« 2012年12月 | トップページ | 2013年2月 »

2013年1月

2013年1月29日 (火)

家事事件手続法が施行されました!

離婚や家族をめぐる法的問題を抱えているみなさま。
家庭裁判所での手続きは専門家でない方にはわかりにくいものですね。

2013年1月より「家事事件手続法」という法律が施行され、離婚を含む家事事件の手続がわかりやすくなりました。
家庭裁判所では、家事事件の申立書や申立の仕方について、以下のページで詳しく説明しています。
http://www.courts.go.jp/saiban/syurui_kazi/index.html

申立書の書式もほぼ完備されていて、私から見ても「使える」ウェブサイトになっていますので、活用してください。
わかりやすいQアンドAもあります。
http://www.courts.go.jp/saiban/qa_kazi/index.html


ただ、一つ問題は、相手方に知られたくない情報がこれからはほぼ筒抜けになってしまうこと。
知られたくない情報については、非公開を求める書類もありますので、必ず、これを提出すべきです。
ただ、それでも実は確実に非公開になるわけではありません。
マスキングをして、知られたくない情報は、完全ブロックする必要があります。
DV事案で、相手方に住所や勤務先を知られたくない、という方、くれぐれもご注意のうえ、手続きを進めてくださいね。

2013年1月28日 (月)

DV、離婚、民事一般etc、2月の無料法律相談のお知らせ。

私の所属するミモザの森法律事務所で、無料法律相談を開催しています。

今年2月、私の相談日は以下のとおりです。
30分単位でご相談を受け付けています。ご紹介は不要です。
是非あらかじめ、ご予約ください。

********2月の開催予定*********

2月4日(月)15:00-17:00
~DV・離婚相談~
担当:弁護士 伊藤 和子

2月20日(水)13:00-15:00
~民事・一般/債務整理・破産相談~

お問い合わせはミモザの森法律事務所まで。

会場:ミモザの森法律事務所 〒110-0005 東京都台東区上野5-3-4
クリエイティブOne秋葉原ビル7階  TEL.03-5807-3184

お仕事があってこの時間帯が難しい、日程が合わない、という方も、お電話でご相談いただければ
調整が可能ですので、ご連絡くださいね。

こちらの事務所のウェブサイトもぜひ訪れてみてください。

http://mimosaforestlawoffice.com/topic/topic_2013soudan.html

ブログのデザイン・リニューアルしました。

最近、ブログのデザインがくるくる変更してすみません。
特に、この間までの画面はとても気に入っていたのですが、重たかったらしく、表示が出るのが異常に遅かったので、ご迷惑をおかけいたしました。
私自身も自分のブログの表示の遅さに、かなりいらいらとしておりました。
そこで・・・かなり名残惜しいのですが、新しいデザインにリニューアルいたしました!
まだ試行錯誤中ですが、どんどん見やすい画面にしていければと思っています。


よろしくお願いします。

新しい画面は現在の私の日常とはちょっとかけ離れていますが、ピアニストを目指していた中高生の頃はこんな雰囲気だったかも、、、と思ったりして、ああ、もう少し芸術に親しんだり、一人で思索したりするゆったりした時間を持ちたいなあ、という気持ちを揺さぶられます。

2013年1月26日 (土)

実名報道のあり方とメディア・スクラムに真摯な反省を

アルジェリア人質事件はあまりに痛ましい結果となった。
遺族の方々のことを思うと言葉がない。亡くなられた方のご冥福を心からお祈りしたい。
今回、日揮の意向により、人質となられた方の氏名はしばらく公表されず、「家族の強い意向」とされた。こうした事件でのメディア・スクラムの過熱と家族の意向を考えれば、賢明な判断だったと思う。
ところが、朝日新聞等がこうした意向に反して実名を報道し(報道によれば遺族との約束を破って実名公表したとされる)、政府も最終的には実名公表するに至った。
メディアにはなぜこのような要望が出たのか、なぜこの間、報道機関の実名報道に厳しい批判が起こったかを考え、真摯に反省し、常軌を逸した取材報道を改めてほしい。
邦人が海外で大規模な犯罪に巻き込まれた時、メディアは当たり前のように実名を公表し、犯罪被害の詳細を書きたて、ショックを受けている本人や遺族に対して追い打ちをかけるように心無い取材合戦・報道をしてきた。
観光旅行に行って殺害された女性等には「甘かったのではないか」、ジャーナリストや人道支援家には「危険なところに行った判断が間違っていたのではないか」と非難し、プライバシーを暴き立ててきた。
無事で帰ってほしいと祈る家族、死去を知らされて本当に大きなショックを受け、立ち直れずにいる遺族の方々に、情け容赦なく、何ら関係もない報道関係者が取材合戦・会見要求をし、居丈高に私生活に介入し、追い打ちをかけるようなストレスを与えてきたのだ。
それは暴力的であり、第四権力ともいわれる権力をかさに着た強制的なものであり、脆弱な個人が太刀打ちできるようなものではない。
私自身は、2004年のイラク邦人人質事件の際、人質になった一人と親交があったので、ご家族に頼まれて様々なサポートをしたことがある。
この事件では、三人の人質の実名が公表され、新聞に大きく顔写真が掲載された。そして自宅には報道陣が殺到した。しかし、事前に家族などにメディアが了解をとって実名を公表した形跡はない。
犯人グループが自衛隊撤退を求めたために問題自体が政治性を帯びてしまったことも影響しているが、家族はメディアに連日さらされて、その一挙手一投足が詳細にメディアに取り上げられ、家族へのバッシングが人質バッシングにつながった。プライバシーを侵害したり、憶測に基づくひどい報道が雑誌を中心に相次いで報道され、あまりにも心無い報道に、「犯罪に巻き込まれただけでなぜこんなプライバシーまで書きたてられるのか」と愕然とした。
人質になった方々は解放されるまで、国内でどんな報道がされたのか、全く知らなったわけであるが、犯罪に巻き込まれただけで著しい精神的なダメージを受けているのに、解放された際に突然、「日本に迷惑をかけた」「自己責任だ」などと言う非常に厳しい日本の世論に接して、一層心の傷を深めていった。
救出されて帰国した直後、人質になった三人の方は、無防備にカメラのフラッシュの放列にさらされ、恐怖を覚えたようだ。
自宅に帰る前に一時滞在した都内のホテルで、メディアの方々とやりとりをしたことを覚えているが、毎日本人の声を拾うためにホテルの前で待ち続けていたメディアは怒りやいらだちを隠そうとせず、「あれだけみんなに心配をかけたのだから、会見を開いてほしい、いつ開くのか。」と迫り、「いつまでも会見を開かないと、我々の三人に対する報道姿勢はいよいよ厳しくなりますよ」と脅してきた。
被害直後に事件を思いおこすということはそれ自体フラッシュバックを伴うものであり、大勢の人間の前で声を大にして事実関係を微細にわたり問い詰められる「会見」というものは精神的に著しい負荷である。精神科医はもちろんストップをかけた。2004年の事件の場合、「判断が甘かったのではないか」などと徹底して責められるという恐怖も甚大であった。
  本人の心身が少し回復したタイミングにようやく会見を開いたわけだが、そうした対応も批判された。
 週刊誌のなかには、いまだに「あの人は今」という記事で、元人質だった方に悪罵を投げつけるような報道をする社もある。

