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2013年8月

2013年8月30日 (金)

シリア軍事介入への重大な疑問


1 シリアにおける化学兵器使用

内戦で残虐行為が果てしなく広がり、罪もない民間人が日々殺害されていくシリア。ここにきて情勢がいっそう緊迫してきた。

今月21日、ダマスカス郊外で、化学兵器が使われて子どもを含む数百人が犠牲となった。

国際NGO国境なき医師団は24日、同団体が支援しているシリアのダマスカスにある3つの病院で合計約3600人の患者が神経ガスによる症状を示していると公表、このうち355人は死亡したとしている。患者らは現地時間で21日未明、けいれんや瞳孔の縮小、呼吸困難などの症状が一斉に確認され、神経毒性症状に用いる薬アトロピンで治療された。同団体のランセン医師は、原因については不明としながらも「3時間以内に神経毒性のある物質にさらされた可能性がある」と指摘した。この化学兵器使用については、反政府勢力と政府側の双方が相手による攻撃だと主張している。

2 混とんとするシリア情勢

化学兵器使用はいうまでもなく、残虐で非人道的な人権侵害であり、その使用は重大な国際人道法違反に該当し、到底容認することはできない。これほどの残虐行為をアサド政権が自国民に対して行っているとすれば、言語道断である。

化学兵器の使用をしていないとしても、アサド政権の住民虐殺、民間人攻撃はこれまでもすさまじいものがあり、戦争犯罪に該当する到底許されない行為が数々行われてきた。他方、反政府軍も、処刑、拷問や略奪といった重大な国際人権法・人道法違反行為を行ってきた。国連の調査報告書等からもそのことは明らかにされている。反政府軍のなかには、アル・カイーダ系とうわさされる「ヌスラ戦線」がおり、次第に存在感を増している。シリアでは、政府=悪、反政府勢力=解放軍という単純な図式が成り立たず、極めて複雑な様相を呈している。

3. 予想される軍事介入

8月21日の事態を受けて、米国、英国、フランスは、シリア現政権が化学兵器を使用したと断定し、軍事行動を行う方向性で最終調整に入っているとされる。圧倒的に事態は進んでいるが、それでも疑問を呈しておきたい。

まず、国連安全保障理事会を完全に無視し、その承認を得ることなく独断で軍事行動に出るということでよいのか、という問題がある。

国連憲章は、安保理決議の承認を得ない武力行使を原則として違法としている。国連安保理の決議のないまま武力行使をすることは明らかな国際法違反である。フランスなどは、「化学兵器を使用した者は絶対許さない。我々が処罰する」と言っているが、なぜ米英仏三カ国に処罰権限があるのだろうか。世界最強国が独自の判断で、国連憲章のルールを全く無視して、武力行使に踏み切ることがやすやすと容認されてしまえば、今後も独自の判断で「我々が処罰する」という武力行使が横行することになりかねない。深刻な問題である。

国連事務総長も、安保理での議論を求めている。事態の深刻さを考慮しても、国際社会のコンセンサスを得ることなく、このようなことがまかりとおることには賛成できない。

4. 国連調査を待たない「断定」

次に、米国、英国、フランスは、アサド政権が化学兵器を使用したと断定しており、アラブ連盟もそのような主張をしているが、これらの国が断定すれば、武力行使は容認されるのか、という問題がある。この点でも国連無視が顕著である。

アサド政権は化学兵器使用を否定し、ロシアは従前から反政府側が使用したのではないか、という主張をしている。

オーケ・セルストロム氏を団長とし、20人の化学兵器などの専門家で構成される、国連のシリアでの化学兵器使用疑惑に関する調査団(国連調査団)が、政権側と反政府側の同意を得て、8月19日から「誰が化学兵器を使用したのか」について現地調査を開始しているのだ。確かに、調査開始後に国連車列が何者かによって銃撃を受ける事態が起きて、調査日程の延期があったが、いままさに調査をしようとしているのだ。なぜその結果を待たずに拙速に決めてしまうのか。

米国、英国、フランスは、現政権が化学兵器を使用したとの証拠を国際社会に開かれた形で示しておらず、これでは、国際社会としての透明性の確保された検証がなしえない。

英国、フランスは、従前から「アサド政権が化学兵器を使用」と主張してきたが、米国オバマ大統領は慎重に事態を見極める姿勢を示して、すぐには同調しなかった。今回、判断を変えた根拠は何なのか、直接的な証拠を入手したのか、詳細は不明である。

