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2011年11月 2日 (水)

シンデレラ・コンプレックスを克服する

女性の多くは、「いつか白馬に乗った王子様が現れる」

そんな期待を小さいころから脳内に深くインプットしているのではないだろうか。

だいたい、小さい時に「シンデレラ」などを読むのが悪いのであり、何の努力もなしに、ある日突然王子に見いだされ、人生が変わり、救済され、幸せになる、という虫のよいストーリーにあこがれ、自分にもそんなことが起きると信じてしまうようになる。

そうした刷り込みは、他力本願で自分の人生を自分で切り開けない女性を作り出してしまう危険がある。日本における男女平等が進まないのもこのようなマインドセットが少なからず影響しているのではないだろうか。

しかし、このような傾向は、自立した女性も同じような願望を有しているから、始末に悪いと思う。

かのボーヴォワールが、大学に入ったばかりのある日、同じ大学生である若きサルトルが彼女を待ち受けていて、そして言った。「君のことは僕が引き受けた」と。その後彼女は世界の知性であるサルトルと行動をともにし、彼に同行して、世界を旅行し、知識人として発言していくようになる。もちろんボーヴォワールもいろいろと自分で書いて努力をしているが、サルトルなしにあのような活躍がありえたであろうか。

このサルトルとボーヴォワールの恋愛の虚像は理知的な女性たちに思いのほか影響を与えていると思う。

かくいう私も大学生のころまでそういう傾向があり、知的にも人間的にも自分をはるかに凌駕する、「どこをとっても私よりもはるかに優れている」ヒーロー的な男性を求めていたと思う。しかし、理想と現実のギャップははなはだしく、私があくまで「理想」を求めるので、私に関わった方々にはちょっと勘違いなご迷惑をおかけした。自分の求める理想と違うからって、それは私のせいであり、相手の方のせいではないというのに。

20代も半ばになると、さすがに理想と現実は異なると諦めの境地に達したわけであるが、なんとなく「本当はそれに越したことはないが、私は不幸にしてそういう運勢のもとにいない」という意識であった。

そんなとき、華原朋美ちゃんが登場して、小室さんと恋愛するという、絵にかいたようなシンデレラ・ストーリーが展開された。私は、「せめてともちゃんには、シンデレラ・ストーリーをかなえてほしい。一人くらいそんな女の子がいてほしい」という気持ちで応援したことを覚えている。

そう、朋ちゃんというのは1つのシンボルだったわけですね。「何から何まであなたがすべて。どうにか私を輝かせるため苦しんだり、悩んだりしてがんばってる♪」なんて、とにかくけなげな歌を歌いまくっていた。苦しいこともたくさんあるけれど、毎日頑張って成長して、小室さんにふさわしい女性に成長していくのだ、という。

しかし、朋ちゃんも小室さんと破局してしまった。そして、仮に朋ちゃんが小室さんと結ばれたとしても、、、その後小室さんに起きたことをみていくなら、全然ハッピーエンドではなかっただろう。

そのように考えると、「王子様」が王子様であり続けるという保証はなく、男性にとっても「王子様と結婚して安泰」という期待に応えるのは、ずいぶんときつい話なのだと思う。

そう、理想的な完璧な男性と結ばれるなんてことは虫がいいし、そもそも一生幸せにしてくれる、理想的で完璧な男性なんていないのだ。

しかし、私の周囲にいる女性は、とても優秀な女性弁護士や優秀な各界の仕事人なのだけれど、独身の方が多く、かつ「どんな人がいいの?」と聞くと、「年上で、私を凌駕するすごい人」とみなさんがおっしゃる。

なんで女性は、自分よりも優れた人間に伴侶になってもらい、自分の人生を導いてもらいたいと思うんだろうか? 自分で自分の人生を十分に導けるし、現に導いているというのに。

かくも、いつか王子様が、という幻想は女性たちの心に深く浸透しているので、克服するのは容易でない。

私の場合、そうこうするうちに、現在のパートナーと意気投合して即結婚した。私はパートナーを大変気に入っているけれど、自分を凌駕する高みに立った優れた人間で、自分を導いてくれるから、というわけではまったくない。

結局、この世に神はいない、唯一の正しい道を示す英雄も思想家も存在しない。学校を卒業すれば、指導教官もいない。

いまやこの経済危機で、世界の指導者だって何も任せられる状況ではない。2008年に圧倒的な指示で米大統領に当選したオバマ氏も、あのサルコジ氏も自信なさそうである。

今や私たちを導いてくれる男性など、存在しない。女性は見いだされ、導かれ、開花するということにあこがれるが、正しい導きかどうかわからない。男性もいっぱいいっぱいなのである。

だから、自分の感受性だけを信じて、自分の道を進むしかないのだ。

私は弁護士になってからも、男性のボスとか、メンターやロールモデルという存在はおらず、過度にかわいがられることもなく、放っておかれて勝手になんとか自己流にやってきた。それでもまあ、生きて今日に至った。だから他人の評価や期待、他人からどう見られるか、誰かの期待に応えられているか、ということをほとんど気にしていない(依頼者の皆様の期待には100%応えたいが)。

女性たるもの、汝の道を進め、人をしていうに任せよ。

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