 以後、海外で活動するNGOやジャーナリストが海外で拘束されたり、殺害されたとき、家族の方々はただでさえ筆舌に尽くしがたい不安・悲しみに会いながら、同時に取材攻勢に苦しみ、どうバッシングをされないように細心の注意を払うか、を考えなければならなくなってしまった。
しかし、NGOやジャーナリストのようなバックグラウンドもない個人の場合、さらに無防備な立場に置かれてしまう。イラクで残虐に殺されてしまったのに、実に心無い報道やバッシングをされた青年がいた。ご遺族はどんな心情だっただろうか。
今回は企業の海外事業のケースで事情は異なり、「状況判断が甘い」などの批判等はないであろう。しかし、そうであったとしても、遺族の心情を無視した取材攻勢やプライバシーの侵害は、到底常人が耐えうるものではない。
もちろん、表に出て救出を訴えたい家族もいることだろうし、事実を語りたい被害者もいるであろう。しかし嫌だという人のプライバシーを無理やり暴く必要はないはずである。
今後、被害者の実名報道をするか否かについては、被害者や残された人々の意思に基づき、氏名の公表をするか否かが決められるべきで、被害者・遺族から非公開を求める要望が出された場合、実名を公表しない扱いを真剣に議論すべきだと思う。
また、ひとたび氏名が公表されたからと言って、いかなるメディア・スクラムにも耐えなければならない、いかなるプライバシー侵害にも耐えなければならない、というのは絶対におかしいと思う。
遺族の方々、帰国された方々の心境を思うと、これ以上の取材合戦が行われないことを切に望む。
そしてメディアに対して、本件に限らず、報道が過熱しがちなこうした事件について、実名が仮に特定された後であっても、被害者、生存者、遺族の心情を最優先し、心情を踏みにじるような報道被害を起こさないよう、明確なルール作りをするよう求めたい。
生存者、遺族の方々の心のケアを何よりも優先してほしいと願う。

Facebook 私の場合

私はFacebookを利用・愛用しています。
そしてFacebookたくさんの方からお友達申請をいただいており、ありがとうございます。
ところが、友達承認しないまま、随分と溜まってしまっているのが実情です。

私の場合ですが、Facebookにはかなり個人的な情報が書かれ、頻繁に近況をアップしています。
「今から被災地! 」「ステートメントを公表しました!」など前向きなものから、
愚痴や「風邪ひいた~」などへたれ的な発言、遊びにいく話などなど。
で、公私の区別はきちんとしたいと思っているので、本当のお友達に限って承認しています。

まず、知らない方、バックグラウンドがわからない方の場合承認していません。
最近は弁護士業務妨害もありますし、自分と考えの全然違う人や悪意かもしれない人に、無防備に思っていることをさらけ出したりしないほうがよいと思っています。
個人的に面識のない方の場合、メールを送っていただいて自己紹介いただいた情報や、基本データから「お友達になってもいいかも」と思う場合には、承認をさせていただいたりしています。

次に、大変申し訳ありませんが、クライアント(依頼者)の方からの申請は基本的に受け付けておりません。
これは、仕事とプライベートのけじめをきっちりとつけたい、ということなので、是非是非ご理解いただきますよう、お願いいたします。事件の相手方の代理人さん、事件の相手方の方も、もちろん同様ですね。
実は、クライアントの方から「先生のブログを読んでます」と言われ、うろたえたことがあります。
というのも、こちらのブログも特に読者を想定せずに初めて、日々思いついたことや体験したことを書いていたものですので。。。。
きわめてプライベートなので、実はクライアントの方に読んでほしくないのですけれど、公開している以上仕方がない、と思っているところです。
こちらのブログと同名で最近始めたヤフー・ブログは、こちらのブログに書いたオピニオン的な原稿だけをアップしています。

それと、元カレという範疇の方も、随分昔の話であっても、面倒な話が好きでないことから、申請いただいても承認しないことにしております。

というわけで、せっかく申請いただいたのに、失礼があるかもしれませんが、皆様、お許しくださいませ。

Facebookにはフィード購読という機能があるらしく、驚いたことに、私のFacebookをフィード購読していただいている方もいらっしゃるようです。しかし、Facebookのやり方にも習熟していないので、友達以外に公表している情報はものすごく少ないようです。がっかりされるかもしれませんが、すみません。。

それと、Twitterのアカウントも実はありますが、開店休業状態です。
震災の頃、情報収集にいいわよ、と言われてアカウントをとってみましたけれど、どうもTwitterのノリには全くついていけず、本当にただつぶやいている方のつぶやきを聞いても、あまりためにならず、発信についても、140字くらいにまとめてメッセージを送るらしいのですが、俳句を作ってるみたいで大変。
・・・というわけで、Twitterはやっていないに等しい状況です。

そんな感じですので、なんといってもブログを是非、応援していただけると嬉しいです。よろしくお願いします。

2013年1月23日 (水)

英語でOn TV


先日ブログでコメントしたインドにおけるレイプ事件の背景。
なぜだか自分ではよくわかりませんが、注目をいただきました。
Yahooでやっているブログに同じ文書を転載していますけれど、そちらのアクセスランキングがあがり、ツイッターで500以上、いいねで800以上の反響をいただきました。
どうもありがとうございます。
これまで国際問題の投稿は、皆さんの関心が薄く、どうしても日本の話をするほうがアクセスがよいのですが、今回注目いただいたのはなぜなのか? とても興味深いです。
平時のインドであのような残虐行為があるというのが衝撃だったのですね。

その関係で、メディアのインタビューもいくつかいただきました。

日曜日は「アジアにおける女性に対する暴力」をテーマに、NHK国際放送の収録があり、スタジオで全部英語でお話しする番組に出ました。
これまでBBC、NBC、スペインのTV等でインタビューに答えた経験がありますが、スタジオ収録は初めてなので、緊張しました!

