シリア 安保理決議2118と今後の国際社会の課題
シリア情勢をめぐって、注目すべき世界の変化
9月27日、国連はシリア問題に関し、安保理決議2118を採択した。
米ロがシリアの化学兵器を国際管理下で管理させる安保理決議について合意したのだ。
思えば、今年8月末頃は、国連安保理等全く無視して、米国・英国・フランスら大国が武力行使にひた走るのを誰もが止められないのではないか、と思われたが、そのような最悪の事態を迎えることは当面回避された。
この間、1カ月で世界に起きたこと、それは、非常に注目すべき重要な展開であった。
8月下旬ごろ、米英仏の首脳らは、独自の「インテリジェンス」により、シリア政府が化学兵器を使用したと断定、しかしその証拠は機密情報が含まれるからということで世界に向けても国内に向けても全く公表せず、国連安保理での議論も回避し、国連の調査も終わらないまま、軍事行動をしようとしていた。
しかし、こうしたやり方に違和感を持つ市民の声は強かった。
まずはイギリス世論の強い反対を受けて、イギリス議会が軍事行動の承認を否決し、米国らによる単独行動主義のシナリオは大きく狂った。米国首脳も慎重にならざるを得なくなり、オバマ大統領は議会承認を求めることを決定する。
米国でも反対世論が賛成世論を上回り、強行姿勢を続けてきたフランスでも反対世論が賛成世論を上回る一方、9月初旬のG20でも、ロシアの外交攻勢があったなかで、国際社会として軍事介入への反対・慎重論が多数を占める状況が浮き彫りになった。BRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)は軍事介入反対で結束し、声明を公表している。
結局、米国は単独軍事介入のリスクが大きいと判断せざるを得ず、紛争に至らない国際合意の形成に汗をかき、ロシアとの交渉の結果、化学兵器管理の合意ができ、軍事介入が回避された。
今回の事態は、世界の市民の声や周辺国の声が大国の暴走にストップをかけることが出来ることを示したものとして注目すべきである。
対テロ戦争後、ますます諜報・軍事機密が幅を利かせ、市民の意向を反映しない政府トップによる軍事行動が拡大してきたが、今回の出来事は、そうした流れに確実な歯止めをかけることとなった。
こうした流れの背景には、誤った戦争が甚大な被害と禍根を残したイラク戦争の教訓と反省があることは間違いない。超大国の政権がイラク戦争にも懲りず、誤った歴史を繰り返そうとしても、世界の市民は戦争の惨禍を忘れなかったのだ。
民主主義によって政府の戦争行動をコントロールし、多国間外交で超大国を孤立化させるなかで、戦争に歯止めをかけられる、世界の国々や人々の声が超大国の一方的な軍事行動にストップをかける力を持ちうる、ということを今回の推移は示したのであり、その意義は計り知れないほど大きいと私は思う。
シリア・安保理決議後の課題
こうして、9月27日に採択された安保理であるが、その内容には、大きな限界があり、課題を残すものとなっている。
冷静に考えてみると、米ロ等がこの間、汗をかいたのは紛争回避と化学兵器問題だけであり、介入という最悪の結果は回避されたものの、シリア内戦をめぐる問題はひとつも解決していないのである。
安保理決議の焦点は、化学兵器に絞られており、2年以上続き、今も多くの人命が日々犠牲になっているシリア内戦を終結に導く道筋を全く示せていないのだ。
そもそも、米オバマ大統領が化学兵器のみを取り出して、これを軍事介入の「レッドライン」と位置づけたことに問題があった。
化学兵器使用はあまりに残虐であるが、それは内戦で日々行われる攻撃の一つに過ぎない。
化学兵器が仮に使用されなくても、民間施設は連日のように攻撃され、民間人は日々命を落としている。内戦そのものを終結させ、戦争犯罪・人道に対する罪を構成する違法な軍事行動をやめさせるための国際社会の行動が求められている。
今、まず必要なのは、国連として和平交渉を真剣に進めること、トップレベルが真剣な交渉に乗り出すことである。
そして安保理は、紛争の両当事者に武器・軍事援助をすることをすべての国連加盟国に禁じるべきである。
武器・軍事援助を周囲が続ける限り、内戦は終結のしようがないのだから。
また、安保理は、シリアで生じているすべての戦争犯罪、人道に対する罪について、これ以上不処罰としないため、シリアの事態を国際刑事裁判所に付託すべきである。
確かに、これらのコンセンサスを安保理で得るのには困難を伴うかもしれない。
しかし、化学兵器だけは使用しないが他の残虐行為は全く放任、というのは偽善というほかない。
