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2009年4月

2009年4月28日 (火)

行ってまいります。

先週水曜日に香港から帰国したばかりですが、

今度は明日からヒューマンライツ・ナウのミッションで、中東へ出かけます。

GWいっぱいは中東です。

豚インフルエンザは中東では大丈夫と思いますけれど、この間の数日間にぎっしりと日本での仕事を詰め込んで処理したため、なんだかとてもグロッキー状態。

でも、今回おあいする人々は、本当に人権侵害に抗して、献身的な、そして歴史に名を残すような活動を続けている、尊敬すべき人たちばかり。

えりを正して行ってまいります♪

2009年4月24日 (金)

香港から東京へ

日曜日に仕事で香港へ、そして22日に日本に帰国しました。

香港はNGO「アジア人権委員会」の主催する、アジアの法律家の会議で、

日本からは今回私ひとりが招待されたので、がんばってきました。

日本、韓国、モンゴル、中国、タイ、カンボジアなどの国々は

こういう会議で普通とてもおとなしく、

インド、スリランカ、パキスタンの人々が会議をリードしがちであり、

(キャラクターの問題とともに、たぶんコモンウェルズの伝統も

あるし、英語もそこそこ話せるということがあるのでしょう)

実際そうだったわけですけれど、議論を聞いていると

つくづく、日本の経験、弁護士・弁護士会の活動のあり方、

呵責なき権力への批判、公益訴訟の伝統などが、

ほかの国々と比べても優れている部分の多いことを

発見してしまい、いろいろとみんなに紹介しました。

 興味深いのは、中国の人たちは反日感情が強いのかなあ、

と思われることがしばしばなのですが、中国で民主化や人権の

問題に取り組んでいる若手の弁護士や人権活動家たちは、

日本に学びたいと素直に思っている人たちがとても多いこと。

 中国では弁護士会が政府にコントロールされていて、市民の権利

擁護のために戦闘的に活動すると、弁護士資格がはく奪されてしまい、

みんな恐怖のなかで活動を強いられているわけですが、彼らから

みると、日本の弁護士自治というものはいつかは手に入れたい

憧れのようなのでした。

また、スリランカもパキスタンも、ビルマも、フィリピンも、

みな軍事化が進んでそれが人権を阻害しているようで、

すさまじい数の同胞が自国の軍や他国の軍、そして反政府軍など

によって殺されている話を聞きますと、また、カナダみたいな国で

も、米軍とあのイスラエル軍がいつでもカナダの軍事施設を無条

件で使用できるという協定を結んでいるんだ、という話などを聞く

と、やっぱり日本はいろいろいっても憲法9条があって軍事化の

歯止めになっていてよかったと痛感したりします。

タイからきたとても若い素敵な女性が言っていましたが、

タイの南部では政府に反対する人々が武装闘争をしている

けれど、発端は環境問題や人権問題など、法律を通じて

解決ができることが多い、そのやり方がわからない

しうまくいかないので、実力行使になり、たくさん人が死ぬ。

だから、Justice for Peace という団体をつくって、軍事力

ではないオールタナティブな解決の方法を目指す活動を

している、というのです。そこでは水俣病の歴史を

学んで、どう強者によって権利を奪われたひとたちが

平和的な手段で権利を回復していったかを勉強している、

と話していて、私は感動しました。彼女自身、

弁護士だった父親を治安当局に殺害され、報復ではない

法的なJusticeを求めて、今度は自分が父の遺志を継いで

人権活動家になったのだそうです。

こういう話を聞いていると、日頃は当たり前と思いがちな

空気のようなものの社会の恩恵を改めて感じ、次世代の

残していきたいし、とても困難ななかでがんばっている

アジアのほかの国の人々にも伝えていきたいなあ、

と思うのです。

さて帰国すると、日本はまたとても忙しく、成田空港から

電話が鳴り始め、裁判関係はもちろん、NGOのプロジェクト

だとか、出版する本の校正の締め切りであるとか、

某A事件に関して次々にくる取材依頼であるとか、

感慨にひたる間もなく、本当に日本は忙しい国だと

つくづく思います。

2009年4月19日 (日)

今週末のアースデー東京に出店しています。

今週末、4月18日、19日は東京代々木公園でアースデー東京2009,
地球のことを考えて行動する日、が開催されます。

市民による日本最大級の地球フェスティバルです。
http://www.earthday-tokyo.org/

私も昨年はじめていってみましたけれど、日本にこんな素敵なフェスティバルがあるなんて!と驚きました。食べ物とかとってもおいしいんですけれど、環境にやさしく、をモットーにしているので、マイはし、マイカップ持参をお勧めします(ないひとは買うシステムだったような)

ヒューマンライツ・ナウは今年のアースデーに出展し、ジャーナリストの協力も得て、パレスチナ、ビルマなどの人権侵害について、パネル展示や署名などを行います。
全体としてとても楽しいカルチャーにあふれたフェスティバルですので、ぜひご参加いただき、ご参加いただいた際には、ヒューマンライツ・ナウのブースに気軽にお立ち寄りください。場所はNHKと代々木公園のあいだです。
当日のブース企画の運営はボランティア、会員有志のみなさまが担っていだたくことになっていますが、手伝っていただくボランティアを引き続き募集しております。当日でもぜひお声をおかけいただき、お手伝いいただけると嬉しいです。
みなさまとおあいできるのを楽しみにしています。


~ 以下、アースデー東京2009ウェブサイトより~

4月22日は"地球の日"
アースデイの誕生...1970年アメリカ
1970年、ウィスコンシン州選出のG・ネルソン上院議員が、4月22日を"地球の日"であると宣言、アースデイが誕生しました。ネルソン氏は、学生運
動・市民運動がさかんなこの時代に、アースデイを通して、環境のかかえる問題に対して人びとに関心をもってもらおうと考え、それは当時全米学生自治会長
をしていたデニス・ヘイズ氏による、全米への呼びかけへとつながりました。そうして、1970年の最初のアースデイは、延べ2000万人以上の人びとが
何らかの形で、地球への関心を表現するアメリカ史上最大のユニークで多彩なイベントとなりました。

やってみた日、それがあなたのアースデイ
環境問題は、人と生物、地球、人と人のコミュニケーション問題ともいえます。そして私たちはだれも、この地球と100%関わり、家族や友人との間柄にも似た不可分の関係を持っています。だからアースデイは、私たち一人ひとりのものなのです。
 アースデイには、代表も規則もありません。民族・国籍・信条・政党・宗派をこえて、だれもが自由にその人の方法で、地球環境を守る意思表示をする国際連帯行動です。すべての人が、同じ輪の上で自由に起こせる、世界初でおそらく唯一のアクションがアースデイです。あなたもぜひ、自分と地球とそこに住むたくさんの生命との対話、アースデイ・アクションを起こしてください。そして、その活動を互いに知らせあい、大きな輪をつくりましょう。

2009年4月17日 (金)