オバマ政権は、攻撃にあたって調査報告書を世界に公表する、としているが、攻撃ありきで話は進んでおり、仮に攻撃のタイミングで調査報告書が公表されたとしても、国際社会や当事者には検証・反論の機会すら与えられない、アリバイ的なものというほかないだろう。

2003年のイラク戦争の際は、米国もまがりなりにも国連安保理の承認を得ようと一度は試み、「イラクに大量破壊兵器がある」とする米国のプレゼンが、公開の場でなされた。それがのちに誤りとわかり、パウエル国務長官(当時)がのちのちも非難される結果となったが、そうした公開の場での説明すら行わないまま、ということはあり得ない。

私はアサド政権を弁護しているわけではない。しかし、私たち弁護士からみて大きな違和感があるのは、人ひとりを有罪とするか、無罪とするか、という一国の刑事裁判制度においては、公開法廷で証拠が提示され、その証拠について弁護側が防御、論駁、反対尋問権を行使し、信用性を吟味する機会を与えられたうえで、「無罪推定」原則に基づいて裁判官が判断をする、という手続が踏まれるのに、一国に軍事介入し、多数の無実の人々の人命が奪われるかもしれない、というのに、その事実認定が密室で、ある国の独断で行われ、証拠は「インテリジェンス」「国家機密」などの口実から闇のなかに置かれ、不透明なまま「断定」される、という今の国際社会のあり方である。

こうした場合の事実認定が「無罪推定」であるべきか、は議論のあるところである。しかし、かくも乱暴な断定でよいのだろうか。

万一にでも誤りがあった場合、当事者としては取り返しのつかないことになるだろう。

国連調査団の結果を待つことなく、武力行使に踏み切ることには、到底賛成できない。

5 紛争拡大の心配

最後に、武力行使が、際限のない暴力の連鎖を生む危険がある、ということである。武力行使は限定的という話もあるが、政府の反撃次第では全面戦争に突入する可能性が否定できない。現在不安定な中東のさまざまな武装勢力、利害関係者の対立に火を注ぐことになり、紛争は中東・北アフリカ全体に拡大する危険性もある。反政府勢力のなかには、アル・カイーダの流れをくむ勢力もおり、力を増している。反政府側への軍事援助で、テロリストに武器と資金を大量に供給し、結果的にテロが拡大することも懸念される。

6 この20年~ 大国が独自判断で武力行使する事態が横行

2003年イラク戦争の際、何が起きただろうか。米国がイラクには大量破壊兵器があると主張、国連安保理に軍事行動の承認を求めたが、安保理はこれを承認しなかった。IAEAの査察が入ったりしたが、その結論もろくに尊重しないまま、安保理の承認のない軍事行動の結果、この10年間でどれだけの人命が奪われたであろうか。その結果大量破壊兵器が存在しなかったことは明らかとなっている。

確かに今回、アサド政権が化学兵器を使用したことは疑われる。しかし、イラク戦争の反省にたてば、国連調査を経ずに政権側の使用と断じて、安保理の議論すら回避して軍事行動に踏み切ることについて、突き進むということでよいはずがない。

過去の教訓から学ぶ必要がある。

1990年代の旧ユーゴ紛争に関わる「人道的介入」の際は、安保理決議を経ない介入について世界で大議論となった。今回、国連憲章無視が公然と、堂々と、議論もほとんどなく、まかり通ろうとしていることは、大変深刻だと思う。

人道的介入に関しては、国連安保理の承認を得たリビアの例でも、軍事行動に関わった欧米諸国や反政府勢力による深刻な国際人道法違反が報告され、カダフィー氏は超法規的に殺害される、という、紛争の公正な解決とは到底いえない結末を迎えた(この件で、私たちは国連の武力行使容認のあり方についても疑問を呈してきたhttp://hrn.or.jp/activity/topic/post-94/)。リビアでも、国際社会の世論が軍事行動に傾いたきっかけとなる事件は後で誤報と判明した。

シリアの件で安保理でコンセンサスが得られない背景にはロシアの思惑・利害が大きいものの、リビア介入に関する検証・反省がきちんとなされず、結局無責任な軍事介入となってその責任の所在もあいまいだ、ということが影を落としていると思う。武力行使を承認しながら、深刻な事態を防ぐこともなく、検証も十分行わない、国連の責任も大きい。

「保護する責任」という議論が国際的には盛んであるが、このような場当たり的な、大国主導の乱暴な軍事介入をみんなが望んでいるのであろうか。今一度、過去の人道的介入というものについて、真摯に国際社会が検証・反省する必要があるように思う。

