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2014年3月

2014年3月28日 (金)

UN Women事務局長とともに

女性のエンパワーメントと男女平等を推進する国連機関・UN Women事務局長が来日され、歓迎レセプションに参加させていただきました。

こんな感じで、素敵な人でしたね。

Un_women

昨年、UN Womenのアドバイザーになってしまった私は、事務局長からもっとがんばってくれ! と、叱咤激励を受けた次第です♪ 
がんばります。

袴田事件の再審開始決定、釈放へ 

本当に素晴らしい歴史的なニュースです。

袴田事件の再審開始決定、釈放へ 証拠「捏造の疑い」
http://www.asahi.com/articles/ASG3K6R2XG3KUTPB01C.html

2014年3月27日10時55分

苦節何十年。。。
弁護士になったころから、私も死刑再審・名張事件に取り組んでいたので、隣で見てきた同じ苦しみを共有する、死刑再審事件です。
絶望的な時期のほうが多かったように思い、様々な感慨があります。
誰がなんと言おうと、証拠の「捏造」を主張する弁護団の先生のお姿、以前の涙の記者会見の様子なども思い出され、しみじみと嬉しく思いました。
ここまで心の底から嬉しいニュースは本当に久しぶりです。決定書をよく勉強させていただきたいです。開けない夜はない、という言葉を思い出しました。

同時に、証拠をねつ造し、証拠を隠ぺいし、一人の無実の人の人生をこれほどまでに、取り返しのつかないほどに台無しにした日本の刑事司法への憤りを改めて強くしました。
人殺しシステムを容認している、日本の刑事司法、そしてそれを容認し続けている私たち。徹底した反省と検証、改革が急務です。検察は絶対抗告しないように!

こちら朝日のウェブ記事です。
袴田事件の再審開始決定、釈放へ 証拠「捏造の疑い」
 
  1966年に静岡県の一家4人が殺害、放火された「袴田事件」で死刑が確定した元プロボクサー袴田巌(いわお)死刑囚(78)=東京拘置所在監=の第2次再審請求審で、静岡地裁(村山浩昭裁判長)は27日、再審開始を認める決定をした。村山裁判長は「捜査機関が重要な証拠を捏造(ねつぞう)した疑いがあり、犯人と認めるには合理的疑いが残る」と判断。「拘置の続行は耐え難いほど正義に反する」と刑の執行停止(釈放)も決めた。

トピックス「袴田事件」
 死刑囚の再審開始決定は免田、財田川、松山、島田の無罪確定4事件と、後に覆された2005年の名張毒ブドウ酒事件の名古屋高裁決定に次いで6件目。

 静岡地検の西谷隆次席検事は「予想外の決定。上級庁と協議して速やかに対応する」と語った。刑の執行停止に対しては即日、不服申し立てをする方針。再審開始の判断については、不服申し立てを28日以降に行う方向とみられる。

 事件は66年6月30日に発生。同年8月、みそ工場従業員だった袴田元被告が強盗殺人や放火などの容疑で逮捕され、捜査段階で犯行を認める自白調書が作られたが、公判では一貫して否認。静岡地裁は68年9月、自白調書1通と間接証拠から元被告の犯行と断定して死刑を宣告し、80年11月に最高裁で確定した。

 08年4月に始まった第2次再審請求の最大の争点は、犯行時の着衣の一つとされる白半袖シャツに付いていた血痕のDNA型鑑定だった。確定判決は、シャツの右肩についた血痕の血液型が同じB型だとして、元被告のものと認定。第1次再審請求でもDNA型鑑定が行われたが、「鑑定不能」だった。

 第2次請求で再鑑定された結果、検察、弁護側双方の鑑定ともシャツの血と元被告のDNA型が「一致しない」とする結果が出た。検察側は「鑑定したDNAが劣化しており、汚染された可能性がある」と主張。弁護側と鑑定結果の信用性を巡って争っていた。

 この日の静岡地裁決定は弁護側鑑定について、「検査方法に再現性もあり、より信頼性の高い方法を用いている」と指摘。「検察側主張によっても信用性は失われない」と判断した。そのうえで、犯行時に元被告が着ていたとされる着衣は「後日捏造された疑いがぬぐえない」と指摘。DNA型鑑定の証拠が過去の裁判で提出されていれば、「死刑囚が有罪との判断に到達しなかった」と述べ、刑事訴訟法上の「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」にあたると結論づけた。

