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2009年6月 4日 (木)

ついに釈放! 足利事件

私が応援してきました、足利事件で、ついに菅家受刑者が釈放となりました。

ここのところ、メディアの取材が続いていましたが、ここまで早いのは予想外で、検察の英断だと思います。

とにかく、本当によかったと思います。無実の人が無罪になるというのは絶対的な正義です。

一日も早く、私の依頼者である奥西死刑囚も同じ喜びを味わってもらいたい、と記者会見での菅家受刑者の姿を見るうちに胸がいっぱいになりました。

足利事件でなぜ誤ったのか、なぜかくも救済が遅れたのか、最高裁にはぜひ徹底した検証を求めたいと思います。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/090604/trl0906042320029-n1.htm

平成2年の足利事件で殺人罪などに問われ、無期懲役が確定した元幼稚園バス運転手、菅家利和さん(62)が4日、服役していた千葉刑務所から釈放された。菅家さんは釈放後に千葉市内で行われた会見で、「本当にありがとう」と支援者らへの感謝の言葉を繰り返す一方、事件当時、菅家さんを逮捕し、取り調べた警察や検察に対しては「絶対に許さない。人生を返してほしい」と怒りをあらわにした。記者会見の詳報は以下の通り。

 菅家さん「ありがとうございます。私は今日釈放になり、本当にうれしく思う。当時私は急に犯人にされた。自分としては全く身に覚えがない。私は無実で犯人ではない。これだけははっきり言える。刑務所内でもつらいことがあったが、今日まで一生懸命がんばってきた。これも弁護団の先生と支援者のおかげ。本当にありがとう。これからもよろしく」

 --この17年間どういう思いでがんばってきた

 「当時、私は犯人にされたが、17年間ずっと我慢してきた。刑事と検察官は私と両親、世間のみなさんに謝ってほしい。だけど、私は謝って済むとは思っていない。絶対に許すことはない。間違ったでは済まない。この17年間ずっと思ってきたのは、出所したら刑事たちと検察官に絶対謝ってもらうということ」

 --17年間で一番つらかったことは

 「刑務所内で同僚がけんかしたりして、自分にも降りかかってきたことがあった。だけど、そういうことは一切無視してきた。正月とかも一切なかったけど、今日までがんばってきた」

 --刑務所にいる間に両親が亡くなったが、どういう気持ちだった

 「警察に捕まって、おやじがショック受けて亡くなった。2年前の4月に母が亡くなった。母もつらかったと思う。検察官も両親の墓に出向いてもらって絶対に謝らせたい。私も両親の墓参りに行きたい」

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