国連憲章のルールや理念から乖離した軍事行動がそのまま当たり前のように容認される現在の空気はとても深刻である。

紛争の拡大によって、犠牲になるのは、いつも罪のない市民である。

7 打開への模索を

シリアで長期化する紛争の結果、今までに多大な人命の犠牲があった。アサド政権については弁護の余地はなく、国際人道法違反の戦争犯罪をしてきたことは明らかである。反政府勢力のなかにも深刻な人権侵害に加担してきた勢力がある。

事態は国際刑事裁判所に付託され、訴追・調査がもっと早期に行われるべきだったが(http://hrn.or.jp/activity/topic/-80/)、国際社会のコンセンサスは得られなかった。

和平に向けた動きもあったが、政権側にロシアやヒズボラが援助、反政府側に米国、イギリス、フランスが援助、というかたちで国際社会も内戦の継続に責任を負ってきた。今日まで、国際社会が国際的なルールに基づく事実の解明、紛争の解決についてコンセンサスを得られなかったことは本当に残念だ。

どちらかにこれ以上加担するのでなく、双方への武器・軍事援助を止めて、和平への道を探るべきではないのか。

国連安保理には、緊急会合を早急に開催し、事態の打開について国連加盟国の真摯な議論を促すことを求めたい。

8 日本のポジション

ところで、日本は、この議論において、まったく蚊帳の外に置かれているようである。安倍首相は昨日、アサド大統領の退陣を要求しており、その限度では穏当な対応であるが、米国等が軍事行動に踏み切れば、支持を表明するだろう、という見方もある。

しかし、日本政府とて、何の証拠も見せられることなく、無責任に賛成することは、一国の判断として到底許されないだろう。

イラク戦争に関する甚だ不十分な検証が昨年12月に公表されたが、大量破壊兵器疑惑について情報収集が不十分であった、とするものであった(大量破壊兵器の存在について「存在しないことを証明する情報はなかった」「大量破壊兵器が確認できなかった事実は厳粛に受け止める必要がある」など。では、「存在することを証明する」情報は日本政府として入手したのか。http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS21023_R21C12A2PP8000/)。

独自の情報と判断がない限り、いかなる無責任な態度表明もすべきではない。

■ ヒューマンライツ・ナウは、以下の声明を公表し、英語版を国連加盟各国に送付予定です。

http://hrn.or.jp/activity/topic/post-223/

2013年8月25日 (日)

明日です。激動するエジプト情勢をどうみるか~『アラブの春』後の情勢に迫る

エジプト、シリア、、この夏の間も尊い人命が失われました。
明日は、朝日新聞の石合さんをお呼びして、以下の企画をします。
つい最近までエジプトに勤務され、東京に戻られた石合さんのお話しです。
既にすごい反響ですので、早目にお申し込みの上ご参加ください!!
是非会場でお会いしましょう。

