家族の死、ということ。
9月末に私の父が68歳の若さで急逝したため、残された家族はいろいろとショックが大きく、さまざまな処理もありまして、しばらくこちらのブログをご無沙汰しておりました。
ご弔電、お花など多くの方からいただき、クライアントの皆様にはご迷惑も多々おかけし、感謝とお詫びを申し上げます。
父は体格が大きく存在感があり、エネルギッシュでまだやりたいことが多くあったはずなので、リハビリ入院中の突然の死は本当に理不尽で悲しいものでした。疲労感もとても大きいものがありました。
やっと最近になって仕事にキャッチアップし、精神的にも父の死を受けとめられるようになり、少しリフレッシュもしました。
キャメロン・ディアスの以下のインタビュー-死は避けられない-もなんだか参考になりました。
http://www.cinematoday.jp/page/N0020047
この間感じたことは、肉親が死ぬというのはどれだけ大変なことなのか、ということです。そして、毎日多くの方々がお亡くなりになるわけですから、同じような悲しみにじっと耐えていらっしゃる方々がたくさんいるのだ、ということです。
それも、私の父の場合、通常の病気治療中の死であり、それでもこれだけショックなのですから、突然の過労死、交通事故、医療過誤や殺人など、ついさっきまで元気であった家族が突然奪われる、というのは、どんなにかやりきれないことでしょうか。
これまで、私は、紛争で無実の人が殺されること、死刑の冤罪や獄中死、犯罪被害としての殺人、などに多く怒りを感じ、注目して活動してきましたが、そのような場合でなくても、肉親を失うこと、死というものはなんと大きな悲しみ、大きな喪失感を伴うものか、と改めて痛感しました。今後はこれまで以上に肉親や配偶者を失った方々の痛み、悲しみに共感できるのではないかと思いました。
そして生がいかに貴重なものであり、命を与えられた者の責任として、生きられなかった人々の思いもかみしめながら、精一杯時を刻んでいかなくては、と改めて思うのです。