« 2012年6月 | トップページ | 2012年8月 »

2012年7月

2012年7月17日 (火)

3月のHRN福島県庁要請の議事録を公表しました。

‎3月21日にHRNでは福島県庁に要請に行ったのですが、その際の議事録を公表しました。
回答内容が、つまり県庁の職員が確信していることが、あまりにも衝撃的であり、現実を多くの人に知っていただきたいと思って、遅くなりましたが、公開することにしました。
内容は、県庁の確認を経ていますので、すべて正確です。

支援法をどう具体化するか、ということを考えるとき、
この動かしがたい現実から出発する必要があると思います。
http://hrn.or.jp/activity/%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E7%9C%8C%E5%BA%81%E8%A6%81%E8%AB%8B%E4%BF%AE%E6%AD%A3%E7%89%88.pdf

今後も要請、問い合わせ等を進めて、必要とされることと、現実のギャップを明らかにし、それを埋めるために活動していきたいと考えています。

7月26日HRN被災地活動報告会のご案内

熱い毎日になってきましたね。 さて、7月26日に、特定非営利活動法人ヒューマンライツ・ナウの 震災活動報告会を開催いたしますので、ご案内させていただきます。 ヒューマンライツ・ナウは被災地で様々な活動を展開していますが、 岩手県においては、昨年以降、2週間に一度の割合で 法律相談を派遣し、来年三月までは必ず開催する予定です。 大船渡を拠点とする相談件数は昨年10月から約200件に及んでおり、 今もニーズは大変に多く、今後も相談担当弁護士を募集しています。 今回の報告会は岩手での法律相談活動にフォーカスし、 大船渡夢ネットの岩城理事長、遠野まごころネットの 臼澤副理事長にも御参加いただきます。 お二人がいらっしゃるというのは、本当に豪華なことで、光栄です。 また、これと併せてューマンライツ・ナウが取り組んでいる、 気仙沼の仮設住宅調査等の活動についても 報告させていただきます。 (気仙沼に関する活動はこちらをご参照ください)。 http://hrn.or.jp/activity/area/cat147/post-145/ 是非皆様に御参加いただければ幸いです。 http://hrn.or.jp/activity/event/726hrn/  2012年7月26日(木)開催  □□ ヒューマンライツ・ナウ活動報告会 □□ ~ひとりひとりの三陸の被災者に寄り添って~ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ≪日 時≫ 2012年7月26日(木)午後6時半から午後8時半 ≪会 場≫ 東京都千代田区霞が関1-1-4 弁護士会館10階1005号室 ≪資料代≫ 500円  東日本大震災から1年4か月が経過しました。  甚大な津波の被害を受けた岩手・宮城の沿岸部は  まだ「復興」から遠い状態にあります。  避難所から仮設住宅に移った被災者の方々も様々な  新たな困難に直面しています。  ヒューマンライツ・ナウは昨年6月から三陸地方において、  被災者に寄り添いながら法律相談活動を継続し、  大船渡での相談件数は約200件に及びます。  また、仮設住宅における被災者の様々な問題点を  調査し、改善のための提言も行ってきました。  今回は、岩手でヒューマンライツ・ナウとともに地道な  支援活動を継続している支援者の方々をお招きし、  法律相談が果たす役割についてご報告するとともに、  法律家やNGOが、復興のために今後何ができるかを  考えていきたいと思います。 ○ヒューマンライツ・ナウの三陸における活動       後藤弘子氏(千葉大学、ヒューマンライツ・ナウ副理事長) ○「夢ネット大船渡」における法律相談等の活動       岩城恭治氏(夢ネット大船渡 理事長) ○大船渡における法律相談活動から見えてきたもの       吉田悌一郎氏、中川明子氏(弁護士) 「遠野まごころネット」からの報告 臼澤良一氏(遠野まごころネット 副理事長)        気仙沼 支援が届かない仮設住宅の実情       伊藤和子氏(ヒューマンライツ・ナウ事務局長) ≪参加申込≫ 人数把握のため、できる限り事前のご予約をお願いいたします。 メールまたはFAX < 03-3834-1025 >まで、 「7/26ヒューマンライツ・ナウ三陸報告会参加希望」と明記のうえ、 お名前、ご連絡先等をお送り下さい。