 さらに「捏造された疑いがある重要な証拠で有罪とされ、極めて長期間死刑の恐怖の下で身柄拘束されてきた」として、「再審を開始する以上、死刑の執行停止は当然」とも指摘した。

 事件では起訴から1年後の一審公判中、現場近くのみそ工場のタンクから血染めの白半袖シャツやズボンなどが見つかり、検察側は犯行時の着衣を、パジャマから変更。静岡地裁判決は自白偏重の捜査を批判し、45通のうち44通の自白調書を違法な取り調べによるものとして証拠排除したが、5点の衣類を始めとする間接証拠類と自白調書1通で、死刑を選択した。

     ◇

 〈袴田事件〉 1966年6月30日未明、静岡県清水市(現・静岡市清水区)のみそ製造会社専務(当時41)宅から出火。焼け跡から専務、妻(同39)、次女(同17)、長男(同14)の遺体が見つかった。全員、胸や背中に多数の刺し傷があった。県警は同年8月、従業員の袴田巌さん(同30)を強盗殺人などの疑いで逮捕。一審・静岡地裁は袴田さんは家を借りるための金が必要で動機があるなどとして死刑を宣告した。この時、死刑判決を書いた熊本典道・元裁判官は2007年、「捜査段階での自白に疑問を抱き、無罪を主張したが、裁判官3人の合議で死刑が決まった」と評議の経緯を明かし、再審開始を求めていた。


ところで、、、


袴田事件の再審開始決定を喜びつつ、名張事件がいま同じ状況だったならどんなにいいだろうなあ、と思ってしまう夜は、この曲などをきいてみます。

今宵の月のように / エレファントカシマシ

https://www.youtube.com/watch?v=8Gkt-Qk31bI

そしてこちらも。
悲しみの果て  / エレファントカシマシ

https://www.youtube.com/watch?v=0WZu7L7Hjds

名曲だね。明日も頑張りましょう。

2014年3月23日 (日)

この間のできごと。

京都で久々リラックスして、自分のこちらのブログを見てびっくり。
なんと、3月2日以降更新してなかったなんて!!!
怒涛のように毎日過ぎていたのですが、全然アップデートせずに反省しきり。
よかったことは、直近のブログ・updateで問題とした、「河野談話見直し」について
、一応日本政府が「承継」と言う姿勢を明らかにしたことです。
これは米国からの強力な圧力に屈服したのだと私は考えていますが、そのことに複雑な気持ちではありますが、結果的には本当によかったと思います(まだ全然安心できませんが)。

その後、私は、3月8日から16日までニューヨークで国連女性の地位委員会に出席してきました。
こちらではサイドイベントを3月10日に開催し、素晴らしい成功と素晴らしい出会いに恵まれました。
16日に帰国して、すごーい時差ボケと戦いつつ、アナンド・グローバーさんを迎えて、3月20日は東京、21日は福島、22日は京都で講演会を開催し、ずっとアテンドしてきました。
こちらにつきましては、皆様のカンパのおかげで招聘ができ、また、各地のシンポジウムと、東京での記者会見、院内勉強会も大変密度濃く成功したので、大変感謝しております。
これが実際の政策転換に少しでもつながり、原発事故被災者の方々の人権が回復する一歩となることを願ってやみません。特に関西でこの話をしにいくことはあまりなかったので、関西の避難者のまとめ役をされている方々や支援者の方々などと初めてお近づきになれてうれしかったです。
グローバーさんは、今朝お帰りになったので、今日はせっかくなので京都散策をしてから帰ることにしました。
南禅寺、哲学の道、銀閣寺、そして私のパワースポット清水寺、とまわって今京都駅です。
来週は少し落ち着いて仕事に取り組めそうです。

この間、ジュネーブとニューヨークの国連の重要な会合で、ヒューマンライツ・ナウが発言権を得て発言をしました。いずれも私は、ニューヨークと日本にいたため、参加できず、HRNのほかのメンバーに発言をお願いしたのですが、世界で同時進行的にヒューマンライツ・ナウが活動して、政策に影響を与えようとしている、ということは、大変うれしい限りで、国際人権NGOをつくり、国連の協議資格を取得した甲斐があったと思っています。
今後も日本の足元の問題に取り組みつつ、世界的な問題に取り組み、海外拠点の一層の充実に努めていきたいと考えています。
では、少しずつ、この間のことをアップしてまいります。

