関するイベントに参加。HRNの後藤弘子先生(千葉大教授)が講演。
こちらのNO Nukeイベントの様子はこちらに。
https://www.youtube.com/watch?v=zrzXTL-rPuA&feature=youtu.be
■ 11日水曜日 国連会合など
午前 国連会議に出席。
国連のCSW会合ですが、1995年の北京行動綱領の達成に関して成果が紹介される反面、十分に達成していないことを直視して議論することが重要な会合です。
おうおうにして政府は、成果があったとアピールする発言や、意味のない曖昧な美辞麗句を並べて発言するため、議論が深まりません。
未だに「女性の権利は人権です!」などと、ヨーロッパの国の女性閣僚がスピーチし、それを聞いて各国政府が拍手喝さいをしているのをみると、あまりの無内容に「未だにそんなこと言ってるの? 20年前も違和感があったけど、いまもそんなことを強調しないといけないなんて。20年前から何も変わってない」と愕然とします。
NGOの発言の機会が限られているのですが、NGOは、北京行動綱領が各国で実施されていないことを強調、予算の裏付けがないこと、アカウンタビリティ(世界各国で合意したことはみんなで守りましょう。達成状況を真摯に公開・説明して、国際合意の実施に真摯に取り組みましょう、ということ)を求めています。
私たちNGOグループの合言葉はImplementation, Budget, Accountability, Evidence based というもので、この価値観は、北欧・EUの一部など、よくわかってくれている政府には十分共有されていて、最終文書がどこまで強いものになるのか、注目していく必要があります。
これに加えて、私としては、マクロエコノミー政策とグローバリゼーション・規制緩和政策のもと、益々貧富の格差が広がり、女性が貧困化していることについて、是正を求める拘束性の高い国際文書にしたいと思って、いろいろな場で発言していますが、なかなか一筋縄ではありません。
各国政府は、毎日徹夜に近い感じで、起草された文書の修正協議を続けていくわけですか、ニューヨーク国連本部では、NGOをシャットアウトしたエクスクルーシブな議論が続けられています。
このようなワーキング・メソッドの変革も、私たちNGOが強く求め続けていることです(例えば、ジュネーブ人権理事会の決議文の採択交渉では、会合がNGOにオープンになっており、特には発言も許される状況です)が、今回もなかなかこれを突き崩せていません。こうした問題について、会議の最後にNGOとしてステートメントを出して明確に抗議をすることも模索されています。
こうした会議の合間を縫って、October 17 という国際NGOの会合。
私は今年からこのNGOの委員会メンバーになったのですが、他のメンバーの方々と初顔合わせし、情報湖関しました。
その後NYU(ニューヨーク大学ロースクール)へ。
NYU Asia Law Centerで講演・意見交換。
主に日本の冤罪問題と、中国の人権問題に関する意見交換でした。
こちら(特に後者が)微妙なお話しですので割愛。
その後、国連周辺に戻り、夕方からUN Womenの会合に出席。
私はUN Womenのアジア太平洋地域の市民社会アドバイザーグルーブの一員ですが、UN Womenは世界レベル、地域レベル、国によっては国レベルでこうしたアドバイザーを任命していて、そういう人たちが一堂に会する初めての会合でした。
各アドバイザー・グループのメンバーからは、UN Womenとのワーキングメソッド、ひいては国連の全ての意思決定プロセスのジェンダー・メインストリーミングの課題のなかで市民社会の役割をどう位置付けているの?ということを巡って、私たちから様々な注文&意見を伝える超密度の濃い会合になりました。
こちらも内容が激しく、微妙なので、残念ながら詳細はお伝えできないですね。またの機会に。
その後、事務所で仕事をしたのですが、夜のMTGまでの間、どうしてもNYで、この日しかできないことがあることに気づき、実行しました。
それは、チャイナタウンの行きつけのお店・鹿鳴春で、ダンブリングを食べること!!!
http://www.joeshanghairestaurants.com/
もう、本当においしいので、時間がない中、弾丸ツアーのように強行しました。
いつも長蛇の列ですが、1人で言ったので運よく席につけました。
NYにきてから一番幸せを怒涛のように感じた瞬間。
戻って夜10時から、東京・カリフォルニアをつなぐ電話会議に間に合いました。
そのような感じで前半が終了しました。
(To be continued)
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