【イベント】8/26(月)「激動するエジプト情勢をどうみるか~『アラブの春』後の情勢に迫る」


特定非営利活動法人ヒューマンライツ・ナウ×明治学院大学国際平和研究所(PRIME)共催企画

 激動するエジプト情勢をどうみるか~『アラブの春』後の情勢に迫る

                               ゲストスピーカー/石合 力さん

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2011年1月に始まった、エジプトでの「アラブの春」。


ムバラク政権を退陣に追い込み、2012年には、ムスリム同胞団を

中心とする政権が民主的な選挙で発足しましたが、

今年に入り、軍のクーデター、そして、流血の事態へと発展しています。


激動するエジプト情勢をどうとらえたらよいか、そして、

チュニジアから始まったアラブの春はどこへ向かおうとしているのか。


朝日新聞中東アフリカ総局長として、エジプト情勢を間近に見、

取材を続けてこられ、2013年5月に帰国された

石合力さん(現・朝日新聞国際報道部長)に語っていただきます。

日 時 ≫2013年8月26日(月)19時~21時


場 所 ≫明治学院大学 白金キャンパス 本館1201教室

      〒108-8636 東京都港区白金台1-2-37

       http://www.meijigakuin.ac.jp/access/  

     品川駅より 都営バス「目黒駅前」行き「明治学院前」下車

       または、白金台駅、白金高輪駅、高輪台駅より徒歩7分


スピーカープロフィール ≫ 石合 力さん

朝日新聞国際報道部長。

カイロ、ワシントン、政治部次長、国際報道部次長、GLOBE副編集長などを経て、

2011年1月から中東アフリカ総局長として、「アラブの春」に揺れる中東各国を現地取材。

今年6月から現職。共著に「核兵器廃絶への道」(朝日新聞社)。

同志社大一神教学際研究センター共同研究員。


モデレーター≫ 東澤 靖


明治学院大学国際平和研究所(PRIME)所員


特定非営利活動法人ヒューマンライツ・ナウ理事


参加費 ≫資料代500円 

※明治学院大学学生、関係者は無料


【参加申込】

人数把握のため事前にお申し込みいただけると幸いです。

「8/26(月)エジプト勉強会参加希望」と明記し、氏名/連絡先をお書き添えの上、

HRN事務局へメール(info@hrn.or.jp)または、FAX(03-3834-1025)まで

お申し込みください。


皆さまのご参加をお待ちしております。

京都から有馬温泉へ

昨日は、司法修習20年の記念会合に出席in 京都。20年なんて自分でもじぇじぇじぇ~と言う感じで、あまり成長がないので気が遠くなりますが、なつかしいものです。今朝は、京都のMyパワースポット・清水寺を回って有馬温泉に移動し、いまから名張事件の弁護団合宿に参加です。

2013年8月14日 (水)

バンコクにチェック・イン

ミャンマーでの活動を終えて、今夜、バンコクに移動しました。
明日からバンコクで国際会議です。
で、ミャンマーのハードなミッションに疲労困憊していましたところ、
バンコクの会議の主催者の国連さんが、意外にもとっても素敵な
ホテルを用意してくれたので、ウェルカム・フルーツをいただき
ながら、とても癒されています♪  

束の間リラックス。

ミャンマー日記 新しい出会い・そして教え子たちと

引き続き、ミャンマーより・
メモ代わりに書いておりますが、お許しを。
9日金曜日は、まず朝一に、人権活動家で人権教育をすごい規模で展開しているアンミョンミーン氏とお話し。最近帰国したばかりなのに、ミャンマー社会にすごいネットワークを築いているのでその精力的な活動に驚くばかり。素晴らしい方でした。
その後、ヤンゴン弁護士会(Yangon Bar Association)へ。何の間違いか、ものすごい歓待を受ける。長老の素晴らしい演説が始まり、みなさん人権活動を開始したいということで、私たちの話に大変興味をもってくださった。そこで、日曜日のミャンマー弁護士会設立のための会議に誘われたのでした。
その後は、PLA(ピースローアカデミー)の教え子の皆さんが、私たちの呼びかけに応えてヤンゴンに集まってくれた。教え子はみんなとてもかわいいもの。みんなに再開で来て本当にうれしい。
中には24時間かけて集まってくれた学生もいる。その少数民族の学生は卒業後、PLAで勉強した憲法・人権について、村の人たちから頼まれて講演して、600人も集まったという。。しかし、お金やネットワークがないので続かない。そこで、どうするか、「みんなでネットワークをつくりなさいよ」とたくさんハッパをかけ、知恵をつけてあげた。
月曜日にあうことを約束して、学生たちと別れて、今度はコーヒーハウスで、ジョーツー氏とあう。
ジョーツー氏は「かけはし」というNGOのリーダー。なんと、サイクロン・ナルギスの起きた2007年から、まず被災者支援活動を始め、今ではミャンマーの全セクターの草の根NGOを組織するNGOのネットワーク組織になっていて、土地の権利の問題について、アドボカシー活動も行う、ミャンマー有数のNGOになっているという。
軍政時代からそんな地道な活動を続けてきたことに感服する。
彼の紹介で、日曜日朝にはミャンマー・ロイヤーズ・ネットワークの弁護士からレパダウン銅山の問題について、月曜日には、ティラワ・ダウェーの開発問題に取り組んでいる地元の人たちのお話しをうかがう。
土曜日はようやくお休みで、シュエダゴン・パゴダを三時間かけて回り、スーレーパゴダにもいく。サフラン革命に思いをはせながら、何度となく起こる民主化運動への軍政の残虐な弾圧の結果犠牲となった人々のことを思い起こしながら。

月曜日午後は、ジャーナリストとあう。言論の自由について。メディアネットワークの代表的存在だが、なんと2003年まで日本にいて、日本語ペラペラ。とてもよくしてくれた。出会いに感謝。

月曜日夜は、PLA卒業生たちと二回目の会議。みんなの気持ちが固まり、PLA卒業生のネットワークをつくって、ミャンマー全国で連携して人権活動ができる基盤をつくることになったのでした。私は「立ち上げたいけど難しい、と思っているだけじゃ一生起ち上げられないからね。勢いをつけて今この時期にやらないとね。いつ結成するのか、ここで決めて」と問うたところ、早急に立ち上げることになった次第。
で、具体的段取りについて話し合う。素晴らしい展開で、私自身とても嬉しかったです。
今ミャンマー政府は、団体法をつくり、登録していない団体に罰則を課そうとしているけれど、とんでもない。みんなで守ってあげないといけないと思う。
ということで、翌日から、卒業生たちと一緒に、ドイツ政府、アメリカ政府、EU代表部を回って、今後の連携について話し合いました。
そんなわけで、10日間のミッションは終了。これから、この成果を具体化して、今後の活動につなげていかなくては。

ミャンマー日記~ ミャンマー弁護士会誕生?