映画 The Bank と社会的責任投資

最近みた映画のなかでは、大変興味深かったのは、クライブ・オーウェン主演のThe Bank( 原題はInternational)でした。

銀行、金融機関が利益を得るために、世界の紛争やテロに資金拠出し、支配し、コントロールしている、ということを告発した映画です。

空恐ろしい話ですが、今の世界の根底にある真実です。映画のような極端な金融機関を指摘することはできませんが、世界の紛争に金融機関が深くかかわっているのは紛れもない事実。

たとえば紛争下で、クラスター、白燐弾、劣化ウラン弾など非人道的な兵器が使用され、人々を残虐に殺します。しかし、その武器はどこからくるのか、武器商人、そして非人道兵器を製造し続ける武器製造会社がいる。そして武器製造会社に投資して利益を得る銀行がいるわけで、その構造を告発する「社会的責任投資」という考え方に基づく市民運動がヨーロッパ、アメリカで広がりつつあります。

これはとても大切な動きだと思います。

以下、毎日新聞を引用したコラムから引用させていただきます。

http://diamond.jp/series/yamazaki/10036/

「毎日新聞が引用しているベルギーの非政府組織(NGO)「ネットワーク・フランデレン」の調査によると、03年以降、世界の金融機関がクラスター爆弾製造、環境問題、人種問題に関連する問題のある企業に融資している額は、合計で550億ドル(5兆5000円強)に上る。しかも、そのうちの130億ドルは、ネットワーク・フランデレンが言うところの「最も悪質な企業」13社に集中している。具体的には、森林伐採などを続ける鉱山会社、ミャンマーの軍事政権に軍用機を売却した中国の航空機メーカーや、組合つぶしを行う米国系のスーパーなどだ。業種も国籍も多岐に渡る。」

 この問題をおっかけている、毎日新聞記者の方とも先日懇談させていただきましたし、私のNGOにおける同僚弁護士が記事に書かれたネットワーク・フランデレンのスタッフとあってきましたが、邦銀も他人事ではなく人権侵害に加担しているわけです。

 こういう情報に目を光らせて、問題のある銀行には預金を預けないようにするなどしないと私たちも人権侵害に加担していることになりそうです。

さて、映画では、なんといっても、クライブ・オーウェンの演技がとっても光っていました。日本ではほとんど無名、私は2004年のクローサーでジュリア・ロバーツと共演した際にはじめてみて、好きになれない俳優だと思ってましたが、随分見直しました。

今後に期待できるスターです。

2009年4月15日 (水)

昨日の最高裁無罪判決に注目する。

昨日、最高裁で、痴漢に関する無罪判決が出ました。それも破棄・自判という英断です。

その結論もさることながら、内容が素晴らしいので全文掲載してご紹介します。最高裁のウェブサイトからとりました。

弁護士出身の那須裁判官が素晴らしいご意見を出され、近藤崇晴裁判官のご意見も感動をもって読みました。

この判決は、主任になった田原裁判官の意見、そして刑事裁判官出身の堀籠裁判官の意見が少数意見となり、3対2で決まったものです。最高裁のなかでこんなバトル、真剣な意見対立があり、それをどう克服して(というか、多数を形成し)今回の判決に至ったのか、というのを知り、大変興味深かったです。

裁判官というのが、人間なのだ、人生と良心をかけて判決を書いているのだ、と感銘を受けたのは、最近本当にひさしぶりなことで、嬉しく思いました。

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主文
原判決及び第1審判決を破棄する。
被告人は無罪。
理由
弁護人秋山賢三ほかの上告趣意は,憲法違反,判例違反をいう点を含め,実質は単なる法令違反,事実誤認,量刑不当の主張であり,被告人本人の上告趣意は,事実誤認の主張であって,いずれも刑訴法405条の上告理由に当たらない。
しかしながら,所論にかんがみ,職権をもって調査すると,原判決及び第1審判決は,刑訴法411条3号により破棄を免れない。その理由は,以下のとおりである。
第1 本件公訴事実及び本件の経過
本件公訴事実の要旨は,「被告人は,平成18年4月18日午前7時56分ころから同日午前8時3分ころまでの間,東京都世田谷区内の小田急電鉄株式会社成城学園前駅から下北沢駅に至るまでの間を走行中の電車内において,乗客である当時17歳の女性に対し,パンティの中に左手を差し入れその陰部を手指でもてあそぶなどし,もって強いてわいせつな行為をした」というものである。
第1審判決は,上記のとおりの被害を受けたとする上記女性(以下「A」という。)の供述に信用性を認め,公訴事実と同旨の犯罪事実を認定して,被告人を懲役1年10月に処し,被告人からの控訴に対し,原判決も,第1審判決の事実認定を是認して,控訴を棄却した。
第2 当裁判所の判断
1 当審における事実誤認の主張に関する審査は,当審が法律審であることを原則としていることにかんがみ,原判決の認定が論理則,経験則等に照らして不合理といえるかどうかの観点から行うべきであるが,本件のような満員電車内の痴漢事件においては,被害事実や犯人の特定について物的証拠等の客観的証拠が得られにくく,被害者の供述が唯一の証拠である場合も多い上,被害者の思い込みその他により被害申告がされて犯人と特定された場合,その者が有効な防御を行うことが容易ではないという特質が認められることから,これらの点を考慮した上で特に慎重な判断をすることが求められる。
2 関係証拠によれば,次の事実が明らかである。(略)
4 第1審判決は,Aの供述内容は,当時の心情も交えた具体的,迫真的なもので,その内容自体に不自然,不合理な点はなく,Aは,意識的に当時の状況を観察,把握していたというのであり,犯行内容や犯行確認状況について,勘違いや記憶の混乱等が起こることも考えにくいなどとして,被害状況及び犯人確認状況に関するAの上記供述は信用できると判示し,原判決もこれを是認している。
5 そこで検討すると,被告人は,捜査段階から一貫して犯行を否認しており,本件公訴事実を基礎付ける証拠としては,Aの供述があるのみであって,物的証拠等の客観的証拠は存しない(被告人の手指に付着していた繊維の鑑定が行われたが,Aの下着に由来するものであるかどうかは不明であった。)。被告人は,本件当時60歳であったが,前科,前歴はなく,この種の犯行を行うような性向をうかがわせる事情も記録上は見当たらない。したがって,Aの供述の信用性判断は特に慎重に行う必要があるのであるが,(1) Aが述べる痴漢被害は,相当に執ようかつ強度なものであるにもかかわらず,Aは,車内で積極的な回避行動を執っていないこと,(2) そのことと前記2(2)のAのした被告人に対する積極的な糾弾行為とは必ずしもそぐわないように思われること,また,(3) Aが,成城学園前駅でいったん下車しながら,車両を替えることなく,再び被告人のそばに乗車しているのは不自然であること(原判決も「いささか不自然」とは述べている。)などを勘案すると,同駅までにAが受けたという痴漢被害に関する供述の信用性にはなお疑いをいれる余地がある。そうすると,その後にAが受けたという公訴事実記載の痴漢被害に関する供述の信用性についても疑いをいれる余地があることは否定し難いのであって,Aの供述の信用性を全面的に肯定した第1審判決及び原判決の判断は,必要とされる慎重さを欠くものというべきであり,これを是認することができない。被告人が公訴事実記載の犯行を行ったと断定するについては,なお合理的な疑いが残るというべきである。
第3 結論
以上のとおり,被告人に強制わいせつ罪の成立を認めた第1審判決及びこれを維持した原判決には,判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認があり,これを破棄しなければ著しく正義に反するものと認められる。
そして,既に第1審及び原審において検察官による立証は尽くされているので,当審において自判するのが相当であるところ,本件公訴事実については犯罪の証明が十分でないとして,被告人に対し無罪の言渡しをすべきである。
よって,刑訴法411条3号により原判決及び第1審判決を破棄し,同法413条ただし書,414条,404条,336条により,裁判官堀籠幸男,同田原睦夫の各反対意見があるほか,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。なお,裁判官那須弘平,同近藤崇晴の各補足意見がある。
裁判官那須弘平の補足意見は,次のとおりである。

