今週末、気仙沼・大船渡へ
おはようございます。今日明日は気仙沼・大船渡です。
ヒューマンライツ・ナウでずっと続けている、被災地法律相談と地元で活動をされている皆様へのご挨拶に伺います!
震災から4年、いろいろと厳しい現実、被災者の方々のお疲れや絶望などがあると思います。。
献身的に活動をされている方々から改めて実情をうかがってまいりたいと思います。
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おはようございます。今日明日は気仙沼・大船渡です。
ヒューマンライツ・ナウでずっと続けている、被災地法律相談と地元で活動をされている皆様へのご挨拶に伺います!
震災から4年、いろいろと厳しい現実、被災者の方々のお疲れや絶望などがあると思います。。
献身的に活動をされている方々から改めて実情をうかがってまいりたいと思います。
みなさんは贅沢な気持ちになれるのはどんなときでしょう。
私の場合、贅沢な気持ちになるために、実現が容易だけど大事なツボがあり、それを押さえますね。
まずは、バスタイムのコンディショナーをたっぷり使う、これは大事ですね。そうでなくて髪の毛がカサカサしてしまうのが一番みじめですね。別に普通に売ってるコンディショナー、マツキヨとかでまとめ買いしてます。
あとは、同じくバスタイムの香りでしょうか。
イランイランというエッセンシャル・オイルを使います。それが切れてしまうととても残念なので、それはなんとかして手に入れるようにしています。
あとは冬ですと加湿器ですね。
あとは食べ物はできたてのたまごかけごはんとかがあれば大丈夫ですね。
それと、贅沢とは違いますが、趣味のヨガは幸せな気持ちで私を満たしてくれます。
できるだけお金をかけずに贅沢な気持ちになれることを探すのは、できるだけ幸せな気分を続けるために大切な工夫かなと思います。
私が活動しているNGOヒューマンライツ・ナウでは、「刑事贖罪寄付」を受け付けています。
贖罪寄付とは、罪を犯した方が、贖罪の気持ちを示すために、示談などの代わりに寄付をする制度です。
ちょっとわかりにくいですが、こちらのページで受け付けております。
http://hrn.or.jp/bequeredempt/
そこで、私たちは贖罪寄付を受ける条件として以下のような定めをしています。
ヒューマンライツ・ナウは人権NGOとしてのポリシーに基づき、以下のご誓約をいただいた場合のみ、贖罪寄付を受けつけています。以下の三点について予め誓約いただくようお願いいたします。 •1. この贖罪寄付が、犯罪による収益の移転防止に関する法律に反する寄付ではなく、いわゆるマネーロンダリングを目的とするものではないこと •2. 贖罪の対象となる行為は、故意による殺人、女性、子どもおよび社会的弱者への暴力、性犯罪、虐待、搾取(経済的・性的)、人身取引等有害行為を構成する犯罪でないこと •3. 被疑者・被告人の方が、心より反省をしており、更生の意思を誓っていること
もし、これにあてはまらないと判断した場合は、残念ながらお断りすることもあります。
ところで、贖罪寄付について上記のような条件をつけているのは珍しく、条件をつけずに受け付ける団体がほとんどなんですね。
その一方、興味深いことに、ユニセフは贖罪寄付について全く違う以下のような態度をとっています。
http://www.unicef.or.jp/qa/qex01.html
刑事贖罪寄付とは、被害者が特定できない刑事事件や、被害者に対する示談ができない刑事事件などにおいて、被告人(被疑者)が反省し心を入れかえたことを表すための寄付です。そのような刑事贖罪寄付は、情状の資料として裁判所に評価されることが主たる目的で、「ユニセフの使命および子どもの利益」のためのご寄付とは異なると当協会は考えます。刑事裁判手続きが継続中であることが判明した場合、被告人またはその刑事弁護人からのご寄付のお申し出につきましては、ユニセフ募金としての受け取りを辞退させていただきます。(2006年現在)
