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2012年12月 3日 (月)

「優しい関係」 

私の好きな小説のなかでは、ライト・ノベルの部類に入る、フランソワーズ・サガンの「優しい関係」。
サガンの小説でも、「ブラームスがお好き」などは、
パリにアンニュイな恋愛を描いていて、
中年に差し掛かる女性の底知れぬ悲しさ、諦め、という感じで、
「昔はフランス女性もこんなに男にひどい目にあい、生きづらかったのか!」と
読んでいてつらくなるくらだけれど、
この小説「優しい関係」はそれとは一転して、陽光のハリウッドを舞台に、愛すべき一人の女性を中心に、なかなかやっかいな人生の楽しさを賛美して明るい。
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それは主人公、ドロシーの心がけによるものだと思う。

彼女の美徳は寛大である。
様々な山あり谷ありの人生を経験し、失敗も繰り返し、人生がままならぬことを
知っている彼女は、自分が完ぺきだと思っていない。
だから自分にもある種寛大であるし、他人にも寛大である。
ジャッジメンタルでないのだ。
そしてどこか達観して゜自分の欠点も認めて、人生を謳歌している。
だから老けることなく、心が若い。
愛と孤独と魂の自由を、ともに愛している。
そこには、著者、サガンの人生哲学も色濃く投影されているように思う。

40歳を過ぎて、別に誰をも愛さずに、とても幸福であるという彼女、
そこに彼女を愛してやまない二人の男性が出てくるのだが、それは道理というもの。

私は特に、最初の方にでてくる「土曜日の庭いじり」の話が好きで、
女性は罪もない楽しみをひとりで見つけるものなのだ、と共感した。

20代のころからこの小説を読んで気に入り、自分もそんな女性でありたい、
40歳を過ぎた頃に、彼女みたいな素敵な、肩の力の抜けた、
他人の視線や既成概念にとらわれず、自分の道をごまかしなく歩む女性でありたい、といつも考えていた。
いつも大切にしてきた美徳は「寛大である」こと。

そんなことを考えつつ、近年忙しくしていたら、主人公の年を越えてしまった!
それでも、未だにドロシーは素敵な女性として私のお手本である。
ストレスのたまる日本社会で、ときどき眉間にしわがよりそうになることもあるけれど、
そんなときは、この本を枕元に置いて、心を柔軟に、
寛大に、楽観的にしようと思うのです。

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