スタジオにつくと、用意していた原稿のネイティブチェックが入って変更です、と直前に言われ、でも「原稿は見ないでください」と言われてしまい、どうしたらいいの-と頭が真っ白。

原稿をみずに、スタジオでキャスターさんと自然に会話しないといけません。
で、失敗して何回かやり直すことに。
テイクの合間にキャスターさんが親切になぐさめてくれました。

オピニオン系では、NHKの視点論点という番組に何回か出てきましたが、読み上げ原稿を見ながら前を向いて話すことができるし、なんたって日本語でいいのです。それでも間違っちゃうこともあるし、時間内に終わらなかったのしてやり直しがでると緊張するわけですが、英語に比べて全然楽だったんだ、ということに気づきました。

しかし、いくつになっても新しいチャレンジがあり、毎日恥をかいたり反省したのするのは、ありがたいことかもしれません。
主には海外向けの放送でしたので、微力ですが、意識歓喜・そして変化のきっかけのひとつになると嬉しいなと思います。

いま欲しいものは・・・ In Kind Donation


今、「誰か親切な方に助けてもらえないかな」とつくづく思っているものがあります。
それは、しばらく宿泊させていただける親切なおうち。
ジュネーブ、バンコク、そしてニューヨークでです。
特に何と言ってもジュネーブです。

私が事務局長をしているNGOヒューマンライツ・ナウは2006年に発足した国際人権団体ですが、ようやく国連の協議資格を取得して、国連で人権活動ができるようになりました。
欧米とも途上国とも違う人権に関する声を届けて、建設的な役割、欧米のNGOから見過ごされている、光の当たっていない問題等を取り上げていきたいと思っています。

国連の人権活動の中心はスイスのジュネーブで、年に三回、3ないし4週間ある国連人権理事会にできるだけ長く、出席したい。
しかしその障害となるのは、航空券代もさることながら、一泊2万円近いのが普通のホテル代。
なんとか1万円くらいのところを見つけても、2週間いくと15万円くらい。
よほどリッチなNGOならともかく、お金が高いので、ジュネーブに腰を落ち着けてロビー活動をすることができません。

ニューヨーク、バンコクも同様です。
ニューヨークにはオフィスもあるし、住んでいるメンバーもいる。でもジュネーブはだれもいないですからね。

というわけで、ジュネーブに行った際におうちに泊めていただける方を探しています。
それと、ジュネーブで協力してくださる方がいるといいなあ。
住んでいる方が、ボランティア的に、ロビー活動や情報収集に関わっていただけるのがベストです。

それが実現すると、随分いろんな展望が開けそうな気がします。

In Kind Donationとして、あなたの周りに、そんな方がいて、好意で受け入れてくださるような素敵な方のお心当たりがあれば、是非下記ヒューマンライツ・ナウ宛に教えてください。

http://hrn.or.jp/outline/

よろしくお願いします。

2013年1月20日 (日)

安倍政権「価値観外交」はどこへ向かう? 求められるのは真の人権外交である。

1 安倍政権の外交方針

1月18日安倍総理大臣は、インドネシアのユドヨノ大統領との首脳会談を行った後、共同で記者会見し、日本のASEANとの外交に関する5つの原則を発表した。

報道によれば、その内容は、「1. ASEAN諸国とともに自由、民主主義、基本的人権などの普遍的価値の定着と拡大に、ともに努力していく。2. 力ではなく法が支配する、自由で開かれた海洋は公共財であり、これをASEAN諸国とともに全力で守り、アメリカのアジア重視を歓迎する。3. さまざまな経済連携のネットワークを通じて、貿易や投資の流れを一層進め、日本経済の再生につなげ、ASEAN各国とともに繁栄する。4. アジアの多様な文化、伝統をともに守り育てていく。5. 未来を担う若い世代の交流を、さらに活発に行い、相互理解を促進する」とされる。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130118/k10014902761000.html

ここで注目したいのは、五原則のトップ「ASEAN諸国とともに自由、民主主義、基本的人権などの普遍的価値の定着と拡大に、ともに努力していく」点である。

第一次安倍政権が短命に終わったためにあまり進まなかった「価値観外交」が再開されると伝えられているが、その本気度はどうであろうか。中国封じ込めが先にあり、「価値」によってアジアを分断することが狙いで、その方便として「人権・民主主義」と言っているだけだとすれば説得力がなく、だれにも相手にされないし、アジア地域で人権活動をしてきた者の一人としては、許せない。

安倍首相の以下の英文論文などを見ると、「日中関係を向上させるうえで、日本はまず太平洋の反対側に停泊しなければならない。というのは、要するに、日本外交は民主主義、法の支配、人権尊重に根ざしていなければならないからだ」などと書かれ、中国のプレゼンスを牽制するための日本の軍事プレゼンスをアジアで高めることを意図し、その正当化として人権・民主主義を語っているように読める。

非常にきな臭い。

http://www.project-syndicate.org/commentary/a-strategic-alliance-for-japan-and-india-by-shinzo-abe