2012年7月10日 (火)

閉塞感を感じない、毎日の暮らし方

今日はたくさん会議があったけれど、中にはいくつか、おんなじことの繰り返し、閉塞感をかんじちゃう、という会議もあった。
どうもたこつぼにはまっている状況だったり、運動だったり、っていうのはあるものである。


ところが、ふりかえって考えてみると、私は、だいたい毎日楽しく機嫌よく過ごしている。退屈することも無力感や閉塞感を感じることもあまりない。
だいたい、ぼーっとしていても面白いことを思いついてしまい、それを実現しようと夢中になって毎日が過ぎる。

これは自分の性格の楽天性、というのもあるんだろうけれど、今日など、閉塞感を感じる会議などに出ていると、実は日々やっていることがそもそも面白いんだ、ということに気付く。もしほかの団体の責任者を任されたとしたら、こんなに楽しく過ごせるのか、と言えばそれは疑問である。

不思議なことであるが、ヒューマンライツ・ナウの会議はあまり同じことの繰り返しがなくて、不思議とそういうどつぼにはまった感じがしない。
ヒューマンライツ・ナウは、私が創設に関わって、オーナーシップ意識がある、というのもひとつの理由なんだろうけれど、やっぱり、やっていること自体が正直面白くて、退屈しない、というところも大きい。
面白いことを思いついても、それを思い切り実現できない団体で活動していたら、それはつらかろう。
白いキャンパスになんでも描ける(もちろん国際的人権というフレームワークがあるけれど)、というのがヒューマンライツ・ナウの活動のよいところである。

毎年新しいところに事実調査に行って刻々と事態が変化したり、団体もだんだん大きくなって、トライアル&エラーをしながら、次々に扉を開いて、道を開いて、脱皮して、チャレンジをして、「道が開ける、扉が開かれる」、「求めよ、さらば与えられん」というところがあるからだと思う。


まあ、われながら、自分のやっていることが正しい、よいことだ、と信じられる活動をしていることは、まず第一によいことなのだけれど、加えて、全く退屈することなく、毎日日々新しい情熱を感じながら、活動できるというのは、さらに好ましいことである。
いろいろと大変なことがあるとしてもね!

 また、私は「ガーデニング理論」と名付けているのだが、同時並行的にいろんな課題に取り組むようにしている。
 よく多方面に活躍してますね、とか言われるけれど、それは私が意図してやっていることなのです。

 被災三県それぞれのプロジェクト展開、カンボジア、ビルマ、インド、アフガニスタン、日本、パレスチナ、シリアなど、大変めまぐるしくいろんなことに日々対応して、頭が混乱することもある。それに、女性の権利、えん罪、死刑など、個人的に追及している課題も多い。そして弁護士として日々異なるご相談を受け、事件に取り組む。
 しかし、キャパ・オーバーな気がすることもあるが、実はそれが自分には一番よいのだ(ちなみに、これらのなかでヒューマンライツ・ナウの取り組む課題は、もちろん私一人が取り組んでいるのではなく、チームを組んで取り組んでいるし、多くの人はひとつのチームに専念して集中して取り組んでいますのでご安心ください)。

  なぜ「ガーデニング」か。
  ある時期に限ってみると、進む課題もあればうまくいかない、まったく進まないように見える課題もあるが、全体を見渡せば、どこかで成果が上がったり、よい変化が生じていたりする。
  あまりひとつの問題だけ頑張りすぎると「こんなにがんばっているのにどうしてうまくいかないのか」と恨みや閉塞感が生まれるわけだが、同時にやっていると「日照りの日もあれば恵みの雨の日もある」という達観した気持ちになり、全体として楽観的な気持ちになるのだ。

