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2012年9月13日 (木)

ナオミ・クライン「ショック・ドクトリン」を読んで。

ナオミ・クラインのショック・ドクトリンをようやく読み終えた。
アーレント、サイード、チョムスキー、ソンタグ、
などをこれまで読んできたけれど、
最近読み応えるある、混迷する世界をどう考えればよいか、
という問いに応えて鋭い分析を提示してくれる書籍が
本当に少なくなったように思う。
そんななかで本書、久しぶりに傑作を読んだ気がする。

本書は東日本大震災後の日本を警告する書籍として
話題になったが、惨事便乗という枠を超えて、
ミルトン・フリードマンに始まる新自由主義のイデオロギーと
その貫徹、国際金融機関と米国支配層(企業および
政府要人とその癒着構造)によるこの作戦遂行への
共犯関係を見事に喝破している。

私がこれまで、政治、体制移行、さらにいえば人権侵害
という視点からのみ、自分なりに相当の注意を払って
観察してきた歴史的事象について、抜けていた観点が
明らかにされた。
私が見ていたのは歴史の縦糸に過ぎず、横糸は完全に
看過してきたことに気付く。
まさにパズルのMissing Pieceがはまり、全体像が明らか
になった感がある。
表面的な事象に心奪われて、世界の裏側で進行していた
ことについて、私は適確に見抜けてこなかったんだな、
と思う。そのことを痛切に反省した。

本書に批判されているとおり、このような傾向、ショックの表面的
事象に心を奪われるという現象は、人々が陥りやすい傾向で
あり、特に人道家や人権活動家もその傾向に陥りやすいので
要注意である。

表面的なショックに心を奪われ、表面的で衝撃的な物事の
事象のみを取り上げて糾弾し、あるいは心を痛め、あるいは
心が折れてしまい、あるいは人道的・人権に即した解決を見出そうとする。

しかし、そのような表面に心を奪われている間に、肝心の支配は進行しているのだ。

例えば私はラテンアメリカの米国主導による軍事独裁政
権の卑劣な政権転覆やその後の拷問・強制失踪という
事態について研究してきた。
そして「正義」という観点から、その後の民主化と人権の
回復について論評したりしてきた。

例えば、イラクにおける米軍の軍事行動がいかに国際人道
法に違反するのか、ひとつひとつの戦争犯罪行為について
告発をしたり、グアンタナモ基地における収容者への拷問を
告発し、釈放を勝ち取るための弁護活動に携わったりした。

南アフリカやその他の「移行期」の国々を見る視点は、
Transitional Justice(移行期正義)という人権侵害を再発
させず不処罰を放置しないための取り組みだった。

しかし、その影で実は、多くの国で、あの南アフリカでも、
新自由主義が跋扈し、国の貴重な財産を民営化して
海外の資本の半ば略奪に近い買収が実現していくの
を、IMF等が恫喝的に強要し、軍産複合体が経済的侵略
を果たしてその国の人々を全面的に搾取していたのだ。

なぜ南アフリカが、アパルトヘイト後も貧富の格差が
拡大し、犯罪と貧困に満ちているのか、ようやくわかった。

「移行期」をめぐる裁きが、過去の人権侵害について詳細な
報告書のかたちとなり、自由を保障する制度が確立する
背景では、ワシントン・コンセンサスの押し付けにより、
経済的主権が投げ出され、妥協の対象となり、
将来にわたる人々の貧困化と国有財産の売却が
進行しているのかもしれない、にもかかわらず、
人権活動家は「裁判」にのみ心を奪われ、目の前の
深刻な事態の進展を見過ごしてしまうのだ。

人権侵害や意図的に作り出されたショックに
目を奪われていては、そのために誰がどのような利益
を得ようとしているのか、という真の戦略は見抜けない。

ナオミは、人権侵害の意図の背後にあるねらいを一切
捨象した人権団体の報告や活動に対して、鋭い批判の
矛先を向けていて、私にとっては大変耳が痛い思いが
した。しかしそのとおりなのである。

特に、欧米の人権団体は伝統的に政治と意図的に
距離を置こうとするため、各論の行為を列挙する点
では優れていても、事象の全体像の一面しか強調
せず、ミスリーディングな役割をしばしば果たすこと
になったり、最悪の、またはせいぜい
中途半端な解決をもたらす共犯にすらなりうる。

(なお、人権についてはチョムスキーもその一面化に対して
警戒心を隠さなかった。
アーレントは経済とは異なる角度ではあるが、アイヒマン
法廷が、収容所に人々を運ぶ個々の行為の立証に
血道をあげて、民族を皆殺しにするというホロコーストの
全体像を見失っていることに警鐘を鳴らした。)

個々の拷問の残虐さを訴え、一つ一つの戦争犯罪行為を
糾弾するだけでは、人権侵害をつくりだした大きな勢力を
免罪することになりかねない。

人権侵害行為が生まれるにあたってどのような力が働き、
誰が究極の利益を得たのか、そのことを特定し、告発して
行かない限り、世界から、一貫した経済的意図に基づく
人権侵害を根絶することはできないのだ。

本書は、IMFと決別したラテンアメリカ諸国について最終章
で述べる。
新自由主義の実験場であったラテンアメリカの現在のあり方
はナオミが表現する通り感動的で、未来のあるべき姿
を示している。
確かにワシントンコンセンサスにノーをつきつけたラテンアメリカの
闘いは鮮やかな「大きな物語」である。

しかし、私たちは70年代に抗した実験場とはならず、
苦い薬を飲まず、そのため新自由主義に対する免疫が
きかないまま、いまや新自由主義の最先端を行こうとするアジア地域にいる。

そして、欧州危機、これをどうとらえればよいのか。

ラテンアメリカと同様なかたちでの道程を歩まない悩める
大陸に対するナオミの鋭い分析を、是非読んでみたい。

ナオミのこれからの書籍を楽しみにしつつ、ナオミから受けた
視座を自分のなかに確立していかなくては、と思う。


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