これまでずっと求めてきた、ビルマにおける良心の服役囚、政治犯の人たちのうち、主要な民主化活動家が釈放されました。
長い間、私たちヒューマンライツ・ナウでも、このことを求めて活動してきたので、私としてもとても感慨深いものがあります。
まだ、全員が釈放されているわけではなく、引き続きモニタリングが必要ですが、貴重な第一歩を歓迎します。
今後憲法を改正し、弾圧立法を見直すなど、次のステップを踏んでいくことを求めていきたいと思います。
ミャンマー:政治囚釈放 憲法改正、次の試金石 残る軍部影響力 米欧との関係、改善の兆し
http://mainichi.jp/select/world/news/20120114ddm007030006000c.html
ミャンマー政府の恩赦で同国北部の刑務所から釈放され、最大都市ヤンゴンの空港に到着した「88年学生世代」の指導者、コーコージー氏=2012年1月13日午後、毎日新聞通信員撮影
【バンコク西尾英之、岩佐淳士】国際社会がミャンマー民主化進展の証しとして求めてきた政治囚の完全釈放。13日の恩赦では、これまで見送られてきた学生運動出身の民主化運動活動家も釈放された。テインセイン大統領は、軍部など保守派に根強い活動家釈放による治安維持への悪影響の懸念を振り切り、政治囚釈放に応じて米欧に経済制裁解除を求める姿勢を明確にした。一方、現憲法は国会議員の4分の1を軍人が占めるよう規定しており、軍部が依然強い影響力を持つ構造は変わらない。ミャンマーの民主化の今後の焦点は、政府が憲法改正に応じるか否かに移る。
国際社会は、激しい街頭デモで当時のネウィン政権を倒した88年の民主化運動を主導した「88年学生世代」の活動家が釈放されるかを注目していた。保守派の「釈放すれば再び街頭での抗議デモを開始しかねない」との懸念が、88年世代の指導者が昨年10月や今月初めの恩赦の対象にならなかった大きな理由とみられたからだ。
しかし、今回の恩赦で政府は、88年世代のミンコーナイン氏やコーコージー氏を釈放。日本人カメラマン、長井健司さん(当時50歳)が軍兵士に撃たれ死亡した、07年の最大都市ヤンゴンでの反政府デモを主導した若手僧侶の代表格であるガンビラ師も釈放した。
政権は最も「過激」な反政府行動を取ってきた政治囚をも釈放することで、米欧との関係改善の障壁となっている政治囚問題を全面的に解決する姿勢を鮮明にしたと言える。
昨年11月、ミャンマーも加盟する東南アジア諸国連合(ASEAN)が14年のミャンマーの議長国就任を決めた。これを皮切りに、11月末には米国務長官として56年ぶりにクリントン長官が訪問。今月はヘイグ英外相が訪れるなど、米欧要人の歴史的なミャンマー訪問が続いている。
政権は12日、少数民族カレン族との歴史的な停戦合意に署名したばかり。その直後の政治囚釈放で、国際社会との関係改善へ向けた流れは一層加速し、アウンサンスーチーさんの政治参加が実現する4月の国会補欠選後の早い時期に、欧州連合(EU)が制裁の一部緩和などに踏み切る可能性も出てきた。
ただ、軍事政権下の08年に制定された憲法は、議員の4分の1を軍人推薦枠にするなど軍人優位の政治体制を「保障」している。憲法改正は議員の4分3以上の賛成が必要で、軍部の賛成がなければ事実上不可能な仕組みだ。憲法改正は真の民主化進展を占う試金石だが、はるかにハードルが高い。ある民主活動家は13日、「憲法が変わらなければ真の民主化とは言えない」と語った。
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◇13日釈放された主な政治囚
★ミンコーナイン氏=写真(1)
88年の民主化運動を主導した、「88年学生世代」グループのリーダー。89年から15年間服役。釈放後、07年の反政府デモを率いたとして再び拘束され禁錮65年の刑に
★コーコージー氏
88年世代のリーダー。ミンコーナイン氏同様65年の刑で服役
★クントゥンウー氏=同(2)
少数民族シャン族の「シャン諸民族民主連盟」党首。05年に国家に反逆したとして拘束され、93年の刑に
★ガンビラ師=同(3)
07年の反政府デモを主導した若手僧侶のリーダー。68年の刑で服役
★キンニュン元首相=同(4)
軍事政権当時の03年に首相就任。改革派として少数民族との和平交渉に取り組んだが04年、権力闘争で失脚して更迭。汚職罪で有罪となり、その後自宅軟禁に
ミャンマー:釈放政治囚・コーコージー氏、必要なら直接民主主義実践 市民運動の活発化示唆
http://mainichi.jp/select/world/news/20120114dde007030011000c.html
【バンコク西尾英之】ミャンマーでテインセイン大統領の政治囚に対する恩赦で、民主化運動の「88年学生世代」指導者コーコージー氏は釈放された13日、ヤンゴン市内の自宅で毎日新聞通信員のインタビューに対し「必要なら、直接民主主義を実践しなければならない」と語った。民主化の進展いかんでは、再び市民運動を活発化させる意向を示した格好だ。
コーコージー氏は、大統領が昨年9月に世論の反対に配慮して北部カチン州でのダム建設中断を決断したことに触れ、「直接民主主義の一例だ」と述べた。さらに「国民は5年に1度の選挙で議員を選んで、後は議員任せにするのではなく、議会の外でも民主主義を実践しなければならない」とも話した。
4月1日に実施される国会補選への立候補については「88年世代の仲間と相談する」と述べ、可能性を否定はしなかった。
一方、国会議席の4分の1を無投票で軍推薦議員に割り振るとした08年の憲法や、それに基づき10年に実施された総選挙について、「軍事政権がやりたいようにやったものだ」と批判した。
コーコージー氏は、13日に同時釈放されたミンコーナイン氏と並び、軍の弾圧で多数の死者や拘束者を出した88年の民主化運動を指導した「88年世代」の著名な指導者。その後服役を経て一度は釈放されたものの、07年の反政府デモを主導したとしてミンコーナイン氏らとともに再び拘束され、禁錮65年の長期刑で服役していた。