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2014年3月 1日 (土)

不器用な女

不器用な女、というタイトルですが、これは私のことです。
弁護士をしていると何でもできる、出来る女ではないか、と思われたりして、苦笑してしまうのですが、私はまったくエリートではなく、弁護士以外に向いている職業がないから弁護士をしている、としか言いようがありません。
まず、小さい頃は、手先が不器用であり、かつ人と同じことが自分だけはうまくできない、という感じでしたし、運動神経もよくなかったのです。
特にいろんなことをやらされる小学校時代は拷問のごとく、裁縫、工作、一部の体育科目など、全然だめで、「なんで強制されるわけ?」と思ったものです。
音楽は得意だったし、走るとか泳ぐとか単純な運動、単に絵を書くだけならいいですけれど、木工細工だの、ミシンだの、さっぱりだめ。
そもそも、小学校の一年のころは勉強も全くできず、授業というもの、学校と言うものの趣旨を理解しておらず、罰としていつも騒いでいる4人組で、先生の真ん前の位置に席を固定されて監視されていましたが、仲良し同士集まれる嬉しさで授業を無視して喋りつづけ、叱られても笑っている、ということで、発達障害を懸念されていたようです。
そのような次第で学校カーストの低い位置にいたわけですが、母は小学校の先生で、頭脳明晰、スポーツ万能ではきはきとしており、学校カーストの最上位にいました。であるため、小学校一年早々にして、「親の期待に応える」ということをあっさり諦めて、マイペースに過ごしていたものです。

とはいえ、あまりに不器用なことは自分でも持て余しており、「将来どうやって生きていこうか」と漠とした不安がありました。
しかし、次第に、圧倒的かつ強烈に、人よりできないことがたくさんある一方、わずかながら努力によりできることもあることがわかり、そうなると、できることはひとつだけ、よいところを伸ばしてみる、ということでした。
次第に勉強はできるようだ、ということがわかり、勉強はするようになりました。
しかし、高校に入ると、理系には明らかに限界があることが明らかになりました。
得意と言えば、国語、社会科、音楽、ちょっと置いて英語、というところ。
あとはトライアスロン系の運動、ただ走ったり泳いだり自転車こぐのも、なぜかむきになってやってました。

中学の「フレミングの法則」くらいから、理系の努力はやめたほうかよい、という気持ちになり、高校二年生のころには物理・地学という苦手科目の努力を放棄しました。

一応大学は国立大学を目指しましたが、数学・理科等が全く駄目で、大学合格後しばらく経過しても、大学受験の数学の問題が出来ずに絶体絶命のピンチ、という悪夢にうなされていました。
しかし、国立大学の数学の問題を説く、という機会はありませんでした。
なぜなら私はマークシート式が大の苦手、そのため、当時の共通一次試験で、志望大学の基準に満たず足切りにあい、私立大学しか受けられなかったからなのです。
なので、国語、小論文、世界史、英語しか受けなくてよい早稲田大学の過去問だけを練習して、早稲田大学に合格したわけですね。

大学入学当時は小説家志望で、フランス留学を夢見ていましたが、フランス語は難しくて全然身に付かず挫折。
小説も目が出ず、「しっかりした資格」ということで、司法試験になったわけです。
ところで、私が大学卒業したのは1989年、バブル真っ盛りでしたが、当時の友人女子大生のようにリクルートスーツにパンプス、きれいにお化粧して髪型を整えて企業訪問なんて到底無理でした。
お化粧もかつて一度も成功したことがないまま今日まで来てますが、最も暇な大学時代に化粧の練習をさぼったのがいけないのでしょう。それに相変わらず不器用で気が利かない子でした。
成績の良い子は、総合職を目指して、企業面接に着々と望んでましたが、企業の人と渡り合うなんて到底無理、就職してもデスクワークをしたり、お茶くみ、コピー取り、会計、どれひとつ全く使えない人でしたし、さらに高度な仕事で成績をあげる、出世する、社内を渡り歩くなど到底無理で、会社員には到底なれませんでした。
司法試験を受けるについては、当時から「人のために働きたい」などの志望動機はありましたが、他の仕事は到底勤まらず、最強の資格をとってようやく社会人のスタートラインにたてるかもしれない、というようなレベルだったというのが率直なところです。
 しかし、再びマークシートが苦手なため、一次の短答式試験で二回連続すべり、当時は既に大学を卒業しており、企業にも採用してもらえなさそうでしたので、やめるにもやめられません。
しかし、とにかくこの試験を突破しない限り私には明日がない、とそれだけやったわけです。猛勉強して三回目でようやくすべての試験を突破したのですが、人生かかっていたわけです。

