3月5日から、スイス、ジュネーブで国連・人権理事会にNGOとして参加してきました。
これは、私が活動する国際人権団体ヒューマンライツ・ナウで、国連人権理事会に関係してどのような役割を果たしうるかを確認し、ネットワークをつくるのが第一目標。そのあたりのミッションがどうなったかについては、コアな情報も多く、ここで語りつくせぬ話が多いのですが(いつもこんな感じですみません)、
一般的な感想を少し書いて、国連の状況をご紹介しましょう。
3月5日は、各国政府代表(政府高官)のスピーチが終わった後の一般討論から始まりました。
(三つの応酬)
まず、「人権」にかかわる二国間の論争が三つ続きました。
ひとつは、インド対パキスタンのカシミール問題。
もうひとつは、イラン対イスラエル。イランがイスラエルのガザ侵攻を強く批判したのに対し、イスラエルは、イランが反ユダヤ主義を助長していて許せない、ハマスのテロ行為を支援している、イランの国内の人権状況は著しく問題だ、と応酬。
さらにもうひとつは、日本対北朝鮮。北朝鮮は日本が従軍慰安婦問題について真摯な謝罪をしていない、補償をしていない、日朝平壌宣言を守っていない、というのに対し日本は真摯な謝罪を繰り返してきた、日朝平壌宣言を誠実に履行したい、などと反論。
二国間で交渉すればよいものをこのような外交の場でやりあうことになり、しかも周囲の反応をみると、これが毎度のことのようで、なんとも恥ずかしい状況でした。ひとつ明らかなのは、日本は慰安婦問題を含め、戦後補償をきちんとしないために、世界の人権問題へのリーダーシップが発揮できない状況にある、ということです。
日本政府はいつも国際会議のたびに痛感しているはずですが、この外交のアキレス腱ともいうべき過去の人権問題に誠実に対処することが、日本という国の国際社会での信頼と尊敬、道徳的権威を大きく改善させる鍵となるでしょう。
(アメリカが人権の世界に復帰)
今回、特に、注目されたのは、今回、アメリカ代表部が人権理事会を傍聴し、OHCHRの独立性とその取り組みを強く支持していく、という表明をしたことです。アメリカは、ブッシュ政権当時、人権理事会そのものの正統性を強く批判し、参加をボイコットしてきました。その理由は、人権侵害国も理事国になれる選考基準の甘さなどでした(アメリカこそが人権侵害国のひとつであるのに)。
以来、アメリカは、グアンタナモ基地等の事態が人権侵害だとする国連側の批判にもあって人権理事会となかば対立し、人権状況の改善を求める声に一切耳を貸さない状況が続いたわけですが、人権を尊重する国際社会の努力を支持していく、というアメリカ政府の態度表明を聞いて、あまりにも異常なブッシュ-単独行動主義の時代が少しずつ変わろうとしているんだな、という実感を持ちました。
なお、この日のサイド・イベントは、ヒューマンライツ・ウォッチとICTJ(International Center for Transitional Justice)の主催で、アメリカの人権侵害のアカウンタビリティをどう実現していくか、というシンポジウムが行われ、HRWのExecutive Directorのケン・ロス氏と、ICTJの代表のジュアン・メンデス氏がゲスト・スピーカーでした。
HRWからは、「オバマ政権下でグアンタナモ基地が閉鎖されることは決定したが、いまだにCIAのテロ容疑者の拘束は続くのではないか、国家間秘密輸送も続くのではないか」との懸念が示されました。
ICTJ代表のメンデス氏は、収容者の権利の問題とともに、イラク、アフガニスタンにおける戦争犯罪についても、きちんとした責任追及をすべきだ、訴追と補償、再発防止策の提案をすべきだ、ICTJとして取り組んでいく、という見解を発表し注目されました。そのうえで、米国議会のなかに、国内でブッシュ政権下の人権侵害に対する調査委員会(Commission of Inquiry)を実現しようという動きがあり、中立な人選などの要件を満たすこと、テロ容疑者への拷問から進んで、戦争犯罪にも迫ってほしいとの提案が出されました。