  このことは、実はガーデニングから学んだ。

  ガーデニングをしていると、きれいに咲いている花もあれば、しぼんでいる花もある、しかし、それは永遠ではなく、先週までしぼんでいた花が元気になったりする。
 だから、それは深刻に悩むより、ゆったりと毎日水をあげて気長に待っているうちに花が咲く、ということもあるのだ。それを深刻に神経質になりすぎて、肥料や水をやりすぎたりするとうまくいかないものだ。
 寛大な気持ちで、成長する子どもを見守るように接していくと、いつか花を咲かせる時が来る。
 事件も同じ。人権課題も同じだと思う。

 いつも庭の花に、美しく咲き誇っているときもいまいちくすんでいるときも、変わらず同じ愛情を注ぎ続け、長い目で成長を見守るように、ひとつひとつの人権課題や手がけている事件にも力を注いでいけば、今は苦しくても、いつか花が咲く日がくると、私はいつも信じているのです。
 だから閉塞感を感じない、ということもあるのかもしれない。だから寛大な気持ちになる、ということもある。
 えん罪や死刑など、とても執念深いところもある私だけれど、全体として健全な精神をもって生きられるのは、そんなことに心がけているからではないだろうか。
 また、日本だけでなく、世界中のさまざまな問題に取り組んできたからではないかと思う。
 確かにアメリカに留学する前、私は日本の社会がなかなか変わらないことにうらみを持っていたかもしれない。
 日本だけ特殊な気がして、日本に生まれて不幸だと思ったりしたけれど、他の国の人たちに会ってそんな考えはなくなった。自分の置かれた立場を相対化することができるようになったのだ。

  いまも、理不尽な思いをしているのは私だけではない、世界中が人権問題を抱えているのだ、あんな深刻なところでも前向きに活動している人達がいる、というようなことにいつも学んでいることも大きい。

  だけど、最近は、特に脱原発で若い人も毎週金曜日に集まるデモ、このような日本における新しい市民の運動の目覚め、というのは、とても私を励ましていて、いつも以上に精神的には健康な気持ちなのだ。

2012年7月 8日 (日)

雑誌「科学」(岩波書店)に巻頭言を掲載させていただきました!

雑誌『科学』岩波書店7月号に巻頭エッセイを寄稿させていただきました。
とても素晴らしい雑誌で敬服していますので、本当に光栄なことだと思います。

タイトルは『人権が危機に晒されているー福島原発事故後の事態』です。

http://hrn.or.jp/activity/doc05212520120629181841.pdf

最近、特に震災・原発事故後に、現状をなんとか変えようとがんばられている真面目なジャーナリストの皆様とお会いしたり、お仕事ぶりを拝見する機会が増えました。本当によく勉強され、取材されています。
私もがんばらなければと、いつも刺激を受けております。

今回書かせていただいたのは、いつも訴えていることですが、なんとか短く、わかりやすくお伝えしようと書いてみました。
福島原発事故後に起きているのは、まさに人権の危機なのだと私は思います。
かけがえのない命、それは人権にほかならず、それが見捨てられている、特に自分から行動を起こせない、声を挙げられない人たち、経済的等の理由から移住が困難人、そして何も罪もない子どもが犠牲になっていく、というのはあまりにもひどいことだと思います。

2012年7月 7日 (土)

離婚の慰謝料水準を考える。

今日は離婚の慰謝料について考えてみたい。
私が扱う離婚事件は、多くは女性側だが、多くの場合、慰謝料として1000万円を請求している。
あまりにも女性たちの人権が蹂躙されていて、到底許せないと思う事案がおおいからである。

そして解決はケースバイケースだけれども、
財産分与と併せてかなりよい解決になる場合も少なくなく、判決でも500万円くらいの慰謝料が認容されることもある。

ただそれでも、最近、DV事案の離婚慰謝料があまりにも低額なのではないか、と思うこともしばしばである。

現在、40年近く、生命の危険を伴う凄惨な暴力を受けてきた事案で妻側の代理人をしているが、一審の慰謝料認容額は500万円であった。

ほかの部分の判断が大変よかったこともあり、こちらから控訴はしていないが、高裁になって、相手方代理人が「最近の通常事案では、慰謝料は500万円が最高額」などと言い、この事案は最高額に値しない、などと主張してきた。

