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2014年4月 1日 (火)

「ユーミンの罪」を読んで改めてユーミンに深く感謝する。

酒井順子氏の「ユーミンの罪」という本をようやくかじり読みし始めました。
私は本を買ってもすぐに読まずに枕の近くに積んでおき、気が向いた時に読む、
というスタイルなのです。
この酒井順子氏、「負け犬の遠吠え」で知られているけれど、
私から見ると、オリーブというティーン雑誌に「マーガレット酒井先生」
として登場していた人、というイメージのまま今日にきています。
あの時代の勢いを背負っている感じで、とてもなつかしい感じがする。
実は同じ年なのデス。
でも最近の彼女の本は「マーガレット酒井先生」とギャップが大きいからか、
あまり買ったことがなく、「ユーミン」というので、「ユーミン」と「マーガレット酒井先生」
の波長があうんじゃないか、ということで買ってみたのです。

ところで、私は聖子ちゃんについてもブログに書いたことがあるわけですが、
聖子ちゃんとユーミンと言えば、私をインスパイアした女性の両巨匠なんですね。
ああ、私って、あまりにもわかりやすい、バブル期女性の典型、と言われてしまいそうですが、
ま、そうです。そして、当時好きだったサウンドといえば、ユーミンとサザンです(開き直ります!!)。

ところで、この本、かじり読み、と言うのは、読んでいる途中に、懐かしい記憶や思いがどどーって溢れ出してしまい、本はそっちのけで想い出にひたってみたり、「あら私の解釈は違う」と言って、自分の考えを頭の中で展開したりして、なかなか本に集中できないからです。
人の記憶や思いを引き出してしまう、という点で、ユーミンの偉大さはもちろんですが、酒井さんの文書は優れているのでしょう。

ユーミンのデビューは1972年だそう。私は保育園の年長でしたね。このころの年の差は大きいです。
私がユーミンを初めて知ったのは、小学校4年。
その時きいた「あの日に帰りたい」「翳りゆく部屋」に本当にがつーんとやられ、
過去に聞いたことのないサウンドに衝撃を受け、ユーミンはその日以来、私の女王に君臨したのです。
当時私は音楽少女で、ピアノをひいていた、バッハなんかやっていたので、バロックっぽいニューミュージック「翳りゆく部屋」にやられてしまい、天才だと思ったわけです。
いえ、ユーミンは本当に明らかに天才なのです。
それに女子大生であるユーミンのファッションも大人っぽくて本当にかっこよかった。
私が生まれて初めて購入したアルバムは、1976年の「ユーミンブランド」だったわけです。
ベルベット・イースター、魔法の鏡、瞳をとじて、ルージュの伝言、とにかく、圧倒されました。今から考えてもすごいクオリティですよね。
歌詞も全然それまで聞いてきた音楽とは違う、「心象風景」を綴ったものでした。
その後「心象風景」というのは私のキーワードとなり、ユーミンの影響で作詞家になりたいと思い、その後詩人になりたいと思い、小説家・詩人志望はしばらく熱に浮かされたように続きました。私のなかの文学少女はユーミンから発展していったのです。
しかし、当時、ユーミンが好きという友人はいませんでしたね。ピンクレディー全盛期でしたので。

その後、私の中の第二次ユーミンブームは高校生の頃、このころになると周囲は全員ユーミン・ファンという時代でした。
当時の私は文学少女でピアノ少女、そして健全なスポーツ少女、という、当時通っていた都立高校の「文武両道」の理念に笑っちゃうほどかなっている、健全なデトックス状態の高校生であり、多摩地区の家から毎日自転車で国分寺にある都立高校に通い、日常的には水泳と陸上、たまにスキーに剣道、国立で遊び、たまに吉祥寺に遠征、週に一度は南青山にピアノのレッスンに通っていて、行きかえりに原宿・表参道で遊ぶ、という生活を送っていました。
好きな歌は中央フリーウェイ、海を見ていた午後、ロッジで待つクリスマス、悲しいほどお天気、恋人がサンタクロース、まぶしい草野球、ノーサイド、そして天気雨etc
さわやかな歌が多い。そして、未来への希望と背伸びしたら届きそうな大人の世界のなんとまぶしいことか。
天気雨は「優しくなくていいよ、クールなまま近くにいて」というのが、当時好きだったサッカー部の男の子に感じていた気持ちそのままだったわけで、ちょっと屈折しているかもしれないけれど、なつかしい。
ユーミンはよくも人の気持ちにぴったりとくる歌をつくるものだ、と思ったものです。
酒井さんも書いているとおり、荒井由実から松任谷由実に変わってから、「万人が食べやすく、そして一度食べたら癖になるような」、「ポップ」な歌に変わっていきました。
だからこそ、当時の高校生みんなに受け入れられたわけでしょう。
当時、私はとにかく「女子大生」に憧れていて、その「女子大生」というのは、ロングスカートをはいて、大きな帽子をかぶり、彼の車の助手席に乗って中央フリーウェイをドライブするユーミンにほかならなかったわけです。