今回の安保理決議はハイレベルの真剣な交渉があって初めて実現したが、化学兵器・軍事行動かその回避か
については最大級の政治力がハイレベルで投入されたのに比較して、シリア内戦終結についても同じくらいの
ハイレベルの真剣な協議がなされるべきだ、いや、2年前からそうすべきだった。
国連憲章7章の強制措置の現状と課題
今回の安保理決議はシリアに違反があった場合、国連憲章7章上の措置を取る、と明記した。
しかし、実際に憲章7章上の措置を取るには再度の安保理決議が必要だ、とされている。
米国は決議2118に「違反の場合は憲章7章上の措置がとれる」と明記することを求めたが、ロシアは譲らなかった。
ロシアにはシリア問題に関する独自の国益と思惑があるものの、一方で、ロシアが、憲章7章の運用に関する現状に対する多くの国の強い懸念を代表するかたちになっていることも指摘できる。
国連憲章7章は、安保理が「平和に対する脅威、平和の破壊又は侵略行為の存在を決定(憲章39条)した場合、経済制裁等の非軍事的な強制措置(41条)または、それでは不十分と判断した場合には軍事的な措置(42条)がとれると規定している。
非軍事的な強制措置ならまだしも、軍事的な措置というのは重大である。
この軍事的な措置、そもそもは国連軍のような組織が行うのが想定されていたが、今では有志で構成される多国籍軍に授権するのが通例となってしまっている。そして憲章42条の措置にゴーインを出す国連安保理決議と言うのは、通常単に「あらゆる措置(All necessary measure)をとることができる」という一文が決議に盛り込まれるだけであり、非軍事的な対応にいつ見切りをつけて軍事作戦を始めるのか、指揮官は誰か、戦闘の期間や作戦行動の内容、地域等は、多国籍軍に白紙委任となっている。そして結局多国籍軍の中核は米軍・NATO軍等によって行われる。戦争犯罪や人権侵害、民間人の犠牲を少なくするための歯止めや、そのための監視機関はない。いったん多国籍軍に授権すると、国連として多国籍軍の軍事作戦に対してはノー・コントロールなのである。
このような、多国籍軍に白紙委任の軍事行動が深刻な事態を引き起こしたのが、近年ではリビアであり、「人命保護のためにあらゆる措置をとる」と決議した国連安保理決議を受けて、米国・NATOらが軍事行動を開始。ところが、民間人の保護ではなく、カダフィ政権打倒のために、反政府勢力側を支援して軍事作戦を展開、NATO軍の空爆により、多くの民間人が殺害され、反政府勢力による人権侵害・戦争犯罪行為も横行し、最後はカダフィを残虐なかたちで超法規的に殺害をして終わる、という結末を迎えた。
このような軍事行動のあり方は、リビアの人命保護という安保理決議の枠組みを逸脱しているが、国連側は誰もコントロールできなかったのだ。
未だにこの件について国連自身もきちんとした総括をしていない。イラク戦争でも、米軍等の占領とそれにともなう「あらゆる措置」については、安保理決議の承認を受けているが、この国連に承認された占領下で、米軍による民間人殺害は続いてきた。こうした、安保理決議の名のもとに行われる軍事行動による民間人の殺害や人権侵害の深刻な状況、そしてその総括も全くなされていないことが、世界の国々をして、憲章7章の発動への指示をためらわせているのだ。
ロシアや中国が、憲章7章の発動を伴う安保理決議の採択に反対する事態はしばしば「安保理の機能不全」と形容され、国際社会の深刻な問題となっているが、では、憲章7章をめぐる問題に目をつぶって安保理がどんどん強制措置・軍事措置を発動すればいいのか、というとそうではないはずだ。
他方、国際刑事裁判所の訴追に関しても、国際刑事裁判所に関する条約(ローマ規程)の締約国でない国で発生した事態について、国際刑事裁判所が管轄権を行使するには安保理決議による「付託」(referral)が必要とされ、この「付託」は憲章7章に基づく措置としてなされる。
ひとたび憲章7章の事態と認定されると、いつ軍事介入が起きるかわからない、土俵際に追い詰められたような事態となるわけであるから、軍事介入を懸念する国は、憲章7章上のいかなる措置の発動にも躊躇し、慎重になる。国際刑事裁判所の付託も然り、武器禁輸も経済制裁も然りである。
私は、国際刑事裁判所付託については、一国内の深刻な人権侵害でも認められるべきであり、武器禁輸は、憲章7章の軍事的措置を認めるべきでない内戦においても認めるべきであると考えているが、軍事介入はこうした手段を尽くして万策尽きた時に検討すべきだと考えている。