1 冤罪で国民を処罰するのは国家による人権侵害の最たるものであり,これを防止することは刑事裁判における最重要課題の一つである。刑事裁判の鉄則ともいわれる「疑わしきは被告人の利益に」の原則も,有罪判断に必要とされる「合理的な疑いを超えた証明」の基準の理論も,突き詰めれば冤罪防止のためのものであると考えられる。
本件では,公訴事実に当たる痴漢犯罪をめぐり,被害を受けたとされる女性(以下「A」という。)が被告人を犯人であると指摘するもののこれを補強する客観的証拠がないに等しく,他方で被告人が冤罪を主張するもののやはりこれを補強する客観的証拠に乏しいという証拠状況の下で,1審及び原審の裁判官は有罪・無罪の選択を迫られ,当審でも裁判官の意見が二つに分かれている。意見が分かれる原因を探ると,結局は「合理的な疑いを超えた証明」の原理を具体的にどのように適用するかについての考え方の違いに行き着くように思われる。そこで,この際,この点について私の考え方を明らかにして,多数意見が支持されるべき理由を補足しておきたい。
2 痴漢事件について冤罪が争われている場合に,被害者とされる女性の公判での供述内容について「詳細かつ具体的」,「迫真的」,「不自然・不合理な点がない」などという一般的・抽象的な理由により信用性を肯定して有罪の根拠とする例は,公表された痴漢事件関係判決例をみただけでも少なくなく,非公表のものを含めれば相当数に上ることが推測できる。しかし,被害者女性の供述がそのようなものであっても,他にその供述を補強する証拠がない場合について有罪の判断をすることは,「合理的な疑いを超えた証明」に関する基準の理論との関係で,慎重な検討が必要であると考える。その理由は以下のとおりである。
ア混雑する電車内での痴漢事件の犯行は,比較的短時間のうちに行われ,行為の態様も被害者の身体の一部に手で触る等という単純かつ類型的なものであり,犯行の動機も刹那的かつ単純なもので,被害者からみて被害を受ける原因らしいものはこれといってないという点で共通している。被害者と加害者とは見ず知らずの間柄でたまたま車内で近接した場所に乗り合わせただけの関係で,犯行の間は車内での場所的移動もなくほぼ同一の姿勢を保ったまま推移する場合がほとんどである。
このように,混雑した電車の中での痴漢とされる犯罪行為は,時間的にも空間的にもまた当事者間の人的関係という点から見ても,単純かつ類型的な態様のものが多く,犯行の痕跡も(加害者の指先に付着した繊維や体液等を除いては)残らないため,「触ったか否か」という単純な事実が争われる点に特徴がある。このため,普通の能力を有する者(例えば十代後半の女性等)がその気になれば,その内容が真実である場合と,虚偽,錯覚ないし誇張等を含む場合であるとにかかわらず,法廷において「具体的で詳細」な体裁を具えた供述をすることはさほど困難でもない。
その反面,弁護人が反対尋問で供述の矛盾を突き虚偽を暴き出すことも,裁判官が「詳細かつ具体的」,「迫真的」あるいは「不自然・不合理な点がない」などという一般的・抽象的な指標を用いて供述の中から虚偽,錯覚ないし誇張の存否を嗅ぎ分けることも,けっして容易なことではない。本件のような類型の痴漢犯罪被害者の公判における供述には,元々,事実誤認を生じさせる要素が少なからず潜んでいるのである。
イ被害者が公判で供述する場合には,被害事実を立証するために検察官側の証人として出廷するのが一般的であり,検察官の要請により事前に面接して尋問の内容及び方法等について詳細な打ち合わせをすることは,広く行われている。痴漢犯罪について虚偽の被害申出をしたことが明らかになれば,刑事及び民事上の責任を追及されることにもなるのであるから(刑法172条,軽犯罪法1条16号,民法709条),被害者とされる女性が公判で被害事実を自ら覆す供述をすることはない。検察官としても,被害者の供述が犯行の存在を証明し公判を維持するための頼りの綱であるから,捜査段階での供述調書等の資料に添った矛盾のない供述が得られるように被害者との入念な打ち合わせに努める。この検察官の打ち合わせ作業自体は,法令の規定(刑事訴訟規則191条の3)に添った当然のものであって,何ら非難されるべき事柄ではないが,反面で,このような作業が念入りに行われれば行われるほど,公判での供述は外見上「詳細かつ具体的」,「迫真的」で,「不自然・不合理な点がない」ものとなるのも自然の成り行きである。これを裏返して言えば,公判での被害者の供述がそのようなものであるからといって,それだけで被害者の主張が正しいと即断することには危険が伴い,そこに事実誤認の余地が生じ
ることになる。
ウ満員電車内の痴漢事件については上記のような特別の事情があるのであるから,冤罪が真摯に争われている場合については,たとえ被害者女性の供述が「詳細かつ具体的」,「迫真的」で,弁護人の反対尋問を経てもなお「不自然・不合理な点がない」かのように見えるときであっても,供述を補強する証拠ないし間接事実の存否に特別な注意を払う必要がある。その上で,補強する証拠等が存在しないにもかかわらず裁判官が有罪の判断に踏み切るについては,「合理的な疑いを超えた証明」の視点から問題がないかどうか,格別に厳しい点検を欠かせない。
3 以上検討したところを踏まえてAの供述を見るに,1審及び原審の各判決が示すような「詳細かつ具体的」等の一般的・抽象的性質は具えているものの,これを超えて特別に信用性を強める方向の内容を含まず,他にこれといった補強する証拠等もないことから,上記2に挙げた事実誤認の危険が潜む典型的な被害者供述であると認められる。
これに加えて,本件では,判決理由第2の5に指摘するとおり被害者の供述の信用性に積極的に疑いをいれるべき事実が複数存在する。その疑いは単なる直感による「疑わしさ」の表明(「なんとなく変だ」「おかしい」)の域にとどまらず,論理的に筋の通った明確な言葉によって表示され,事実によって裏づけられたものでもある。Aの供述はその信用性において一定の疑いを生じる余地を残したものであり,被告人が有罪であることに対する「合理的な疑い」を生じさせるものであるといわざるを得ないのである。
したがって,本件では被告人が犯罪を犯していないとまでは断定できないが,逆に被告人を有罪とすることについても「合理的な疑い」が残るという,いわばグレーゾーンの証拠状況にあると判断せざるを得ない。その意味で,本件では未だ「合理的な疑いを超えた証明」がなされておらず,「疑わしきは被告人の利益に」の原則を適用して,無罪の判断をすべきであると考える。
4 堀籠裁判官及び田原裁判官の各反対意見の見解は,その理由とするところも含めて傾聴に値するものであり,一定の説得力ももっていると考える。しかしながら,これとは逆に,多数意見が本判決理由中で指摘し,当補足意見でやや詳しく記した理由により,Aの供述の信用性にはなお疑いをいれる余地があるとする見方も成り立ち得るのであって,こちらもそれなりに合理性をもつと評価されてよいと信じる。
合議体による裁判の評議においては,このように,意見が二つ又はそれ以上に分かれて調整がつかない事態も生じうるところであって,その相違は各裁判官の歩んできた人生体験の中で培ってきたものの見方,考え方,価値観に由来する部分が多いのであるから,これを解消することも容易ではない。そこで,問題はこの相違をどう結論に結びつけるかであるが,私は,個人の裁判官における有罪の心証形成の場合と同様に,「合理的な疑いを超えた証明」の基準(及び「疑わしきは被告人の利益に」の原則)に十分配慮する必要があり,少なくとも本件のように合議体における複数の裁判官がAの供述の信用性に疑いをもち,しかもその疑いが単なる直感や感想を超えて論理的に筋の通った明確な言葉によって表示されている場合には,有罪に必要な「合理的な疑いを超えた証明」はなおなされていないものとして処理されることが望ましいと考える(これは,「疑わしきは被告人の利益に」の原則にも適合する。)。
なお,当審における事実誤認の主張に関する審査につき,当審が法律審であることを原則としていることから「原判決の認定が論理則,経験則等に照らして不合理といえるかどうかの観点から行うべきである」とする基本的立場に立つことは,堀籠裁判官指摘のとおりである。しかし,少なくとも有罪判決を破棄自判して無罪とする場合については,冤罪防止の理念を実効あらしめるという観点から,文献等に例示される典型的な論理則や経験則に限ることなく,我々が社会生活の中で体得する広い意味での経験則ないし一般的なものの見方も「論理則,経験則等」に含まれると解するのが相当である。多数意見はこのような理解の上に立って,Aの供述の信用性を判断し,その上で「合理的な疑いを超えた証明」の基準に照らし,なお「合理的な疑いが残る」として無罪の判断を示しているのであるから,この点について上記基本的立場から見てもなんら問題がないことは明らかである。