2014年3月 2日 (日)

河野談話の検証、なぜ政府は秘密裏に進めようとするのか。

1 河野談話の検証

政府は、従軍慰安婦問題に関するいわゆる河野談話を検証するという。

報道はこうだ。


菅義(よし)偉(ひで)官房長官は28日午前の衆院予算委員会で、慰安婦募集の強制性を認めた「河野洋平官房長官談話」の根拠となった元慰安婦の聞き取り調査などの再検証について「秘密を保持する中で、政府としてもう一度確認することが必要だ」と述べ、政府内に検討チームを作る方針を表明した。
出典:産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140228/plc14022811480013-n1.htm


2 そもそも、河野談話とは何か。

これは、「慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話 」(平成5年8月4日)のことである。

すでに知っている人も多いと思うけれど、その重要部分は以下の通りだ。

「いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より、調査を進めて来たが、今般その結果がまとまったので発表することとした。  今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。  なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。  いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。また、そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。  われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。」
出典:http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/kono.html
この河野談話に書かれたことは、これまで何ら疑義のない、確定した歴史認識として通用してきた。

争いのない事実ばかりであり、国連人権委員会、小委員会からもこの人権侵害の事実については詳細な報告書が出されている(クマラスワミ報告、マグドゥーガル報告など)。

そもそも、政府が設置したアジア女性基金(慰安婦の方々からは強く非難されてきた基金である)自体が、河野談話の範囲の事実を認める事実関係を争いのない事実として明記しているのだ。

アジア女性基金ウェブサイト
http://www.awf.or.jp/1/index.html

3 「検証」すること自体の異例さ

このように、いったん国として責任をもって調査を実施し、責任を認めた植民地支配、侵略の過程での人権侵害について、いまさら検証するということ自体は、極めて異例である。

そして、その責任を否定する方向で検証が行われるとすれば、あまりにも恥ずべきことと言わざるを得ない。

一度認めた他国への罪、人権侵害の事実を、時が経過したから、「責任はなかった」「責任は軽かった」などと開き直る国を私はあまり知らない(例えば殺人事件の犯人、レイプ事件の犯人が、いったんは明確に自らの責任を認めて判決が確定した後、20年以上たって、「責任はなかった」「責任は軽かった」などと言いだしたら、どう思うだろうか、最低の卑怯な人間のようなふるまいを主権国家がやってよいのか)。

人権侵害の規模や性質は異なるものの、ナチスドイツの行為の責任を徹底して検証し、認め、謝罪し、補償をしてきたドイツでは、歴史の再検証など到底あり得ないことである。

国際社会は人権問題にセンシティブであるが、人権問題のうち、最もゆるがせにしてはならないのが、戦時下の「戦争犯罪」「人道に対する罪」に該当する重大犯罪である。そして、戦時下の性暴力はそうした最も許しがたい人権侵害に分類されている。

そのような過去を経験した国が、その歴史の修正を試み、人権侵害を直視しない、ということになれば、人権感覚として極めて問題のある国、という評価を受けることになる。その重大性をどこまで現内閣は認識しているのだろうか。

4 なぜ非公開なのか

最近ではNHK籾井会長や橋下維新の会共同代表はじめ、極めて遺憾なことに、従軍慰安婦の加害責任をきちんと認めない問題な言動が相次いでいる。

従って、仮に、安倍内閣が再度徹底して透明性の高い調査をし、人権侵害の事実と責任の所在について改めて明確にしよう、というのであれば、意義のあることかもしれない。

しかし、冒頭の官房長官談話をみれば、この調査は秘密裏に実施されるという。懸念は増すばかりである。

なぜ秘密なのか。どうして透明性の高い公明正大なプロセスとして、有識者、法律家等などを入れた公開のプロセスとしないのか。

不信感を抱かざるを得ない。

このようなやり方は、こうした過去の人権侵害の検証プロセスに関する国際スタンダードに明らかに反しているのである。

過去の人権侵害の検証プロセスはしばしば移行期正義(Transitional Justice)と言われるが、調査委員会、法廷などその形式の如何を問わず、公開性はイロハのイである。独立した専門家が委員に選任され、公開の公聴会が行われ、証拠は公開され、調査結果とその根拠も公表される(南アフリカでも南米でも、アジア諸国でもそのようにしている)。