そこで、これは問題だと思っていろいろと反論をし、「慰謝料が500万円を下回ることは絶対容認できない」と主張したところである(判決待ち)。

このリサーチを通じて気になったのはあちこちの法律事務所等のウェブサイトに、「慰謝料は通常、多くて500万円」などという記述が、無批判に展開されていることである。

しかし、弁護士としては、慰謝料水準の向上に努めるべきはずであり、「もっと高額に」と要求していく必要があるのではないか。少なくとも深刻な暴力による慰謝料はもっと高額になっていくべきである。

ちょっと難しい依頼者に対する対応もあり、慰謝料請求がそんなに甘くないことを伝えようとする気持ちはわかるが、弁護士自ら諦めてどうする? と思ってしまう。

そこで、判例を調べてみると、

●  まず、暴力事案で高額な慰謝料を認めている事案がある。
○  例えば、長期間にわたるDV事案において、慰謝料金1000万円を認容した判例(平成15年02月18日 岡山地方裁判所 倉敷支部判決、平成13(タ)26 離婚等請求事件)、
○  婚姻期間がそれほど長くないのに、慰謝料金800万円を認容した判例(神戸地方裁判所平成13年11月5日判決、平成12年(タ)第114号離婚等請求事件)などがある。

●  また、婚姻期間が長期間にわたった事案において高額の慰謝料が認容されるケースは多い。

○  同居期間12年,別居期間36年,夫が別の女性と暮らしている事案で、慰謝料1500万円、財産分与1000万円を認めた例(東京高裁判決平成元年11月22日判決、判時1330号48頁)、

○  同居期間38年,別居期間17年,夫が別の女性と暮らしている事案で、慰謝料1000万円、財産分与は1200万円を認めた例(東京高裁判決昭和63年6月7日、判時1281号96頁)がある。

  しかし、夫の長期間に及ぶ不貞で、落ち度がないのに離婚を余儀なくされる精神的苦痛が1000万円以上と評価されるのであれば、自らに落ち度がないのに長期間の同居生活で深刻な暴力・暴言に晒され続け、挙句離婚を余儀なくされるような事案はさらに慰謝料は高くてしかるべきである。

  セクハラの慰謝料も大変低いのであるが、セクハラの慰謝料で高額の慰謝料が認容されつつある傾向と比較しても、DV離婚の慰謝料が低い水準にとどまっているのは、ちょっと均衡を失しているように思う。

  多くの場合、セクハラを受けている期間よりも長く、DV被害が続いている事案が多いわけですから。

 なんといってもDVは、「女性に対する暴力」という人権侵害であり、これに対する慰謝料をどう算定するかは、女性の人権の重要性を社会、そして司法がどうとらえているかを示す鏡であり、女性の人権侵害に対する被害救済がどうあるべきか、ということに対する答えなのだから。

 もっと研究を進め、慰謝料水準を向上させていきたいと思った。

 ところで、あちこちの法律事務所等のウェブサイトに、「芸能人でない限り、高額な慰謝料は取れません」という記述があったりする。
 しかし、芸能人は単に支払い能力があるから慰謝料額が高い合意が成立しやすいだけではないだろうか。
 判決で高額が認容されるのか、疑問である(あまり研究したことがないが)。
 芸能人だからといって離婚に伴う精神的苦痛が一般の人より高く算定される、ということはないのだから、こうした記述もいかがなものか、と思ってしまう。問題にされるべきは、被害、人権侵害の度合いである。
 あたりまえのことだが、人間に貴賤はなく、精神的苦痛が人の属性で変わるべきではない。
 
  最近、 「結婚するために芸能界をやめてほしい」と素敵な彼氏に言われて、引退したけれど、彼氏に新しい女性が出来て離婚、というケースで、もらった慰謝料が18億円ではないか、と報道されている。
 「話が違う」と言う話だ。確かに、話しが違う。栄光をあきらめて素敵な彼氏との結婚を選んだのに。
 彼の言葉を信じて引退したりしなかったら、18億円以上稼げてたかもしれない。
 だけど、今の時代は違うよね。
 仕事をやめるのも、不確実な愛を信じるも信じないも自己責任、彼を信じて仕事をやめても、通常の範囲を超えた破格の慰謝料は難しい。
 これから結婚する人には、愛は永遠ではないから、男の言葉を信じて、結婚・出産を機に仕事をやめたりしないでね、と言いたい。
 いくら彼氏が若きジュリー(本当に素敵でしたね!) のようでも。。。ね。
 