なるほど。。。この違いはいったいどこから来るのでしょうか。
私たちは犯罪を犯して躓いてしまった人でも、社会の一員として、出来る限り更生し立ち直っていただきたいという想いを持っているからです。
特に私の個人的な思いとしては、「この時代、誰もが犯罪に転落しかねない厳しい社会に生きている。犯罪は社会を映す鏡。つまづいてしまった人が少しでも立ち直れるようにサポートしたい」という考えをもって、刑事弁護にも取り組んできました。
ここで言葉を尽くすよりも、是非
ミリエル司教
のことを思い出してほしいと思います。
ミリエル司教というのは実在の人物ではありませんが、ユーゴーの「レ・ミゼラブル」
の冒頭に出てきて、
「この燭台はあなたのものです」と、獄から脱走したうえに燭台を盗もうとしたジャンバルジャンに限りない慈愛を示し、彼の生き方を根底から変えた人物です。
一言でいうとそう、愛とは、生きる力、とても深い言葉ですね。
刑事裁判に携わる者の多くが、ミリエル司教のような役割をなにがしかでも果たせないかと思い続けているのだと私は信じています。
『水に落ちた犬は打て』とは失敗した人を徹底的に叩き、社会から排除・抹殺することです。
しかし、ひとたび過ちを犯したら、常に社会から排除され抹殺されるしかないのか、復活する機会がない社会でいいのか、そのことを考えてみたいのです。
反省の気持ちを示し、立ち直りたいと願う人、その門戸を閉ざすべきではない、と思います。
しかし、人権侵害行為を許す役割を果たすことはできない、ということで、私たちとしての基準を作っているのです。
このお話しはとても語りつくせないものがあります。
レミゼラブルを見たり、ちょっと違いますが、トルストイの「復活」などを読むと、涙を止めることがいつも難しい、この社会はいかに過酷であることか、弱者が踏みつけにされて救われないのか、そしてその多くの問題が今も解決されないまま、多くの人が苦しんでいることを思わずにはいられません。
それでも人々は、前を向いて、よりよく生きようと、人生の戦いを続けているのです。
最近も一件贖罪寄付をお受けいたしました。
被告人の方にはどうか犯した罪に真摯に向き合って反省してほしい、そして、いつか是非立ち直っていただきたい、新しい人生をやり直す一助となれたら、と願わずにはいられません。
昨夜ニューヨークから帰ったばかりですが、仙台に来てます。
ニュースでも報道されてます、国連防災会議ですね。
これから本会議に参加して、夕方から、原発と人権に関する専門家会合で発言します♪
夕方から、激しい時差ボケとの戦いになりそうで心配ですが(^^)/
武田砂鉄さん、時々同じアングルから発言されているので嬉しくなるライターさんです。
12月にパーティーで名刺交換したのですが、あとで名刺を整理してて「あれ、どの方だったかな?」
と思ってしまう控えめな感じの方、でも書くことが鋭い。
で、
「川崎リンチ殺人、被害者の母を責め立てた林真理子氏のエッセイの暴力性」
週刊文春の林さんのコラムで被害者の母を責めているという。
私も日本にいなかったからかな、読んでなくて驚きました。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/takedasatetsu/20150313-00043794/
林さんは曽野綾子化してる、という論調もありますね。
http://blogos.com/article/107780/
私のSNSには、「林さんってもともとそういう人よ」というご意見をいただいていますが、
ちょっと曽野さんと一緒にしてしまうのは残念。
林さんを私は超タカ派文化人とは思っていません。