政府がこっそりと密室で人権侵害の歴史を検証することなど、現在の国際社会の常識では到底ありえない。

まして、日本のあり方に深くかかわる歴史認識の問題に関して、政府の秘密会のようなところでこっそり話しあって、万一にも従前の認識を勝手に覆すようなことがあれば、きわめて非民主的というほかなく、国際社会も、近隣諸国も、被害者も到底納得しないであろう。

私たち主権者も一切かかわれない、一切情報から遠ざけられたまま、ある日突然歴史に関する新しい歴史の事実が「上からお達し」されるということでよいのか。私たちはいかなる時代のいかなる国に生きているのだろうか。

5 そもそも安倍内閣の事実認定のあり方には重大な疑問

何よりも、慰安婦問題に関する安倍内閣のこれまでの、事実や資料に不誠実な姿勢からみて、内閣の秘密裡による調査が適正に実施されるのか、極めて疑問と言わなければならない。

安倍内閣は、河野談話を踏襲してきたというが、2007年の第一次安倍内閣時代には、以下のような閣議決定がされている。


「関係資料の調査及び関係者からの聞き取りを行い、これらを全体として判断した結果、(中略)内閣官房長官談話のとおりとなったものである。また、同日の調査結果の発表までに政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」
出典:(二〇〇七年三月八日に辻元清美が提出した質問主意書に対する答弁)

このような認識は、「慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった」という河野談話の認識と一致するものとは考えにくい。

しかも、河野談話の前提となる政府の調査結果の中には、慰安婦の強制連行を示す証拠があったことが明らかになっているのだ。

オランダ人への戦争犯罪等を裁くBC級裁判、いわゆるバタビア臨時軍法会議の裁判資料がそれだ。

昨年、以下のような資料が市民に情報公開された。


「戦時中、旧日本軍がインドネシアの捕虜収容所からオランダ人女性約35人を強制連行し、慰安婦としたとの記載がある公的な資料が6日までに、国立公文書館(東京)で市民団体に開示された。資料は軍の関与を認めた河野官房長官談話(1993年)の基となるもので、存在と内容の骨子は知られていたが、詳細な記述が明らかになるのは初めて。  法務省によると、資料名は「BC級(オランダ裁判関係)バタビア裁判・第106号事件」。 49年までに、オランダによるバタビア臨時軍法会議(BC級戦犯法廷)で、旧日本軍の元中将(有期刑12年)、同少佐(死刑)など将校5人と民間人4人を強姦(ごうかん)罪などで有罪とした法廷の起訴状、判決文など裁判記録のほか、裁判後に将校に聞き取り調査をした結果が含まれる。計約530枚で、法務省がこれらを要約したものが談話作成の際に集められた資料の一つとなった(中略)。元陸軍中将の判決文などによると、戦時中の44年、ジャワ島スマラン州に収容されていたオランダ人女性を、日本軍将校が命じて州内4カ所の慰安所に連行し、脅して売春させた。」
出典:共同通信 2013年10月7日
http://www.47news.jp/47topics/e/246352.php
このバタビア臨時軍法会議では、証人が、ジャワ島スマランのオランダ人抑留所にいた女性や少女達を、売春をさせるために強制的に連行したということを克明に証言している裁判記録もある。

辻元清美議員は、この裁判記録をもとに2007年に第一次安倍内閣に質問趣意書を出している。

http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a166266.htm

この辻元議員に対する政府の答弁書は


連合国戦争犯罪法廷に対しては、御指摘の資料も含め、関係国から様々な資料が証拠として提出されたものと承知しているが、いずれにせよ、オランダ出身の慰安婦を含め、慰安婦問題に関する政府の基本的立場は、平成五年八月四日の内閣官房長官談話のとおりである。
出典:http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b166266.htm
というものである。

河野談話のとおりだ、などと話をぼかしているが、このように強制連行を示す証拠があるにもかかわらず、「軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」と閣議決定したのだ。そして、証拠をつきつけられて質問趣意書を受けても、理由も明確にしないまま、閣議決定の認識を変更しようとは全くしないのだ。

辻元議員は2013年も同様の質問をしているが、安倍内閣の答弁は変わらなかった。強制はない、という言い分も変更していない。

これ、弁護士の端くれである私などから見ると、全く筋が通っていないのだ。

裁判で、強制連行をした事実を前提に有罪判決となっている事件の存在を知り、その資料も入手しながら、どうして、「強制連行を示す証拠はない」と言えるのか。

裁判や証言の信憑性を今さら争うつもりなのか? 信憑性を否定するならその根拠は何か? そうした理由を一切示さないまま、政府の一存で「強制連行はない」と言い張れば、それが正しい事実になるのだろうか。