もし、軍事プレゼンスの拡大が本意なら、突如として人権・民主主義など持ち出さないでいただきたい。

そして、本当に人権や民主主義等の価値を実現するために日本が真摯な国際貢献をすることを決意したのであれば、言葉だけでなく具体的なアジェンダや行動が求められる。

2 日本の目指すべき人権外交

ヒューマンライツ・ナウは人権NGOとして、発足以来、日本政府に対し、人権外交を繰り返し求めてきた。これまでの提言には、以下のもの等がある。

(第一次安倍政権時) http://hrn.or.jp/activity/pressrelease070124.pdf

(鳩山政権時) http://hrn.or.jp/activity/advocacy.jpgobt20090907.pdf

私たちの基本スタンスは、後者の提言書で述べた通り、「私たちが提案する人権外交は、価値感の違いを理由に特定の国を排除したり、政治的意図や国益を背景に対立を助長するものでは決してないし、そうあってはならない。また、欧米の人権外交政策に単に追従するのではなく、相互理解と対話を前提とした独自の外交政策であるべきである。」という点にある。

この間、日本政府が確かに外交における人権・民主化について以前より積極的になったものの、私たちの提起した課題の多くは、いずれの政権でも十分に達成されていない。

日本は今も東南アジアの多くの国の主要援助国であり続けているが、東南アジアでは未だに深刻な人権侵害が続いている。例えば、カンボジアでもミャンマーでも、今も深刻な人権侵害が続く。日本政府に対し、その影響力を有効に行使してほしいという声は多く、カンボジアでは、政府の人権侵害をなくすために主要援助国である日本のより積極的な役割を求めて、多くの市民が日本大使館前でデモをする光景が昨年も多々見られた。

ところが、日本がその期待に応えるだけの役割を人権・民主主義に関する重要な局面で果たしているとは言えない。残虐な人権侵害が発生しても、タイムリーに明確なメッセージを明確にして影響を与えたり、解決のために動く、ということはまだまだ少ない。また、人権状況改善のプロジェクトにODA供与したり、人権監視・アドボカシーを行う市民社会組織に直接援助するということも稀である。

以前、外務省とのODA政策協議で「アジア地域において深刻な、女性に対する暴力をなくすための日本のODA援助案件として、過去にどのようなものがあり、どんなことをやってきたか」と聞いたところ、「アジアではそうした前例はない」という回答を受けて驚いたことがある。

現在のミャンマーの民主化に関する日本の援助政策を見ても、人権に関する支援の項目は非常に内容が薄い。もっと人権の伸長に直接役立つ効果的な支援をすべきである。

深刻な人権侵害が発生している国において、是正を求めないまま援助を続けることは人権侵害を助長する危険がある。援助を人権状況改善のためのさせるためのリバレッジに活用すべきだ。

また、国どうしの外交のみでなく、各国で人権活動を展開する有力な市民組織と強いパイプを確立し、彼らの活動をエンパワーすることも必要だ。欧米諸国の多くはかねて東南アジアの人権NGOと太いパイプを確立し、信頼を得ている。中国との関係でも、国内で改革を求める困難な市民やジャーナリスト、民間の人権活動家たちをサポートするポジティブな役割を果たすことが必要だ。

同時に、日本が欧米と異なる信頼・好意を寄せられてきた理由として、上から目線で押し付けずその国のオーナーシップを尊重する、人権を口実とする介入=軍事行動をしない、という要素がある。こうした長所を最大限に生かし、建設的で効果的な人権外交を進めることが必要だ。長年培った信頼や、平和国家という資産、欧米でも途上国でもないという独自のポジションから、日本はそれが可能な立ち位置にあり、人権分野で世界への好ましい貢献が可能なはずだ。

3 足元はどうか。

ただ、そのために足元をみるとどうだろう。

まず外務省では、人権人道課という課が人権外交を担当しているが、本気に人権外交を進めるには人員が十分とはいえないと思う。課を部に格上げするくらいの体制が必要だろう(民主党政権当時外務省の担当者からそのような期待があったようだが、実現していない)。

他方、人権外交という以上、日本が人権について他国から尊敬され、他国をリードするようなトラックレコードなのか、という問題がある。国際スタンダードである、政府から独立した人権擁護機関の設置(民主党政権で関連法案が出たが自民党は設置しない方針)、人権条約の選択議定書批准、という人権を尊重している国としてのミニマムな条件すらクリアせず、世界から取り残されている。この点では近隣の韓国、モンゴルが先に行ってしまい、東北アジアレベルでも説得力がない。

かえって、自民党憲法改正憲法草案では、現行の人権保障を大幅に後退させる改正条項案が提案されていて、本当に懸念される。

国際社会における人権の評価の重要な指標はジェンダー平等であるが、日本のジェンダー平等に関する国際比較はいつも著しい低順位のままである。そして、安倍政権が、国内のジェンダー平等の伸長に積極的かといえば、いったいどうであろか。

国際社会から日本の人権状況の改善が求められる課題が多々あることは国連の会議に行けば一目瞭然であるが、自分の国の人権状況の改善はサボタージュし、他地域の人権・民主主義には突如熱心に発言する、というダブルスタンダードは、明らかにおかしい。

まず、人権・ジェンダー平等という点で、足元である自国において、国際スタンダードに依拠した、誇れる政策を実施してこそ、他国も日本を人権先進国として尊敬するであろうし、人権分野で他国をリードする役割を果たしうる。

4  人権外交を標榜する以上は誠実な貢献を

このようなわけで、安倍政権の人権外交の本気度についてはいつくもの疑問が浮かび、課題も多々ある。

しかし、人権外交を標榜する以上は、国際スタンダードに基づく人権の国内外での実現に誠実に努力してほしい。真面目に政策を考え、課題を進め、誠実な貢献を現実に積み重ねるべきだ。

私たちとしては、人権NGOとして、これからも提言・アドボカシーをしていくのみである。最後に、2010年にあるメディアに掲載した私の文書をご紹介したい。私の想いはずっと変わらない。

◆ 提言直言(伊藤 和子氏)

▽ アジア外交 人権を明確に位置づけて

ノーベル平和賞が中国人権活動家の劉暁波氏に授与される。劉氏は中国国内で民主化を求める非暴力の活動を続け、その言論を理由に懲役11年を宣告されて 獄にいる。中国で自由を奪われている活動家は劉氏に限らず、今回の受賞は、中国で多くの人権活動家が弾圧を受けていることに改(あらた)めて警鐘を鳴ら した。同時に、今回の受賞は、世界第2の経済大国となった中国に、人権問題でも責任ある役割を果たすよう強く求めたものだ。

日本では、劉氏受賞の決定と相前後して発生した尖閣諸島問題を巡り、「中国とどう向き合うか」の議論が活発だが、対中強硬路線か経済重視の協調か、近視眼的な国益論に終始している観がある。

