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2012年2月

2012年2月23日 (木)

気仙沼の深刻な事態に緊急対応を求めます! HRNステートメントを出しました。

東日本大震災からまもなく1年、

今も「生存」が脅かされる仮設住民たち

~緊急に行政による支援を~

東日本大震災からまもなく1年が経過しようとしている。 各自治体が復興計画を策定する陰で、支援が遅れ、存在すら十分に知られていない孤立した仮設住宅があり、被災者は未だに「生存」が脅かされている。そして、こうした事態は冬の寒さとともに深刻さを増している。

国際人権NGOヒューマンライツ・ナウは、2012218日、19日の二日間にわたり、宮城県気仙沼市の仮設住宅、なかでも地元住民が「特に深刻だ」と訴える仮設住宅を訪問した。

ヒューマンライツ・ナウ調査チームが訪れた「赤岩牧沢テニスコート仮設住宅」は、傾斜の厳しい山間に位置し、車がないと市街地への移動は困難である。しかし、最寄りのバス停までは1kmほどで、街灯も十分に設置されていない。住民は「夜は真っ暗だし、周辺には熊、鹿、まむしがいて外出するのが本当に怖い」と、実情を訴える。

この仮設住宅に入っている56世帯中、36世帯が独居でそのうち多くが老人というが、行政からは食糧支援や医師・看護師の訪問支援は全くないと住民は言う。集会場に顔を出す住民は80名中10名くらいに過ぎないが、引きこもった住民への心のケアや、孤独死対策も行政はほとんど講じていない。

車等の移動手段のない高齢者・障がい者への移動支援も全くなく、こうした人々は、通院のために有料・高額の介護タクシーを利用せざるを得ず、所持金を使い果たしていく状況という。

この仮設住宅は山間に位置するため、周辺地域に比べて気温は5度くらい低い。ところが、暖房器具が入ったのは、昨年1220日であったという。

仮設住宅の水道設備の凍結防止が十分なされないまま、水道管は長らく凍結していた。

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こうした事態に見かねた、地元や県外からの個人ボランティアの連日・無償の活動により食糧・物資供給等がなされ、人々の生存がなんとか支えられている状況であるが、今後どこまでそうした支援が続くのか懸念される。独居老人の孤独死等、あってはならない事態をどうやって防ぐことができるのであろうか。

気仙沼市の西八幡前仮設住宅、小原木小学校住宅、旧月立小学校住宅の合計3箇所がハザードマップ上、土砂災害の危険地域と指定された場所に建設されている。

西八幡前仮設住宅住民によれば、入居から2か月ほど経過した頃に市の職員が訪れ、ハザードマップであることを告知した文書を手渡され、その場面を写真撮影され、市職員はそのまま説明せずに帰ったが、その後によく読んで初めてそのような危険地帯の仮設住宅であるとわかり衝撃を受けたという。危険に脅えながら暮らしている住民は、「津波の被害を受けたのに今度は山津波の危険と隣り合わせ」と嘆いている。

山の斜面に接した同仮設住宅は日当たりが悪く、「土台はべニアにタイル張りで、畳も敷かれずカーペットを敷いているが、布団で寝て起きると布団が著しく濡れている」「結露やカビも生じやすい。扉が凍って外出から帰ってきても扉があかないこともある」と住民は訴える。工事の手抜きのために部屋に隙間があいていて、家の中から外が見える状態で、市民団体が見かねて応急措置を講じたという。水道管が破裂して流れた水で、仮設住宅の前の道路面は長らく凍結していた。この仮設住宅にも食糧支援や医師・看護師の訪問支援もなく、仮設住宅のかくも劣悪な状況にあるにも関わらず、行政による対応はなされていない。

政府は、仮設住宅に対する寒さ対策として、畳の設置、断熱材の追加、水道管等の凍結防止(水抜き、断熱材追加、凍結防止ヒーター整備)を災害救助法上の国家補助の対象となるとするが(厚生労働社会・援護局 社援総発09281号等)、気仙沼市ではこうした寒さ対策は実現しないまま水道管凍結・破裂等の事態を迎え、未だに対策は不十分である。

