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2009年8月23日 (日)

日経新聞とTVに「30の方法」

 いつもあちこちでおあいする、日本経済新聞論説委員の伊奈さんが、私たちの出版した本を紹介するコラムを書いてくださいました。

「人権で世界を変える30の方法」

http://www.amazon.co.jp/%E4%BA%BA%E6%A8%A9%E3%81%A7%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%82%92%E5%A4%89%E3%81%88%E3%82%8B30%E3%81%AE%E6%96%B9%E6%B3%95-%E3%83%92%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%84%E3%83%8A%E3%82%A6/dp/4772604375

また、明日にはどうも日経系のテレビでもこの本について紹介していただけるみたいで、嬉しい限りなのです。

 実はこの書籍、5月3日の朝日の社説にもちょっと紹介してもらったのですが、前回も今回も、論説の内容は、書籍とは関係なく展開しているように思います。でも、それは、人権、というキーワードから日本の知識人・ジャーナリストの方々がいま、何を想起するのか、を知ることができて楽しいです。書籍は書いた人の意図を離れて、連想ゲームのようにどんどん発展していくから面白いのかもしれません。

 さて、この見解はとても悲観的なのですが、懸念は共有するところなのです

 もっというと、ブッシュ政権の外交と一線を画したオバマ外交は「対話」路線。

 平和的に諸外国と共存していこうという路線は、「イラクに自由を」と言って他国に介入・侵略する路線よりははるかによいです、戦争が最大の人権侵害を生むことは間違いありませんから。しかし、ジレンマは「独裁国家で人々が抑圧されている国とも妥協するのか」というところで、どうもそのあたりが妥協的すぎるように思うのです。ウイグルの問題もそうですし、ビルマ軍事政権と対話するのか、などが懸念されます。

 平和外交と人権外交は矛盾しないと思うのですが、針が振れすぎているように思うのは私だけでしょうか。一方、パレスチナの人権問題に関しては、イスラエル擁護の従前の政権と変わらないようで、これも失望させられます。

  一方、日本の選挙の関係でいうと、少し明るいきざしがあるのではないでしょうか。

 日本の旧態依然とした人権政策の転換が図られるかもしれません。日本の人権問題はもちろんですが、未来の政権が、アジア外交のなかで人権擁護の課題をどのように位置づけ、世界にメッセージを発信し、国際問題の解決に役割を果たしていけるのか、注目したいと思います。

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人権感覚のたそがれ憂う(風見鶏) 2009/08/16  日本経済新聞 朝刊  2ページ   


 日本の非政府組織(NGO)ヒューマンライツ・ナウが「人権で世界を変える30の方法」という小さな本を出した。世界中で起きている人権侵害を中学生にわかるように説く。

 人権は、本来は政治を超えた問題のはずだが、しばしば政治的に扱われる。

 現実はそうでもないと断った上でいえば、人権運動は「左」の運動と思われがちだ。仮にアブグレイブ刑務所での米軍による捕虜虐待に怒り、中国や北朝鮮の人権状況には関心を向けないのなら、それも幾分か当たっている。

 一方で「右」の人権派の関心は、中国や北朝鮮などの状況に傾きがちだ。例えば冷戦時代の米国は、ソ連など東側の人権状況を批判したが、途上国の独裁者とは、彼らが反共であれば手を握った。

 人権運動に党派性があるとすれば、冷戦構造が背景にあった。政治利用できるからこそ政治指導者たちは人権に関心を向けた。

 冷戦が終わり、党派性は薄れた。超党派になって運動は強まるはずだった。そうはならず、皮肉にも政治指導者たちの人権感覚を鈍化させた。それを感じさせたのが、特に昨年来のG8の議論である。

 2008年7月の洞爺湖サミットの政治討議で最も時間を使ったのは、ジンバブエ情勢だった。当時それが「今そこにある危機」だったからだ、とされた。

 4カ月前に起きたチベット問題は全く触れられなかった。過去の問題と考えられたのか。G8サミットは危機管理システムでもあるとすれば、それもやむを得ない、と当時は思えた。

 しかし今年7月のラクイラ・サミットは、それでは説明がつかない。

 あの時点で現在進行形の危機だったウイグル情勢に言及した首脳が、ひとりもいなかった。中国の胡錦濤主席が急いで帰国したほどの事態なのに、である。

 何が起きているか正確にわからないにせよ、あるいは、わからないからこそ、真相の究明を中国に求めるのが普通である。原因を問わず、暴力が発生した事態に憂慮を表明するのも民主主義を価値として共有する諸国の指導者の基本動作のはずである。

 冷戦末期、1989年のアルシュ・サミットを思い出す。天安門事件のほぼ1カ月後にフランスで開かれた会議である。「人権に関する宣言」や「中国に関する宣言」が採択された。90年のヒューストン・サミットでも欧州諸国による中国批判が強かった。

 隔世の感がある。中国の嫌がる議論は控える。それがいまは作法らしい。

 この20年間、中国自身にも変化があった。市場経済の進展による経済成長である。だが人権状況には目立った改善はない。逆に、人権派が意識的にビルマと呼ぶミャンマー、さらにスーダンなどの抑圧国家を支援する。そこにウイグル情勢の急展開である。

 にもかかわらず、G8首脳は発言しなかった。世界同時不況からの脱出のために中国経済に依存するからか。下世話に言えば、オバマ米大統領ですら、腹が減って戦ができなかった。花より団子が欲しかった。

 中国はいずれ経済力で米国をしのぐ。軍事力でも世界一になり、北京の価値観を全世界が受け入れざるを得なくなる。G8サミットや米中戦略・経済対話を見ていると、杞憂(きゆう)とは思えない。

 マルクスではないが、下部構造(経済)が上部構造(政治)を規定するのか。人権問題はたそがれる。夜のとばりがおり、闇が広がる……。衆院選挙が18日公示される。何人の候補者が気づいているだろう。(編集委員 伊奈久喜)

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