しかし、経済・軍事で力を増す中国は国内に深刻な人権問題を抱えている。対外的にもミャンマーなど世界の人権侵害国に多額の経済援助を進め、後ろ盾の役 割を果たしている。開発独裁を続ける国を抱えるアセアン、著しい貧富の格差のもと軍事化が進む南アジアも含め、今後世界への影響力を確実に増すアジアが 人権尊重や民主主義を尊重する地域となるのか、世界が懸念している。

日本は、人権・人道・平和を標榜(ひょうぼう)する国にふさわしい役割をアジアで積極的に果たすべきだ。外交に人権を明確に位置づけ、地域で苦境に立つ 人々への貢献を大局的に考える必要がある。人権外交は、価値を踏絵に対立をあおるものではない。劉氏らの釈放やミャンマー問題も含め、内外の人権課題に 関する中国への意見表明と対話を、躊躇(ちゅうちょ)せず強化してほしい。

中国全土には、土地・環境・労働問題など苦境にある人々のために活動する草の根の人権活動家も多数いる。日本にはこうした市民社会の努力を助ける役割も 求められている。

日本・韓国・中国・北朝鮮を含む東北アジア地域への国連人権高等弁務官事務所招致にも日本は積極的になるべきだ。

初めて女性最高裁判事が三人に。最高裁に風穴をあけてほしい。

政府は18日の閣議で、東京弁護士会所属の鬼丸かおる弁護士を最高裁判事に任命する人事を決めたという。

http://www.asahi.com/national/update/0118/TKY201301180323.html

女性の最高裁判事は5人目となるが、同時期に最高裁に三人の女性判事がいるというのは史上初めてのことだ。また、弁護士出身の最高裁判事は多数いるのだが、これまで生粋の女性弁護士が最高裁判事になることはずっとなく(第三小法廷の岡部喜代子判事は判事⇒弁護士⇒学者というキャリア)、これはなんとかしなくてはと思っていただけにとても嬉しい。

女性が重要な意思決定に参加できるかを示すジェンダー・ギャップ指数で、日本は世界の100位周辺を低迷している。

法曹界の男女共同参画も本当に進んでいないが、なかでも最高裁は重要である。

言うまでもないことだが、司法は三権の一翼、最高裁は憲法の番人・人権の砦だ。1980年ころからか(もっと前からか)古色蒼然たる官僚司法の総本山のような機関になり、行政追認・検察追随の冷たい判断で人々を失望させてきた。

しかしとにもかくにも憲法判断という重要な判断を担うのであるから、そうした意思決定プロセスに女性が参加すべきば当然だし、そんな官僚司法に風穴を開ける力強い契機になる。

ところが、長らく、この重要な意思決定プロセスから女性は排除されていて、初めて女性の最高裁判事が就任したのはなんと1994年!

初代は労働省婦人少年局長だった高橋久子さんである。私は彼女の判断にとても注目していた。

長年司法界の人々を観察してきたが、司法界にどっぷりつかり、司法消極主義・司法反動、という時代を生き抜いてきた人は、正義や良識に基づく思い切った司法判断ということがなかなかできず、裁量の幅がものすごくように思うことがある。

特に出世を意識する司法界の男性には、どこを切っても本音を見せないことを特技として数十年生き続け、ようやくポジションを得て自由になった年頃には何が本音かわからなくなっている、というような人もよく見かける(意味がない)。

その点、高橋裁判官は、司法界以外、そして女性という立場で、とても率直で正義感あふれる判断をされていたと思う

常に市民的な良識を最高裁に反映させようと努力されていたとご本人も言われていたし、実際にそうであった。。

実際私自身、高橋裁判官が主任をされていた「調布駅南口事件」という少年冤罪事件で、「そもそも起訴が違法」という画期的な判断を出していただき、そのシンプルだが良識にかなった判断に感動した。

http://www.nichibenren.or.jp/activity/document/statement/year/1997/1997_21.html

また政教分離の事案で違憲判決を出した際は、最高裁の主流が相対的分離説を採用しているので、リベラルと言われる弁護士出身の最高裁判事も相対的分離説に乗って違憲判断をしたのに対し、高橋裁判官はひとり絶対分離説による補足意見を書かれたということで、リベラルを自認する最高裁判事を反省させたという。

その流れは、同じ厚労省出身の桜井龍子現最高裁判事も引き継いでいらっしゃるようで、先日桜井判事にお会いした際には、初代の高橋裁判官の歩みを胸に刻まれて最高裁で奮闘されている様子をお話しいただいて、とても心強く思った。

最高裁判事は、キャリア裁判官だけでなく、省庁、弁護士会、学識経験者などが判事になるので、もともとキャリア裁判官による官僚司法に風穴を開けることのできる、市民参加に類するような性格がある。

最近では第三小法廷などで、刑事事件の有罪判決について、キャリア刑事裁判官の意見を他の裁判官が批判して、破棄して無罪を言い渡すような事件も出てきて、キャリア以外の裁判官がお飾りでない存在感を発揮しつつあり、この傾向が一層進むことを期待したい。鬼丸先生に是非がんばっていただきたい、と思う。

とはいえ、国民の半数は女性なのだから、三人で十分でないことはもちろんで、将来的には半々となるべきだ。

そして、次に女性弁護士から最高裁に入る機会があれば、是非とも、草の根レベルで女性の権利の問題に系統的に取り組んできた人になってほしい。日本の司法は未だにジェンダーバイアスに基づく判断も少なくないし、世には男女差別が充ち満ちて、女性の社会進出も進んでいない。そうした状況を最高裁から変えてほしい。

また、最も不思議なのは、いまだに女性裁判官から最高裁判事になった人がいないということである。裁判所にあれだけ女性裁判官が活躍してるというのに、一人の女性最高裁判事も輩出していないというのはいったいどういうことであろうか。このあたり、裁判所の人事における根強い男女差別を感じる。

今や日本には、高裁の長官や地裁の長官、最高裁上席調査官を務めている女性裁判官もいるのだから、一刻も早く最高裁に女性のキャリア裁判官が入ってほしいと思う。

アメリカでも、オバマ大統領がどんどん女性を最高裁判事に指名しているが、私は初の女性・米連邦最高裁判事のサンドラ・デイ・オコナー判事を尊敬していて、英語の伝記も買って読んでしまった。

