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2012年10月21日 (日)

秋葉原VS原宿 街をにぎわす女の子たち

私の事務所は秋葉原で、家から渋谷をとおって通勤している。
そこで、秋葉原にいる女の子と渋谷や原宿にいる女の子の違いを比較して観察すると面白い。
秋葉原にいる女の子は本当にアニメから抜け出てきたみたいでかわいい。
その子たちがチラシを配ったり売り込みをするので、男たちはみないかにも嬉しそう。
私から見ても完璧にかわいくきまっている女の子集団が出没するので、楽しい街であることは間違いない。
特に土日は、街自体もテーマパークのようである。

しかし、気が付いたのは、秋葉原で現れる女の子たちが、誰から見ても好感がもてるような髪型・服装にすごく厳密に計算されていて、画一的に規格化されていること。
特に、男の子がこうあってほしい、と思う願望をそのまま切り取ったような少女趣味の女の子、アニメに出てくる素敵な女の子なのだ。
彼女たちは自分の意思で装ってるのではなく、プロデュースする人間が、男の目から見てかわいく見えるスタイルを綿密に計算し、男性のニーズや美意識からみて完璧なスタイルを決定し、彼女たちに装わせている。
プロデュースする側が綿密に男性ニーズを計算した結果の成功なのだ。
それに引き換えると、原宿駅周辺にいる女の子たち、竹下通りにいる女の子たち、渋谷駅周辺の子たちはどうだろうか。
詳細に描写するのは控えたいけれど、以前のヤマンバ・ギャルやら、自己流のロリコンファッション、けばけばしいダンス・コスチュームなど、
みんながまゆをひそめるような女の子を見かける。女性からも好かれないだろうし、男性に好かれるとも思われない。
彼女たちは自分たちのためによかれと思って、自らのプロデュースで装っている。
抑えきれない欲望、自意識と自己顕示欲、私は私という意識が彼女たちをしてそのように装わせているのであろう。
私も高校生当時はよく原宿に行っていたが、しがらみにがんじがらめの地元では自己を解放できない。
休みの日に原宿にきて、普段はなりをひそめている本当の自分を解放するのだ。
その意味で、彼女たちは他人の戦略ではなく、自己の決定で、テリブルではあるが、装っている。
だから、感じがよいのは圧倒的に秋葉原の女の子だけれど、人為的な彼女たちより、原宿などにいてまゆをひそめてしまうような女の子たちも応援したくなる。

ある種、ジェンダーな問題ですよね。

男の戦略に乗っかって従順に従い、女が成功するとしても、それは本当の成功といえるのか。
自らの戦略で突っ走り、四面楚歌になって失敗しても、女が自力で立ち直って傷つきながら自分の道をごまかさずに進んでいくほうが幸福なのか。
とはいえ、多くの女性は現代社会において、みんなに受け入れられつつ、賢く自分を追及していこうとするものなので、決して二者対立ではないことが多い。
秋葉原に来ている女の子たちも、職業として演じているわけだしね。

心配なのは、秋葉原にいる男の子たち。
アニメに出てくるような女の子をこよなく愛しているけれど、本当の女は、アニメどおりではなく、ひとりひとり違う。
自分の意思で装ったり行動すれば、男の子たちの願望通りにはいかない。
あの街で増幅されている、現実離れした女の子たちに対する幻想が、多くの男子をリアルな恋愛から遠ざけているように思えてならない。

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