裁判官近藤崇晴の補足意見は,次のとおりである。
私は,被告人を無罪とする多数意見に与するものであり,また,多数意見の立場を敷衍する那須裁判官の補足意見に共鳴するものであるが,なお若干の補足をしておきたい。
本件は,満員電車の中でのいわゆる痴漢事件であり,被害者とされる女性Aが被告人から強制わいせつの被害を受けた旨を具体的に供述しているのに対し,被告人は終始一貫して犯行を否認している。そして,被告人の犯人性については,他に目撃証人その他の有力な証拠が存在しない。すなわち,本件においては,「被害者」の供述と被告人の供述とがいわば水掛け論になっているのであり,それぞれの供述内容をその他の証拠関係に照らして十分に検討してみてもそれぞれに疑いが残り,結局真偽不明であると考えるほかないのであれば,公訴事実は証明されていないことになる。言い換えるならば,本件公訴事実が証明されているかどうかは,Aの供述が信用できるかどうかにすべてが係っていると言うことができる。このような場合,一般的に,被害者とされる女性の供述内容が虚偽である,あるいは,勘違いや記憶違いによるものであるとしても,これが真実に反すると断定することは著しく困難なのであるから,「被害者」の供述内容が「詳細かつ具体的」,「迫真的」で「不自然・不合理な点がない」といった表面的な理由だけで,その信用性をたやすく肯定することには大きな危険が伴う。この点,那須裁判官の補足意見が指摘するとおりである。また,「被害者」の供述するところはたやすくこれを信用し,被告人の供述するところは頭から疑ってかかるというようなことがないよう,厳に自戒する必要がある。
本件においては,多数意見が指摘するように,Aの供述には幾つかの疑問点があり,その反面,被告人にこの種の犯行(公訴事実のとおりであれば,痴漢の中でもかなり悪質な部類に属する。)を行う性向・性癖があることをうかがわせるような事情は記録上見当たらないのであって,これらの諸点を総合勘案するならば,Aの供述の信用性には合理的な疑いをいれる余地があるというべきである。もちろん,これらの諸点によっても,Aの供述が真実に反するもので被告人は本件犯行を行っていないと断定できるわけではなく,ことの真偽は不明だということである。
上告裁判所は,事後審査によって,「判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認がある」(刑訴法411条3号)かどうかを判断するのであるが,言うまでもなく,そのことは,公訴事実の真偽が不明である場合には原判決の事実認定を維持すべきであるということを意味するものではない。上告裁判所は,原判決の事実認定の当否を検討すべきであると考える場合には,記録を検討して自らの事実認定を脳裡に描きながら,原判決の事実認定が論理則,経験則等に照らして不合理といえるかどうかを検討するという思考操作をせざるを得ない。その結果,原判決の事実認定に合理的な疑いが残ると判断するのであれば,原判決には「事実の誤認」があることになり,それが「判決に影響を及ぼすべき重大な」ものであって,「原判決を破棄しなければ著しく正義に反すると認めるとき」は,原判決を破棄することができるのである。殊に,原判決が有罪判決であって,その有罪とした根拠である事実認定に合理的な疑いが残るのであれば,原判決を破棄することは,最終審たる最高裁判所の職責とするところであって,事後審制であることを理由にあたかも立証責任を転換したかのごとき結論を採ることは許されないと信ずるものである。
裁判官堀籠幸男の反対意見は,次のとおりである。
私は,多数意見には反対であり,原判決に事実誤認はなく,本件上告は棄却すべきものと考える。その理由は次のとおりである。
第1 事実誤認の主張に関する最高裁判所の審査の在り方
1 刑訴法は,刑事事件の上訴審については,原判決に違法又は不当な点はないかを審査するという事後審制を採用している。上訴審で事実認定の適否が問題となる場合は,上訴審は,自ら事件について心証を形成するのではなく,原判決の認定に論理則違反や経験則違反がないか又はこれに準ずる程度に不合理な判断をしていないかを審理するものである。そして,基本的に法律審である最高裁判所が事実誤認の主張に関し審査を行う場合には,その審査は,控訴審以上に徹底した事後審査でなければならない。最高裁判所の審査は,書面審査により行うものであるから,原判決に事実誤認があるというためには,原判決の判断が論理則や経験則に反するか又はこれに準ずる程度にその判断が不合理であると明らかに認められる場合でなければならない。刑訴法411条3号が「重大な事実の誤認」と規定しているのも,このことを意味するものというべきである。
2 刑訴法は,第一審の審理については,直接主義,口頭主義を採用しており,証人や被告人の供述の信用性が問題となる場合,第一審の裁判所は,証人や被告人の供述態度の誠実性,供述内容の具体性・合理性,論理の一貫性のみならず,論告・弁論で当事者から示された経験時の条件,記憶やその正確性,他の証拠との整合性あるいは矛盾等についての指摘を踏まえ,その信用性を総合的に検討して判断することになるのであり,その判断は,まさしく経験則・論理則に照らして行われるのである。証人や被告人の供述の信用性についての上訴審の審査は,その供述を直接的に見聞して行うものではなく,特に最高裁判所では書面のみを通じて行うものであるから,その供述の信用性についての判断は,経験則や論理則に違反しているか又はこれに準ずる程度に明らかに不合理と認められるかどうかの観点から行うべきものである。
第2 事実誤認の有無
1 本件における争点は,被害者Aの供述と被告人の供述とでは,どちらの供述の方が信用性があるかという点である。
被害者Aの供述の要旨は,多数意見が要約しているとおりであるが,Aは長時間にわたり尋問を受け,弁護人の厳しい反対尋問にも耐え,被害の状況についての供述は,詳細かつ具体的で,迫真的であり,その内容自体にも不自然,不合理な点はなく,覚えている点については明確に述べ,記憶のない点については「分からない」と答えており,Aの供述には信用性があることが十分うかがえるのである。多数意見は,Aの供述について,犯人の特定に関し疑問があるというのではなく,被害事実の存在自体が疑問であるというものである。すなわち,多数意見は,被害事実の存在自体が疑問であるから,Aが虚偽の供述をしている疑いがあるというのである。しかし,田原裁判官が指摘するように,Aが殊更虚偽の被害事実を申し立てる動機をうかがわせるような事情は,記録を精査検討してみても全く存しないのである。