このように政府は平気でうそをついているとしか言えないのが現状である。このことを国会議員やメディアがあまり問題にしないのも、議員やメディアの怠慢としか言いようがない。何を萎縮・遠慮しているのだろうか。

6 改めて、秘密の独走を許してよいのか。

以上のように、安倍内閣の過去の歴史に関する事実認定に問題があり、適正な事実認定能力に欠けることは、オランダ人慰安婦に関する裁判記録からも明らかになっている。

政治的とか、イデオロギー的という以前の、事実を直視しない、証拠を無視する、という、事実認定能力の基本に欠ける問題なのである。

そのような政府に、秘密裏に、歴史認識の認定を委ねれば、どんな非常識な結果になるのか、想像に難くない。

都合の悪い証拠が出てきても、無視して大胆に、自分の好きなように事実を検証し、決められることになってしまう。まさに茶番になる危険性があるのだ。

どうしても今検証するというのであれば、公開で透明性のあるプロセスにすべきだ。

過去の確定した判決を理由もなく無視するような、世界に恥ずかしい事実認定をさせないためにも、独立した立場の有識者、裁判官OBや検察OB、ジャーナリストなど、独立性のある、まともな人が入ってチェックすべきである。

出来る限りの証拠を国内外から新たに収集して、公開しながら事実を認定すべきだ。

都合の悪いことを国民やメディアから隠す「秘密保護法」が昨年成立したが、政府が秘密裏に勝手なことをやって独走し、国益を損なう結果になる見本のような事態が起こりつつある。

そして、その結果は、世界に対する日本の信頼を失墜させ、近隣諸国やオランダを含めた被害国との関係を決定的に悪化させ、地域を不安定にし、平和と安全保障を危険に晒し、国益を損なう危険性がある。曲がってはならない歴史の曲がり角を曲がることになりかねない。

このようなことはあってはならない。

政府は事の重大性を深く認識し、このような軽率な行動をやめ、歴史と史実、資料に謙虚に、公正な姿勢で事態に対処すべきである。

2014年3月 1日 (土)

本気です!! クラウドファンディングをご支援ください。

みなさん、クラウドファンディングってご存知ですか?

インターネット上の寄附で、目標額に達すれば受け取ることが出来るけれど、目標額を期限まで達成しないと全額受け取れない、というシステムの寄附です。

このたび、先日ご案内した、3月20日からのグローバーさんのシンポジウムについて、お金が足りないので、3月14日を締切と言うことで、このクラウドファンデングを始めてみました。

新しい初めての試みなので、是非成功させたいです。
グローバーさんの講演会、とても充実した内容なのですが、それを実現するための資金がまだまだ不足しているのです。
是非新しい寄付制度を使ってHRNの取り組みを応援していただけないでしょうか。
グローバーさんの来日がインパクトのあるものになり、政策を変える力になるように。。。
そのように願って準備を進めていますので、皆様の御協力をよろしくお願いします。

招聘スケジュールとイベント (3月20~22日)
http://hrn.or.jp/activity/event/32022/


アナンド・グローバーさん招聘を支援してください。Readyfor
https://readyfor.jp/projects/hrn

私も行きます♪3月4日ヒューマンライツ・ナウ新人歓迎会

みなさまへ

特に、新人の弁護士さんが対象ですが、ヒューマンライツ・ナウのことを知っていただく、新人歓迎会を開催することにしました。
来週なんですね。新人弁護士さん、修習生の方、ロースクール生の方々、そうでなくても、関心を持ってくださった方、皆様歓迎です。
是非ご参加ください。
久保利英明弁護士がお話しされますし、私と土井香苗さんとの対談みたいなこともあります。
(ところで、こちらにも、土井香苗さんとさるたさよさんと私の鼎談が。ご紹介します。
それぞれの活動をわかりやすく、熱く語っております  http://hrn.or.jp/activity/topic/post-260/)

この歓迎会では、HRNの各種プロジェクトについてもご案内させていただきますし、恒例の二次会も一度は経験されると、ヒューマンライツ・ナウの魅力がわかっていただけると思います。
是非どなたでもご参加くださいますよう。

65期・66期・67期 歓迎説明会 特定非営利活動法人ヒューマンライツ・ナウ

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http://hrn.or.jp/activity/event/34/

≪日 時≫ 2014年3月4日(火) 18時30分~20時

≪場 所≫ 弁護士会館(第二東京弁護士会)10階1008会議室

66期弁護士の皆さま、ご登録おめでとうございます!

