保守派はつまり怖がり
夫婦別姓法案に反対したり、取調の可視化に反対したりする人たち。ボルテージはあがる一方である。
夫婦別姓が実現すると「家族の絆が失われる」という。取調室にビデオが入ると「被疑者との信頼関係が失われる」「治安が悪化する」などという。
でも前者について、フランス人などにそんな話をしたら「けっ」とバカにされるに違いない。姓、というような形式的なもので縛り付けておかないと家族の絆が壊れてしまう、そんなふけば飛ぶような家族の絆しかないのか、そんなことで壊れると心配するくらい家族の絆に自信がもてないのか。これは「何事にも自信がもてない日本人」「制度に依存しないと人間関係すら築けない日本人」というように日本人を自ら卑下しているとしか思えない。
もしくは、保守派の論客の人々は、自分はたくましいけれど、庶民は馬鹿であるという愚民思想をもっていて、愚民には制度で縛り付けておかないと家族の絆など築けない、管理・統制がしにくい、という「上から目線」での発言なのだろうか。そうだとしたら、庶民はそれに同調しないで怒るべきですね。それに、そんなに自分の国の人々が信頼できない人間に限って「愛国心」とか「誇り」とかいうので不思議だ。
ひとりひとりが自立して、違う個性を持つ個人として独立していること。そのうえで家族が助け合ったり、人々が連帯し合う、お上がつくった制度なんかに依存しない、そんな社会を前向きに目指すべきではないか、と思う。そんな社会、日本にはつくれない、という要するに臆病な発想なんじゃないか。
取調の可視化で治安が悪化する、というのも、アメリカで大学教授に話したら「まさか本気でそんな議論日本でしているのか」とあきれられてしまった。
そもそも、この場合、ビデオがなくても被疑者と刑事に信頼関係などない。それに米国はビデオがあっても刑事は真犯人からきちんと自供を取っている。捜査テクニックに自信があるなら、導入に反対する理由はない。
いずれにしても、怖がりの低レベルな議論で、「なにをそんなに恐れているの」といいたくなるし、日本の議論のレベルが悲しい。
« ガザ 日本の国連での投票行動を歓迎 | トップページ | 生きているうちに救いたい »
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 虐待死とDVの悪循環の悲しさ。私たちに何ができるだろう。野田市の事件に思うこと(2019.02.09)
- 本日はMXテレビに出演します。(2018.12.08)
- ニューヨークに行きます!(2018.10.21)
- 事務所移転までの日々と「神楽坂」へのめぐり合わせ(2018.10.02)
- 事務所移転のご挨拶~ 10月1日より新事務所で業務をスタートしました(2018.10.02)