2 そこで,次に被害者Aの供述からその信用性に対し疑いを生じさせるような事情があるといえるかどうかが問題となる。
(1) 多数意見は,先ず,被害者Aが車内で積極的な回避行動を執っていない点で,Aの供述の信用性に疑いがあるという。この点のAの供述の信用性を検討するに際しては,朝の通勤・通学時における小田急線の急行・準急の混雑の程度を認識した上で行う必要がある。この時間帯の小田急線の車内は,超過密であって,立っている乗客は,その場で身をよじる程度の動きしかできないことは,社会一般に広く知れ渡っているところであり,証拠からも認定することができるのである。身動き困難な超満員電車の中で被害に遭った場合,これを避けることは困難であり,また,犯人との争いになることや周囲の乗客の関心の的となることに対する気後れ,羞恥心などから,我慢していることは十分にあり得ることであり,Aがその場からの離脱や制止などの回避行動を執らなかったとしても,これを不自然ということはできないと考える。Aが回避行動を執らなかったことをもってAの供述の信用性を否定することは,同種痴漢被害事件において,しばしば生ずる事情を無視した判断といわなければならない。
(2) 次に,多数意見は,痴漢の被害に対し回避行動を執らなかったAが,下北沢駅で被告人のネクタイをつかむという積極的な糾弾行動に出たことは,必ずしもそぐわないという。しかし,犯人との争いになることや周囲の乗客の関心の的となることに対する気後れ,羞恥心などから短い間のこととして我慢していた性的被害者が,執拗に被害を受けて我慢の限界に達し,犯人を捕らえるため,次の停車駅近くになったときに,反撃的行為に出ることは十分にあり得ることであり,非力な少女の行為として,犯人のネクタイをつかむことは有効な方法であるといえるから,この点をもってAの供述の信用性を否定するのは,無理というべきである。
(3) また,多数意見は,Aが成城学園前駅でいったん下車しながら,車両を替えることなく,再び被告人のそばに乗車しているのは不自然であるという。しかしながら,Aは,成城学園前駅では乗客の乗降のためプラットホームに押し出され,
他のドアから乗車することも考えたが,犯人の姿を見失ったので,迷っているうちに,ドアが閉まりそうになったため,再び同じドアから電車に入ったところ,たまたま同じ位置のところに押し戻された旨供述しているのである。Aは一度下車しており,加えて犯人の姿が見えなくなったというのであるから,乗車し直せば犯人との位置が離れるであろうと考えることは自然であり,同じドアから再び乗車したことをもって不自然ということはできないというべきである。そして,同じ位置に戻ったのは,Aの意思によるものではなく,押し込まれた結果にすぎないのである。
多数意見は,「再び被告人のそばに乗車している」と判示するが,これがAの意思に基づくものと認定しているとすれば,この時間帯における通勤・通学電車が極めて混雑し,多数の乗客が車内に押し入るように乗り込んで来るものであることに対する認識に欠ける判断であるといわなければならない。この点のAの供述内容は自然であり,これをもって不自然,不合理というのは,無理である。
(4) 以上述べたように,多数意見がAの供述の信用性を否定する理由として挙げる第2の5の(1),(2)及び(3)は,いずれも理由としては極めて薄弱であり,このような薄弱な理由を3点合わせたからといって,その薄弱性が是正されるというものではなく,多数意見が指摘するような理由のみではAの供述の信用性を否定することはできないというべきである。
3 次に,被告人の供述については,その信用性に疑いを容れる次のような事実がある。
(1) 被告人は,検察官の取調べに対し,下北沢駅では電車に戻ろうとしたことはないと供述しておきながら,同じ日の取調べ中に,急に思い出したなどと言って,電車に戻ろうとしたことを認めるに至っている。これは,下北沢駅ではプラットホームの状況についてビデオ録画がされていることから,被告人が自己の供述に反する客観的証拠の存在を察知して供述を変遷させたものと考えられるのであり,こうした供述状況は,確たる証拠がない限り被告人は不利益な事実を認めないことをうかがわせるのである。
(2) 次に,被告人は,電車内の自分の近くにいた人については,よく記憶し,具体的に供述しているのであるが,被害者Aのことについては,ほとんど記憶がないと供述しているのであって,被告人の供述には不自然さが残るといわざるを得ない。
(3) 多数意見は,被告人の供述の信用性について,何ら触れていないが,以上によれば,被告人の供述の信用性には疑問があるといわざるを得ない。
4 原判決は,以上のような証拠関係を総合的に検討し,Aの供述に信用性があると判断したものであり,原判決の認定には,論理則や経験則に反するところはなく,また,これに準ずる程度に不合理といえるところもなく,原判決には事実誤認はないというべきである。
第3 論理則,経験則等と多数意見の論拠
多数意見は,当審における事実誤認の主張に関する審査について,「原判決の認定が論理則,経験則等に照らして不合理といえるかどうかの観点から行うべきである」としている。この点は,刑訴法の正当な解釈であり,私も賛成である。しかし,多数意見がAの供述の信用性に疑いを容れる余地があるとして挙げる理由は,第2の5の(1),(2)及び(3)だけであって,この3点を理由に,Aの供述には信用性があるとした原判決の判断が,論理則,経験則等に照らして不合理というにはあまりにも説得力に欠けるといわざるを得ない。
多数意見は,Aの供述の信用性を肯定した原判決に論理則や経験則等に違反する点があると明確に指摘することなく,ただ単に,「Aが受けたという公訴事実記載の痴漢被害に関する供述の信用性についても疑いをいれる余地があることは否定し難い」と述べるにとどまっており,当審における事実誤認の主張に関する審査の在り方について,多数意見が示した立場に照らして,不十分といわざるを得ない。
裁判官田原睦夫の反対意見は,次のとおりである。
私は,多数意見と異なり,上告審たる当審としての事実認定に関する審査のあり
方を踏まえ,また,多数意見が第2,1において指摘するところをも十分考慮した