67期修習生の皆さま、修習生活はいかがでしょうか?

65期弁護士の皆さま、そろそろ国際的な仕事にも挑戦されてはいかがでしょうか?

日本の法律家が中心になって2006年に設立した国際人権NGO

ヒューマンライツ・ナウ(HRN)は、若手メンバーが中心となり、

65期、66期、67期の方を対象に歓迎説明会を企画しました。

当団体のプロジェクト・活動紹介とともに、HRN理事の土井香苗弁護士と

HRN事務局長の伊藤和子との対談を予定しています。

説明会後には、懇親会を行いますので、皆様の交流を

深める場としてぜひご活用ください。

人権問題に取り組むことにご関心のある方、国際派弁護士を目指されている方、

様々な人脈を作りたいと考えている方、どんな方も大歓迎です!

お仕事を始めたばかりでご多忙のことと思いますが、

皆様お誘い合わせの上、ぜひご参加ください。

(※65期・66期・67期以外の方のご参加も歓迎です)


◆久保利英明弁護士(HRN運営顧問)によるご挨拶

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毎年恒例になっております,パワフルで元気が出ると評判な久保利英明弁護士のスピーチです!

久保利先生の話を聞いてHRNに入った弁護士数知れず。

これを聞きに来るだけでも参加する価値アリです!


◆土井香苗弁護士(HRN理事)と伊藤和子弁護士(HRN事務局長)による対談

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新人弁護士や修習生にとって、国際人権問題は関心があっても具体的な

イメージが持ちにくいかもしれません。

そこで同時期にロースクール留学をし,日本で国際人権活動をするようになったお二人をお呼びして,

「国際人権問題とはなにか」「日本の弁護士(特に若手)が国際的な人権問題に取り組む意義とはなにか」

について語って貰います。今回は,皆さまの声を代弁する若手弁護士によるインタビュー形式でお届け!

◆HRN事務局による活動概要&プロジェクト紹介

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ヒューマンライツナウの活動の概要について事務局がご説明します。

個別のプロジェクトについても簡単に紹介いたします。

(ビルマプロジェクト,震災プロジェクト,女性の権利プロジェクト,カンボジアプロジェクトなど)

◆HRN若手弁護士が語る「私とHRN」

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仕事に慣れるのも大変な新人弁護士にとって,HRNの活動が日常業務と両立できるのか,

日常業務をどのように活動に活かせるのか,逆にHRNの活動が日常業務にどう結び付くのか

不安や疑問はたくさんあると思います。

そうした不安や疑問を解消するべく,HRN所属の若手弁護士が自らの体験を踏まえて,

HRNとのかかわりについて具体的に語ってくださいます。

★歓迎説明会参加は無料です。

★懇親会は、20時30分から素材屋・日比谷シティ店を予定しています。

★66期・67期の方の懇親会参加費用は1000円です。

★問い合わせ:ヒューマンライツ・ナウ事務局(電話:03-3835-2110または上記メールまで)

【参加お申し込み】

参加希望の方は、歓迎説明会の参加有無、懇親会の参加有無、お名前、

ご連絡先を、明記の上、【メール:info@hrn.or.jp】宛てにお申し込みください。

皆さまのご参加をスタッフ一同お待ちしております。

不器用な女

不器用な女、というタイトルですが、これは私のことです。
弁護士をしていると何でもできる、出来る女ではないか、と思われたりして、苦笑してしまうのですが、私はまったくエリートではなく、弁護士以外に向いている職業がないから弁護士をしている、としか言いようがありません。
まず、小さい頃は、手先が不器用であり、かつ人と同じことが自分だけはうまくできない、という感じでしたし、運動神経もよくなかったのです。
特にいろんなことをやらされる小学校時代は拷問のごとく、裁縫、工作、一部の体育科目など、全然だめで、「なんで強制されるわけ?」と思ったものです。
音楽は得意だったし、走るとか泳ぐとか単純な運動、単に絵を書くだけならいいですけれど、木工細工だの、ミシンだの、さっぱりだめ。
そもそも、小学校の一年のころは勉強も全くできず、授業というもの、学校と言うものの趣旨を理解しておらず、罰としていつも騒いでいる4人組で、先生の真ん前の位置に席を固定されて監視されていましたが、仲良し同士集まれる嬉しさで授業を無視して喋りつづけ、叱られても笑っている、ということで、発達障害を懸念されていたようです。
そのような次第で学校カーストの低い位置にいたわけですが、母は小学校の先生で、頭脳明晰、スポーツ万能ではきはきとしており、学校カーストの最上位にいました。であるため、小学校一年早々にして、「親の期待に応える」ということをあっさり諦めて、マイペースに過ごしていたものです。

