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2013年6月15日 (土)

私のミューズ 松田聖子さん

最近嫌なニュースが続くけれど、怒ったり抗議するとしても、毒されたらおしまい。
明るくてポジティブな気持ちで心の健康を保ってサバイバルしないとね。
ということで、今日は私のミューズ、松田聖子さんへの讃歌を書いてみようと思う。

聖子ちゃん、ついに今年の武道館コンサートは100回目だそう、本当にすごい。
もちろん今年も武道館に行くつもり。
実は、聖子さんは、私の人生にもっとも影響を与えた女性で、私は自分が今あるのは聖子さんのおかげと感謝している。こんなことを私が話すと、拍子抜けしたり、驚く人も多いが、これは間違いないこと。
実は、同世代の女性たちの多くはそう思っているようで、私は、聖子さんが日本の女性に与えた影響は絶大だと思っている。
このこと~聖子ちゃんが私達世代にしてくれたことの偉大さ~を考えると、いつも感動して涙が出てしまう。
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聖子ちゃんは、私が中学生の頃に颯爽と現れ、「女は自ら望んでなりたい者になれるのだ、やりたいことをすべて実現していいのだ。そのことで罰せられることもないし、不幸になることもない」「女性は生来的に男に頼って生きるしかない、従属した運命を持つ性ではない」ということを身をもって示した人だ。
そしてそれまでに誰も、身近に存在としてそのことを示してくれた人はいなかった。
私が子どものころに読んだ偉人伝は、「キュリー夫人」「ヘレンケラー」、二人ともすごい人だが、外国人であり、近寄りがたい存在、自分の身近な人間ではなかったし、特にうらやましいとも憧れるとも感じなかった。
子どもたちが身近に女性の生き方についてどう学ぶか、といえば、祖母や母、親戚、でなければ、童話や少女小説、少女漫画、アイドル、アイドルの歌う歌等だと思う。
ところが、子どもを取り巻く社会は、そしてたいていのサブカルは、女は誰かに頼って生きていくしかない、誰かにすがりついて生きるしかない、誰かに見いだされるのが幸せ、というメッセージで満ちている。

シンデレラはまさに他力本願の典型的な話だけれど、「赤毛のアン」などは個性的な主人公で一見期待できそうであったものの、美人ではないが聡明なアンは大学に進学して才色兼備となり、ギルバートと結婚し、夢見がちな専業主婦になって幸せに暮らす、というストーリー展開をたどった。結局は子どものころに美しくなく聡明でない子どもでも、知性を磨いて頭のいい男と結婚して専業主婦になるのが幸せという展開で、読み進んでとてもがっかりしたのを覚えている。
さらに、怖かったのは中島みゆきさんの歌。
「道に倒れて誰かの名を呼び続けたことがありますか」「別れはいつもついてくる」という歌を聞くにつれ、女と言うのは、特に美人でもなく才能もない女は、道に倒れて男に踏みつけられる不幸な運命にあるのではないか、と恐怖を感じ、そして男がいなければ女の人生は不幸しかない、という刷り込みを与えられた。
そうならないようにするには、シンデレラのようになるか、がんばって勉強してアンのようになるかしかない。