上で,本件記録を精査しても,原判決に判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認が
ある,と認めることはできないのであって,本件上告は棄却すべきものと考える。
以下,敷衍する。
1 当審は,制度上法律審であることを原則とするから,事実認定に関する原判決の判断の当否に介入するについては自ら限界があり,あくまで事後審としての立場から原判決の判断の当否を判断すべきものである(最二小判昭和43.10.2
5刑集22巻11号961頁参照)。具体的には,一審判決,原判決及び上告趣意
書を検討した結果,原判決の事実認定に関する論理法則,経験則の適用過程に重大
な疑義があるか否か,あるいは上告趣意書に指摘するところを踏まえて記録を検討した場合に,原判決の事実認定に重大な疑義が存するか否か,及びそれらの疑義が,原判決を破棄しなければ著しく正義に反すると認めるに足りるものであるか否かを審査すべきこととなる。
2 本件は,被告人が全面否認し,物証も存しないところから,原判決の事実認定が肯認できるか否かは,被害事実の有無に関するAの供述の信用性及びAの加害者誤認の可能性の有無により決するほかない。そのうち加害者誤認の可能性の点
は,一審判決が判示する犯人現認に関するAの供述の信用性が認められる限り,否 -
定されるのであり,また弁護人からも加害者誤認の可能性を窺わせるに足る主張はい。そうすると本件では,Aの被害事実に関する供述の信用性の有無のみが問題となることとなる。
3 そこで,上述の視点に立って本件記録を精査しても,Aの供述の信用性を肯認した原判決には,以下に述べるとおり,その論理法則,経験則の適用過程におい
て重大な疑義が存するとは到底認められないのである。
(1) Aは一審において証言しているが,その供述内容は首尾一貫しており,弁護人の反対尋問にも揺らいでいない。また,その供述内容は,一審において取り調べられたAの捜査段階における供述調書の内容とも基本的には矛盾していない。
(2) 多数意見は,Aの述べる公訴事実に先立つ向ヶ丘遊園駅から成城学園前駅に着く直前までの痴漢被害は相当に執ようで強度なものであるにもかかわらず,車内で積極的な回避行動を執っておらず,成城学園前駅で一旦下車しながら,車両を
替えることなく再び被告人の側に乗車している点も不自然であるなどとしているが,Aは,満員で積極的な回避行動を執ることができず,また痴漢と発言して周囲から注目されるのが嫌だった旨,及び成城学園前駅で一旦下車した際に被告人を見失い,再び乗車しようとした際に被告人に気付いたのが発車寸前であったため,後
ろから押し込まれ,別の扉に移動することなくそのまま乗車した旨公判廷において供述しているのであって,その供述の信用性について,「いささか不自然な点があるといえるものの・・・不合理とまではいえない」とした原判決の認定に,著しい論理法則違背や経験則違背を見出すことはできないのである。
(3) また,多数意見は,本件公訴事実の直前の成城学園前駅までの痴漢被害に関するAの供述の信用性に疑問が存することをもって,本件公訴事実に関するAの供述の信用性には疑いをいれる余地があるとするが,上記のとおり成城学園前駅までの痴漢被害に関するAの供述の信用性を肯定した原判決の認定が不合理であるとはいえず,他に本件公訴事実に関するAの供述の信用性を肯定した原判決の認定に論理法則違背や経験則違背が認められず,また,Aの供述内容と矛盾する重大な事
実の存在も認められない以上,当審としては,本件公訴事実にかかるAの供述の信
用性について原判決と異なる認定をすることは許されないものといわざるを得な
い。
4 なお,付言するに,本件記録中からは,Aの供述の信用性及び被告人の否認供述の信用性の検討に関連する以下のような諸問題が窺える。
(1) Aの供述に関連して
Aの痴漢被害の供述が信用できない,ということは,Aが虚偽の被害申告をしたということである。この点に関連して,弁護人は,Aは学校に遅刻しそうになった
ことから,かかる申告をした旨主張していたが,かかる主張に合理性が存しないことは明らかである。女性が電車内での虚偽の痴漢被害を申告する動機としては,一般的に,①示談金の喝取目的,②相手方から車内での言動を注意された等のトラブルの腹癒せ,③痴漢被害に遭う人物であるとの自己顕示,④加害者を作り出し,その困惑を喜ぶ愉快犯等が存し得るところ,Aにそれらの動機の存在を窺わせるような証拠は存しない。
また,Aの供述の信用性を検討するに当たっては,Aの過去における痴漢被害の有無,痴漢被害に遭ったことがあるとすれば,その際のAの言動及びその後の行動,Aの友人等が電車内で痴漢被害に遭ったことの有無及びその被害に遭った者の対応等についてのAの認識状況等が問題となり得るところ,それらの諸点に関する証拠も全く存しない。
(2) 被告人の供述に関連して
本件では,被告人は一貫して否認しているところ,その供述の信用性を検討するに当たっては,被告人の人物像を顕出させると共に,本件当時の被告人が置かれていた社会的な状況が明らかにされる必要があり,また,被告人の捜査段階における
主張内容,取調べに対する対応状況等が重要な意義を有する。
ところが,被告人の捜査段階における供述調書や一審公判供述では,被告人の人物像はなかなか浮かび上っておらず,原審において取り調べられた被告人の供述書及び被告人の妻の供述書等によって,漸く被告人の人物像が浮かび上がるに至っている。また,その証拠によって,被告人は,平成18年4月に助教授から教授に昇任したばかりであり,本件公訴事実にかかる日の2日後には,就任後初の教授会が開かれ,その時に被告人は所信表明を行うことが予定されていたことなど,本件事件の犯人性と相反すると認められ得る事実も明らかになっている。また,近年,捜査段階の弁護活動で用いられるようになっている被疑者ノートは証拠として申請すらされておらず,被告人が逮捕,勾留された段階での被告人の供述内容,心理状況に関する証拠も僅かしか提出されていない。さらに,記録によれば,被告人の警察での取調べ段階でDNA鑑定が問題となっていたことが窺われるところ,その点は公判では殆ど問題とされていない。
(3) 仮に上記(1),(2)の点に関連する証拠が提出されていれば,一審判決及び原判決は,より説得性のある事実認定をなし得たものと推認されるが,以上のような諸問題が存するとしても,当審として原判決を破棄することが許されないことはいうまでもない。