エッセイには時々とてもいいことが書かれていますよね。最近の日本の物が言いにくい状況を嘆かれたり、2004年の人質事件の時もバッシングに彼女なりの苦言を呈されたり、世論が暴力的にひとつの方向に流れそうなときは、彼女流のやり方で違う視点を提起されたりする。
朝日新聞バッシングの時のコラムもとてもよかったです(朝日バッシングにくみしないものの、メディアの人間の特権意識をあそこまで痛烈に切り取れるってすごいな、と思った)。
私自身、林真理子さんの小説や生き方にインスパイアされた一人ですし、
「トーキョー国盗り物語」なんて、ある時期バイブルのように読んでいましたよ。
確かに、階級的な物の見方を上からすることがあったけれど、ミーハーなだけかなと思ってました。
だから、そんな影響力のある彼女だからこそ、今回みたいな差別的な言動はやめてほしいと切に願います。
言葉が本当に暴力的。
女性には階級、格差があり、シングルマザーなどはその最低カーストとでもいうような発言。
日常的な差別意識がふと表面化してしまった、露骨な発言。
自分の生き方にとても自信をお持ちなのでしょうけれど、林さんの生き方だって幸運の上に成り立っているのかも。
おうおうにして、女性は名や地位を得ると、自分の生き方を絶対視して、自分の認める生き方の範疇を外れる者にとても厳しくなる。
でも、林さんは若いころに就職に苦労したり恋愛に苦労したりということも赤裸々に語ってこられ、いろんな苦労を知っている人だからこそ、そんなことはないのでは、と思っていたのですが、残念ですね。
私も今回の件では、武田さんの論旨に全面的に賛成です。林さんがこんなことをおっしゃっているようでは、世間の女性たち、主婦層などの偏見は増すばかり。そうした偏見は本当に暴力的なものがあります。
是非撤回してもらいたいです。
特に、当事者でないし、事実について何も知らない人が、警察情報などから断片的に表れてくる情報をもとに、人の生き方、特に今一番、窮地に立たされ心傷ついている、事件の渦中にある人間、意に反して世間の矢面に立たされてしまった人のプライバシーを詮索し、憶測し、断定し、その人の生き方をジャッジする、否定する、そのことが私は許せません。
以前は東電OL事件の被害者の方など、最近では木嶋佳苗氏などが恰好のメディアの餌食になっていましたが、
自分の子を失ったお母さんにまでそのような糾弾が突き付けられるとは。
何も知りもしないのに、人の人生を切り刻むような論調が私はとても容認できません。
井戸端会議での口汚い会話レベルの余談と偏見に満ちた暴力的言説がそのまま公的に横行しているのが現在。
その意味、すべてのワイドショー的な番組やワイドショー的なこの社会そのものにも、罪があります。
パブリックなメディア・そして公的な論者は最低限の公正性、品格と人権感覚を備えてほしい。
引き続き、ニューヨーク出張のご報告です。
■12日木曜 原点に戻る。
この日は、午前 ダウンタウンにある著名な国際人権団体で打合せをしました。
ニューヨーク大学留学中、ともに人権を学んだ仲間たちがニューヨークの国際人権団体の第一線で活躍している姿をあちこちで見ることは嬉しいものです。そしてそうしたネットワークは私にとって貴重な財産です。
この日の会合の内容はこれもまた、お話しすることが出来ませんが、大変有意義で建設的なMTGでした。
いろんなことがとんとんと決まり、アメリカ式打合せはこうじゃなくてはね、と思った瞬間。
ダウンタウンにきたので、この日も弾丸で、自由の女神・グラウンドゼロを急ぎ足で観光。
自由の女神は私にとってスーパーパワースポットであり、自分の原点を確認する場所なのです。
初めてここに来たのは、初めて訪米した(ハワイ以外で)1996年、その時に感じた米国の矛盾、世界の矛盾、それを変えたいという思いは今も変わっていません。2004年からの留学中も時々訪れました。
その頃のひたむきな思いを思い出し、原点に帰る瞬間、これてよかった!!!