4 こうした過酷な環境のもと、住民は、義捐金・生活再建支援金等の給付金をしだいに使い果たしつつある。ところが、被災者が、津波で流され、建築制限がかけられたまま利用できる見通しもない土地を有していたり、仮設住宅からの移動手段を確保するために自動車を保有していること等を理由として、生活保護の道が閉ざされることが懸念される。

ヒューマンライツ・ナウが、気仙沼市に生問い合わせたところ、「津波で流された土地に建築制限があるとしても、建物建築をせずとも土地の有効利用ができる以上、生活保護は受けることは難しい」との回答であった。

被災地では支援格差が深刻化している。被災地のなかには、行政の対応やボランティア組織の対応により、比較的支援が届いている仮設住宅も存在する。同じ宮城県でも石巻市では気仙沼では一切認められていない畳が敷かれており、移動が困難な仮設住民への移動支援もきめ細かい。

しかし、その一方で、人の目の届きにくい仮設住宅においては、支援が届かず、生存の危機・新たな災害の危機に晒され、過酷な日々を生きる被災者がいる。

「赤岩牧沢テニスコート仮設住宅」「西八幡前仮設住宅」の住民はヒューマンライツ・ナウ調査チームに対し「ここは姥捨て山だ」と訴えたが、仮設住宅のあまりにも過酷な条件、そして行政の対応の欠如が、被災者にそのような感想を抱かせている。

声を挙げにくい立場に置かれた被災者にひたすら我慢と犠牲を強いたままでは、真の復興はありえない。

 国、宮城県、気仙沼市はこうした住民放置の実態を速やかに調査し、憲法が保障する「健康で文化的な最低限度の生活」が実現するよう、緊急の対策を講じるべきである。

2012年2月22日 (水)

仮設格差~「生存」すら脅かされる気仙沼の被災者の方々

先週末、気仙沼に行き、その後石巻、仙台と戻ってきて、被災地格差、支援の格差についてつくづく思い知り、心底切なくなった。
気仙沼は今も「生存」が脅かされている孤立した仮設があり、冬の寒さとともに深刻になっている。
「赤岩牧村テニスコート仮設」というところは56世帯中36世帯が独居老人、バス停も近くになく市内からは遠く、足のないお年寄りへの移動支援も全くないという。
行政からは食糧や医師・看護師等の訪問の支援もなく、水道は凍結、集会所に顔を出す住人は80人中10人くらいということで、心のケアも孤独死対策もほとんどない。

地元の個人の方の無償の善意で生存線をかろうじて保っている模様だが、、、

さらに驚いたのは、土砂災害の危険地帯に仮設が立っていて、危険におびえながら暮らしている仮設が三か所もあるということ。「せっかく津波から助かったのに今度は山津波か」とやりきれない人達。

この土砂災害の危険のある仮設では、畳かひかれず、べニアにタイル張りなので、布団で寝て朝起きるとふとんがひしょびしょに濡れている、という話、結露やカビ、そして扉が凍って外出から帰ってきても扉があかないという話、欠陥建設で隙間があいていて中から外が見えるという話、たくさん聞いたけれど、行政はほとんど動いてくれないという。

震災からまもなく1年というのに、本当にショックを受けた。
光の当たらないところで、声を挙げられないひとたちが犠牲になっている。
気仙沼市はとても立派な復興計画をたてたそうだが、被災者が置き去りにされたままで、復興を語る事はとても空虚だと思う。

生存自体が厳しいひとたち、もっと支援と注目を!