検察官大鶴基成公判出席
(裁判長裁判官田原睦夫裁判官藤田宙靖裁判官堀籠幸男裁判官
那須弘平裁判官近藤崇晴)

LUSH後援・Asian Activista 2009をご案内します。

ブログを更新する暇もなくお花見シーズンが終わり、、

すっかり葉桜になってしまいました。

ゴールデンウィークあけに私の素敵な友人を

インドから招待して以下のイベントを開催します。

これからアジアの未来を切り開きそうな若手の

女性人権活動家の方々にアワードを出したい、という

趣旨で、あの、LUSHさんに後援していただく

ことになりました。

このイベントにあわせて、みんなで、「アクティビスタ」

という新しい言葉もつくってしまいました。

「アクティビスト」はちょっと手垢がついてしまった感が

あったりしますけれど、女性アクティビストをラテン系に

「アクティビスタ」と呼ぶととても楽しく美しく、

何かとてつもないことも成し遂げたり、力強く変えられ

そうな気がして、気に入っています♪

国内外の素敵な女性たちが本番と準備に参加してくれる

予定ですので、ぜひみなさまご参加いただけると

嬉しいです。

============================

“ Asian  Activist-α 2009 ”  世界を変えようとする女性たち

        ~インド・女性に対する暴力への挑戦~

      日時・516日(土) 13:00開場 13:30開始

     会場・青山学院大学 青山キャンパス6号館1

============================

 『Activist-α』(アクティビスタ)。人々のかけがえのない人権が守られる

ように積極的に活動する、未来のリーダーとなる女性活動家たちです。

 いま、アジアに生きる女性たちの多くが、人権を否定されています。

理不尽な暴力、踏みにじられる心、自由に生きることへの恐怖。その事実に

正面から光をあて、問題克服を目指し、世界を変えようとするActivist-αたち。

 今回は、深刻なDVが広がるインドで暴力に抗して果敢に活動するActivist-αを

ゲストとして、日本から世界的に活躍する女性たちとともに今後の課題を語り

合います。 彼女たちの活動と現実に耳を傾け、溢れるエネルギーを感じ、

日本と世界の現状を変えるために私たちができることを考えてみませんか?

【日時】 516日(土) 13301730

第一部 13301600

●記念講演 「インド・女性に対する暴力への挑戦」

   ナンディーニ・ラオ (インド・女性NGO Jagori コーディネーター)

●シンポジウム

   ナンディーニ・ラオ (インド・女性NGO Jagori コーディネーター)

   林 陽子 (弁護士、女性差別撤廃委員会委員)

   大崎 麻子 (開発政策、ジェンダー専門家)

コーディネーター:伊藤和子 (弁護士、ヒューマンライツ・ナウ事務局長)

第二部 16001730 ※軽食・ドリンク付き

●インド舞踊

   インド舞踊団 コンテンポラリー・ナティヤム・カンパニー

  そのほか第二部では呼びかけ人などによるトークを予定しています。

総合司会:道あゆみ(弁護士)

閉会挨拶:阿部浩己(神奈川大学教授、ヒューマンライツ・ナウ理事長)

【 会 場 】

青山学院大学 青山キャンパス 6号館1階 (東京都渋谷区渋谷4-4-25

JR線、東急線、京王井の頭線「渋谷駅」宮益坂方面出口より徒歩約10

・地下鉄「表参道駅」B1出口より徒歩約5

【 参加費 】

事前予約:1500円/当日参加:2000円(資料、軽食・ドリンク付き)

  ※第一部のみご参加の方は、資料代500円にて入場できます。

    ご予約時にその旨お伝えください。

【参加方法】

メール < info@ngo-hrn.org > または FAX < 03-3834-2406 > にて

ヒューマンライツ・ナウ事務局までお申込ください。 人数把握のため、

できるだけ事前のご予約をお願いいたします。(5/10事前予約締切)

【 主 催 】 特定非営利活動法人 ヒューマンライツ・ナウ(HRN

【 後 援 】 株式会社ラッシュジャパン

 * ラッシュジャパン チャリティプログラム < http://www.lush.co.jp >

ボディクリーム「チャリティポット」の商品代金2,200円(税込)は消費税を除いて

すべてチャリティに用いられ、ラッシュを通じて草の根活動団体に寄付されます。

知られざる問題に地道に取り込み、ユニークでオリジナリティあふれる方法で

未来を切り開く活動を、ラッシュはこれからも積極的に支援し続けていきます。

【呼びかけ人】

有馬真喜子(ジャーナリスト)/上原ミスミ(LUSH JAPAN取締役)/

岡田恵介(JapanTimes顧問)/戒濃民江(お茶の・水女子大理事副学長)/

久保利英明(弁護士)/郡司真弓(We21事務局長)/近藤恵子([特活]全国

女性シェルターネット共同代表)/佐藤安信(東京大学教授)/園部逸夫(元

最高裁判所判事、弁護士)/野火杏子(コンテンポラリー・ナティヤム・カンパ

ニー主催)/マエキタミヤコ(サステナ代表)/目黒依子(国連女性の地位委

員会日本代表)/山下泰子(国際女性の地位協会会長・文京学院大学教授)

*************************************************************

 *Activist-α』(アクティビスタ)とは、

  人々のかけがえのない人権が守られるように積極的に活動する、

  世界を変えようとする女性アクティビストたち。ヒューマンライツ・ナウは、

  アジアで女性の権利のために活動し、未来のリーダーとなる女性アク

  ティビストを「Asian  Activist-α」と呼び、その活動をサポートしています。

*************************************************************

≪スピーカー/ゲスト紹介≫

●ナンディーニ・ラオ氏 インドのNGOJAGORI(「目覚めた女性たち」を意味

する)のコーディネーターとして、女性の権利擁護のためにシェルター、キャン

ペーン、政策提言と幅広く活動。暴力に直面した女性のための支援プログラム、

DV被害女性らのグループカウンセリングも開催。女性の権利に関するトレー

ナーとしても活躍。インドではDVなど女性に対する暴力が深刻で、持参金を

払えないために女性が生きたまま夫に焼き殺されるなどのDV殺人が続出。

暴力に反対する女性たちの粘り強い活動が2005年、先駆的なDV法の制定に

結実、JAGORIは大きな役割を果たしてきた。その挑戦と、いまなお女性たちが

直面する今日の課題を語る。

●林 陽子氏 1983年に弁護士登録(第二東京弁護士会)、女性差別撤廃

委員会委員。弁護士として、性暴力、人身売買被害者の支援を行い、婚外子

差別に関する住民票・戸籍続柄裁判、職場や大学でのセクシャル・ハラスメント

裁判などに取り組む。Asia Pacific Forum on Women LawDevelopmentAPWLD

本部マレーシア)の運営委員(1990-1996)、内閣府男女共同参画会議「女性に

対する暴力専門調査会」委員、国連人権小委員会委員代理(2004-2006)などを

歴任し、現在は女性差別撤廃委員会委員を務める。シンポジウムでは女性に

対する暴力根絶のために女性差別撤廃条約が果たす役割について語る。

●大崎麻子氏 1997年に国連開発計画(UNDP)ニューヨーク本部資金渉外局に

入局。19989月から200410月まで開発政策局貧困削減/ミレニアム開発

目標(MDGs)部にてUNDP/日本WID(開発と女性)基金のマネージメントおよび

UNDPのジェンダー主流化政策の立案と実施を担当。現在、フリーの専門家と

して、国際機関、省庁、開発援助機関、NGO、研究機関などで活動中。シンポジ

ウムでは開発の視点から社会的コストとしての女性に対する暴力について語る。

●コンテンポラリー・ナティヤム・カンパニー インド舞踊家・野火杏子氏が主宰

する、インド舞踊団・教室。インド公演多数を含む、テレビ、コマーシャル、舞台、

イベント出演、振り付けなど多方面で活躍中。野火杏子氏の近著として「踊るヨガ

 インド舞踊で体の内側から美人になる」。200811月のイベント(ヒューマン

ライツ・カフェ)に引き続き、インド舞踊を披露。

****************************************************************

ヒューマンライツ・ナウとは≫≫≫

国境を越えて世界の人権に取り組む日本発の国際人権NGO。アジアを中心に

各国の人権侵害に光を当て告発し、状況を変えていく活動をします。

ヒューマンライツ・ナウ女性に対する暴力プロジェクトは、毎年現地に調査団を

派遣、アジア各国のNGOとともに暴力根絶のための政策提言を行い、アジアに

おける女性の人権のウォッチドッグの役割を果たそうとしています。

2009年4月 4日 (土)