このセッションにもアメリカ政府代表部が参加し、オバマ新政権がすでに三つの大統領命令を出して、グアンタナモ閉鎖、拷問禁止、テロ容疑者のdetention policyの再検討を進めていることが紹介され、NGOからの懸念はわかるが、自分たちはこの取り組みを成功させようと思って活動している、これからの取り組みを支援してほしい、という意見表明がありました。私は以前より、高名な人権活動家であるメンデス氏を深く尊敬していましたが、今回のICTJの態度表明はさすが!だと思いました。
(文明、民族、ポリティーク)
この日は、人権高等弁務官より、ダーバン・レビュー会議に関連して、「人権侵害を生む最大の原因は差別、とりわけ人種差別にある」という発言があり、国際社会がこれとたたかっていく必要性が強調されました。(なお、アメリカ政府代表部をはじめ、いくつかの国がこれに対し、人種差別と並んで人権侵害を生むのは表現の自由の抑圧である、というコメントを出してこの問題の強化を訴えていましたが)。
しかしこれを受けてなされた討論には幻滅させられます。
イスラエルは、ガザ攻撃に対する各国の批判はすべて「反ユダヤ主義であり、絶対に容認できない」の一点張りです。
一方のスーダン政府はICCの逮捕状発布は完全なでっちあげであり、到底受け入れ難く、平和への取り組みに逆行している、人種差別的な意図が明確である、と非難し、国際刑事裁判所の取り組みをまったく無視する姿勢を鮮明にしていました。
(アラブ対イスラエルを越えて)
ところで、イスラエルとイスラエル関連のNGOは、ガザの人権侵害に対して批判をがんとして受け入れず、イランを強く非難し、その一方でスーダンのダルフール地方の問題に関しては国際社会の介入を強く求めています。スーダン政府はアラブ系であり、ダルフール地方の反政府勢力の中心的存在は、イスラエルにオフィスを置くなど親イスラエル的であり、スーダンの紛争も地政学的にみれば、イスラエル対アラブの対立に巻き込まれている格好にあります。
これに対して、アラブ・グループは、もちろんガザ攻撃に関してイスラエルを強く非難し、独立した調査団の派遣を実現するよう迫っています。他方で彼らは、スーダンへのICCなどの介入にはあまり賛成ではない態度を示しています。
こうした国際政治の枠組みからこぼれたアフリカ・コンゴの事態などに関しては、ダルフールやパレスチナに匹敵するほどの深刻な事態であるにも関わらず、注目がいま一つ集まらないのが実情です。
自分と仲間の人権侵害を棚にあげて、敵対する勢力の人権侵害を攻撃する応酬は、レベルが低く、まったく建設的ではありませんが、それが現実に蔓延しています(これはもちろん、日本にも無縁でないことは、冒頭の日本と北朝鮮の応酬からも感じるところですが)。
文明の衝突がジュネーブの場で繰り広げられている、といっても過言ではありません。アラブ対イスラエル、欧米対途上国。
米国の対テロ戦争はこうした対立・亀裂を広げ、破壊的に深刻な影響をもたらした、ということができるでしょう。その克服には当然に時間がかかります。
スーダンも、コンゴも、パレスチナも、等しく重大な人権侵害があり、等しく国際社会の取り組みが求められています。どんな勢力が人権侵害を行い、どんな勢力が紛争の背景にあるとしても、重大な人権侵害をなくすために、国際社会が価値中立的な取り組みをしていく、という当たり前のことがこの国際社会ではきわめて困難です。
その当たり前のことを各国が誠実に履行していくよう、NGOが求めていくことが、何よりも重要だと、改めて痛感しました。
また、欧米でも途上国でもない日本のような国こそ、こうした対立の間に立って、国際社会を協調させ、正しいことを推し進めていく役割を果たすべきでは、と深く感じました。