国際刑事裁判所付託は、憲章7章よりも緩和された要件で認めるものとし、憲章7章の事態においては、非軍事措置が認められるべき場合と、軍事的措置が認められるべき場合とで、後者の要件をより厳格にする等、安保理決議の検証と改革が必要だと考えている。
そして、仮にどうしても軍事措置が必要な極限的事態であっても、国連が明確なコントロールを及ぼし得る体制とし(本来授権でなく国連軍であるべきである)、決議で詳細な限界を規定すべきだと考える。
こうした本質的な議論がなく、場当たり的に危機が起きるたびに「あらゆる措置をとる」という決議を漫然と国連安保理は採択し続けてきたのであるが、一度立ち戻ってよく考えてほしい。
憲章7章に関する問題をきちんと整理しないと、安保理の機能不全は解決せず、非軍事的措置をフレキシブルにタイムリーに発動することもできず、事態を深刻化させるだけであろう。
保護する責任・人道的介入に関する検証
シリア内戦では、「人道的介入」の是非がかつてなく問われている。
これほどまでに人々が内戦で殺戮されているのに国際社会は何もできないのか、というフラストレーションがあるなか、理論的には、近年国際社会で議論が進んでいる「保護する責任」(Responsibility to Protect)論をバックグラウンドとしている。
「保護する責任」とは、本来国家が人々の権利を保護しているが、その国が人権擁護の責任を果たさず、かえって重大な人権侵害を犯している場合、国際社会が代わりに人々を保護する責任を果たすべきであり、国家主権に優先して介入を認める、という考え方である。「介入」には様々な形態があるものの、当然軍事力の行使が含まれると考えられている。
旧ユーゴへの「人道的介入」は、国連決議を経ずになされた介入だったが、リビアでは、カダフィが反政府デモに空爆で応じ、自国民を殺害するという事態に及んで、安保理決議が採択された。しかし、このリビア介入は前述の通り、人々を保護する、という点では大きな禍根を残す結果となった。
今回、G20諸国の多くが軍事行動に反対し、米英仏の世論も軍事行動に反対している状況をみるなら、国連や国際法学者等、国連界隈の人々の「保護する責任論」への盛り上がりと、世界の人々の間に大きな温度差があり、多くの指示を得られていないことも明らかになってきた。
保護する責任論は、どうしても、人権侵害をなくすために最も強力な介入の方法~軍事介入を求める方向に流れやすいが、残念ながら軍事行動の一歩手前の様々な努力、国連や各国が介入の前になしうる手段について、十分な検討がなされ、実際に真剣な努力がされているとは言い難い。
しかし、軍事介入はそれ自体多大な死傷者を出し人権侵害を生み出す多大な危険性をはらんでいるものであり、最も破壊的・強力な手段ではあっても人権擁護のために最も効果的な手段とはいえないと私は考えている。
私たち国際人権NGOも、人権侵害について声をあげ、国連の効果的な対応を求めるわけだが、それが最終的に軍事行動に結びついて多数の犠牲を出す結果につながりかねないという深刻なジレンマを抱えている。
本当に人権を守るための軍事介入はいかなる効果をあげたのか、いかなるポジティブな変化をもたらしたのか、いかなるネガティブな影響を与えたのか、他に変わりうる手段として何があるのか、について、緻密な検証と議論が求められている。
2004年に緒方貞子さんも参加し、安保理改革を含む国連改革に関する提言書が出されたがほとんど生かされていない。その提言でも打ち出された「保護する責任」論も議論が十分に煮詰められているとは到底言えない。もう一度きちんとした議論をすべき時期にきていると思う。
紛争の平和的解決に向けて
平和運動に参加されている方の多くは、「軍事介入」と言うと反対され、その可能性が遠のけば、シリアのような事態の深刻さを忘れてしまい、関心が低くなることが多い。
軍事介入か、不介入か、という二者択一には世界の大きな焦点が集まるが、人道的危機、人権侵害をどう解決するかには注意が向けられない。しかし、人々の無関心と国連・国際社会の地道な問題解決への努力の欠如が、新たな人道危機を生み、多大な人命の犠牲を生み、新たな紛争・テロの火種を用意することになる。
是非紛争予防、紛争解決にも多くの方に関心を引き続き持ってほしい。
日本は、シリア難民への人道支援には、かなり力を入れているが、紛争の解決のための外交努力の面での発信は極めて弱い。中東情勢に比較的ニュートラルという利点はまだかろうじて残っている。
それを生かして紛争の平和的解決のために、独自の取り組みを是非模索すべきだと思う。