その後、超スピードで湾岸の道をタクシーに飛ばしてもらってUNに戻り、韓国政府主催の「戦時性暴力」に関するイベントに出席。
関係者とご挨拶・懇談。特に元国連特別報告者のゲイ・マグドゥーガル氏は30分ほど私たちのために時間をとって質問に応えたり激励してくださったりしました。
その後再び、国連会合を傍聴。
また、この日から国連では、国連本部ビル1階で「女性と奴隷」という展示が始まり、オープニングセレモニーにも参加してきました。
ここに慰安婦問題のような「性奴隷」という視点はなく、主に、黒人奴隷の女性たちの生活、被害、そして解放までの道のり、ハリエット・タップマンのように奴隷解放闘争に立ち上がった女性などを紹介するコンパクトな展示です。つくづく感じたのは、特に解放への道のりに女性たちが主体的な役割を果たしたり、アメリカ文化に黒人文化を継承する役割を担ったりと、黒人奴隷の女性たちが、「慰安婦」とされた方々より主体性と尊厳を持ち得ていた、ということ。そして奴隷制という過去の歴史的事実をきちんと認め、公明正大に語り継いでいくことに米国が何らの躊躇いも示していないのに対し、いまだに「慰安婦」とされた方々が「性奴隷」であることを執拗に否定しようとする日本政府の姿勢の、あまりの乖離でした。
この歴史への誠実さの違いはいったいどこから来るのだろうか、と考え込みました。
夜は夕食会合がキャンセルとなり、ミュージカル・ウィキッドへ。
ガールズエンパワーと言えば、これです。自分に備わった力がたとえ、親から祝福されたものでも、周囲が典型的に女の子に求めるものでないとしても、
自分の力を押し隠すのではなく、解き放って、自分を信じて強く生きることを選択した女性の勇気あるストーリー。感動です。
■13日 金曜日 最後にいろいろ
午前から午後にかけて、立て続けに、HRNのニューヨーク現地法人立ち上げの打合せ&スカイプ会議。なんとかかたちになりそうです。
オフィスをシェアしているピースボートさんや、ビルでご一緒している国際人権NGOの方々とMTG。国連会合を傍聴。
そして、夜はお友達と、留学時代によく行っていた、懐かしい日本食料理店に。
実は、以前住んでいたアパートメントの近くにあった行きつけの日本料理屋さんがなくなっていて寂しく思っていたところ、
ミッドタウン・ウェストに移動しているのを発見。「こんなところでいい?」と聞く皆さんに、「私の行きつけのお店です!」と激しく同意。おもえば、風邪を引いた日もへこんだ日も私を温かく迎えてくれた異郷の地NYのサンクチュアリのような日本料理屋さん。また訪れることができてうれしかったです。
NYで大学教員をされている先生に、Occupy運動の際に何が起きていたのか、何が得られたのか、など教えていただいたりして、勉強になりました。
その後、NY在住の日本人女性ジャーナリストの方と合流し、タイムズスクエアを見下ろすバーでおしゃべり。
14日土曜日 帰国
お昼の便で帰国なのですが、留学中、土日の朝によくだらだらと過ごしていた、NYU近くのダイナーで朝ごはん。またまた、出発日に、超時間がなかったけれど、強行しました。
懐かしいアメリカ・ダイナーのブレックファースト。堪能しました。
空港で、今回御一緒したWAMのわたなべさんと情報交換&いろいろご相談。
こうして懐かしいもの・人に囲まれたり再会したりして、ニューヨークの1週間が終りました。
エネルギーもいろいろともらいましたので、明日からまた、がんばります。
国連女性の地位委員会・北京+20国際会議が3月9日からニューヨーク国連本部で開催されています。
おもえば、私が気合いを入れて人権の道に踏み出したのは、1995年の北京女性会議での衝撃がきっかけで、多くの女性をインスパイアし、その生き方を変えさせたのが北京会議だったんですね。
(詳しくは、拙著「人権は国境を越えて」(岩波ジュニア新書)を見ていただければと思います。)