そんなとき、聖子ちゃんは「女性の人生はもっと楽しい」「女性は何でも好きなことをすることができる」というアンチテーゼを示してくれた。
聖子は、もって生まれたものに安住したり、周囲を見て分相応で我慢/妥協することなく、「自分はこうありたい」と思った者になると決意してそれを実現して見せ、「こうなりたい」という道を歩んできた。
聖子は、本名はかまちのりこ、松田聖子とは全くかけ離れた名前で人生を過ごしてきた少女だ。
聖子は二重瞼ではなく、当時の少女たちと同じく眠たい一重瞼、当時のアイドルの基準であった、「ザ・ぱっちりした目」ではなかった。しかし、それでも「自分はこうありたい」という自己イメージを強く持って、アイドルである自分を自分自身でプロデュースしたのだ。
最初彼女のデビューは遅かったので、とても大人しい地味なドレスを着せられそうになったそうだ。
でも、彼女はそれを拒絶して、「松田聖子」らしい服を自分で探しに行き、その服を着て歌うことを事務所に納得させたという。
そうやって、当時のアイドル基準でなかった聖子は、目の前のハードルを軽やかに乗り越えてトップ・アイドルになった、そのことを私たちは知っている。
そしてヒットを飛ばし続け、とうとう憧れの郷ひろみと交際するというところまで快進撃を続けた。
聖子に対して、ぶりっこだ、等の批判、突っ込みが同世代の女の子たちから湧きあがったけれど、みんなそういいながらも、髪型やしぐさなど、聖子の真似をしていた。目が離せなかったのだ。そう、共感したのだ。

Images


聖子の歌う歌は、さきほどの中島みゆきなどの歌とはかけ離れ、突き抜けて明るかった。
聖子の意識する男の子はみんな聖子に「気がある」、聖子は自分からは告白はしないでじらして好きと言うように仕向ける、果たして男の子は聖子に愛を告白する、そんな歌が多い。
少女は決して待ったりすがりついたりしない、欲望の対象にされるがままになったり、踏みつけられたりもしない。自分を大切に持ち、自分をプロデュースし、きまぐれや気のないふりを装い、駆け引きをし、主体的に恋を操縦し、成功する。
当時のミュージック・シーンで流れ続けていた聖子の歌が、私たちに楽天的な恋愛観を植え付けた。
聖子は、歌を通じて、女性が大切にされ、主役となる恋愛が、可能なんだ、それが自然であり普通であり、これからのトレンドなんだ、というメッセージを繰り返し送り続けてくれた。
これは私たちの恋愛観を大きく展開するものであり、日本の恋愛の近代化に貢献したと言って良いと思う。

そして、もうひとつは何といっても聖子の選択である。
聖子の前には、大スターとして美空ひばりと山口百恵がいた。
美空ひばりは天才的に歌がうまく、「歌か女の幸せか」という二者択一を迫られ、歌を選んで離婚し、いつも不幸そうに見えた。
山口百恵は、カリスマ的な歌姫だったが、今度は女の幸せをとると言い、歌手をきっぱりと引退し「潔い」と世間の男性の喝采を浴びた。
こうした出来事は少女たちの心に刻印されてきた。どちらかを選ばなければならないのではないか、仕事も家庭もというのは贅沢なのではないか、と少女たちは考え、親からも言い聞かされたのだ。
これに対して、聖子は確かに歌もうまいしスターであるけれど、ひばりのような天才ではなく、百恵のようなカリスマ性もないと思われていた。百恵が歌を続けることを断念したのに、なぜ聖子が、ひばりほどの存在でもないのに歌い続ける意味があるだろうか、と問う人がいても不思議はなかった。
しかし、聖子は「私は歌が好きだから、結婚しても歌い続けていたい」と堂々と言い、結婚しても引退しないと宣言した。
 このことで、聖子はアイドルという存在を超えて、一人の女性として、私たちの生き方に多大な影響を与えることになった。
  それは、天才的な才能に恵まれていない普通の女性であっても、自分のしたい道を選んでよいのだ、そして仕事もしたいし家庭も持ちたい、という希望を持ってもいいのだ、というメッセージだった。
それは当時、本当に括目すべきことだったと思う。
女性の社会進出と言っても、それは本当に能力のある優秀な女性たちの話であり、平凡な私たちにはそんな権利や機会はないと思ってきた。しかし、やりたいことがあったら、身の程知らずだとあきらめなくていい、ということを、私たちは聖子から学んだのだ。


私自身、聖子がアイドルシーンに現れた中高生時代、とくに目立つところもなく、優等生ですらなかったので、聖子ちゃんのようなインスパイアがなければ、弁護士になる、ということはなかった。これは間違いない。