引き続き、ミャンマーからの報告です。
11日・日曜日はミャンマー弁護士会の設立に関する会合に参加してきました。
ヒューマンライツ・ナウ代表団で、ヤンゴン弁護士会を数日前に訪れて、人権教育についての連携について議論をしたので、今日招待されることに。外国人弁護士で参加したのは私だけだったので、来賓扱いで、「討論のまとめ」のなかで私について紹介されたりして、身に余る光栄でした。
では、ミャンマー弁護士会(Myanmar Lawyer Association)とは何かというと、軍政下で、政府から独立した弁護士会が休止状態となっていたミャンマーで、政府から独立した弁護士会を設立しようという動き。6000人からなるヤンゴン弁護士会(Yangon Bar Association)の呼びかけで、全国から弁護士たちが集って弁護士会の設立について議論する歴史的な会合だった。
ミャンマーでは弁護士が集まって議論すること自体許可制で、当局監視のもと行われ、人権などセンシティブな話は到底できなかった数年前に比べて格段の変化であり、感慨深い。年配から若者まで、たくさんの弁護士が参加。みんな元気に溢れている。まず、開会の演説。そして弁護士会の目的や組織などを書いたCharterのようなものが提案され、寄付者を紹介。その後15分足らずでコーヒータイムとなったのが面白かった。みんなコーヒーとお菓子に突進して大騒ぎ。その間に、Charter案に意見のある者は発言通告をすることになって、40人くらいが発言通告。コーヒーブレイクの後は一人3分間で発言するのだが、ミャンマーの弁護士は熱弁で演説がうまく、個性的。とてもパワフル。軍政下で心が折れて、しおれて萎縮してしまっているのかと思いきや、みんな反骨精神と鋭気を無傷のまま維持していてその人間力に驚いた。意見も多様だが、初歩的な意見も多い。会費は月に3000チャットだが、高すぎる、回収が大変なので年払いにすべき、会費を払うのはいいけれど領収証をきちんと発行する体制をつくるべき、などの意見(面白い)。弁護士名簿を整備したほうが良いという意見。メンバーになってどんなメリットがあるかわからないという意見。管区やタウンシップごとに弁護士のネットワークをつくっている、戦前からそういうネットワークがある、とか、1988年まではあったがその後の事情でなくなってしまった、未だかつて存在しない、などという声、では地方の弁護士ネットワークと、ミャンマー弁護士会はどういう関係なのかという質問(日本の連合会方式が役に立つであろう)、若い女性弁護士から「若手弁護士協会を設立したいけれど大丈夫か?」という意見、若手に無料で研修をしてほしいという要望、ミャンマーでは法律書があまり手に入らないし古くて高いので、弁護士会がもっと法律書を出版してほしいという意見、裁判所に弁護士待合室がないので、設置してほしいという要求実現の提案、国際会議に参加することが一つの目的となっているがだれが代表として参加するのかという質問などなど。また、Myanmar lawyer Associationでなく、真ん中は、Lawyersにすべきだ、ミャンマー弁護士は英語の勉強が不足している、という意見も(^^)。いろいろ大変ではあるけれど、最初からはじめよう、という勢いを感じ、またおおらかで夢ある会合だった。若い人も、女性もたくさん発言しているし。
ヤンゴンでは最高裁をホテルにしてしまうと当局が一方的に決定し、最古参の弁護士が「これに反対して阻止しなければならない! 」と訴え、また一致団結する必要性を訴えた(この最古参の弁護士さん、3分を過ぎたので、議長団から発言中止を求められたが、会場に「いい発言なのでもっと聞きたい」「発言制限すべきでない」という意見が多数、動議により発言延長が認められた)。憲法改正等について、弁護士の発言機会がないので、弁護士が政治・立法過程で発言できるようにするために弁護士会がきちんとしている必要がある、などの発言が相次いだ。
最後に、討論のまとめがあり、「今日出た意見をもとに、Charterを再検討して、早く設立できるようにします」ということになり、会長候補者がまた格調高い演説をして閉会。
会長候補者は、数日前にお会いしたジェントルマンで、閉会後、メディアに取り囲まれていたが、ご挨拶をすると、私に向かって「私は人権派だ。ミャンマー弁護士会では人権を尊重してやっていく、このことをメディアもきちんと書いてくれ」と言い、ヒューマンライツ・ナウの英文リーフレットを受け取ると、自らが人権の闘志であることを示す証のように、周囲の報道陣や若手弁護士に次々と配布した。
実のところ、弁護士会などのネットワーク組織は、ずっと軍政に物を言えずに人権活動が出来ずに来た。一部の個々の弁護士が犠牲を払って活動してきただけ。ところが最近では意気軒昂となり、「人権」がはやっているというのだから、やや現金な話であるが、最初が肝心。カンボジアなど政府べったりの弁護士会になってしまって、なかなか難しい。もちろん、中国、ベトナムなどもしかり。日本を含む国際社会が、まだよちよち歩きの弁護士会をきちんと親切に支援してあげることは重要だと思う。私たちもできる限りのことをしていくつもりだ。