それから20年の記念の国連イベントということで、日弁連の代表団の一員として、またヒューマンライツ・ナウを代表しても、参加いたしました。
現在、私は、国連の女性に関する組織UN Women(国連の子どもの組織はユニセフで、それの女性版ですね)のアドバイザリー・グループに所属しているので、その関係での会合への招待いただいていました。
3月9日には、私たちが主催する国連会議のパラレルイベントもあり、
http://hrn.or.jp/activity/event/39csw/
前半はとにかくそちらに集中していましたが、おかげさまで、大成功に終了することが出来ました。
ヒューマンライツ・ナウでは、2012年以降毎年3月の国連会合でパラレルイベントを開催していますので、常連化しています。思えば、1995年の会議の際に、「すごいですね~」と目を丸くして会議に感心する私に、尊敬する中野麻美先生が「次はこれ、あんたたちがやるのよ」と言われ、「ええ!!」とびびったものですが、そうですね、今では、主体的に会議をオーガナイズする側にまわっているので、感慨深いです。
というわけで、いろいろとこなしたわけですが、今年はちょっとお疲れ気味ということもあり、
リフレッシュ& 懐かしい場所で癒されたい
という裏テーマもあり、時間を惜しんで満喫してきました。
■7日土曜日 NY到着
入国がスムーズになって驚きました。今回は23丁目イーストのホテルに滞在。
■8日日曜日 国際女性デー!
例年同様、NGOが主催するコンサルテーションに参加。
メアリー・ロビンソンと若いアクティビスとたちのパネルに参加。世界の第一線では若者たちが国連に積極的に物申し、地域社会でも存在感を高めています。
日本でも私たちよりずっと若い世代たちにバトンを渡していかなくては、と改めて思いました。
その後、3月9日、UN Women主催の、世界女性デーを祝うパレードに参加。
その後翌日のパラレルイベントの打合せ@ハイアット。はじめて、台湾の慰安婦問題に取り組む団体の方とおあいし、WAMの渡辺さんをまじえて打合せ。
夜は、お友達とウエストサイドのキューバ料理。
ところが、キューバ料理のデザートが悪かったらしく、直後から体調最悪。
ホテルで眠って夜中に目が覚め、そこから翌日のイベントの準備を本格的に開始して夜は明けていきました。準備をする過程で、私自身、慰安婦問題について新たに学んだことも多々あり、感謝。
■9日月曜日 CSW(国連女性の地位委員会)パラレルイベント「戦時性暴力に終止符を~慰安婦問題の真実と正義」開催
いよいよ、国連女性の地位委員会開幕。
今年は「女性に対する暴力」に関連して、「慰安婦」問題に関するイベントを、会合初日のお昼から開催することになりました。
国連では政府間会合が始まってますが、私たちは朝からこのイベント準備でした。
私は2004~2005年までニューヨーク大学ロースクールに留学していて、42丁目1Aveと2Aveの間、まさに国連本部やフォード財団の真ん前に住んでいたので、国連周辺は懐かしい「地元」。
ランチを持ち寄ることになっていたので、朝一に45丁目のデリ(いきつけの場所)でビザを注文。
10時に44丁目のHRNオフィスで打合せ。HRNは2年ほど前から、国連本部前のUNチャーチセンターというNGOビルの3階にオフィスを持って、他の団体とシェアしているんですね。
会合には、HRNの関係者がたくさん集まってくれました。前日におあいした御二人も参加、そして、今回もう一人スピーカーでお呼びしたICTJのKelliさんにも初めてお会いしました。
事務所ではピースボートのボランティアの方が素敵なランチをつくってくれ、感激。
12時半より開催したパラレル・イベントは私たちが到着した際にはもうほとんど満席。機材の不具合で最初は心配でしたが、最後まで盛り上がりました!
