国際人権法はだれのもの?
このような感動的なタイでの生活でふと心に起った問いは、国際人権法は誰のもの? という問いです。
イタリアの映画に「イル・ポスティーノ」という映画があります。チリの著名な詩人に、イタリアの島の郵便配達夫が「詩はそれを必要とする者のものだ」と言う台詞がありました。この学校での体験を通して私が知ったことは、「国際人権法は誰のものか—それは、大学での研究や国連での討論のためにあるのではない、本当にそれを必要とする、人権を虐げられた人たちのもの、そしてその事態を変えようとする人たちのものだ」ということです。
私はニューヨークで国際人権法を学び、ジュネーブやニューヨークの国連や国際NGOの舞台で国際人権法に関する議論に関わってきました。
しかし、そんな最先端な議論よりももっとも大切なことは、本当に国際人権法を必要とする人たちに大切なメッセージとして国際人権法- 世界の人権のスタンダードを知らせ、それを活用して現状をかえる力にしてもらうことなのだ、と思ったのです。
彼らこそがもっとも人権を否定され、人権の欠如に苦しみ、そうした状況を変えることを強く望んでいるのだから、もっとも人権法を必要としている人たちなのです。国際人権法もそれを必要とするひとたちのものなのだと思ったのです。
国際人権法は、いま繰り広げられているような、レマン湖のほとりで洗練された議論を展開するためのツールではないのです。
事実、私はこれまで様々な国の学生にあい、国際人権法について議論してきましたが、彼らほど、こんなに真剣に国際人権法について学ぶ人々の姿を見たことがありません。彼らにとって国際人権法は知識ではなく、自分たちの苦境から脱するために必要な糧であり、現実に必要不可欠なものなのです。
しかし、そんなに国際人権法を必要としているひとたちに、それがどんなものなのかすら届けられていないのです、知らされていないのです。
そんな彼らに国際人権法を教える、これほど素晴らしい体験はありません。出し惜しみをすることなく、自分の持っている知識の限りをみんなに与えたいと思ったのです。いまもビルマで、人権という言葉すら知らずに人権侵害に静かに耐えている人たちがいる、そんななかで、人々の未来を背負ってひたむきに生きる生徒たちに、もっともっと伝えていかなくちゃと思ったのです。
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