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2009年5月22日 (金)

裁判員制度がはじまる。

今日から裁判員制度がスタートする。私にとっては、特別の感慨である。

裁判員制度について、私はいろいろと課題を提起し、批判をしてきたけれども、それでも、

長年夢見てきた、市民の刑事裁判への参加がようやく実現するのだから。

私は陪審論者で、弁護士会で長年、市民の司法参加の導入を求めて活動してきた。1990年代には「変わったことをやっているね」などと言われていたのが、2000年から始まった司法改革の中で課題に上り、そして「裁判員制度」が実現することになったのだ。

なぜ、市民の司法参加を求めてきたのか。

私は弁護士になってから、検察の有罪立証をただなぞるだけの形骸した刑事裁判に心底絶望してきた。

特に私の担当する無実の死刑囚・奥西勝さんが、ただ自白をしたというだけで客観証拠が無実を示しているのに、死刑台から生還されないことが許せなかった(今、この瞬間も怒っている)。

無実を叫ぶ死刑囚をまるで虫けらのように言い分をろくに聞かず、簡単に不服申し立てを棄却し、有罪を言い渡し続ける刑事裁判官の態度に怒りを抑えられない。

そしてこんな刑事裁判を許し、今も冤罪を生み出し続けていることが耐えられない。刑事裁判は絶対に変わらなくてはならないと切実に思ってきた。冤罪で泣いている人たちは無数にいるというのに、司法がそれを救済できず、私たち弁護士も99.9%の有罪率のもとで本当に無力なのだ。

それを変えるには、「裁かれる側」である、権力をもたない市民が司法参加していだたくしかないと、私はずっと思って、活動してきた。

裁判員制度はいままでに指摘してきたとおりまったくパーフェクトではない。でも、ひとたび始まったら、主役となるのは、市民の皆さんである。裁判官も簡単にはコントロールできないだろう。

市民のみなさんが法を形成していくことになる。

以前みたアメリカ映画の「評決」に、ポール・ニューマン演じる弁護士が、医療過誤事件で巨大病院を訴え、圧倒的に不利な立場に立たされながら、最後の弁論で、陪審員に働きかけるシーンがある。「You are the Law」と働きかける。

私たちは自分たちの思い通りにならない社会のなかで生きているが、今日だけはあなたたちが正義を決定できる、あなたたちが法なのだ、というのである。それに応えて、陪審員たちは大病院に対し巨額の賠償を命ずる判決を出し、正義を実現する。

 複雑な現代社会では、民主主義を採用しているというのに、実際は権力のある者、力とカネのある者がこの社会を支配し、私たち市民は何も現状を変える力を持たないように思えることが少なくない。しかし、そんなパワーを持たない市民にも、正義だと思うことを判断し、それが社会を変えるパワーを持ちえることがあるのだ。市民による逆転ホームランのような、民意の鮮やかな表明。

そんなことが日本でも積み重ねられていくことによって、私たちの社会は少しずつでも変わっていけるのではないだろうか。刑事事件だけでなく、行政事件、民事事件にも市民参加を実現してほしいと思う。

この制度を発展させ、問題点を直視してそれを正していけるのも、今までの絶望的な刑事裁判を根本から変えていくのも、ほかならぬ裁判員になっていく市民の方々ひとりひとりの良心、勇気、行動にかかっていると思う。

とても難しい船出だけれども、ぜひよろしくお願いいたします。

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