彼女の判決は常に緻密で理路整然としていて、かつ良識にあふれ、リベラルとコンサバティブが拮抗する連邦最高裁において、彼女がキャスティング・ボードを常に握っていた。私が米国留学していた当時、対テロ戦争でアメリカの人権がとても危機にさらされていた時期だったが、彼女が主任裁判官となっていくつかの重要な最高裁判決が出され、アメリカ合衆国憲法のセーフガードの役割を毅然と果たしていた。ほかにも歴史の節目節目でアメリカの良識を形成する判断を下していて本当にまばゆい活躍であった。

連邦最高裁に臨む弁護士は、どんな理論なら彼女を説得することができるかに心を砕き、ロースクールでは「彼女はなぜこのような判断をしたのか」が議論になる。

日本でもそうした女性法曹が時代を切り開く時代が来ることに期待する。

2013年1月 9日 (水)

今年こそ、87歳になる奥西死刑囚を救い出す年に。

1月14日は、私が弁護登録以来、弁護団に参加している奥西勝死刑囚の87回目の誕生日だ。

昨年5月の不当決定後、体調を崩し、八王子医療刑務所に収容されている。

死刑囚への面会、手紙は日本では不当に制限されているが、弁護人なので、手紙は自由に出せるし、時々面会に訪れている。

今日バースデーカードを書いて、明日には投函する予定だ。

1961年に発生した名張毒ぶどう酒事件で、奥西氏は妻ら5人の女性を毒殺したとして逮捕され、一審無罪となる。

しかし、高裁では虚偽の科学鑑定が出され、逆転死刑判決。最高裁も1972年にこれを支持。

以来、獄中から無実を訴え、裁判のやり直しを求め続けて今日に至っている。高裁で唯一の物証として死刑判決の根拠となったぶどう酒の王冠の歯形が奥西氏の歯形に一致するとの鑑定はすでに虚偽であることが明らかになっている。

さらに、弁護団は、死刑判決で、使用された毒物として特定されていた農薬ニッカリンTが実は使用されていなかったことを科学鑑定で明らかにした。

2005年には、ついに名古屋高裁が「毒物が違う」との科学鑑定等を根拠として再審開始決定を出したが、2006年には異議審(門野博裁判長)が捜査段階の自白を重視し、鑑定結果について非科学的な根拠でその証明力を否定して逆転して再審請求を棄却、最高裁は2010年、異議審の判断に誤りがあるとして再び名古屋高裁に事件を差し戻した。

差戻し後、検察は最高裁での主張を撤回、検察が異議審、差戻審で提起した仮説は、裁判所が選定した鑑定人の鑑定により否定された。

とこが、2012年5月に裁判所は再び再審を認めない、との決定を出した。それは鑑定人も述べていないし、検察も主張していない、独自の仮説を裁判所がたて、独自の推論に基づき、毒物がニッカリンTでないということは明らかとはいえない、からだという。

そもそも、毒物がニッカリンT出ないという合理的疑いがあれば、総合的な証拠の評価により、「疑わしきは被告人の利益に」原則に基づいて判断を下すのが、再審の鉄則であるが、裁判所が独自の可能性を机上の空論で持ち出し、ウルトラC級の可能性を考え出して「だからニッカリンTでないとまでいえない」などとして再審の扉を閉ざすなど、あってはならないことであり、証拠裁判主義にも反しているし、疑わしきは被告人の利益に原則に明確に反している。

弁護団は直ちに最高裁に特別抗告をし、昨年12月25日に最高裁に新しい実験結果とともに意見書を提出した。

内容は、あまりに専門的にわたるので割愛するが、2012年5月の差戻裁判所の決定が呈した論拠、および突然持ち出した独自の推論が専門機関の実験の結果、全く間違っていたことを明らかにするものである。

直後の報道(このページ、事件の詳細な記録もまとめられてて嬉しい)はこちらである。

http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/nabari_case/

裁判所はもうこれ以上、後で否定されるような非科学的な机上の空論を持ち出して、正義を否定するようなことをしないでほしい。

もうたくさん、恥の上塗りである。2004年の再審開始決定から約9年、この不毛な引き伸ばしで奥西氏は今年87歳になる。

正義への執念で生き続けられているが、残された時間がたくさんあるとはだれにも言えない。

もしこのまま再審を開始しなければ、国家が意図的に無実の人を獄死させることになりかねない。

どうしても生きて救い出したいと思う。

二度もとんでもない非科学的判断をした名古屋高裁には、事件をこれ以上差し戻さず、人権の砦であるべき最高裁として公正な判断を急いで出してほしい。

相次ぐ再審無罪の流れで死刑再審だけは司法が頑迷である。司法は死刑判決が否定されれば、司法の権威が根本から否定されると考え、権威を守ろうとしているのかもしれない。しかし、袴田、飯塚など、ほかの死刑再審事件も、科学証拠により死刑判決の誤りが明らかになりつつある。誤った権威をなりふり構わず守ることではなく、誤った判断を勇気をもってただすことこそ、正義の砦である司法の役割だ。

今年は死刑再審が開始される年になると期待したい。

奥西さんの闘いについて、映画『約束』が、2月16日から東京・ユーロスペースを皮切りに全国公開される。

公式ウェブサイト  www.yakusoku-nabari.jp

主演は仲代達矢さんで、出演・制作の皆様に心から感謝しています。

是非、皆さんに知っていただいてもっともっと注目してほしい。

2013年1月 8日 (火)

インドを揺るがすレイプ殺害 なぜ悲劇が後をたたないのか

残虐極まりないレイプ殺人事件がインドを揺るがしている。
昨年12月、23歳のインドの女子学生がバスのなかで、酒に酔った6人の同乗者から次々と集団レイプされ暴行を受けて、その後死亡した。
犯罪者たちは、鉄パイプで彼女を殴り、鉄の棒を用いて性的な暴行をしたのだという。この過酷な性的暴行により彼女は腸管を損傷、臓器不全に陥ったという。バスから裸同然で車外に放り出された後も、しばらくは警官や通行人も彼女を助けようとしなかったという。