2012年2月16日 (木)

3/7ニューヨーク国連本部「国連女性の地位委員会」で、福島の女性や子どもを取り巻く状況をアピール。 広河隆一氏・森住卓氏による写真展も開催します。


みなさまへ、3.11から一年、私たちはこのような事を企画しています。
是非ご支援・ご注目くださいますよう。
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3.11から1年~ヒューマンライツ・ナウ(HRN)は、
ニューヨーク国連本部で開催される国連の会議に参加し、
国際社会に福島の女性や子どもを取り巻く状況について訴えます。

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2012年2月27日から3月9日にかけて、
ニューヨーク国連本部において、
第56会期「国連女性の地位委員会(CSW)」が開催されます。

今年の主要テーマは「農漁村女性たちの地位」。

そこでHRNは、この機会にこの会議に参加し、ニューヨークを
拠点とするNGOと連携して、国際社会に未だ十分知られていない
福島の人々の置かれた人権状況、特に女性や子どもたちを
取り巻く状況についてアピールする行動をとることになりました。

HRNのメンバーとともに、福島から放射線被害を逃れて
自主避難されている2家族をニューヨークに招聘し、
様々な機会に実情を訴えていただくこととしました。

今回ニューヨークに行かれる「福島避難母子の会」の
富塚千秋さんと深川美子さんには、福島の実情と女性・
子どもたちの声を世界に訴えていただきます。

また、福島第一原発事故後、現地に入って記録を撮り続けている、
写真家の広河隆一氏、森住卓氏のご協力を得て、
ニューヨークでこの期間に写真展も開催予定です。

さらに、ニューヨークでは、3.11を控えて様々なイベント、
パレード等が予定されています。こうした機会に多く参加し、
国際社会には知られていない人権問題~福島の実情を
世界に発信したいと思います。

ニューヨークでも東京でも、こうした活動を支えてくださる
ボランティアの方、そして資金を必要としています。
是非、私たちの活動を支えていただきますようお願いいたします。


◇◆◇◆◇ CSWサイドイベント ◇◆◇◆◇

「3.11から1年 東日本大震災と原子力発電所事故の
         影響を受けた地方女性たちの現状」

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


≪開催日時≫  2012年3月7日(水) 午後2時半から4時

≪開催場所≫  国連チャーチセンター 2階
           (住所:777 United Nations Plaza, New York, NY 10017)

≪主催≫ 特定非営利活動法人ヒューマンライツ・ナウ(HRN)
       日本弁護士連合会(日弁連)

●スピーカー/ 「福島避難母子の会」富塚千秋氏・深川美子氏
          ヒューマンライツ・ナウの代表者
          日弁連の代表者
          国連専門家(予定)

【企画趣旨】

2011年3月11日、東日本に発生した大地震と津波は、深刻な被害を
もたらし、多くの人が犠牲となりました。これに加え、福島第一原子力
発電所の事故により、周辺の後半な地域の住民が深刻な影響を
受けています。今日に至るまで、被災者・周辺住民の生活実態は
過酷なままであり、これらの人々の基本的人権保障は十分に実現
していません。
原発事故により、莫大な量の放射性物質が東日本の広範な地域
(そのほとんどが農村地域)を汚染し、人々の健康に深刻な危機を
もたらしています。汚染地域に暮らす人々に対する避難の支援や
補償、無料で迅速な健康診断、安全な食糧や水の供給などの
措置を政府が講じないなか、人々の生命に対する権利、健康に
対する権利、生活に対する権利が深刻な危機に晒されています。
なかでも、妊婦、乳幼児と子どもたちは放射能被害の影響を最も
受けやすい状況にあります。
このセッションでは、上記災害の影響を受けている地方女性たちの
実情を報告し、原発事故後の女性とその家族の保護等を含めた
課題について議論します。


◆2012年3月6日から 写真展 "1 year after 3.11 Truth of Fukushima"
   写真提供/広河 隆一氏 & 森住 卓氏
   開催場所/ニューヨーク市内(予定)