終わった後もたくさんの方から名刺交換やご紹介、取材などをいただいて、大騒ぎで終了。
ところで、この日は、夜に歴史修正主義者グループが会合をNY日系人会で開催するという話があり、それに対するカウンターの行動がNY在住の日系人の皆さんによって呼びかけられていました。
https://www.facebook.com/events/960715723952787/
しかし、日本人会の建物でそのようなイベントを開催することに抗議する声が相次いだため、日系人会は急遽その場を貸さないことを決定。
すごい。とても迅速で効果的な草の根の行動にほれぼれするほど、感動しました。
私たちにニューヨークを、歴史修正主義の舞台にしたくない、そうした思いで行動をしている人たちって、結構若い、すごく元気な女性たちなんですよね。
市民が身元を明かすことにはリスクも伴いますので、みなさんアイデンティティをあえて公表されてないですけれど、蓋をあけてみると、ああ彼女たちがやってるんだ―! というのはとても小気味よく思います。
しかし歴史修正主義者グループは場所をミッドタウンのイタリア料理店に変えて開催。
急遽、その場に行って、抗議するアクションも行われました。
私も様子が気になって出かけて行ったところ、お店側がNYPDを呼び出す状況に。
私はその場にいた弁護士(NY州弁護士ではないが)でしたし、こんなところで逮捕者でもでたら大変、と思い、 憲法・NY州法も少しはかじっていましたので、「この抗議行動を禁止する法律はありませんよね」とNYPDに
話しかけました。
そこで警官は、何やら上司と相談をはじめたようですが、さすがは表現の自由を尊重するNY、時には手荒なことをするNYPDですけれど、この抗議活動には寛容で、最終的に、ルールを守った抗議行動なら何も問題ないという見解でOKとなりました。
ところが翌日の産経新聞には、この行動で拘束された人もいたなどと報道されています。
全くの誤報で驚きました。産経さん、他社の誤報ばっかり責めてる場合ではないのでは?
・・・というわけで、長い一日でしたが、1日の最後はブライアンパークに戻り、日弁連のCSWへの代表団の皆さんと合流。平和な感じでお食事をして眠りにつきました。
■ 10日火曜日 Four Years After Fukushima and Indian Point by The Manhattan Project, Shut Down Indian Point Now! & NYC Safe Energy Coalition.
月曜日に主要なイベントが終ったので、日頃の疲れが一気に。そこで、少しお休みをとってから午後に国連方面に。
ところが、お昼に食べたオイスターがあたり、気分が悪くなり事務所でダウン(でも、国連本部近くに事務所があって、居心地の良いソファまであることにひたすら感謝)。
その後、3.11から4周年ということで、福島原発事故・そして米国における原発問題・放射能汚染問題に関するイベントに参加。HRNの後藤弘子先生(千葉大教授)が講演。
こちらのNO Nukeイベントの様子はこちらに。
https://www.youtube.com/watch?v=zrzXTL-rPuA&feature=youtu.be
■ 11日水曜日 国連会合など
午前 国連会議に出席。
国連のCSW会合ですが、1995年の北京行動綱領の達成に関して成果が紹介される反面、十分に達成していないことを直視して議論することが重要な会合です。
おうおうにして政府は、成果があったとアピールする発言や、意味のない曖昧な美辞麗句を並べて発言するため、議論が深まりません。
未だに「女性の権利は人権です!」などと、ヨーロッパの国の女性閣僚がスピーチし、それを聞いて各国政府が拍手喝さいをしているのをみると、あまりの無内容に「未だにそんなこと言ってるの? 20年前も違和感があったけど、いまもそんなことを強調しないといけないなんて。20年前から何も変わってない」と愕然とします。