彼女はその後、病院で手当てを受けたが、手術の甲斐なく入院先のシンガポールで死亡した。
インド全土で抗議デモが全土に広がり、規模を広げ、激しさを増しており、インドは騒然としている。

あまりにも残虐なレイプで怒りを禁じえない。
しかし、現実には、こうした残逆な女性に対する暴力は、インドにおいては後をたたない。そのことを人々は再認識したのだ。

夫が死んで火葬されるときに、一緒に妻も火に身を投げて殉死せよと周囲が迫り、自殺を強要させるサティという慣習は近年まで続いてきた。

持参金を支払わない嫁から持参金を絞り上げるために虐待し、支払えないと腹いせに火をつけて燃やしてしまうダウリー殺人はいまだに後をたたず、残虐なDVで妻を殺害する事件も枚挙にいとまがない。

求婚を拒絶されると顔に硫酸をかける硫酸攻撃、独身や夫に先立たれた中高年女性に「魔女」とレッテルをはり、魔女狩りと称して死ぬまで暴行を続ける暴力。

女性の権利を守る活動をする若い女性をコミュニティの男性が疎んじてレイプした上に両腕を切り落とすという暴力。

こうした女性に対する暴力はインドで繰り返され報道され、報道されることもないまま犠牲になる女性たちがどんなに多いことかと思う。

今回の事件が発生したのはインドを代表する都市ニューデリー、どこかの保守的、Exremeなコミュニティで発生したのではない。いかに残虐な暴力が蔓延しているかを改めて認識させるものだった。

NGOヒューマンライツ・ナウでは、2009年に調査報告書を公表しているが、インドにおける女性に対する暴力の残虐性は、日本人にとって想像を絶する過酷さであり、調査時には「どうしてそこまで」と絶句したものだ。

その原因はなんであろうか。

暴力の残虐性や、女性に対する差別意識の根深い浸透など、長年の慣習・気質については理解しがたく思うことがある。
その一方、よくわかる背景もある。

ひとつには不処罰の横行がある。女性がいかに残虐に虐待され、結果として死に至ったとしても、暴力をふるった者が有罪判決を受けることは本当にまれである。
捜査機関は、女性が殺されたとしても深刻に受け止めることなく、きちんとした証拠収集も行わず、多くの場合立件すらしない。証拠が保全されないため、また、裁判所が女性に対する暴力を軽視しているため、多くのケースが極めて不合理なかたちで無罪となる。そしてそもそも、インドでは慢性的に刑事裁判が滞留しているため、一つの有罪判決を勝ち取るために7年、10年とかかるのが通常である。
遺族の多くは、有罪判決を待ち続けるよりも前に、司法制度に絶望し、わずかな金で示談して事件を終結させてしまう。
昨年は、レイプの被害者の女性が警察に被害を訴えたところ、警察から加害者と結婚するよう逆に進められ、絶望して自殺してしまったという事件も起きている。

性犯罪をきちんと捜査し、適切な司法判断をし、不処罰を乗り超えようとする意志が司法関係者、捜査関係者にみられない(長い報告書ですが、よろしければお読みください。http://hrn.or.jp/activity/topic/post-37/)。

こうした不処罰の横行は、女性はどんなに残虐に虐待しても罰せられない、いくら虐待してもよい、という不処罰の文化をつくっているように思う。
社会に横行する女性差別、そしてカースト差別が結びついて、特に低カーストの女性には何をしても許される、という雰囲気が社会に充満し、警察や通行人すら、裸同然にされ、重傷を負った被害者女性にすぐに手を差し伸べることもないという状況をつくりだしたのではないだろうか。

女性たちはこうしたこと、長年抗議し続けても全く変わらない現実にフラストレーションを募らせ、怒りを爆発させているのだ。

容疑者たちのうち、少年をのぞく5人は訴追され、7日、ニューデリーの裁判所に出頭し、これから司法が裁くことになる。
政府も性犯罪捜査の徹底をしていく考えを示した。
過熱した世論の要求は入り乱れており、性犯罪への死刑導入も含むさらなる厳罰化や、加害者への肉体的懲罰も含めた検討、少年法の改正(厳罰化)が提案されている。


しかし、必要なのはもっと基礎的なことだ。女性に対する暴力被害が全く救済されず、加害が放置され、横行している状況をきちんとやめさせることだと思う。

警察や公務員が女性を性犯罪から守る責務をきちんと果たすこと、女性を守るための適切な警察官等公務員の人員配置を行うこと、性犯罪被害に関するきちんとした捜査と証拠保全を行い、早期に判決を出すこと、裁判官や司法関係者の性的偏見をなくすためのトレーニング・教育を徹底することである。
子どもたちに対する教育も徹底する必要がある。

インドには活発な女性運動があり、NGOがある。
NGOによるトレーニングや女性を守る警察官の創設など、一部のグッド・プラクティスはこれまでもインドのあちこちであったけれど、政府や司法には解決のための政治的意思が見られず、一部の先進的な取り組みでは焼け石に水、全体にひろがっていない。
インドは法改正が得意な国であり、問題が起きるためにエリートによる審議会がつくられ、法改正をしてきたが、現実には、いかに素晴らしい法律も絵に描いた餅に終わり、明確なレイプ事件でも犯人を無罪放免にしてしまう実態に堕するということを繰り返してきた。

いかに素晴らしい法改正を繰り返しても効果がないので、これ以上法改正するならば、人権上問題がある強硬手段的法改正に踏み切らざるを得ないというプレッシャーを立法府は感じているはずだ(たとえば警察官による性犯罪については刑事裁判の原則である無罪推定原則が覆され、立証責任が転換された)。

しかし、そうした方向性は人権上の問題があると同時に、被害者救済や不処罰をなくすためには実は実効性がなく、真の解決にはならない。
それは繰り返された歴史が示している。

問題は法律を実行する執行体制、性犯罪の被害者を保護と予防の体制の構築であり、公務員の意識の抜本的転換、捜査機関・司法の機構改革であり、そのための政府の強い政治的意思なくして解決はないだろう。

サティや残虐なダウリー殺人があかるみになるたびに、インドでは、全土で抗議運動が展開された。
今回、かつてない規模に広がった抗議運動は今度こそ、インドの現実を変えることができるか、注目していきたい。