さて、大学に入ると、時間はたっぷりありますし、恋の機会は多いですが、実は恋への幻滅だの、別れだの、手痛い失恋だの、いろいろとあるわけで、2年生の頃には既に一気に大人になった気分で、ほろ苦い歌が好きになり、その代表的なアルバムは、パール・ピアスの「真珠のピアス」、「DANG DANG」、酒井さんの本でも取り上げられているアルバム、「DADIDA」、「アラーム・アラモード」、「ダイアモンドダストが消えぬ間に」における一連の歌でした。
私も酒井さんと同じく、「Holiday in Acapulco」は印象深かった。失恋したらアカプルコに旅行に行く、という、どこまでも先を走っているユーミンの歌の女は、ちょっと寂しいけれどかっこよかったわけです。

とめどもなく懐かしくなり、昔話など綴りそうでやばいので、これくらいにしておきます。

さて、私が一番「なつかしい!!」と思ってしまい、酒井さんに共感し、好きなアルバムと言えば、
DADIDA、そして、Love Warsです。
この2アルバムと、ノーサイド、パールピアスは暗い受験時代も聞いてまして、今にして思えば心の支えだったのかもしれませんね。
怨念系の歌や、痛みをこらえて前に進む女の歌、一人で生きていくことを鼓舞する歌も多く、暗い受験時代を乗り切れたのは、実はユーミン(また、この時期忘れてはいけないのは竹内まりやもですが)のおかげだ、と改めて思います。
ユーミンは高校時代に聞いたようなポップな歌をつくる一方、鬱屈としたなかをかっこよく乗り切る歌もつくって私を受けとめ、励ましてくれていたわけです。


しかし、私は、司法試験に合格し、司法修習生になり、弁護士一年目になるころまで、引き続きDADIDA、Love Warsを聞いていました。
笑ってしまうのは酒井さんのタイトルで、DADIDAのサブタイトルを「負け犬の源流」、Love Warsのサブタイトルを「欲しいものは奪い取れ」としているのは大変絶妙で、思わず笑ってしまいました。
さすがですね。
欲しいものは奪い取れ、そうですね、私たちの世代にありがちで、最近林真理子さんが一冊本を出して若い世代に投げかけた、あくなき欲望の追求です。

Love Warsには、酒井さんは紹介しなかったけれど、私にとってすごく重要な歌、Good-Bye Goes -Byがあります。
雨よりもやさしく、というトレンディドラマの主題歌ですが、自分を大切にできない恋に痛いほどしがみついていた女性が、
「走り出したバス」に飛び乗って、新しいステージにのぼって幸せをつかもうとする、という歌で、
ちょうど私が司法試験に受かる頃の心境とすごくマッチしていて、毎日暗示のように聞いていたら合格したのを覚えています。
http://www.kasi-time.com/item-19653.html

にわか雨がタップダンスで
朝の通り 渡って行った
雲のない10月のブルー
きみの出番を待っている
泣き明かした夜に good-bye
あてのない電話はもういらない
くすぶった日曜日 goes by
さあ取り返すの

走りだしたバスに飛び乗り
息をつけば 街も流れて
痛いほどしがみついていた
時はゆく せつないけど
駆け引きした夏に good-bye
止めどないジェラシーはもうおしまい
ばら色の人生 goes by
愛をつかまえて

