村木厚子元厚生労働局長の事件について、メディアが特集をしている。
そこでは「魔術のような怖さ」「魔力」という言葉が使われているのが印象的だ。
取調室で肉体的な拷問が行われたわけではない、それでも人を追い詰めていく取調べの危険性が語られている。
●●●検事は特捜部が作った私が知らない事件の「ストーリー」を繰り返しました。途中で「そうかもしれない」と思い、自信を持って否定できなくなる。「魔術」にかけられそうな怖さがありました。●●●
これは迎合的で気の弱い、法律に無知な人の発言ではない。学歴も経歴も優れた優秀な官僚・キャリアウーマンが、虚偽の自白をしそうな心境に追い詰められたということは取調べの闇、危険性を鋭く警告するものである。
村木さんは10日に無罪判決を得ることと思う。しかし無実でめでたしではない。
なぜ虚偽の供述がつくられたのか、その過程を明らかにする、冤罪をつくろうとする刑事訴訟の構造が検証されるべきだ。
■検察捜査は「魔術のような怖さ」村木・厚労省元局長語る
■【巨悪の幻想-郵便不正公判】(2)取り調べメモ 「調書の信用性」崩壊の危機
■【巨悪の幻想-郵便不正公判】(3)裏付け捜査 取り調べの“魔力”検察錯覚
朝日新聞 2010年9月5日3時1分
http://www.asahi.com/national/update/0904/OSK201009040094.html
http://www.asahi.com/national/update/0904/OSK201009040094_01.html
http://www.asahi.com/national/update/0904/OSK201009040094_02.html
■検察捜査は「魔術のような怖さ」村木・厚労省元局長語る
郵便割引制度をめぐる偽の証明書発行事件で起訴され、無罪を主張している厚生労働省元局長の村木厚子被告(54)が10日の大阪地裁での判決公判を前に、朝日新聞の単独取材に応じた。164日間の逮捕・勾留(こうりゅう)中に検事とのやり取りを記したノートなどを手にしながら、「(公判では)やれることをすべてやった。真実は強いと思っています」と今の心境を語った。
元局長は昨年6月、自称障害者団体が同制度を利用するための偽の証明書を発行するよう部下に指示したとして、虚偽有印公文書作成・同行使容疑で大阪地検特捜部に逮捕された。元局長と弘中惇一郎・主任弁護人から判決前の記事化について承諾を得た上で、2日に埼玉県内の元局長の自宅で取材。元局長は容疑者自身が取り調べ状況などを記す「被疑者ノート」などの記録をもとに振り返った。
□大阪地検特捜部の捜査について
取調室は私、検事、事務官の3人。そこで、検事は特捜部が作った私が知らない事件の「ストーリー」を繰り返しました。途中で「そうかもしれない」と思い、自信を持って否定できなくなる。「魔術」にかけられそうな怖さがありました。
取り調べが始まって10日目、検事があらかじめ作った供述調書を持ってきました。それには、これまで言ったことがない元上司や部下の悪口が書かれていました。「こんなものにサインできない」と断ると、検事は「私の作文でした」と認めました。
逮捕から6日後の昨年6月20日の取り調べでは、検事に「容疑を認める気持ちはないか」と説得され、さらに「執行猶予付き(の有罪判決)なら大したことはない」と言われた時は、怒りで涙が出ました。「一般市民には犯罪者にされるかされないか、公務員としてやってきた30年間を失うかどうかの問題だ」と訴えたことも覚えています。
私の指示で偽の証明書を発行した、と捜査段階で説明した当時の係長(上村勉被告、同罪で公判中)らを恨む気持ちはない。逆にそういう調書を作った検事が怖い。公判では、凛の会側から証明書発行の口添えを依頼されたという国会議員が、その日に別の場所にいたことも明らかになりました。私たちは検察を頼りにしているし、必要な組織。捜査のプロとしてきちんとやってほしかった。
否認を貫けたのは、娘2人の存在があったから。自分が頑張れない姿を見せてしま
うと、「2人が将来つらい経験をした時にあきらめてしまうかも」と思ったので
す。共働きだったので、娘と一緒にいる時間が少なくて、申し訳ないとずっと思っ
ていました。今回はそんな2人に助けられたのです。大学受験を控えていた次女は
私と接見するため、夏休み中は大阪の短期マンションを借り、塾に通いました。
◇
〈郵便不正事件〉 障害者団体向けの郵便割引制度を悪用し、実態のない団体名義で企業広告が格安で大量発送された事件。大阪地検特捜部は昨年2月以降、郵便法違反容疑などで強制捜査に着手。自称障害者団体「凛の会」が同制度の適用を受けるための偽の証明書発行に関与したとして、村木厚子元局長や同会の元会長ら4人を虚偽有印公文書作成・同行使罪で昨年7月に起訴した。