少数意見を言い続ける勇気

最近、早尾貴紀さんの「ユダヤとイスラエルのあいだ」を読んでいる。

もう多くの人はとっくに注目されていたので、誠に遅ればせであるが。

デリダ、サイード、アーレント、ガンジーなどがイスラエル国家建国とその後の状況にどのような意見を表明してきたか、イスラエルと日本の国家と私たちの意識の在り方などが掘り下げられていて、

とにかくすごい。

ところでこの本のなかで紹介されていることだが、ハンナ・アーレントは、イスラエル建国に際して、異を唱え、二民族共存の一国家論を提唱しているのが大変興味深い。

1947年に国連による分割決議が採択され、イスラエルがまさに建国されようとしている1948年に、アーレントは「ユダヤ人の郷土を救うために-まだ時間はある」を発表し、具体的な政策提言を行っている。

この意見は多数意見とはならず、歴史的に敗れ去り、イスラエルが建国された。

しかし、アーレントの指摘は無駄ではまったくなかった。今日を生きる私たちが中東問題を考えるうえで立ち返るべき重要な示唆を与えている。

そのときどき、歴史的に敗れる可能性が高い見解であっても、あえてそれを表明すること、それは勇気がいることである。しかし、孤立を恐れずに、負けに直面しても、発言し続けることは時に重要である。少数意見であっても歴史に耐えうる論を展開しようとすることは、知識人の責務でもあろう。

最近日本のどんな場にいても、負けを覚悟で少数意見を毅然と主張し、議論をする人々が少なくなっているように思う。テレビのコメンテーターの議論をみていても、弁護士会のなかでもときどきそう思うのだ。

多数派に寄り添うのがそんなに甘い蜜なのか、負けたり排除されたり、メインストリームをはずれるのが格好悪い、得策でないと考えているのか。。

しかし、少数意見を信念を持って言い続ける人がいない限り、社会は発展しない。

パレスチナ問題から少し離れるが、幾多の批判にさらされつつも孤立をおそれず信じたことについて微動だにせずに信じることについて発言を続けたアーレントの姿勢と勇気には、立場を越えて感服させられる。

2009年4月 2日 (木)

派遣法改正の提案

昨日、ご紹介した、東京弁護士会としての派遣法改正の提案については、東京弁護士会のウェブサイトに掲載されています。

全文はこちらです。

http://www.toben.or.jp/news/opinion/2009/20090209_01.html

意見の骨子は以下のとおりです。

労働者派遣法の改正を求める意見書

2009(平成21)年2月9日

本会は、労働者派遣法の改正を求める意見書をとりまとめました。
意見書全文は、PDFファイルをご覧ください。

意見書全文(PDF:21KB)

【意見の趣旨】

  1. 派遣対象業務を専門的な業務に限定し、ポジティブリスト化すべきである。
  2. 登録型派遣は禁止すべきである。
  3. 日雇い派遣は全面的に禁止すべきである。常用型派遣についても派遣元と派遣先との労働者派遣契約における日々派遣を禁止すべきである。
  4. 派遣料金のマージン率の上限規制を設けるべきである。
  5. 派遣先の同種の労働者との均等待遇原則を明記すべきである。
  6. 直接雇用申込義務に基づく雇用条件は、期間の定めのない正規雇用契約を原則とすべきである。
  7. 派遣先に違法があった場合には、派遣先での直接雇用関係を成立させるべきである。
  8. グループ内派遣は原則として禁止すべきである。
  9. 派遣先の事前面接は一律に禁止すべきである。
  10. 派遣先が中途解約した場合の派遣先の責任を強化すべきである。

特に、私たち両性の平等に関する委員会では、女性の視点からも派遣に問題が多いということを指摘しています。

女性の派遣のなかの75%を占めるのが登録型派遣。そして、30代後半になると、仕事の紹介がどんどんなくなるのが最近の状況なのです。シングルでがんばって働いている女性が多いというのに、生首を飛ばすことなく、人から仕事を奪う仕組みができてしまっているのです。男女雇用均等法が1985年に誕生し、すでに20年以上が経過、女性の職場での進出や機会均等は進んでいてよいはずなのに、賃金格差は固定されていて、正社員以外の場合、平均賃金は男性の半分以下。

女性がいきいきと活躍できる社会どころか、女性の雇用はどんどんひどいことになって、差別が解消されないのです。妊娠、出産を理由に派遣を切る派遣先が多いことから、雇用を守るために中絶する人が続出しているという非人間的な事態になっています。

これだけ世論が大きく派遣法の改正を求めている時期にぜひ国会が国民の意思を反映した改正を実現してほしい、と思います。

2009年4月 1日 (水)

派遣法改正で国会にいこう

 今、これだけ派遣切りが深刻なのに、ちっとも派遣法改正の議論が進まない国会。

そこで、東京弁護士会の意見書を片手に、弁護士会の「両性の平等に関する委員会」で、国会に要請・陳情に行ってきました。

一番熱心だったのは、福島党首が出てこられた社民党、議員が対応いただいた共産党、

国民新党も時間さえずらせば議員がおあいします、と言われ、とてもこの問題に熱心なようでした。

自民党も公明党も秘書、事務局さんが対応してくれたのですが、

一番嘆かわしいのはなんと民主党。忙しいからあえないので、意見書を送ってください、

という対応なのでした。

 民主党、社民党は、3月末までに派遣法改正案を提出する、と言っていたのに期限が切れてしまった、本当にこの国会できちんと法改正案を野党側が提出できるのか、とても心配。さらにいうと、本当に派遣法改正がこの国会で実現するのかもとても不透明。

 政権をとるために忙しく、必死なのは否定されるべきことじゃないけれど、今国民が一番苦しんでいる問題をほっちのけにして、世論に受けそうなことを見つけて対応する、というのではよくないでしょう。聞けば、連合の支持母体である労働組合には、派遣法改正に消極的な組合も少なくないとか、、、驚くべき話であります。

 人々が切られていくという大問題、政党は努力を惜しむべきではないでしょう、

 特に政権を取ろうという政党が「忙しくてあえない」という態度だと、「この党本当に信用していいのかしら」と不安に思うことは間違いありません。。

 

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