NGOの発言の機会が限られているのですが、NGOは、北京行動綱領が各国で実施されていないことを強調、予算の裏付けがないこと、アカウンタビリティ(世界各国で合意したことはみんなで守りましょう。達成状況を真摯に公開・説明して、国際合意の実施に真摯に取り組みましょう、ということ)を求めています。
私たちNGOグループの合言葉はImplementation, Budget, Accountability, Evidence based というもので、この価値観は、北欧・EUの一部など、よくわかってくれている政府には十分共有されていて、最終文書がどこまで強いものになるのか、注目していく必要があります。
これに加えて、私としては、マクロエコノミー政策とグローバリゼーション・規制緩和政策のもと、益々貧富の格差が広がり、女性が貧困化していることについて、是正を求める拘束性の高い国際文書にしたいと思って、いろいろな場で発言していますが、なかなか一筋縄ではありません。
各国政府は、毎日徹夜に近い感じで、起草された文書の修正協議を続けていくわけですか、ニューヨーク国連本部では、NGOをシャットアウトしたエクスクルーシブな議論が続けられています。
このようなワーキング・メソッドの変革も、私たちNGOが強く求め続けていることです(例えば、ジュネーブ人権理事会の決議文の採択交渉では、会合がNGOにオープンになっており、特には発言も許される状況です)が、今回もなかなかこれを突き崩せていません。こうした問題について、会議の最後にNGOとしてステートメントを出して明確に抗議をすることも模索されています。
こうした会議の合間を縫って、October 17 という国際NGOの会合。
私は今年からこのNGOの委員会メンバーになったのですが、他のメンバーの方々と初顔合わせし、情報湖関しました。
その後NYU(ニューヨーク大学ロースクール)へ。
NYU Asia Law Centerで講演・意見交換。
主に日本の冤罪問題と、中国の人権問題に関する意見交換でした。
こちら(特に後者が)微妙なお話しですので割愛。
その後、国連周辺に戻り、夕方からUN Womenの会合に出席。
私はUN Womenのアジア太平洋地域の市民社会アドバイザーグルーブの一員ですが、UN Womenは世界レベル、地域レベル、国によっては国レベルでこうしたアドバイザーを任命していて、そういう人たちが一堂に会する初めての会合でした。
各アドバイザー・グループのメンバーからは、UN Womenとのワーキングメソッド、ひいては国連の全ての意思決定プロセスのジェンダー・メインストリーミングの課題のなかで市民社会の役割をどう位置付けているの?ということを巡って、私たちから様々な注文&意見を伝える超密度の濃い会合になりました。
こちらも内容が激しく、微妙なので、残念ながら詳細はお伝えできないですね。またの機会に。
その後、事務所で仕事をしたのですが、夜のMTGまでの間、どうしてもNYで、この日しかできないことがあることに気づき、実行しました。
それは、チャイナタウンの行きつけのお店・鹿鳴春で、ダンブリングを食べること!!!
http://www.joeshanghairestaurants.com/
もう、本当においしいので、時間がない中、弾丸ツアーのように強行しました。
いつも長蛇の列ですが、1人で言ったので運よく席につけました。
NYにきてから一番幸せを怒涛のように感じた瞬間。
戻って夜10時から、東京・カリフォルニアをつなぐ電話会議に間に合いました。
そのような感じで前半が終了しました。
(To be continued)
みなさま
ヒューマンライツ・ナウでは東日本大震災後一貫して、被災地へのリーガルサポート支援、法律相談、調査活動等を実施してまいりましたが、このたび、被災地の最前線で活動をしてこられたゲストをお迎えして活動報告会を行います。
ヒューマンライツ・ナウが最近実施した被災地アンケートの結果もこちらで公表する予定です。
1人でも多くの皆様に、被災地の課題を知って関心を持っていただければと思いますので、是非御参加いただけると幸いです。
もちろん私も参加いたします!
