オスプレイ配備はあまりにひどい。
先週土曜日にヨーロッパ出張から帰国した私は日曜日に京都で講演、翌日10月1日は裁判で朝から鹿児島に出張というスケジュールをこなしていた。
台風一過の輝くような朝、京都から鹿児島に降り立ち、空港でラジオを聞いていたら、陽気な女子アナが「え、種子島にオスプレイが飛んでるう?」「うそでしょ」・・・なんて会話している。まさか。しばらくして真面目な声で「種子島上空を・・」と読み始めた。そうか、同じころに同じ方向に向いて飛んでいたのか。身近なところにノーマークでオスプレイが通る恐怖にぞっとした。
そして、しばらく日本を離れているうちに、あれだけ反対運動が明確な配備反対の意志を示したというのに、強行配備されてしまった、という現実にあっけにとられた。沖縄の人たちのことを考えると、胸がはりさそうになる。あれだけ沖縄の人々がみんなで反対し、県知事、市長も含めて総意を示しているのに、強行配備されてしまった現実を、本当に信じることができない。民主主義とはなんなのだろうか。
全国知事会も反対の声明を出しているのに、沖縄がこれだけ反対しているのに、政府は平然と「安全宣言」を行い、それによって配備が可能となった。
こんなことが本当に許されるのだろうか。
昨年の9月(1年前)、そういえば私は機会があって沖縄に行った。たまたま与党(!)の国会議員が一緒だったこともあり、普天間基地について宜野湾市役所の担当の方が丁寧に説明してくださった。誠実で切々とした説明はしかし、とても許せないような内容だった。
本当に民家のまんなかにある危険な基地。日米で、普天間に関して、飛行経路に関する協定や安全協定などを締結しているという。しかし、明らかにこれを無視した飛行形態が常態化しているというのだ。
私は横田基地の騒音訴訟の弁護団に参加していたのだが、横田基地でも日米合意を無視した飛行がしばしばある。しかし、話を聞いている限りにおいて、普天間における合意無視というのは、東京にある横田基地の比ではない、ほとんど反故にされ、無視されているような状態だった。ところがそれを日本政府は是正しようとしない。明らかに沖縄差別だ、沖縄を犠牲にしているのだ、と改めて怒りを覚えた。
何か、オスプレイの飛行に当たっては安全に配慮する等と言っているようだが、これまでの違反の実態からみて信用できる話ではない。
何より考えるべきは、オスプレイは、ハワイやニューメキシコでは住民が反対して、飛行できないということだ。米国本国では、住民の声や安全を尊重して、オスプレイを飛行させることができないというのに、どうして日本ではこれだけの反対や懸念を無視して、これほど危険なのに飛行させるというのだろう。日本人は同じく尊重されるべき人間だと思っていないのだ。
アメリカは日本人を見下し、沖縄の怒りや懸念をまったく一顧だにしない。
「もうこんなところでは暮らしていけない」と追い詰められたように住民がコメントするのをテレビでみた。もし、住民が出て行かざるをえなくなり、米軍が居座ることになるとしたら、、、彼らの生まれ育った土地なのに、どうしてこんなことになるのだろうか。
住民を犠牲にし、どこまでもイエスと言い続けなければならない屈辱的な二国間関係でよいのだろうか。
政府には、国民の利益や安全を守る責務がある。真剣に考え直してもらいたい。
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