これは忘れられない歌ですね。

Good Bye Goes Byもそうですが、酒井さんも書いていらっしゃるとおり、
恋を思い切る、うまくいかない恋を忘れて次のステージに進む、というのがユーミンの歌には多く(自分から男を思い切って次のステージにさっさと進んでしまう「青春のリグレット」のような歌もありますが)、それを通じて女性としてステップアップしていく、というメッセージが結構あり、女性を励ましてくれます。
その書き方がドライで、じめじめした演歌とは一線を画しています。ドライでいられるわけないのでしょうけれど、やせ我慢してでも自分に暗示をかけてでも、さっさと次に進む、自分を大切にし、自分の幸せに向かって進むのが、新しい時代の女性の生き方、というところが格好良く、自分もそうあらなくては、と思ったりしたものです。

ちょっと地味ですが、「心ほどいて」はそんな歌。大好きだった彼が結婚式に出席してくれて、自分は他の人と結婚する。きっと結婚と言うのはそういう苦味も噛みしめながら、幸せに向かう意志なんだろう、と私は理解しました。
それも含めてLove wars、最後は戦い終わって満足のAnniversaryとなるのです。

ところで、私は修習生になったころ、毎朝このアルバムのタイトルとなる曲・Love Warsを聞いて裁判所に通っていました。時は1992年、バブル直後です。
好きな人はいたようにおもうので、当時、恋愛をがんばる、と言う気持ちもあったんでしょうが、それよりも、新しいステージに立った毎日、自分を鼓舞していたわけです。
酒井さんは「自ら出陣する女性達」と書いてますが、そのとおり、バブル当時の女性の強気、女性も自ら戦い、ほしいものを手に入れるのだ、という時代の流れから、私もダイレクトに影響を受けていたわけです。あーなつかしいなあ。

このアルバムと並んで、私が修習生当時もしつこく聞いていたのは、DADIDAであり、全部好きですが、酒井さんも取り上げている「メトロポリスの片隅で」は本当に好きな歌で今も心が躍るほどです。
新宿の摩天楼をみながら、何度この歌を口ずさんだかわかりませんね。
http://www.roran.dk/yuming/dadidak.html
さよなら あのひと
ふりきるように駆けた階段
ひといきれのみ込む通勤電車
涙ぐむまもなく
ごらん、そびえるビルの群れ
悲しくなんかないわ
ときどき胸を刺す夏のかけら
きらめく思い出が痛いけど
私は夢見る Single Girl

「ごらん、そびえるビルの群れ
悲しくなんかないわ」ってところが本当にすごくいいですよね。

酒井さんは「そう、これは男に未練を持たない、潔いsingle girlを礼賛する歌であり、そんなSingle girlへの応援歌」
「今までどれほど多くの女性が」「この歌を聴くことによって自らを奮い立たせたことでしょうか」とし、
「そして私は、このアルバムが出た当時、男と別れる度に「メトロポリスの片隅で」を聴いて「仕事をがんばろう!」という気になっていた若い女性達こそがいわゆる負け犬の源流なのではないかと思っています」と書いて、このアルバムが晩婚化を促進したのでは、と書いています。
酒井さんならではの興味深い分析だ、と思いました。
しかし、ユーミンの主人公は上に書きました通り、「悲しくないわ」と言って新たなステージにあがり、その後賢く、ちゃっかり結婚している人も多いのでは、と思っており、私もどちらかというとそちらに属するわけです。
酒井さんは、均等法世代の女性たちが、青春時代に「メトロポリスの片隅で」を聴いて「そうよそうよ。人生、男だけじゃないわ。仕事があるじゃないの!」と思った経験をもち、キャリア志向の負け犬が産声をあげた、と書かれており、あー、そのように「メトロポリスの片隅で」を解釈した方々もいたんだ、と思いました。
私の場合「ごらん、そびえるビルの群れ、悲しくないわ」というのは、むしろ、仕事VS男かではなく、「あっさり過去の人になった一人の男」VS「それ以外の輝くような広い都会の世界」、つまり、めくるめくような可能性すべて、それは恋愛も、遊びも、最先端の流行も、もちろん仕事も、そしてあらゆる未知の可能性すべてを含んでいる、都会、時代、バブルetcの渦、というようなものだったのではないかと思うのです。
20代の私にとって、あのバブル期の都会には、自分は何者にでも変われるかもしれない、どんな新しいことが自分を待っているかわからない、というすさまじい魔力があったのですね。