アフガニスタン復興支援会合に向けて

明日、東京で、アフガニスタン復興支援会議が開催されます。
2001年のアフガニスタン戦争の後、戦争に反対していた人達の間でも関心が薄れていますが、アフガニスタンの現状は聞いていて本当につらくなります。
今日も昨日も関連会合に参加していましたが、とても心が痛くなりました。
それでも、支援を続けていくことが国際社会の責任です。特にNGOとして、ずっと関心を持ち続け、できる支援をしていかなくては、と思います。
ヒューマンライツ・ナウではステートメントを出していますので、是非ご参照ください。


アフガニスタン復興支援会合に向けて
                  2011年7月5日
        特定非営利活動法人 ヒューマンライツ・ナウ

2001年のアフガニスタン戦争、そしてタリバン政権崩壊から、10年以上が経過した。
しかしながら、国際社会の支援にも関わらず、アフガニスタンの人々は恐怖と欠乏から脱却しているとは到底言えず、人権、民主主義、法の支配、平和構築はいずれも実現していない。支援国は、これまで10年以上にわたる国際社会の関与と介入の失敗を深刻に総括し、いかにアフガニスタンに関わっていくかが問われている。
東京に本拠を置く国際人権NGOヒューマンライツ・ナウは、東京で支援国会合が開催されるにあたり、以下のことを支援国に求める。
1 国際人権・人道法の尊重と不処罰の克服
国連[1]によれば、民間人の政府軍・ISAF、反政府軍の戦闘行為に関連した民間人の犠牲者は、2009年は2412人、2010年は2790人、2011年は3021人と、むしろ増加している。
このうち、多くの割合を占めるのは反政府軍であるが、ISAFの空爆等の攻撃に伴う民間人の被害は、UNAMAによれば、2009年は359人 2010年は171人、2011年は187人と記録されている。ISAFは、2009年に民間人被害に関する調査メカニズムを設置したが、その手続は透明性に欠け、2010年には犠牲に対する補償のポリシーを採用したが、現実の被害者が補償請求をなしうる状況にはない。[2] 政府軍およびISAFによる人権侵害とそれに対する不処罰の横行はテロリズムの口実を与えることになる。
2001年のアフガニスタン戦争をはじめとする報復と暴力の連鎖、そして不処罰の横行が、民間人の犠牲が後を絶たない事態を創りだしていることは明らかである。こうした暴力と報復の連鎖のうえに、法の支配や人権、平和構築を打ち立てることはできない。
ヒューマンライツ・ナウは、とりわけ、今回支援国会合に参加するアフガニスタン政府、ISAFに関与する関係国に対し、国際人権・人道法の尊重と不処罰の克服のための徹底した行動を求める。
また、2001年以降発生したすべての当事者による国際人権・人道法違反行為、さらにアフガニスタンにおいて過去に発生した国際人権・人道法違反行為に関連して、正義・透明性・被害者支援に配慮した、移行期正義(Transitional Justice) のメカニズムを確立する努力をアフガニスタン政府および支援国に要請する。
2 ベイシック・ヒューマンニーズの保障
アフガニスタンにおいては、人々の生存と人権の根幹をなすベイシック・ヒューマンニーズが満たされているとは到底いえない状況にある。
国連人権高等弁務官事務所が2010年3月に公表した報告書によれば、2002年から2009年の間に約350億ドルの資金が投入されたと推定されるにもかかわらず、約900万人のアフガニスタンの人々(人口の36%に相当)が絶対的貧困の下で生活しており、さらに37%の人々が貧困ラインのほんのわずか上で生活していると推測される。[3] アフガニスタンは妊産婦死亡率が世界で2番目に高く、乳幼児死亡率が3番目に高い。[4]安全な飲料水にアクセスできるのは人口の23%だけで、15歳以上のアフガニスタン人のうち読み書きができるのは24%だけであり、女性についてはその割合がずっと低い。[5] アフガニスタン保健省の2011年11月30日の発表によれば、5歳未満の乳幼児が10人に1人の割合で死亡しているとされており、[6]最近の報道では1500万人の子どもが栄養失調状態であるという。[7]
 こうした状況に鑑み、保健・衛生、医療、住居、食糧、教育等の基礎サービス分野に対し、長期的かつ十分なコミットメントが表明されるべきである。過去の支援の使途と効果について、徹底した検証を行ったうえで、真に支援を必要としている人々に支援が届く方針とスキームを構築し、援助効果のモニタリングを行い、アカウンタビリティを高めることが求められている。そのうえで、深刻な汚職の克服への真剣な取り組み、モニタリングにおける市民社会との連携が求められる。[8]
そして、基礎サービス分野の支援は、国内避難民、女性等、脆弱な立場の人々に焦点を置いて実施されるべきである。
3 女性の権利の保障
 女性の権利に対する侵害は今も極めて深刻である。[9]国連人権高等弁務官事務所が2011年11月に公開した報告書は、女性に対する暴力の深刻性を指摘している。[10] 
2009年8月には女性に対する暴力根絶法[11]が制定され、レイプ、児童結婚、強制結婚を含む22の行為を刑事罰の対象としたが、その実効性は乏しく、レイプ、残虐な家庭内暴力、自殺の強要等は後を絶たない。女性たちが人権侵害からの救済にアクセスするのは著しく困難である。女性が強制結婚や家庭内暴力から逃げだしたことを理由に、「道徳的犯罪」の名のもとに逮捕されたり、名誉殺人の対象となる事態もあり、[12]2011年1月時点で、約400人の女性と少女が「道徳的犯罪」の罪で投獄されているとの報告もある。[13] 
  支援国に対しては、女性を暴力の犠牲から守るため、女性に対する暴力根絶法が効果的に履行されるための支援の重要性を強調する。具体的にはコミュニティ・ベースの広範な啓発活動、司法・法執行機関への技術的支援とキャパシティ・ビルディング、女性のためのシェルター・自立支援施設の拡充等の実効的な支援が求められる。
最後に、紛争の継続は、アフガニスタンにおける人々のかけがえのない権利の実現に関わるすべての課題に深刻な悪影響をもたらしている。ヒューマンライツ・ナウは、上記いずれの課題の実現にとっても、包括的和平の実現へのあらゆる努力を国際社会に要請する。                             

