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2013年2月15日 (金)

やっぱり賛成できない「アイドルに人権なし」論

AKB48の恋愛禁止ルールについて「人権侵害ではないか」と問題提起をしたところ、様々な論評をいただいた。
ナイナイの岡村さんまで論評してくださったようで、恐縮・感動である。
法律論的には、憲法の私人間効力の問題、民法90条の公序良俗に関する問題であるが、このような話は、誰にとってもあまり面白くないと思われるであろうし、ここは私の私的ブログであるから、法律を少し離れた私の感想を述べたい。

まず、「アイドルと言うのは歴史的に恋愛禁止なんです」という論者が多いので私は驚いた。
それは歴史の歪曲ではないかしら?
なぜなら、私が学生の頃はアイドル全盛期であったが、聖子ちゃんが郷ひろみと、明菜がマッチ、などなど、公然と恋愛しており、誰も問題にしなかった。むしろ応援をしていたのだ。
聖子ちゃんが神田さんと結婚することになってもファンは変わらず応援した。
その後も安室ちゃんとサム、華原朋ちゃんと小室さんなど、恋愛をしていたのは周知の事実で、誰もそのことを理由に反省をしたのを見たことがない。
だから、アイドルが昔から今まで恋愛禁止だったというのはおかしい。
デビューしたての頃は私生活返上でがんばれ、という事務所の雰囲気は一般論としてあったかもしれないが、20歳も過ぎて、売れているのに、私生活返上ということはなかったのではないだろうか。

小泉今日子の「なんてったってアイドル」という曲は、以下のように歌っている。
「ちょっといかしたタイプのミュージシャンと付き合っても、知らぬ存ぜぬととぼけてレポーターたちをけむに巻いちゃうわ」
「恋をするにはするけど、インタビューにはノーコメント、マネージャーを通して 清く正しく美しく」
アイドルとはこういうもの、という事を正面からテーマとした歌であるが、恋愛は隠れてするものだが、アイドルは恋愛自由、ということを正面から宣言している。
ちなみに作詞は秋元康である。

いつから、アイドルは恋愛禁止、という窮屈なことになったのか、実に不思議である。
俗論であると思う。

ところで、ナイナイの岡村さんは、私の指摘に、「それは弁護士の方、芸能界を知らなさ過ぎ、この汚い世界を」「芸能界というのは、アイドルがデビューする時には事務所から、恋人と別れさせられる世界、汚さをわかっていない発言だ」「みんな、そういう世界であることを承知の上で入ってきている、アイドルに人権なんてない」とおっしゃったそうだ。
http://matome.naver.jp/odai/2136030604704077301

アイドルも国民なので、憲法の人権保障を受けるわけだが、芸能界を知り尽くした方の発言であり、実態としてはそうなのか~と思うと考え込んでしまう。
しかし、やはりそれがいまの実態であるとすれば、変わってほしいものだ。

アイドル、スターと言うのは夢を売る仕事、みんなのあこがれ、時代を映す鏡である。
みんなを元気にし励ましてくれるそれがアイドル・スターである。
そのアイドル、スターが人権を抑圧されているなんてあまりに残念だ。
誰よりも自由に、時代の最先端を闊歩し、時代を切り開いてほしい。

私たち世代は自由に生きるマドンナや、聖子ちゃん、キョンキョンの生き方に憧れ、励まされてきたと思う。
ちなみに、長くなるので、また別の機会にしたいが、私は松田聖子さんに多大な影響を受け、彼女をリスペクトしていて、彼女の存在や活躍なくして今の私は絶対存在しないし、弁護士になどなれなかったと思う。
時代を象徴するアイドル、スターが自由を抑制され、管理統制されている、と知ったら、憧れたり励まされたりするのは難しいだろうし、社会全体が委縮して元気がなくなるだろう。
時代を切り開く面白い女の子、自由な女の子、身の程知らずに何かを始める女の子、なんてなかなか生まれにくいのではないだろうか。

確かに芸能界は虚飾を売る商売で、キャラと現実は違うのかもしれない。
でも、表向きは自由を謳歌しているスターが、本当は人権がない、抑圧されていじめられている、という極端な状況では、精神的にすっかり参ってしまったり、笑顔にも暗さが忍び寄ってしまうのではないか。
キャラを演じる、という限度を超えているように思う。
顔で笑って心で泣いて、なんて長続きしないのではないか。
だから、時代を象徴する存在・スターやアイドルの人権を尊重する社会であってほしい。

最後に、法律上の論点としては、アイドルは特殊だから人権侵害かどうか裁判で争えないのでは、という
論点についてだけ、コメントをしたい。
あるグループやアイドルは特殊なので、「部分社会」ということで、憲法違反に関する司法審査の対象外になりえないのではないか、という法律上の論点があり、過去に宗教団体や政党、私立大学が裁判でそのような主張をして、認められたこともある。
しかし、最近では、そうした司法判断は少なくなっているように思う。
特にオウム事件以後、そういう傾向は強まっているのではないだろうか。
ある一定のカルト宗教集団が、自分たちはそれでよい、ということで自律的なルールに従って活動をしていて、
そのルールは人権侵害を含むものもあるけれど、入信した者は自発的に誓約しているのだから、外部は介入を遠慮していた。
しかし、人権無視や反社会的なルールをそのまま放置していたら、対外的に恐ろしいテロ事件を起こすようになってしまった。
あの事件の教訓のひとつは、団体内部の人たちが納得しているという理由で、社会の中に憲法の及ばない、
司法によるコントロールの及ばない部分社会を設定してしまうのは、みんなにとって危険をはらむということである。
少なくとも、そんな例外領域である「部分社会」が日本のあちこちにできたら、みんなの人権がひき下げられてしまい、人権を守られる人たちがどんどん少なくなっていってしまうだろう。
アイドル集団と宗教集団は全く違うけれど、アイドルが人権の及ばない領域、と考えるのは、やっぱり問題である。


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