 
 さらに、すごいのは、聖子が幸せそうであり続けていること、輝き続けていることだ。
聖子は、歌も続け、幸せにもなりたい、という二つを目指して、郷ひろみと破局し、結婚・離婚を繰り返してきた。しかし、不幸には見えない。
今もトップアイドルとして君臨し、美しく、幸せそうに見え、やつれた様子がない。
彼女は、ほしいものはすべてほしいと、臆することなく公然と言い、手を伸ばしてとろうとする、そしてそれを手に入れる、しかし、そのことによって罰せられることもなく、不幸にもならないのだ。これはすごいことである。
もし、聖子が素晴らしい選択をしても、幸せそうでなく、輝いてもいなかったら、誰もが聖子をロールモデルとは思わなかっただろうし、誰も憧れなかっただろう。だから彼女が幸せそうだ、ということは重要なことなのだ。
 聖子ちゃんが輝き続けていることに、インスパイアされ、勇気をもらい、救われている女性が日本には本当に多いと思う。
その陰には聖子ちゃんのとても強い意志と努力があるに違いないと思う。


さらに、ちょっと「ジェンダー学」的な話になるけれど、

むかしから童話などで、「欲深な娘」という存在が出てきた。
欲が深いために、わがまま勝手をして、ついにはひどい目にあい、罰せられる、という物語であった。
 少女たちはこうしたものを読み、欲望を抑え込む、少なくとも表面的には欲望がないように我慢してふるまうように規律されてきた。
 そもそもとびぬけた美少女・天才少女でもない平凡な少女は、何者かになろうなどと大それたことを考えるべきではない、と教えられてきた。
 しかし、その結果、女性たちは、完全に燃焼できない人生を歩み、自分のなりたいものになれず、表面上謙虚にふるまい、何物にも挑戦せず行動しないから、何物にもなれず、そのため自己評価が低くなり、求婚を待つ、他力を待つという生き方を強いられてきた。しかしそのことによって、結局幸せでない人生を歩み、時には男に踏みつけにされ、昔抱いた夢を後悔する。そして、「なにものか」になろうとして目立っている女に嫉妬し、陰口をたたき、そのような者にならないよう、自分の娘をしつけることになる。こうしたことが何百年にもわたる、ジェンダー規範として女性を抑圧・支配し、女性たちの間で世帯を超えて継承されてきた。
 
 しかし、これに対し、明確にNOをつきつけ、ジェンダー規範を超越して、生き、選択し、成功し、活躍しているのが聖子ちゃんである。これは本当にすごいことだ。

  聖子ちゃんに「好きなことを女性がやっても何も問題はない」というメッセージをもらったのは、私にとってはすごく大きなことだった。

  私はその後、女性弁護士とか、ジャーナリストとか、ノーベル平和賞受賞者とか、いろんな女性にインスパイアされることになったけれど、それは随分後になってからだ。
 まだ何物でもない、人生の選択や挑戦をしていない少女時代に、身近にいつもテレビに出てくるロールモデルが影響を与えてくれたことは、もっともっと根本的で、本質的だったのだ。

 あの当時、聖子が存在しなかったら、日本の女性たちの生き方は異なっていただろうと思う。
その意味で私は日本のフェミニズムに大きく貢献したのは学者や活動家ではなく、松田聖子だと思っている。そういう評価をしている論文とかは見ないけれど絶対にそうなのだ。サブカルは偉大だ。

 それにしても、今もなお、聖子ちゃんは驚嘆すべき存在だ。
 コンサートで走り回る聖子ちゃんの体力、あの美しさ、本当にただ者ではない。あんなに走り回る全国コンサートツアーを毎年乗り切ってしまうのだから、すごすぎる。
 50歳を超えているのに、信じられない。いつまでも聖子ちゃんにはただ驚嘆するばかりだ。

 そんなわけで、聖子ちゃんには心から感謝と憧れの気持ちを持っている。いつまでも輝き続けていてほしい。
 
 

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