捜査段階で元局長の指示を認めたとされる元部下らは公判で次々と証言を覆し、地裁は供述調書の大半を証拠採用しないと決定。立証の柱を失った検察側は6月、推論を重ねることで元局長から元部下への指示を説明し、懲役1年6カ月を求刑した。
産経新聞 2010.9.3 18:40
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/100903/trl1009031842012-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/100903/trl1009031842012-n2.htm
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/100903/trl1009031842012-n3.htm
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/100903/trl1009031842012-n4.htm
■【巨悪の幻想-郵便不正公判】(2)取り調べメモ 「調書の信用性」崩壊の危機
決定が出た瞬間、検察官は天を仰いだ。5月26日、厚生労働省元局長、村木厚子(54)の公判で、裁判長は証人8人のうち3人の供述調書をすべて「却下する」と告げ、元係長、上村勉(41)の調書を証拠として認めなかった。
「想定する内容の供述調書を作成し、署名を求めるべきではない」
検察内部で半ば慣例的に行われてきた取り調べの手法まで裁判長にこう批判された上村の調書こそが、検察にとっての生命線だった。「村木の指示で証明書を偽造した」。この自白さえ残れば、有罪の可能性は高まるからだ。
「いくらなんでも採用はすると思っていたのに、それはないだろう、と…」。ある検察幹部は唇をかみ、別の幹部は「裁判官に洞察力がない。本当に世間知らずだ」と吐き捨てた。
「精密司法」という言葉の通り、裁判所はかつて検察官が作成する供述調書をほぼ例外なく証拠採用し、検討材料としてきた。それが、裁判員制度の導入と前後して「法廷で見て聞いて分かる立証」が徹底され、ここ数年は却下の判断も増えている。
検察は潮流を見誤ったのか。同様に調書が却下された障害者団体「凛の会」の元メンバー(68)は振り返る。
「検察にとって事実はどうでもよく、供述調書さえ作ってしまえば裁判官が最優先で信じる、と考えている気がした」
× × ×
実際、8人の供述調書はよく整合していた。同じ場面では基本的に同じ内容が取られている。検察が冒頭陳述で描いたストーリーは精巧さを極め、全面否認する村木の周辺をしっかり固めているかに見えた。
それなのに、法廷での証言は驚くほどばらばらだった。たとえば、偽造証明書がどう凛の会に渡ったか。上村は河野克史(69)に手渡したと主張し、河野は「郵送ではないか」と言う。倉沢邦夫(74)は「村木から受け取った」と証言し、村木は「記憶にない」と否定する。
公判が進むにつれ、整合しすぎた調書の方が、異様に映り始めた。
検察は異例といえる6人もの取調官を証言台に立たせた。「調書を読み聞かせ1行ずつ目を通させた上で署名を求めた」「公開の法廷ではさまざまな思惑や圧力から嘘をついている」。こうした説明でも、信頼は取り戻せなかった。
むしろ6人全員が、取り調べ時にとったメモを「廃棄した」と証言したことが大きな失点となった。ある裁判官は「メモを廃棄すれば、調書の信用性が疑われるとは考えなかったのか」と取調官の1人を追及している。
× × ×
取り調べメモをめぐっては、最高裁が平成19年12月、警察官のメモが証拠開示の対象になる公文書との初判断を示した。
多くの検事、元検事は「相手の表情や反応を見逃さないように、メモはほとんど取らない」と言う。中には取り調べのようすを数カ月間は克明に記憶する頭脳をもった人材もいるとされる。彼らにとってのメモは、単語や文章ではなく、記憶を引き出すいわば暗証番号にすぎない。
だが、その言い訳はもはや通用しない。検察官の調書はその作成過程まで見極められる時代が到来したのか。
ある検察幹部は「今後は戦略的にメモを残す方向になるのではないか」と話すが、刑事弁護に詳しい弁護士の小坂井久(57)は「メモは調書と同じように作文される可能性がぬぐえない」と指摘して言う。
「書面という2次元を脱して3次元の証拠、つまり取り調べ全過程の録音録画で決着をつける必要がある。映像や音声の方が明らかに客観的だからだ」
今回の事件で特捜検事が行った取り調べは、小坂井の言う全面可視化を勢いづかせるような問題が垣間見えた。(敬称、呼称略)