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ヒューマンライツ・ナウ震災プロジェクト報告会:
「大震災から4年。私たちに何ができて何ができなかったか。 そして
いま、私たちにできることは。」
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【日 時】 2015年3月6日(金) 18:30~20:30(18:00開場)
【場 所】 渋谷区勤労福祉会館 第一洋室
https://www.city.shibuya.tokyo.jp/est/kinro.html
〒150-0041 東京都渋谷区神南1丁目19-8
※会場への直接のお問い合わせはご遠慮下さい。
【ゲストスピーカー】
・在間 文康 氏 (弁護士)
・岩城 恭治 氏 (NPO法人夢ネット大船渡理事長)
・瀧上 明 氏 (弁護士)
・小口 幸人 氏 (弁護士)
【ヒューマンライツ・ナウ震災プロジェクト報告者】
・吉田 悌一郎 氏 (弁護士)
【参加費】1,000円
【お申し込み】
参加希望の方は件名を「3月6日被災地報告会」とし、ヒューマンライツ・
ナウ事務局宛て【メール:info@hrn.or.jp】にお名前、ご所属、ご連絡先
を必ず明記の上、お申し込みください。
【URL】http://hrn.or.jp/activity/event/post-319/
■■ 大震災から4年。私たちに何ができて何ができなかったか。 ■■
■■ そしていま、私たちにできることは。 ■■
ヒューマンライツ・ナウ震災プロジェクトメンバーは、東日本大震災の
直後から東北被災地に現地調査に入り、この4年間、種々の調査や
数々の法律相談を行ってまいりました。
今回は、特に法律相談を継続的に行ってきた大船渡市でのアンケート
調査から見えてきた現状、課題について報告を行うとともに、被災地
支援に関連の深い方々をゲストスピーカーとしてお招きして、被災地
の現状やこれからの課題について議論を深めたいと考えています。
マスメディアでは報じられにくくなった仮設住宅の問題、二重ローンの
問題、災害復興住宅の問題など、いままだ残されている、あるいは、
いまなお生み出されている被災地の課題はなにか。そして、私たちに
できることは。
震災からちょうど4年が経とうとするこの時期に、被災地の現状、そこ
に携わる方々のお話や議論を拝聴することで、どうしても時間とともに
風化していってしまいそうになる被災地への人々の関心を呼び起こす
一助になればと思います。
多数のお申し込みをお待ちしております。
【お問い合わせ】
ヒューマンライツ・ナウ事務局(info@hrn.or.jp / 03-3835-2110)
◇ゲストスピーカー プロフィール
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在間 文康 氏 プロフィール
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兵庫県西宮市出身。高校1年生のときに阪神・淡路大震災を経験。
岩手県で司法修習を経て2009年に弁護士登録。東日本大震災
後に日弁連が被災地で初めて開設するひまわり基金法律事務所で
ある「いわて三陸ひまわり基金法律事務所」の所長に赴任。東日
本大震災後の相続、二重ローンなどの問題を始め、被災地での種
々の法律問題の解決に今も当たり続けている。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
岩城 恭治 氏 プロフィール
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昭和14年(1939年)岩手県奥州市生まれ。大船渡市議会議員を連続
8期32年間勤め、経済常任委員長、総務常任委員長、市議会だ
より編集委員長、市政調査会会長を歴任。任期満了につき大船渡
市議会議員終了後、NPO法人夢ネット大船渡理事長(平成18年
12月設立)。大船渡市市民活動支援協議会副会長。いわて定住
・交流促進協議会理事。三陸鉄道沿線地域公共交通活性化協議会
副会長。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
瀧上 明 氏 プロフィール
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2005年弁護士登録。2006年11月から4年間、釜石ひまわり基金法
律事務所初代所長。その後東京パブリック法律事務所に勤務する
も、震災対応のため釜石市に戻り、2011年7月、震災復興をめざ
す岩手はまゆり法律事務所を開設。3年間の活動の後、東京パブ
リック法律事務所に復帰。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
小口 幸人 氏 プロフィール
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平成22年4月過疎対策のため岩手県宮古市に赴任。同地で被災。
発災1週間後から避難所相談を開始(全国初)。被災者支援や立
法提言に尽力。復興計画や災害弔慰金審査等の委員を歴任。25
年10月より渋谷の桜丘法律事務所で執務。日弁連災害対策本部員。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
認定NPO法人ヒューマンライツ・ナウ
http://hrn.or.jp/
110-0005 東京都台東区上野5-3-4
クリエイティブOne秋葉原ビル7F
電話:03-3835-2110 FAX:03-3834-1025
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