そのほか、現在、様々なイベントについて共同開催を企画中です。
また、福島のご家族も含め、メディアへのインタビューにもお応え
していく予定です。


~~~福島の実情を国際社会に訴えるそのほかの活動~~~

ヒューマンライツ・ナウ(HRN)は、国際人権NGOとして、福島の人々、
特に女性や子どもの置かれた状況について国際社会に発信を続けて
います。
HRN等の招聘を受けて、今年11月には、国連特別報告者が日本に
来日することが決まりました。また、今年秋に国連の人権に関する
主要機関である「国連人権理事会」が日本の人権状況について
審査を行うのにあたり、HRNとしてNGOから見た人権状況の情報提供
(Submission)を行いますが、福島第一原発の周辺住民の方々人権
状況を含めた情報提供を行う予定です。

NHK視点論点 ハーグ条約

昨日、NHK「視点論点」にて再び、子の奪取に関するハーグ条約に関するお話しをさせていただきました。
なんと、ニューヨークでも放映されていたようで、御連絡をいただいて驚きました!
お話したことは以下のような内容です。今後の法案審議や体制を見極めていく必要があります。


「国際的な子の奪取に関するハーグ条約」について、日本政府が批准の動きを進めています。この「ハーグ条約」は、国際結婚の破たん等に伴って、親の一人が、16歳未満の子どもを国境を越えて移動させ、それがもう一人の親の監護権を侵害している場合に、これを「不法な連れ去り」とし、子どもをもといた国に原則として返還するという条約です。今年の1月、法制審議会は、ハーグ条約を実施するための「子の返還手続等の整備に関する要綱案」を公表し、近く正式に政府に提出する予定とされています。
これまで日本では、国際離婚に伴い、子どもと一緒に親が実家のある日本に戻ってくることが違法だとは考えられてきませんでした。私は子どもを連れて日本に帰国した女性たちの相談をよく受けますが、外国で夫から深刻なDV、ドメスティック・バイオレンスにあい、命の危険を感じて逃げてきたという女性、母子ともに生活に困窮し、実家のサポートを得てようやく帰国できた女性など、やむを得ない事情を抱えて帰国した例が多いのが実情です。
しかし、ハーグ条約を批准すれば、帰国せざるを得ない事情などは考慮されることなく、子どもと帰国したというだけで違法とみなされ、残された親が返還を求めれば、子どもを原則として返還しなければならないことになります。
そもそも、子どもの福祉よりも連れ去られた親の監護権を優先して、原則返還するというのが、国際ルールとして妥当か、という問題があります。条約加盟国は欧米中心に80数か国、原則返還は国際的なコンセンサスとはいえません。他方日本を含む世界190か国以上が批准している子どもの権利条約3条は「子どもに関する措置をとるにあたっては、子どもの最善の利益を主として考慮する」と定めています。どの国でどの親と生活するか、は子どもにとって重大な決定であり、返還ありきではなく、子どもの利益を最優先に判断がなされるべきです。ヨーロッパ人権裁判所は、最近、子どもの利益を害する返還命令は子どもの権利条約に違反する、との判決を出しました。ハーグ条約の在り方そのものが見直しを迫られており、無批判に加入するということでよいのか、疑問です。
ハーグ条約には、返還の例外が定められています。先日法制審議会が公表した国内法の要綱案には、ハーグ条約と同様の例外事由が掲げられています。それは、
ⅰ 子の連れ去りから1年以上が経過し、子が新たな環境に適応していること。
ⅱ 申立人が子に監護権を行使していない、連れ去りに同意したなどの事情があること。
ⅲ 返還が,子の心身に害悪を及ぼし,子を耐え難い状況に置く重大な危険があること。
ⅴ 成熟した子どもが返還を拒んでいること。
ⅵ返還が人権保護に関する基本原則に反すること
です。しかし、諸外国では、原則返還というハーグ条約の強いルールのもとで、これらの返還例外事由が極めて制限的に解釈され、子どもが強く反対しても返還されるケースが多くみられます。母親に対するDV行為の存在は、返還例外事由とされていないため、DV事案でも原則として返還が命じられます。
