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2009年2月27日 (金)

ヒラリーの人権外交

最近メディアの方から、ヒラリー・クリントンのアジア歴訪について何度か質問を受けました。

特に、中国にヒラリーが行った際に人権問題について公式な会談では十分に議論をしなかったことについて、世界の人権団体は一斉に批判していますが、どう思いますか、という質問でした。

私は、強い姿勢で発言することは手段であり、一番大事なのは、とにかく結果を出すことだ、ということだと思いますので、ただちに批判する気はしません。

前ブッシュ政権は、世界を善悪にわけて分断し、自らの価値観についていけないものは、容赦なく制裁したり、強く批判したり、ひいては侵略したりしたものです。世界はその後遺症が残り、アメリカ不信がひろがりました。その意味では、まず、そのような敵か味方かの二分論に立たずに、対話と信頼醸成による外交を進める態度を鮮明にすることは、必要なことだと思います。

単に強く批判すれば、そして制裁すれば、人権は改善するというものではなく、さまざまな努力が必要とされます。その意味で、その時々の断片的な発言で、どんな強い口調を選んだか、というレベルより、戦略的にどのように人権改善という結果を出すか、その戦略を持っていることこそが必要だと思うのです。その意味でまだヒラリーの人権外交を評価するのは早計だと私は思います。

 たとえば非公式行事だとしてヒラリーが教会を訪れたり、中国の女性活動家や人権活動家を励ましたことなどは、人権のために戦っている人たちを支援するという意味で注目に値すると思いました。

 軍事力以外のソフトな手段を駆使して外交で世界を変えようとするスマート・パワー、その現実への適用が、結果を出せるかを注目していきたいと思います。

 また、そもそも、アメリカが取り組むべき人権侵害は、同盟国でない中国などにどう強く人権の踏み絵をつきつけるか、よりもまず、自国が世界で展開している人権侵害をやめ、同盟国-イスラエルなど-の人権侵害に対する軍事援助や外交的援助をやめることが鍵ですので、そちらのほうこそよく見ていく必要があると思います。

 一方、ヒラリーのアジア歴訪を評価して、「日本も価値の外交をやめるべき」という議論をしている文書を読みましたが、それも違うと思うのです。

 外交の目的を考えると、ひとつには戦争をせずに平和を維持すること、もうひとつは国益だといえるかとは思いますが、単に仲良くするということだけを越え、国益を越えて、普遍的な価値を実現することを目的にする、特に 人類の基本的価値である人権の尊重を外交の目的に掲げるのは大切なことだと思います。

 仮にそれが普遍的価値という衣をかぶった中国封じ込めという国益目的であれば、それは全然問題外でしょう。しかし、単にどの国とも仲良くというだけでなく、ひとつのプリンシプルのうえに外交をすすめ、基本的人権に基礎を置くのは当然のことだと思います。

 要はその手段を達成するために、長い目で見てどういう結果を出していくか、ということでしょう。あれだけ、あちこちの国を言葉を尽くして批判しまくったブッシュ政権は世界の人権状況を悪くしたことはあれ、批判したどの国においても人権状況の改善はもたらされていないです。

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