この曲も、私にとっては、別に失恋とこの歌が結びつくというよりは、ユーミンにありがちな、心象風景を書きたいために恋にこじつける、というふうにこの歌を解釈していて、時代と未来に夢見る気分というところに激しく共感したのです。


そして、ユーミンこそが、自分が背伸びしてたどりつきたい夢のような世界を提示してみせてくれた一人でもありました。
大人になったら自分も経験できるはずの中央フリーウェイのドライブ、スキー場での恋、そして、もっとがんばって手に入れよう、摩天楼を見上げるOL生活、山手のドルフィン、アカプルコ、アフリカ(ノーサイドのこの歌、http://j-lyric.net/artist/a000c13/l000e38.html)、と、見たことも聞いたこともない新しいものがあることを教えてくれたのがユーミンでもあり、そういたことを経験したくて自分を磨き、がんばってきた女性達が私たちの時代の女性達だと思うのです。
聖子ちゃんの歌からも、大人になったら明るい未来が開けている、希望がある、というメッセージが伝わって、私たちを明るい気分にしていましたが、ユーミンはさらに、明るい未来に生きるために、女性は自立してかっこよくあらねば、という美学も一緒に教えてくれていたのです。

ところで、酒井さんはバブル崩壊の時期からあまりユーミンを聴かなくなったそうですが、私も同じ時期から以前ほどは聴かなくなりました。
1994年に「Dear My Friend」を繰り返し聞いたのがユーミン依存の最後です。
当時、弁護士になったばかりでしたが、仕事に追われる毎日で、ある9月の日に突然寒くなり、薄着の季節ももう終わり、と思ったら、なんだかさみしくなり、「さみしくて、さみしくて」というこの歌を毎日聞いていました。
その年の11月に出会ったいまの夫と翌年早々に結婚し、その後あまりユーミンは聴かなくなりました。
コンサートは時々行きますし、昔の歌を好んで聴くこともありますが、それこそ以前は宗教みたいに聴いてましたからね。
というわけで、それまでの山あり谷ありの人生を支えてくれたのはユーミンだったのね、と、酒井さんの著書で改めて認識し、改めて深く感謝してしまった次第です。

酒井さんはやはりDADIDAの「たとえあなたが去って行っても」という曲を熱く語っていますが、これは女たちも「みんなLONELY SOLDIER」「私、道を曲げなかった」「たとえあなたが去って行っても」という歌で、私も好きなんですが、女性たちにあんたたちはLONELY SOLDIERだ、というユーミンのメッセージはすごいなあ、と思います。
これに続く、「自分からあふれるものを生きてみるわ」という歌詞の意味するものは、そう、当時の私たちのキーワード、「自己実現」だったわけです。
酒井さんは、今でも「メトロポリスの片隅で」や「たとえあなたが去って行っても」を聴くと、ついつい尚武の精神が沸いてきて「そうそうもっと遠くへ一人で旅を!」などと思ってしまうそう。そういうの、素敵で、共感します。
でも、次の瞬間に我に返り「あの頃とは年が違うことを思い出せ」と自分を諌めてしまうそうで、自分は既に当時考えていた「遠く」まで辿り着いたのだ、「すっかり遠くまで来た」と老兵よろしく独り言ちています。
しかし酒井さんそれはもったいない。世界はまだ広く、人生はまだ続く。
まだ世界は(汚いところであるのはわかっているけれど同時にいまも)めくるめく可能性に満ちている。まだ遠くまでいきましょうよ、と、同世代の私は思ったのでした。

以上勝手に書き綴ってみましたが、今日は力尽きましたし、まだ読破していないので、今日はこの辺にしておきます。
最後に、酒井さんの書籍で改めて、ユーミンなくして歩いてこれなかったことをまざまざとわかり、ユーミンに心から感謝いたします。
るる書いた通り、私と酒井さんでは、ユーミンの解釈は同じではない、しかし、それぞれの全く違う十人十色の女性が勝手にユーミンを自己流に解釈し、自分を奮い立たせて、時には自分を慰め、未来に夢を抱いて生きて成長することを可能にした、なんでも包み込んでしまったうえで前を向いて生きる勇気を与えたユーミンは素晴らしいわけです。

そして、そのことに改めて気づかせてくださった酒井さんにも感謝したいと思います。

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