そのような次第で、司法試験という当時最強の資格をとってようやく社会人としてのスタートラインにたてて、今に至っているわけです。
つまり、自分が生かされる道というのは、極めて細い、狭い範囲の一本道しかなく、試行錯誤の末にそれを探し当て、それだけに馬車馬のように努力をしてなんとか資格を得て、今の仕事についたわけです。

弁護士になったといっても、未だに、事務員さんのような事務能力はありませんし、依頼者の女性たちを見ていると、大半の女性が私よりしっかりしていて感心する次第です(ですので、そのような有能でしっかりした女性たちが職場で差別されたり、夫のDVにあったり、理不尽な状況に置かれているのは許し難く、何とかしてあげたいと思うわけですね)。
そして、私は弁護士として広範な分野をフォローしているわけではありません。
確かに10年以上、なんでも取り扱う法律事務所に勤務していましたので、民事、刑事、ひととおりの事件はなんでも経験がありますし、だいたいのことはできます。
ただ、専門分野として意識的に伸ばし、勉強し、研鑽を積んできたのは、女性の権利の分野、人権全般、国際人権問題の分野、そして冤罪・刑事司法改革の分野です。
その過程でも様々なトライアル&エラーがありましたが、自分の進むべき分野、自分が最も情熱を注げる分野を探してここにたどり着いたわけです。

いずれも一般的に言えば、人気分野ではなく、「食えない分野」(もうからない事件ばかり)と言われ、隙間産業というか、普通の弁護士が日常的にやっている分野ではありません。

 ですので、専門は? と言われて上記のように答えると、驚かれたり絶句されたりするわけです。
しかし、おかげさまで、そこばかり伸ばしていたところ、たくさんの御相談にきていただるようになり、自分の好きでない事件、主義主張に会わない事件はほとんど依頼も来ませんし、引き受ける必要もなく、精神的にはヘルシーな生活を送ることが出来ています。

 しかしながら、自分にできる仕事はここしかないわけで、他の仕事などうまくこなせません。
 今もいつか詩人になりたい、小説家になりたい、ジャズシンガーになりたいなどの夢がありますが、食えるのか、というとどうでしょう。
 上記のような専門分野は狭いニッチ&マニアックな世界であり、従って私は極めて狭い分野だけのことはよくわかるつもりですが、その他のことに関する知識は人よりないくらいで、幅広い教養などありません。
好き嫌い、得意・苦手があまりにはっきりしており、かつ、得意なこと・好きなこと・人並みにできそうなことがあまりに少ないので、そこにだけにしがみついて、それだけをとにかく大切にして、長所のみを伸ばしてそこで勝負をし、ほかのところはあっさり諦めてしまっているわけです。

 しかし、結果的には世界の人権問題から、日本の様々な人権問題について取り組んでいます。かなり広範な事象を扱い、様々なプロジェクトをこなしていますが、やっていることが広いか、というと分野としては広いわけではありません。

 私が不器用であり、あまり他で通用しなさそうだ、ということは、今考えるとよかったと思います。
 器用貧乏にならず、選択肢も多くないので、少ないことに集中して努力するからです。
 また、不器用な人間なので、あまり他人に対して、ジャッジメンタルなことをしない人間であることはよかったと思っています。
このように不器用で潰しのきかない私は、いつも「一歩間違えばプー太郎、さらに間違えば塀の中の人(以前私が書いた「私と犯罪」というブログ記事参照)」という意識がありますので、他人をえらそうに批評するような立場ではないわけですね(一部私の好きになれないフェミニストの方々のように、世間が騒いでいる対象の女性達に対して、切り刻むような評論・批判的考察をすることには大いに違和感があります)。
他人にジャッジメンタルでない、他人の生き方に対して寛容、というのは、ある意味、私の矜持なのです。

 それに自分が大したことないと思っているので、威張ったり偉そうにしたり、気取ったりしない、というのも、いいところかもしれないと思います。
 世間水準で、世間の期待を察知して「こうあらねば」ということを考えて追い詰められたりがんじがらめになることからも自由です。というのも小学校の最初のころにそういうことはあきらめてしまったからです。
 むしろ大切なのは自分の物差し、自分自身で「こうあらねば」というのは持っています。
 
  世間の多くの方は、むしろ私よりも器用で、私よりも出来ることが多いのではないか、と思います。
  総合力で勝負する必要のある人も確かにいるでしょうが、まずは、長所を磨く、そこに努力を集中する、というのはひとつのあり方ではないでしょうか。私の場合、生存し、生き延びるためにそれしかなかったわけですが、私よりできることが多い方にもこういうやり方は役に立つかもしれないと思います。
 何から何まで完璧にできなくても、自分にとって大切な本質を見つけ、そこを頑張る、というあり方もあるのではないかと思います。
 人生は一度しかなく、時間は限られていますので、1%の本質を見つけてそれに向かって努力する、ということは大切なのでは、と思うのです。
 

 
 


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