2013年8月 9日 (金)

ミャンマー日記 Incredible Myanmar

滞在中のミャンマーにすっかり心を奪われ、感動の連続の私。まさにIncredibleな体験にあふれています。
そこで、書いてみました。

8月4日日曜日: ヤンゴン国際空港を降り立ち、無事ミャンマー入国。
これまでの人権活動から(私は今年の3月も、国連でミャンマーの人権状況について厳しい発言をしたばかり)「入国できなかったら?」と心配していましたので、まず入国できただけで目的の半分以上達成したような気分。

8月5日月曜日: 午前中はJICA。
午後はNLD本部で名誉議長の、ウチティン氏と懇談。
伝説上の人物で既に87歳だそうです。その後NLDの若者たちと懇談
その後、スーチーさんの家を訪問。スーチーさんが自宅軟禁からとかれた時の群集の爆発する喜び、スーチーさんの喜びを思い出す。
そして、素敵なお昼ごはん。
ヤンゴンが思いのほか豊かで、人々が楽しそうなので、驚く。
その後、8日に予定されている88(1988年8月8日学生運動)の準備が進んでいるMCC(Myanmar Convention Center)に準備状況を見に行き、AAPPのボーチー氏と再会。
お互いいつもタイビルマ国境にいるので、ミャンマー国内で再開で来て感激。ボーチー氏は元政治犯。
そして7年間の投獄後、政治犯を助けるAssosiation of Assistance for Political Prisonersを結成。
とても地道に活動してきた。
 そして、今年ミャンマー大統領がつくつた政治犯のレビュー委員会のメンバーに入り、先月、大統領は「年末までにすべての政治犯を釈放する」と宣言。政府からも一目置かれている存在だ。
 いつもながら的確に情勢を教えてくれる。

その後トレーダーズホテル等名所をバスで通りかかる。
私たちにとっては行くこともないままドキュメンテーションをしてきた、抵抗と人権侵害の現場を間近に見れて、感激。

8月6日火曜日: この日は主に国連関係。UNDP、UNFPA、UNHCRと回り、シェダゴン・パゴダに。
ここも伝説の場所。とても感動した。
その後、ホテルにて、ビルマ法律家協会とMTG。
そして、在日ビルマ人のモモさんが十数年ぶりにビルマに里帰りしたというので、ヤンゴンで再開。モモさんと一緒にお食事。
8月7日: 水曜日は、アメリカ大使館、そして、一貫して軍政に働き続けてきた反骨のジャーナリズム・イラワジ誌の編集者との面談。イラワジも昨年暮れに戻ってきたばかりだけれど、もう30人も人を採用して、既に国内で4号の雑誌を発刊。編集者・論説委員は、獄中でボーチー氏と一緒だったという。とてもインテリジェンスに富んでいて、密度の濃い、そして静かに感動せざるを得ない会合だった。特にこれまでのミャンマーの歴史と過酷な弾圧を思うと。
今や、人権専門誌を刊行する人も出てきたという。問題は多いけれど、まぶしいほどにすべてが動き出している。
彼らは苦難に耐え続けて、闇の中で犠牲を払い、忍耐を続け、今変革のただなかにいる。しかしとても冷静にプロフェッショナルとして、祖国に貢献しようとしている。その気概に打たれた。
この日はその後、ヤンゴン弁護士会の女性弁護士たちとランチ。新しい人たちが育っているなあ、と実感。
そして日本大使館。日本大使館の方が大変ミャンマーに造詣が深いらしく独自の分析をされているので、興味深くうかがった。この日は中華街へ繰り出す。
8月8日木曜日: この日は、朝から1988年8月8日の学生たちの民主化運動からの25周年の会合。
ゲストとして呼んでいただき、なぜかアメリカ、イギリス大使と近くの来賓席に案内していただく。
88のリーダーで長く獄中にいたミンコーナイン氏がとても情熱的にスピーチ。スーチーさんが続く。
昨年には、こんな集会が開催されるなんて到底望めなかったのに、こんな集会が堂々と開催できるというだけで感慨深い。
全国から昔からの民主化リーダーたち、88世代、そして若い世代が大挙して参加し、ものすごい盛り上がり。みんなの沸き起こるような喜びと感慨にこちらもとても感動。
歴史が動いている瞬間に立ち会っている。
その後、女性の権利のネットワーク団体、そしてミャンマーの法律家グループのSecretariatと面会。
軍政下で市民社会・NGO・弁護士たちは委縮して押し黙って、ほとんど活動していないと思ってきたけれど、それは違う。みんなすごいネットワークをつくって、活発に活動している。急速な変化のなかで、一層の改革を前に前にと推し進めようと情熱的に活動している。その気概にすっかり意気投合をして、深夜近くまで語り合う。