とはいえ、あまりに不器用なことは自分でも持て余しており、「将来どうやって生きていこうか」と漠とした不安がありました。
しかし、次第に、圧倒的かつ強烈に、人よりできないことがたくさんある一方、わずかながら努力によりできることもあることがわかり、そうなると、できることはひとつだけ、よいところを伸ばしてみる、ということでした。
次第に勉強はできるようだ、ということがわかり、勉強はするようになりました。
しかし、高校に入ると、理系には明らかに限界があることが明らかになりました。
得意と言えば、国語、社会科、音楽、ちょっと置いて英語、というところ。
あとはトライアスロン系の運動、ただ走ったり泳いだり自転車こぐのも、なぜかむきになってやってました。

中学の「フレミングの法則」くらいから、理系の努力はやめたほうかよい、という気持ちになり、高校二年生のころには物理・地学という苦手科目の努力を放棄しました。

一応大学は国立大学を目指しましたが、数学・理科等が全く駄目で、大学合格後しばらく経過しても、大学受験の数学の問題が出来ずに絶体絶命のピンチ、という悪夢にうなされていました。
しかし、国立大学の数学の問題を説く、という機会はありませんでした。
なぜなら私はマークシート式が大の苦手、そのため、当時の共通一次試験で、志望大学の基準に満たず足切りにあい、私立大学しか受けられなかったからなのです。
なので、国語、小論文、世界史、英語しか受けなくてよい早稲田大学の過去問だけを練習して、早稲田大学に合格したわけですね。

大学入学当時は小説家志望で、フランス留学を夢見ていましたが、フランス語は難しくて全然身に付かず挫折。
小説も目が出ず、「しっかりした資格」ということで、司法試験になったわけです。
ところで、私が大学卒業したのは1989年、バブル真っ盛りでしたが、当時の友人女子大生のようにリクルートスーツにパンプス、きれいにお化粧して髪型を整えて企業訪問なんて到底無理でした。
お化粧もかつて一度も成功したことがないまま今日まで来てますが、最も暇な大学時代に化粧の練習をさぼったのがいけないのでしょう。それに相変わらず不器用で気が利かない子でした。
成績の良い子は、総合職を目指して、企業面接に着々と望んでましたが、企業の人と渡り合うなんて到底無理、就職してもデスクワークをしたり、お茶くみ、コピー取り、会計、どれひとつ全く使えない人でしたし、さらに高度な仕事で成績をあげる、出世する、社内を渡り歩くなど到底無理で、会社員には到底なれませんでした。
司法試験を受けるについては、当時から「人のために働きたい」などの志望動機はありましたが、他の仕事は到底勤まらず、最強の資格をとってようやく社会人のスタートラインにたてるかもしれない、というようなレベルだったというのが率直なところです。
 しかし、再びマークシートが苦手なため、一次の短答式試験で二回連続すべり、当時は既に大学を卒業しており、企業にも採用してもらえなさそうでしたので、やめるにもやめられません。
しかし、とにかくこの試験を突破しない限り私には明日がない、とそれだけやったわけです。猛勉強して三回目でようやくすべての試験を突破したのですが、人生かかっていたわけです。

そのような次第で、司法試験という当時最強の資格をとってようやく社会人としてのスタートラインにたてて、今に至っているわけです。
つまり、自分が生かされる道というのは、極めて細い、狭い範囲の一本道しかなく、試行錯誤の末にそれを探し当て、それだけに馬車馬のように努力をしてなんとか資格を得て、今の仕事についたわけです。