□調書の信用性判断 捜査段階で罪を認めた被告が公判で否認に転じるなど、被告や証人が供述調書と相反する公判証言をした場合、調書の信用性が問われる。検察側は取調官を証人尋問し、(1)証言に比べ特別に信用できる状況下で供述された(2)脅迫や利益誘導の影響がなく自発的に供述された-ことを立証。裁判官は(1)(2)とも認めた場合のみ、調書を証拠として採用できる。
産経新聞 2010.9.4 20:09
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/100904/trl1009042010001-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/100904/trl1009042010001-n2.htm
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/100904/trl1009042010001-n3.htm
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/100904/trl1009042010001-n4.htm
■【巨悪の幻想-郵便不正公判】(3)裏付け捜査 取り調べの“魔力”検察錯覚
太陽がかげり、先行きを暗示するかのような雲が広がり始めていた。平成21年6月2日、障害者団体「凛の会」の元メンバー(68)は大阪地検特捜部に出向き、検事(35)の取り調べを受けた。
東京・永田町の議員会館に行ったことがあるかと聞かれ、建物の構造や議員との面会方法を答えた。それだけで、元会長の倉沢邦夫(74)と落ち合って参院議員の石井一(76)に口添えを頼んだ-と供述した調書ができ上がった。
「作文だ。私は2人に会っていない」。そう抗議すると、検事は顔を真っ赤にして立ち上がり、机をたたきながら叫んだ。「そうじゃねえだろう、会ってんだよ、こうだろう!」
取り調べは8時間近くに及んだ。次第に「作り話でも、陳情ぐらい犯罪にはならない」と思いだした。認めないと明日もまた来いと言われるはずだ-。心を見透かされたかのように「いいんだ、いいんだ」と言われ、調書に署名した。
元メンバーは取材に対し、取り調べの実態をそう述べた。厚生労働省元局長、村木厚子(54)の公判で同じ趣旨の証言をした。供述調書は結局、証拠採用されなかった。
× × ×
「ストーリーに供述を強引に当てはめ、調書でつじつまを合わせる。特捜事件の悪しき典型だ」。取り調べ全過程の録音録画を提唱する弁護士の小坂井久(57)はそう指摘する。
小坂井が特徴的と考えるのは、厚労省元係長の上村勉(41)について、検事がとった調書よりも本人が書いた「被疑者ノート」の方が信用できる、と裁判所が判断した点だ。
拘置所で上村は検事とのやりとりや本音を殴り書きしていた。記述にはこうある。「逃れられない。記憶はないけど認めた」(21年5月30日)。「冤罪はこうして始まるのかな」(5月31日)。「かなり作文された」(6月5日)。「調書の修正は完全にあきらめた」(6月6日)…。
上村は泣きじゃくり、ときに怒りながら、検事から「関係者の意見を総合するのが合理的。多数決で私に任せて」と言われていたことまで法廷で暴露した。
検察内部には、上村が再就職先を世話してもらおうという期待から、必死に上司を守ろうとしたと装うために、事実と異なる“証拠”を残す一芝居を打った-との見方がある。
だが、それは取り調べの過酷さを直視したものとはいえない。厚労省関係者の大半は、自身が受けた捜査のことを「もう忘れたい」「検察を刺激したくない」と口を堅く閉ざす。
× × ×
「よくお来しくださいました。貴重な時間を本当に申し訳ありません」
21年9月11日、主任検事(43)はホテルの一室に石井を呼び出し、丁重に切り出した。凛の会元メンバーと倉沢から口添えの依頼を受けたか、厚労省に便宜を図るよう求めたかを、村木の起訴後約2カ月もたって確認しにきたのだ。
石井はすべて否定し、事件のあった16年の手帳6冊を机の上に積み上げ、言った。「会った人からゴルフのスコアまですべて書いてある。どこでも見てくださいよ」。検事はぺらぺらと2~3分めくったが、無言で机に戻したという。
この時、検事が手帳の中身を詳細に確認しなかったことが致命的なミスとなった。倉沢と元メンバーが面会に来たとされる16年2月25日午後1時、石井は千葉県内のゴルフ場にいたという“アリバイ”が記載されていたからである。
裏付け捜査がおざなりだったという批判は免れない。取り調べのもつ“魔力”が、自白があれば事足りるという錯覚を検察にもたらしているとしたら-。別の特捜事件で無罪が確定した元被告のケースをみる。