明日は、ヤンゴン弁護士協会、裁判所、人権活動家、そして、ピースローアカデミーの卒業生たちと会う予定。
それにしても、今回はミャンマー人の元インターンさんがフル回転でアポを入れてくれ、また日本人のインターン生でユニセフ・ヤンゴン事務所で今働いているインターン・スタッフに現地での貴重な人脈を紹介してもらい、素晴らしい出会いばかり。心から感謝したい。
そして、私たちが来ると言うので、はるばる全国各地から、遠くの少数民族地域からも、ピースローアカデミーの元教え子の若者たちが集まってくれるのにも本当に感動。

現地で見るものすべてがこれまで聞いてきた先入観を覆すものばかり、そして出会う人みんなが素晴らしく、前向きな人たちばかり。
この国はいま、変革のただなかにある、息も詰まるような瞬間を一瞬一瞬経験している、ということを身をもって体験しています。
もうしばらく、ここにとどまり、私たちとしての今後の活動、国内NGOとの連携の方向性をある程度明確なカタチにして帰国したいと思っています。

2013年8月 4日 (日)

ビルマ(ミャンマー)へ行ってまいります。

暑中お見舞い申し上げます。
いま、スカイライナー。ようやく怒涛のような仕事のラッシュや締切を終えて仕事に一区切り。
これから、ビルマ(ミャンマー)にプロジェクトの視察に行ってまいります。
ビルマの民主化はどこまで進んだのか、人権状況はどうなのか、どんな市民社会のアクターにおあいできるのか、PLAの卒業生たちは元気にしているか、など、とても楽しみにしています。
新しい出会いがあり、新たなインスピレーションが得られるのでは、と期待しています。
ビルマはネット環境が悪いようで、クライアント等皆様にはご迷惑をおかけしますが、なにとぞよろしくお願いいたします。
その後、バンコクで、UN Womenのアジア太平洋地域アドバイザーの初顔合わせ会合が開催されます。
アジア各国のほかのアドバイザーたちは、各国で女性の権利にいて第一線で活動している素敵な女性ばかり。
こうした仲間たちとも初めておあいできるので楽しみです。
皆様には休暇に入られる方もいらっしゃると思いますが、暑さと今年上半期(本当にいろいろありましたね!)のお疲れをどうか癒されて、鋭気を養ってください。
暑い毎日はまだまだ続きそうですので、是非ご自愛ください。

こちらの私たちの教育支援のプロジェクトも是非ご参照いただき、ご支援いただけると嬉しいです♪
ビルマ・みらいの民主化リーダー・法律家を育てよう♪
http://hrn.or.jp/pj/pla/

2013年8月 3日 (土)