弁護士になったといっても、未だに、事務員さんのような事務能力はありませんし、依頼者の女性たちを見ていると、大半の女性が私よりしっかりしていて感心する次第です(ですので、そのような有能でしっかりした女性たちが職場で差別されたり、夫のDVにあったり、理不尽な状況に置かれているのは許し難く、何とかしてあげたいと思うわけですね)。
そして、私は弁護士として広範な分野をフォローしているわけではありません。
確かに10年以上、なんでも取り扱う法律事務所に勤務していましたので、民事、刑事、ひととおりの事件はなんでも経験がありますし、だいたいのことはできます。
ただ、専門分野として意識的に伸ばし、勉強し、研鑽を積んできたのは、女性の権利の分野、人権全般、国際人権問題の分野、そして冤罪・刑事司法改革の分野です。
その過程でも様々なトライアル&エラーがありましたが、自分の進むべき分野、自分が最も情熱を注げる分野を探してここにたどり着いたわけです。

いずれも一般的に言えば、人気分野ではなく、「食えない分野」(もうからない事件ばかり)と言われ、隙間産業というか、普通の弁護士が日常的にやっている分野ではありません。

 ですので、専門は? と言われて上記のように答えると、驚かれたり絶句されたりするわけです。
しかし、おかげさまで、そこばかり伸ばしていたところ、たくさんの御相談にきていただるようになり、自分の好きでない事件、主義主張に会わない事件はほとんど依頼も来ませんし、引き受ける必要もなく、精神的にはヘルシーな生活を送ることが出来ています。

 しかしながら、自分にできる仕事はここしかないわけで、他の仕事などうまくこなせません。
 今もいつか詩人になりたい、小説家になりたい、ジャズシンガーになりたいなどの夢がありますが、食えるのか、というとどうでしょう。
 上記のような専門分野は狭いニッチ&マニアックな世界であり、従って私は極めて狭い分野だけのことはよくわかるつもりですが、その他のことに関する知識は人よりないくらいで、幅広い教養などありません。
好き嫌い、得意・苦手があまりにはっきりしており、かつ、得意なこと・好きなこと・人並みにできそうなことがあまりに少ないので、そこにだけにしがみついて、それだけをとにかく大切にして、長所のみを伸ばしてそこで勝負をし、ほかのところはあっさり諦めてしまっているわけです。

 しかし、結果的には世界の人権問題から、日本の様々な人権問題について取り組んでいます。かなり広範な事象を扱い、様々なプロジェクトをこなしていますが、やっていることが広いか、というと分野としては広いわけではありません。

 私が不器用であり、あまり他で通用しなさそうだ、ということは、今考えるとよかったと思います。
 器用貧乏にならず、選択肢も多くないので、少ないことに集中して努力するからです。
 また、不器用な人間なので、あまり他人に対して、ジャッジメンタルなことをしない人間であることはよかったと思っています。
このように不器用で潰しのきかない私は、いつも「一歩間違えばプー太郎、さらに間違えば塀の中の人(以前私が書いた「私と犯罪」というブログ記事参照)」という意識がありますので、他人をえらそうに批評するような立場ではないわけですね(一部私の好きになれないフェミニストの方々のように、世間が騒いでいる対象の女性達に対して、切り刻むような評論・批判的考察をすることには大いに違和感があります)。
他人にジャッジメンタルでない、他人の生き方に対して寛容、というのは、ある意味、私の矜持なのです。

 それに自分が大したことないと思っているので、威張ったり偉そうにしたり、気取ったりしない、というのも、いいところかもしれないと思います。
 世間水準で、世間の期待を察知して「こうあらねば」ということを考えて追い詰められたりがんじがらめになることからも自由です。というのも小学校の最初のころにそういうことはあきらめてしまったからです。
 むしろ大切なのは自分の物差し、自分自身で「こうあらねば」というのは持っています。
 
  世間の多くの方は、むしろ私よりも器用で、私よりも出来ることが多いのではないか、と思います。
  総合力で勝負する必要のある人も確かにいるでしょうが、まずは、長所を磨く、そこに努力を集中する、というのはひとつのあり方ではないでしょうか。私の場合、生存し、生き延びるためにそれしかなかったわけですが、私よりできることが多い方にもこういうやり方は役に立つかもしれないと思います。
 何から何まで完璧にできなくても、自分にとって大切な本質を見つけ、そこを頑張る、というあり方もあるのではないかと思います。
 人生は一度しかなく、時間は限られていますので、1%の本質を見つけてそれに向かって努力する、ということは大切なのでは、と思うのです。
 

 
 


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