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2013年8月14日 (水)

ミャンマー日記 新しい出会い・そして教え子たちと

引き続き、ミャンマーより・
メモ代わりに書いておりますが、お許しを。
9日金曜日は、まず朝一に、人権活動家で人権教育をすごい規模で展開しているアンミョンミーン氏とお話し。最近帰国したばかりなのに、ミャンマー社会にすごいネットワークを築いているのでその精力的な活動に驚くばかり。素晴らしい方でした。
その後、ヤンゴン弁護士会(Yangon Bar Association)へ。何の間違いか、ものすごい歓待を受ける。長老の素晴らしい演説が始まり、みなさん人権活動を開始したいということで、私たちの話に大変興味をもってくださった。そこで、日曜日のミャンマー弁護士会設立のための会議に誘われたのでした。
その後は、PLA(ピースローアカデミー)の教え子の皆さんが、私たちの呼びかけに応えてヤンゴンに集まってくれた。教え子はみんなとてもかわいいもの。みんなに再開で来て本当にうれしい。
中には24時間かけて集まってくれた学生もいる。その少数民族の学生は卒業後、PLAで勉強した憲法・人権について、村の人たちから頼まれて講演して、600人も集まったという。。しかし、お金やネットワークがないので続かない。そこで、どうするか、「みんなでネットワークをつくりなさいよ」とたくさんハッパをかけ、知恵をつけてあげた。
月曜日にあうことを約束して、学生たちと別れて、今度はコーヒーハウスで、ジョーツー氏とあう。
ジョーツー氏は「かけはし」というNGOのリーダー。なんと、サイクロン・ナルギスの起きた2007年から、まず被災者支援活動を始め、今ではミャンマーの全セクターの草の根NGOを組織するNGOのネットワーク組織になっていて、土地の権利の問題について、アドボカシー活動も行う、ミャンマー有数のNGOになっているという。
軍政時代からそんな地道な活動を続けてきたことに感服する。
彼の紹介で、日曜日朝にはミャンマー・ロイヤーズ・ネットワークの弁護士からレパダウン銅山の問題について、月曜日には、ティラワ・ダウェーの開発問題に取り組んでいる地元の人たちのお話しをうかがう。
土曜日はようやくお休みで、シュエダゴン・パゴダを三時間かけて回り、スーレーパゴダにもいく。サフラン革命に思いをはせながら、何度となく起こる民主化運動への軍政の残虐な弾圧の結果犠牲となった人々のことを思い起こしながら。

月曜日午後は、ジャーナリストとあう。言論の自由について。メディアネットワークの代表的存在だが、なんと2003年まで日本にいて、日本語ペラペラ。とてもよくしてくれた。出会いに感謝。

月曜日夜は、PLA卒業生たちと二回目の会議。みんなの気持ちが固まり、PLA卒業生のネットワークをつくって、ミャンマー全国で連携して人権活動ができる基盤をつくることになったのでした。私は「立ち上げたいけど難しい、と思っているだけじゃ一生起ち上げられないからね。勢いをつけて今この時期にやらないとね。いつ結成するのか、ここで決めて」と問うたところ、早急に立ち上げることになった次第。
で、具体的段取りについて話し合う。素晴らしい展開で、私自身とても嬉しかったです。
今ミャンマー政府は、団体法をつくり、登録していない団体に罰則を課そうとしているけれど、とんでもない。みんなで守ってあげないといけないと思う。
ということで、翌日から、卒業生たちと一緒に、ドイツ政府、アメリカ政府、EU代表部を回って、今後の連携について話し合いました。
そんなわけで、10日間のミッションは終了。これから、この成果を具体化して、今後の活動につなげていかなくては。

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