昨年、アメリカでは、日本人の母親が子どもを連れて日本に帰国したことを理由に、約5億円の損害賠償の支払いが命じられたり、子どもを返還しない限り懲役12年の刑に処すとする判決が出されました。多くの国で同様に、国境を越えた連れ去りは犯罪とされているため、母親は子どもと一緒にもとの国に戻れば、同様の危険が待ち受けています。それを怖れて母親が帰国できない場合、子どもは一人で返還され、父のもとで暮らすか施設に入れられるか里親に出されることになります。母親が訴追やDVの危険にも関わらず子どもと一緒に戻り、裁判所で子どもの監護権を求めても、「子を連れ去った」ことがマイナス評価され、監護権をはく奪されることも少なくありません。このようにして、幼い子から母親を奪うことは、子どもの福祉に反する不当な結果にほかなりません。特に、DVなどの有害行為から自分と子どもを守るために逃れてきた女性にとって、一連の仕打ちはあまりにも過酷と言わなければなりません。
日本の立法は、こうした懸念に対応できるのでしょうか。法制審議会の要綱案では、例外事由のうち、「子に対する重大な危険」を判断するにあたって
1 返還を申立てた親から子が暴力等有害な言動を受けるおそれの有無
2 連れ去った親が返還を申立てた親から、子どもの心理的外傷を与えることとなる暴力等を受けるおそれの有無
3  それぞれの親について返還後に子を監護することが困難な事情の有無。
 を考慮する、としています。しかし、要綱案は単に考慮要素を列挙するだけで、昨年の閣議了解に比べても著しく後退したものです。結局は裁判官の裁量に委ねられ、原則返還というハーグ条約や各国の実務、国際的なプレッシャーを受けて、不当な返還命令が出される危険性があります。
子どもや女性の権利を後退させることがないよう、子への虐待や母へのDVがあった場合、また、母親が子と一緒に帰国できない事情があるなど、返還が子どもの最善の利益といえない場合には、法律で明確に、返還を認めない、と規定することが必要です。
要綱案は、返還の審理は家庭裁判所において、調査官も関与して行う、としています。子への虐待やDVは密室で行われ、まして海外で起きた暴力については、証拠が保全されていない場合が少なくありません。返還という重大な処分による取り返しのつかない危害を防止するため、DVの保護命令と同様、子や母親の供述や関係諸機関への相談等が疎明されれば、広く返還例外を認めるべきです。
さらに、要綱案では、子の返還命令が出た後、命令を実行に移すために、執行官が親に対して威力を用い、親の監護から子を解くことができるとされています。しかし強制的な引き離しは子どものトラウマをもたらす危険が高く、執行官が返還を強制するという仕組みは極めて問題です。
手続の入り口、子の所在を発見する方法についても懸念があります。外務省の下に中央当局が設置され、子どもを発見するための情報収集にあたるとされていますが、私立の学校や幼稚園、民間のシェルターや携帯電話会社にまで、情報提供を要請することができる、とされています。しかし、居所を知られるのを怖れて、帰国した母子が学校にもシェルターにも行けなくなればそれこそ追い詰められてしまいます。私的な団体に情報提供を義務づけることは到底容認できません。
最後に、条約では返還のための援助ばかりが指摘されていますが、本来国は、外国で国際結婚に破綻し、困難に直面している女性や子どもたちにこそ手厚い支援をすべきです。海外でDV等の被害に会った女性たちは、親戚や友人も近くにいない、経済的基盤もない、言葉の壁から行政や司法のサポートも受けられない、というなかで、精神的にも経済的にも追い詰められています。在外公館が積極的な相談支援を行い、在外公館に助けを求めたりシェルターに保護された女性や子どもについては、「国の援助等を必要とする帰国者に関する領事官の職務等に関する法律」などを積極的に活用し、帰国したくてもできない被害者が国の支援を受けて合法的に帰国できるようなシステムを構築し、そのための交渉を諸外国と始めることが必要だと思います。
様々な問題点について「条約だから仕方がない」という議論がありますが、子どもや女性たちを犠牲にする条約なら本来批准すべきではありません。ハーグ条約批准によって、万が一にも国際結婚に失敗し、助けを求めて日本に逃れてくる女性や子どもの人権保障を後退させることがないよう、これから出されてくる法案を厳しく見極めることが必要です。