官邸前デモ ここに希望がある。

ずっと参加したいと思っていた、官邸前デモ。

ようやく昨夜参加する事が出来ました。

原発再稼働されたのに、諦めることない、地に足のついた行動。

奇をてらったところも浮ついたところも、過激な言葉もなく、

とても力強い長い長い列とみんなの思いがあふれるようなデモ。

ここにあるのは、人として絶対に動かしがたい、安全に生きていきたい、

子どもたちの未来や、大好きな故郷や暮らしを守りたいという

気持ち。譲る事のない一線で、集まってきた人たちです。

私も参加して、なんというか感動しました。

政治は本当に嘆かわしく、むちゃくちゃです。

でも、ここには、とてもまっとうで、落ち着いた、諦めない人達がいます。

こういう市民社会がある限り、日本はいつかまっとうになると思います。

国のあり方を決めるのは、ここにいる私たち主権者なんだ、

ずっと続ければ国を動かせるのではないか、という希望を強く持ちました。


そして、抵抗する人たちの祈り、それはとても美しいです。

376562_3979526481862_224279240_n


http://www.tv-asahi.co.jp/ann/news/web/html/220706035.html
官邸前の「原発再稼働反対デモ」最大級に。


« 2012年6月 | トップページ | 2012年8月 »

フォト

新著「人権は国境を越えて」

2021年2月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28            

ウェブサイト

ウェブページ

静かな夜を

リスト

無料ブログはココログ