2013年1月 6日 (日)

10兆円規模の補正予算はまず被災地に。福島の長期避難者の移住を最優先で支援を。

安倍内閣は15日にまとめるとされる今年度補正予算案は、10兆円ほど、景気対策の柱になる公共事業は国費(国の支出)が2兆円を超え、自治体などを含めた事業費ベースでは3兆~4兆円になる見通しだという。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130105-00000004-asahi-pol

大盤振る舞い、バブルの種まきと報道されているが、なにより懸念されるのは、

景気対策に優先が置かれ、無駄遣いされて最も必要なところに手が回らないことだ。

民主党政権下では19兆円の復興予算が無駄に使われるという極めて犯罪的な事態が露呈したが、その再来は絶対に許されない。

NPO法人ヒューマンライツ・ナウでは、被災地をつぶさに調査し、法律相談活動を展開しているが、被災地の実情は極めて深刻である。

気仙沼の仮設住宅は、ハザードマップ上の建設されているものがいくつもあり、

高齢者ばかりの仮設住宅は山間部できわめて寒く、高齢被災者の「せめてもの」要望に応えて、入口にスロープを設置する動きすらない。

高齢者・障がい者が多い、条件の悪い仮設住宅の住民には一値日も早く恒久住宅・復興住宅が整備されるべきであるが、一向に進んでいない。

多くの津波被災地では高台移転が進まず、現実性に乏しい巨大防潮堤の建設が住民の反対を無視して進められようとしている。

こうした状況を民主党政権は放置してきたし、巨額の復興予算にも関わらず、被災者にはほとんど還元されていない。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2013010602000080.html

何より、問題なのは、福島の長期避難者の方々である。

仮設住宅での生活も不便であるうえ、

賠償についても、帰還についても、当面数年間、数十年間の長期的な居住や生活についても、何も明確な方針が決められず、住民は兵糧攻め、リンボーの状態に放置されている。

12月25日、双葉町の方々が避難されている騎西高校避難所にお邪魔し、避難者の方々から生活実態をうかがった。

未だに体育館や教室での雑魚寝状態、プライバシーもない生活、炊事施設がなく、食糧支援が打ち切られたことから、コンビニで購入したものをレンジで温めて三食を補っているという。三食購入できる予算がないので、1食はカップラーメンにする、三食食べないという話も聞いた。

長期的な賠償は進まず、月額の精神的損害の賠償はローン返済に回って手元に残らず、将来展望を描けないでいる。

原発事故の影響を最も受けた人達、最も手厚く国から支援されるべき人達が、被災者であるがゆえに、やむなく避難を継続しているがゆえに、罰せられている、見捨てられているとしか言いようがない現状に絶句した。

国では、中間貯蔵施設を同郡大熊町、双葉町、楢葉町の3町に設置する方向で調査を開始しようとしているが、放射能汚染、未だ不安定な福島第一原発にさらに中間貯蔵施設ができれば、住民が安全に帰還して生活できる状況とは到底いえない。

大熊町、双葉町、富岡町、浪江町は、早期帰還ではなく仮の街をつくることを決断しているという。

しかし、井戸川町長によれば、中間貯蔵施設の話だけが具体化し、移住先の提供に関する国や県からの提案はなく話が全く進んでいないという。

国はまず、福島の人たちがコミュニティごと移住できる街をつくり、そこに産業も誘致し、また事故前に営んできた生業ができるような措置を最優先で講ずるべきである。

そして、これらの地域よりは汚染度が低いとはいえ、福島には自然放射線を除き年間1mSvを超える地域が広範に広がっている。

こうした地域はチェルノブイリでは「避難の権利」つまり住民の選択により避難したいとのぞめば、避難の支援、避難により失う財物等の全面賠償、避難先での住居・就業支援を国が責任を持って行う地域とされていた。事実、多くの住民に移住先を提供し、本格的な移住支援政策をとってきた。

日本の政策はそれにはるかに劣っており、チェルノブイリ事故で有効でないと判断された除染という手法に巨額の資金とプライオリティを置くばかりで、住民を心身ともに疲弊させている。

特に、年間5mSv以上の地域は、日本の国内法でも「放射線管理区域」とされ、一般人の立ち入りが禁止されており、管理区域での飲食や睡眠をとることは何人でも許されていない。

ところが、福島県のいたるところに年間5mSvを超える地域があり、妊婦や子ども、乳幼児、将来子どもを産む若い世代も住んでいる。

このような事態を放置するのは法治国家として考えられないことである。

仮の街を求めている自治体住民だけでなく、こうした、本来「避難の権利」が認められるべき人達も受け入れ、移住を支援できるような街・コミュニティをつくることも必要である。

こうした提案もないまま、中間貯蔵施設の調査だけを進めるのは本末転倒であろう。

早急に年間1mSvを下回る候補地域を選定し、誠意をつくして移住支援策を提供してほしい。

福島県内に適切な地域がなければ県内にこだわらない決断をすべきである

自民党幹事長の石破氏が総選挙後にテレビ番組で公共事業政策に関連して「住んでみたくなる街をつくる」という発言をしていたので少し驚いた。

それは、私が昨年末、井戸川町長が移住先・仮の街として想定しているキーワードと期せずして同じであったからだ。

様々なバッシングを受けているが、「住んでみたくなる街」を井戸川町長は目指して本当に奮闘してこられた。

公共事業を進めるのであれば、ゼネコンを儲けさせるよりも、何よりも先に、最も苦しみ、展望を見いだせないでいる福島の避難者の人たちの役に立つ公共事業を最優先にすべきだ。

仮の街、移住先の責任ある提供から進めるべきだ。

そして津波被災者の方々の復興のための恒久住宅整備や高台移転、街づくりである。

後手後手に回って人々を絶望させるのでない、未来志向の政策を要望したい。

すでに被災者の人々の多くが希望をなくし、政治不信は甚だしい。

政治の信頼を回復するために、待ったなしだと思う。

こうした観点から、有権者として、厳しく補正予算の使い道をチェックしていきましょう。

« 2012年12月 | トップページ | 2013年2月 »

フォト

新著「人権は国境を越えて」

2021年2月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28            

ウェブサイト

ウェブページ

静かな夜を

リスト

無料ブログはココログ