2012年2月11日 (土)

ニューヨークでFukushima 写真展

3.11にあわせて、ニューヨークでFukushima写真展を開催することになりました。

NYUニューヨーク大学の協力を得て、ヒューマンライツ・ナウ主催で、広河隆一氏・森住卓氏の福島原発事故に関する写真展を開催できる運びとなりました。

お願いしたところ、即座にご協力を約束していただいたお二人の素晴らしい写真家に心より感謝です。

私も写真展その他の準備で、ニューヨークに3月に行く予定でいます。

文明そのものに警鐘を鳴らしているこの事故について、もっと世界の人々に知ってもらえるよう、成功のために力を尽くしたいと思っています。

2012年2月10日 (金)

ジェットコースターのように。

弁護士とNGOの事務局長の二足のわらじで活動してきたこの数年間。ヒューマンライツ・ナウもおかげさまで順調に成長し、人も増えたのだけれど、活動範囲が広がると仕事もひろがる。

これまで国際活動を中心にしていたけれど、3.11以後は、震災・原発事故の問題について人権の視点から活動する人権NGOはヒューマンライツ・ナウだけであることもあり、国内でもとても忙しくなった。講演依頼も毎日のように、たくさんいただいていて、全部にお答えできなくて申し訳ない。

そして、ニューヨークにもオフィスができて、大車輪で活動していただいているので、国連本部を中心とする活動もとても忙しい。

ところで、昨年6月からはこうした二足のわらじに加えて、日弁連の両性の平等に関する委員会の委員長としても活動することになった。こちらもなかなか大変で、いろんな案件で調整に苦労する日々。

そのため、本当に最近は目が回るように忙しくて、さすがの私も悲鳴をあげている。

今月は、ヒューマンライツナウについては、通常業務に加えて、タイ・ビルマ国境の支援プロジェクト「ピースローアカデミー」の助成先からの現地監査、国連協議資格に関するニューヨーク国連本部での審査、認定NPO申請に関する調査など、それぞれ全く異なる監査の準備に追われて、時差のあるなかそれぞれのタイムラインにあわせて必要な仕事をこなす。

事務所移転を検討中だけれど、それに関連しての法律・税務・会計その他のチェックもあり、この件でも税理士さんと打ち合わせ等。

そして、3月には3.11から一年ということで、福島からのファミリーをお連れして、ニューヨーク国連本部で活動をする予定。ヒューマンライツ・ナウと日弁連の共催の企画もあるので、それぞれの立場から準備を怠りなく進めないといけない。

福島から参加される方々も、現地で迎えてくれるニューヨーク在住の女性グループ、ニューヨークの市民団体、ニューヨークの原発・インディアンポイントに反対する市民グループ等もとても熱い情熱で私たちの活動に協力してくれようとしていて、とても感動する。ニューヨークと東京は時差があるので、朝起きるとたくさんのメールが届いていて、みなさんの熱意にこたえようと、対応に追われる。

そんななか、2月には、学会で発表したり、出版するきちんとした論文を私の個人名で3本執筆しなければならず、その間に細かい執筆原稿についてチェックする。

それとは別に、進行中の出版があって、一冊「震災と女性」に関する書籍の刊行が済んで、いまはジュネーブにいる先輩とやりとりしながら、もう一冊「人権条約の個人通報制度」に関する書籍を春までに出版する最終チェックをしている。

ヒューマンライツ・ナウが出したインド児童労働の報告書(英語)の日本語版はいつでますか? というメディアのお問い合わせや、同じく福島に関する調査報告書(日本語)を海外に紹介したいので、英語版はいつできますか? というお問い合わせを今週たてつづけにいただいており、そうしたお問い合わせに感謝。とても嬉しいので、待たれている以上はスピードアップをしなきゃ、と誓う。オフィスは「戦場のような厨房」という感じ。

また、月末にはブリュッセルに出張。その前に個人の確定申告。もちろん弁護士としての事件も進めます、当然。

ということで、毎日あまり眠れない毎日を過ごしているのです。

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