撤回だけでは済まされない。日本国憲法改正にかかわる麻生氏「ナチス」発言

麻生太郎副総理兼財務大臣は、7月29日の国家基本問題研究所月例研究会で発言した、ファシズム肯定発言には本当に驚いた。

報道がなされていたけれど、まさか本当にこのような発言を日本の政治家がするとは信じがたい思いがした。

しかし、朝日新聞その他で、発言詳細が紹介されて、正確な発言内容がわかった。

http://www.asahi.com/politics/update/0801/TKY201307310772.html

麻生氏は、

日本における憲法改正に関連して、ナチス・ドイツについて言及し、


民主主義によって、きちんとした議会で多数を握って、ヒトラー出てきたんですよ。ヒトラーはいかにも軍事力で(政権を)とったように思われる。全然違いますよ。」

などど述べ、


だから、静かにやろうやと。憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね。」

と言ったというのだ。

8月1日、麻生氏は、発言を撤回した。いわく


私のナチス政権に関する発言が、私の真意と異なり誤解を招いたことは遺憾である。私は、憲法改正については、落ち着いて議論することが極めて重要であると考えている。この点を強調する趣旨で、同研究会においては、喧騒にまぎれて十分な国民的理解及び議論のないまま進んでしまった悪しき例として、ナチス政権下のワイマール憲法に係る経緯をあげたところである。私がナチス及びワイマール憲法に係る経緯について、極めて否定的にとらえていることは、私の発言全体から明らかである。ただし、この例示が、誤解を招く結果となったので、ナチス政権を例示としてあげたことは撤回したい。
出典:http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130801/stt13080114060009-n1.htm
しかし、どうだろう? 発言の撤回は当然であるが、7月29日の発言は、「あの手口学んだらどうか」としてナチスに言及しているのであり、どうみても、「悪しき例」として取り上げた趣旨でないことは明らかで、自分の発言をねじ曲げているものと言わざるを得ない。

麻生氏お得意の「失言」と擁護する人もいるようで驚くが、会合の性格からして、これは、ぽろりと発言したものではない。心にもないことを言った、とも思えない。

第二次世界大戦で最悪の惨禍をもたらしたナチスのファシズム政権は、ユダヤ人迫害と強制収容所収容、大量虐殺、表現の自由の弾圧、反対派の弾圧、数々の戦争犯罪など、人類史上最悪の人権侵害をもたらした。この反省に立ち、人権侵害を生み出し、民主主義を否定するファシズムを二度と繰り返さないことは第二次世界大戦後の国際社会の最も基本的なコンセンサスである。

ファシズムの到来のプロセスについて、肯定的な評価をし、「手口学んだらどうか」等と示唆することは到底許しがたいことである。

ナチスを肯定する発言は、民主主義国家の主要閣僚として到底あるまじき言動・姿勢であり許し難い。世界が抗議するのは当然である。

麻生副総理・財務大臣は、ファシズムの犠牲となったすべての人々に謝罪すると共に、直ちに辞任してほしい。

問題は、「手口学んだら」だけではない。

麻生副総理・財務大臣は、「憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった」いう。

現実にはナチス憲法は存在せず、ドイツのワイマール憲法および立憲主義そのものがファシズムの到来と「全権委任法」によって停止に追い込まれたものであるが、その過程は静かなものではなく、こうした動きに反対した人々が苛烈な人権弾圧を受け、表現の自由や抵抗する自由を容赦なく剥奪された歴史がある。

こうした、人類史上最悪の人権侵害が完成した過程に対する著しい無理解のうえにたって、日本の憲法改正を議論し、推進しようする動きは重大である。

憲法は、人権尊重・立憲主義・民主主義を定めた国の最高法規であり、国民の十分な議論を尽くさないまま「だれも気づかないで変わった」等ということは到底あってはらない。麻生発言は、民主主義・立憲主義についても著しい無理解と言わざるを得ない。

安倍首相は、ファシズム到来のプロセスを肯定し、立憲主義・民主主義に対する理解に著しく欠ける、言語道断の麻生氏の発言について、公式に強く非難するとともに、内閣としての基本姿勢を内外に示す必要があるだろう。

このまま、このような発言をした麻生氏が罷免も辞任もされずに、日本政府のナンバーツーとして居座り続ければ、日本はこうしたナチス肯定発言をする者が政権の要職につく国家とみなされ、国際社会からは到底相手にされなくなるだろう。

閣僚・政治家等の不適切発言で最もあってはならないのは、重大な人権侵害への容認・肯定的態度である。

この流れに位置するものが久間元大臣の「原爆投下しょうがない」発言、「慰安婦は必要だった」とする橋下発言、そして「手口学んだら」という今回の発言であろう。今回は、ファシズム、ナチスという最悪の人権侵害への肯定と言う点でも、それを今の憲法改正議論にいかそうという点でも最も悪質であり、撤回だけで済まされるものではない。

海外からの強い抗議があるのは当然であり、日本はこのままでは益々国際社会から孤立するだろう。

同時に、国際社会からの孤立を仮にをさておくとしても、私たちの社会にとってこの発言の意味を深刻に問わないといけない、と思う。

こうした発言を容認してしまう日本社会の今のありように、深刻な危機感を持つ必要があるのではないだろうか。

ほかならぬ、日本の憲法改正手続にからんで、私たちの近未来にむけて、こうした発言がなされたのだから。

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